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あいちトリエンナーレ・本論

2019. . 12
もう書かないと8月頭の時点で二度も言ってますが、状況が変わったので少し補足したい。(補足と言いつつ最長文です。誰も読まないかもしれませんが、私のスタンスは示しておきたかったので書きました)

てんちょのあやしいはなし

その後、「表現の自由~その後」展は閉鎖に持ち込まれこのまま沈静化するものかと思われました。
ですから、私も、皆さんが考える何らかのきっかけになったのなら良いんじゃネェですか? って姿勢で、一連の展示物と津田氏の目論見を包括して社会実験的な一つの作品だと捉えようと思いました。そこまでが前二回(8月3日、8月8日投稿)の話しの流れです。

長い話なのでもう一度整理します。

主旨は不許可となった作品を展示し、「普遍的な不許可性について問い考える展示」であると思っていたのですが、どうもその展示内容からして、一部の作品により、性急な民族主義を振りかざすネトウヨその他にわか民族主義者が非難囂々。ホットな隣国との関係性もあり、問題が別の方向に開いてしまいました。もちろんご存知のように、主な原因は同展が普遍的ではなく限りなく左傾化しているからです。

その尻馬に多くの有名人や知識人が乗りかかり、政治問題一歩手前に発展。結局主催者側にも様々なアラが露見して、展示は中止に追い込まれ、国が拠出する補助金は全額カットとなった。

また今回の再開で、多くの人々が、国家(または象徴天皇)を冒涜している、公金を使って反国家的なことをするのは許せない、という論調で口にするのが散見されました。



まあ、みなさんナショナリズム全開で唾飛ばしまくってますが、あえてそれに乗りかかるなら、「そうかなるほど津田氏と大村知事は確信犯で、反日の走狗である」と、そのように捉えることもできますな。

私はこれをもって国家侮辱だ、冒涜だと言うなら、安易に米帝に媚びうるなと言いたいですし、隣国にももっと調査を徹底して毅然と対応してきてほしかったと思いますし、過去の大戦やそれ以前の戦争の経緯や歴史の真実を詳らかにして、国民に共有させなさいと、まあそんなふうに思うのですよ。ところが今持ってなお、学校では外圧でぺしゃんこになった教科書を使わされて、子どもたちが授業を受けているわけですよ。

ま、色々言いましたけど、今ここでこんなふうに言うのは、あえてです。

私はどちらかといえば規制される側の人間なので、あえて表現者側の立場から、事を荒立てたくないし、別問題にして問題の焦点がブレていらないことに口を挟まなきゃならなくなるのが嫌だなと思って参りました。
表現の自由においてもギリギリ、人を傷つけなければ良いだろうと、思っていました。
ゲリラアートやタブーへの挑戦にしても理解はしますが、そんなバカバカしくて無駄なこと、男子中学生とアーティストしかやりたがりませんから。

だから当初は面白いなぁ、本人たちが責任取るならそれもありじゃねぇの? って思ってましたよ。津田氏しかり大村知事然り。

私はポリティカルアートに必要な要素は、問題提起力と思想だと思っています。
誰もが気づいていても視界の隅に追いやってしまっているようなことを、アーティストの感性でスポットを当てる。
その作品を見た人ははっと気づき、問題に対して向き合うことを迫られる。

世の中にとっては衝撃だろう。ただ、そうした時に、作家は何らかの思想を持っていなくてはいけないと思う。
いきなりボールを投げてきたのだから、ボールを投げた真意を問われるのは当然だし、ある程度の批判も覚悟せねばならない。誰もが投げたボールを綺麗に受け取ってくれる訳ではないし、ちゃんと投げ返してくれるとも限らない。

そういう面倒なやりとりを嫌うアーティストは、別の制作スタイルをとるし、表現の仕方も変える。ボールを投げるけども人に向かって投げていなかったり、そもそも投げなかったりする。もしくは投げてくれと頼まれた先のカゴに投げ込む。単純な喩えだが、そういう違いがある。

十把一絡げにアーティストをくくることが出来ないのは皆さんもご存じの通り、皆が皆アーティストが社会思想を持っている訳ではないということは前提として据えておきたい。

今回の再開にあたり、何らか津田氏の思想的な説明があるものかと思われた。

だけど、何も変わっていなかった。これには驚いた。公権の抑圧であると。私達は被害者なのであると。

ナショナリストからすれば、お前こそ最大の加害者であると、そう言いたいところでしょう。

なんの説明もないので私にはわかりませんけど、あれらの作品で彼らは何を伝え訴えかけたいと思っているのでしょうか。

天皇陛下の写真を焼いて。

実際、この令和の時代になって皇家へのタブー感というのはかなり薄れています。
それは現上皇が開かれた皇室づくりを続けてこられた結果であり、皇室と国民の新しい関係性が開闢したのが平成の世であったでしょう。その流れをくむが如し令和の世の中が訪れているわけです。

ただ、昭和の時代はそれほどまでに国民と皇家の距離は近くはなかった。いや、むしろ遠かった。
尊敬と畏怖の念でかたちどられていたと言っても過言ではないでしょう。現在天皇陛下を前にして土下座をするような日本国民はまずおりますまい。

