国道に 半ケツ出して 停まるバカ

2017. . 17
特に、俗に言う、休日。

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日曜祝日というのは、どこも交通量が増える傾向なのはご存知のことかと思われます。
国道走っていても、大抵は自然渋滞的な“なにか”に遭遇しますが、その何かの先を見てみれば、ユニクロだとか回転寿司屋だとかで、駐車場に入るために列をなしている集団だったりします。
毎週金曜日は31アイスが一個無料だとかで、国道に度し難い行列を作っていることもあります。

年末などになれば、なぜ年内に必ず燃料を満タンにしたいのか皆目わかりませんが、ガソリンスタンド前に行列ができます。

単なる渋滞だと思っていたら、知らずに回転寿司屋にウェルカムされる時のあの敗北感。
単なる渋滞だと思っていたら、大安売りのヒートテック目当てに来た庶民なのね、と目される屈辱感。
単なる渋滞だと思っていたら、アイス一個のためにガソリン炊いて来た愚民と同列にされる恥辱感。

*注意:以上は個人の印象であり、偏見です。

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まあそれはいいとしましょう。事情は色々あると思います。
ですが、公の通行の場である道路上に列をなすというのは、やはり私的な目的のために行われる占有と言わざるを得ません。
これは、店舗経営者側にも責任があり、道路に並ばなければならないのであれば、駐車場のキャパが店舗規模に見合っていないことを指すのでありますから、即刻駐車場スペースを別に確保するなり、自身らの土地を削って、私道レーンを作るべきでしょう。

それが出来ないのであれば「満車」と掲げて入店を拒否すべきなのです。

堅いことを言うようですが、私はそういう行列には並ばない質なので(絶対ではありませんが、交通量の多い道では自粛します)やはり、通行の大きな妨げになっていると感じます。

また、よくある別のパターンでは、店舗内が輻輳しており、侵入が容易でない状況が見て取れるにも関わらず、歩道に車を乗り上げて半ケツ状態で路上に停車してる車をよく見かけます。

特にこれらは後続車からすると「入るんやったらきっちりケツ納めろや、ボゲェ!」「いくんか――――って、いかんのかい!」と怒髪天を衝くがごとくのクラクション攻撃やむなしの事態に発展します。

半端に車両の一部がハミ出てると、走行車両はそれを避けるために右へ膨らまなければいけませんし、右車線を走る車もその煽りを受けます。下手すりゃ接触事故につながります。
無論歩行者からしてもものすごく邪魔で、はっきり言って通れません。

原則的に、歩道に乗り上げて停車するような事態は避けねばならないはずで、それは対岸の進路がつっかえている、踏切や交差点には踏み込んではいけない、という理屈と同じでありましょう。

何らかの建物や、敷地に路上から進入する際は、まず自分の車のサイズが入れるのかどうかを判断して、ステアリング操作をしていただきたい。入れないと思った時は潔くスルーして交通の妨げをしない、というのは車を運転する者のマナーです。

年末で誰もが慌ただしくなり、焦り、また浮かれ気分に高揚して、ついぞ周りが見えなくなるのはわかりますが、ハッピーなクリスマスや正月を過ごしたいならなおさら、落ち着いた運転を心がける事は肝要かと。

てなわけで、私は自分の車についている「人に優しい原付用ホーン」を外して、ハードなファンファーレに換えます。(だって原付用のホーンじゃ気づいてくれないんだもん)

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以上。 ビートルのケツでした。



クラウドファンディング

2017. . 13
すっげぇ、つまらんことなんですが。毎度毎度スマホケースというのは改造したくなる。
多分、しょっちゅう手に持つものだから妙に細かいことが気になるんでしょうな。

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片手で操作することも少なくないから、そうなると本体の保持がしにくく、落としそうになる。
そもそも、落として壊すのが嫌だから、ケースに入れたり、液晶保護フィルムを貼ったりしてるんですが。
正直なところ、アイフォンのスリムさを殺すのは罪に思えるんですが、それでも私のような仕事してるとそうもいきません。

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ちなみにこのリング、本来は両面テープでつけるものなんですが、剥がれるので信用できなくなり、ネジで止めました。

で、丈夫でスリムなケースはないものかと調べてたら、ありますやん。 → Mous Limitless
まあまあ高いんですが・・・・・・高いやん!