そして戦後、微妙な立ち位置に立たされた天皇陛下は、しばし存在を消されたに等しかった。
日本国民はやんごとなきお方だと、何かの折りに触れでもすれば、暴力団まがいの右翼の街宣車がやってきてどつき回される、みたいな風潮が流れており、かといって公に戦争を美化したり、皇族を賛美したりするととたんに右翼のレッテルを貼られて周囲から非難され、社会的抹殺の憂き目に合わされた。

そのくらい日本の世の中は無意識的に左に寄りかかっていたんです。
ただ、思想的に左ではなかったし、政治も中共やソ連に同舟する様なことはありませんでした。
戦前にあったような赤化の危機というものはなかったと思います。もっとも世界各地では東西陣営による当事者や代理による紛争が絶えず、国内においても共産主義集団によるテロリズムや社会運動は頻発していました。まだまだ民主社会が未成熟だったのです。高度経済成長とともに戦前思想からの脱却、世界と比肩する国作りを目指し、日本国民が一丸となって邁進していました。

そこに天皇陛下の姿はなかったのです。皆が意識的にも無意識的にも陛下を無視したのは、戦争の象徴でもあったからでしょう。そこから脱却すべしと強く願って前だけ見据えてきた40年であったでしょう。

そんな昭和が迎えた終焉。皮肉なことに、大喪の礼において国民は改めて天皇陛下を認識したのです。この国には天皇陛下という国家の象徴がおわすのだと。

一度たりとも国民は天皇陛下を嫌わなかったし、嫌うようなことはなかったのです。無知ゆえに「偉そうなジジイだ」と反目していた私ですら頭を垂れました。

普通、自国が敗戦して焼け野原に立たされようものなら、そのかつての為政者のトップたる陛下のような立場の人間は、石を投げられタコ殴りにされたって仕方がないし、土下座するのは当然だと思う。
だが、戦後すぐ行われた巡幸の時ですら、国民は陛下を非難しなかった。
それどころか、GHQによって処罰されることを否とする嘆願書が恐ろしい数集まったという。

今は、様々なことがわかり始めています。当時知らされなかった真実が我々の知るところとなっており、昭和時代のような密閉された日本国家ではなくなっているのです。
今更天皇陛下がタブーなどという時流はありません。

だからこそ彼らに問いたいのです。あなた方は何がしたいのか?
あなた方のやっていることはまるで、日本の国を目の敵にする隣国のやることにそっくりではないですか。
あなた方のやっていることはまるで、日本の国民を愚弄しているように見えてしまうのですよ。

人が大切にしているものや、人が軽い気持ちで触れてほしくないものを、なんの思想もなく、なんの覚悟もなく、なんの言い訳も用意しないで安易に軽率に薄ら笑いを浮かべながら、揶揄する。
法を犯し、国家の理念を歪め、道徳を踏みにじり、ただただ、自らの自由と権利だけを標榜する彼らの芸術。

そんなものが表現の自由に基づくものであるとするなら、人殺しだって芸術たりえるでしょう。

東京芸大の教授の面々が今回の公金カットについて「表現の自由を萎縮させる」等と、朝日新聞の論調とスクラムを組むが如く文句をたれているようですけど、芸術家が何を恥ずかしいことを言っているのか。金が無いならないなりに自分たちでやればいいじゃないか。公儀がカネを出さないからといって、なぜ萎縮になるのか。芸術なめてんのか。

国民はあんたたちのパトロンでもなんでもない。何を勘違いしているのか。
そもそも芸術家が他人の金を当てにして表現活動なんてするんじゃない。
そんな矜持で芸術なんてよく人に教えられるなと私は思います。
金が必要なら働いて稼いで作品作れよ。まさか働いたら負けとか思ってるんじゃなかろうな。

まあ、それはさておき。

一連の、おそらくは世で第一線と呼ばれている芸術家達が皆総じて表現の自由だけを盾にして、問題のあるべき点から目をそらしていることは絶望的な気分にさせられます。

ちなみに、当初主催者側は件の作品に対して、

・製作過程で昭和天皇の御真影を焼いた事実はなく、昭和天皇の写真のように見えるかもしれないが、昭和天皇をモチーフにした作品ではない

・慰安婦像ではなく、テーマが違う「平和の少女」

などと言っていたのです。

じゃあ、なぜ、なおさら、どんな意図があって、どんな思想があって、過去の展示ではどんな経緯で展示不許可となって、どんな論争がそこにあったのか、そこであなた方作家はどのように戦ったのか? それを説明すべきだろう。

今からでもいいから、誰がどのように不許可を出したのか。その当事者を連れてきて公開ディスカッションしていただきたい。
なぜだめなのか、なぜ自分が心血を注いで作った作品がだめなのか、堂々と問いただしていただきたい。
なんなら、世論に問うていただきたい。なんなら提訴も辞さないと。だってそれは、あなた方が大切にしている表現の自由の権利を侵害されていることなんですから。

どうぞ胸を張って、私は正しい、正義であると世に知らしめていただきたい。権力におもねるのではなくてね。

それができるのならば、展示の継続はしてもいいだろうと思う。
でなきゃ全国で不許可扱いになった、ユーモアのかけらもない愚劣な芸術作品みたいなのの寄せ集めた、「皆さんで笑ってやってください」というゴミ溜め展示場に、税金なんて使わせるわけにはいきませんから。
ぜひとも愛知県の財政だけでやってください。知事選んだの愛知県民ですからね。

とっても長くなりましたが、これで終了します。


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