高いだけに、十メートルから落としても大丈夫らしい。 叩きつけても大丈夫らしい。
アメリカ人はやることがいつでも派手やなぁ。
そもそも、アメリカ人はなぜiPhoneにストラップをつけないのだろうか、とは思う。 だから落とすんじゃないのかと。

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このMous Limitlessというケースもクラウドファンディングなんですね。
細かい説明は省きますが、要は、この商品を支持する人から資金を調達して商品化しますという仕組みで、出資した人は当該の商品が安く買えたり、バックマージンが発生したり、一定のメリットが有ることが多いです。

この部分では、株式とよくにていますよね。
そもそも株式は『応援したい企業の株を買う』という姿勢が正しいあり方だと、私は思っています。そう思っていれば、損してもぎゃあぎゃあ喚かなくても済むでしょうに。

ですが、単純な寄付という形もクラウドファンディングに含まれるそうで、かの自由の女神の台座も寄付を募って作ったそうです。
ある限定的な目的に対して寄付を募る、ということがクラウドファンディングといえるのですかね。

でも、この仕組、日本に入ってきたのは最近で、インターネットの普及で実現性が高まったと言ってもいいようです。
私はいいと思うんですよ。皆がいいと思うものを商品化しようというのは、販売する側からしても購入する側からしても実に有意義な働きかけだなと。
何よりモチベーションが上がるじゃないですか。

必要なもの、必要とされるものを供給する。これってものづくりの基本だと思うし、必要じゃないだろうか? どう思う? 
という問いかけは、実は大きな企業であろうが、身を乗り出して市井に声を求める時代なのではないだろうかと思います。

ま、大人の事情はあるんでしょうけども。


キミこそはナンバーワン

2017. . 10
今日はナンバープレートな話でもしようかと。かねがね思っていたことを。

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このナンバープレートの車種識別の番号。分類番号と言いますが、いわゆる3ナンバーとか5ナンバーとか言いますよね。なんで500なのに5ナンバーなの? とお思いかもしれませんが、もともとは5でした。

分類番号は1から10までありまして、1は普通貨物(トラックとか)、2は普通乗合(バスとか)、3は普通乗用、4は小型貨物、5は小型乗用、6と7は三輪の貨物と乗用車用だったんですが、現在は小型乗用車の予備、8は特殊用途自動車(キャンピングとか)、9は大型特殊(まあ、でかいやつ)、0は建設機械、ってかんじです。

その中で最もよく使われたのが5ナンバーで、庶民はなかなか3ナンバーの車に乗れなかったため、バブルの頃までは「3ナンバーに乗っている」というのが一種のステータスでもありました。
これ、なんでかっていうと、3ナンバー車は外車や高級車が多かったんです。車格もそうですが排気量もでかくて、おのずと庶民のちっこいガレージには収まらないサイズ(昭和の高度成長期の一軒家の車庫というのはかなり小さいのです)で、道も狭かったので、なんでわざわざそんなでかい車を・・・・・・と、皆のスタンダードは5ナンバーだったんです。

しかし、不必要にでかい車で不必要に大きな排気量を誇るのは、ステレオタイプの金持ちの正しい姿と言えましょうから、それに順じてお金を持っている人はこぞってクラウン、ベンツ、BMW、ボルボ、と買い漁ったわけです。
カローラに乗ってた昭和リーマンの合言葉とも言える、『いつかはクラウン』なんて文言はまさに名言だなと思う次第。

さて、そんなカローラがつけていた5ナンバーですが(今は車格が上がって3ナンバー)、祖先は前述の通り一桁の、5でした。

今となってはシングルナンバーとか呼ばれてますが、これは古いナンバーの形式でして、それがついているということは少なくとも、およそ五十年ほどは国内で存在していた旧車ということです。
もっともっと遡れば、単なる四桁の羅列というナンバーもあるんですが、流石に残ってませんね。

そんなナンバープレート分類番号ですが、なぜ三桁になったかというと、番号が足りなくなったためです。

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以前は二桁でした。たまに7とか見かけるのは、50番代がなくなった管轄区が苦肉の策で一時使っていた名残です。
そんなわけなんで、2000年に達するまでにはすでに三桁化。500ってのは三桁初期なんですね。

ちなみに希望番号なんてのも出来ましたが、これらの分類はまた分かれていて、530とか511とかそんな番号になったりします。

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これ、珍しいので載せましたが、青森です。こんなのあったんですねー、って感じです。

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宮城あたりでは300番代が301になってるみたいですが、都市部などの登録台数が多いところは番号が進んで、どんどんと消費してゆきます。

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こんな風に502とか。今のところ最新で504までは見たことあります。そのうち509とかもできるんでしょうけど、原付きなんかはもう車両番号の4桁が5桁になりましたし、二輪車においては『C』のアルファベットが追加されました。
これは過去存在したナンバープレートと重複してはいけないからでして、次から次へと新しいナンバーを作らなくてはいけないんです。
じゃあ、ナンバープレートの分、(単純に1から0の組み合わせで10の4乗=10000通り×仮名文字×管轄区×分類番号とすると膨大なんです)車両があるのかというとそうではなくて、捨て番号もたくさんあります。使ってはいけない文字や数字の組み合わせもあるので、実際は全部使いきれてないんですが、それでも一日に交付されるナンバープレートの量はものすごい量なんです。

私はよく思うんですよ。

一台の車に一枚のプレートが新車から廃車までの間にずっとついていても何ら問題ないのではないかと。
管轄区が違っていたとしても、車検は受けられますし、走行するのも特に問題はない。車検証上の所有者とか使用者の住所が適法であれば、ナンバープレートが何であろうとかまわないと思うんですよ。

まあ、よくあるパターンとして、大阪に住んでいるのだけど、京都の実家に住民票があって、いろんな都合で移動できないケースなどは、ナンバーを変更しない場合が多いです。なにより、また車庫証明を取得して登録し直さなければいけないという煩雑さが、余計にそれをさせ無くしているんですよね。

だから一概にナンバープレートを見て「ああ、○○の人だ~遠くから来てるんですねぇ」というのは、見当違いなことも多いのです。
当然警察官も、被疑者追跡の際に「犯人は○○県民である!」とは判断しません。

ですからこの管轄区表示というのはほとんど意味が無いのではないかと。

でもね。

これだけたくさんのナンバープレート。

あれって、実は国から借りてるものなんですよ。だから使わなくなったら必ず返納しなくちゃいけないわけ。
借りる時に交付手数料として1440円払わなきゃいけないんですね。
原価がいくらかはしりませんけど、あれの交付代行を行ってるのは『自動車登録番号標交付代行者』という国土交通省に認可された登録法人です。ちなみに民間事業者。プレートを作ってるのは国土交通省に届け出をしている製造メーカーです。

うむむ。ナンバープレートはどこまでも作り続けられるでしょうねぇ。



警察に!

2017. . 02
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職質受けた。 職務質問ですよ、奥さん。

えーと、一応私のことを知らない人に断っておきますが、私は怖い人ではありません。前科もありませんし、どっちかっていうと詐欺に遭って泣く方の人間です。街でヤクザに絡まれたらボッコボコに殴られて土下座する方の善良な一市民でございます。

年末になると何かと物騒なもので、人は焦りだし、余裕のない人間は悪いことを考えるらしいです。なので何かと犯罪が頻発するそうでして。
そんなわけで、健全安全好中年な私がそのとばっちりを受けて職務質問されるわけです。軽くガサ入れです。

ただコンビニ前の駐車場に車を停めて、コーヒーを飲んでいただけなのに、カバンの中身と財布の中身と車の中を洗いざらい調べられるのです。こりゃあ、どういう了見なのかと不思議に思うのですよ。

そして私が何かをしたのかと、首をひねらざるを得ないわけです。

どうやら警察の理屈としては、100人でたらめに調べ上げて、たまたま不審物が見つかったり、危険物が発見されたり、以前から追っていた容疑者が発見されたりすることもあるから、そのたまたまをあてにして、検挙できたらいいのになぁ、と考えてるんですな。

この健全安全好中年の私、警察官三人に取り囲まれて調べ上げられて、めっちゃ悪人みたいでした。

私も身分をお前に晒すのだから、お前も名前と住所を教えろと一応言いましたが、「私は警察署のこういうものです」と警察手帳を見せられました。自宅の住所は教えてくれませんでした。名刺くれといっても持ってないそうです。なんで職務として接してきているのに名刺くらい持っていないんだろうか。メモもないので警察手帳を撮影しようと思ったら拒否られました。初対面のお前の名前なんてパッと見で即座に覚えられねぇよ。

彼らは自らの立場に絶対的なものを感じているようですが、私からすれば彼らが警察官であるという証拠も理由も何ら確定できないのです。制服だってコスプレかもしれません。警察手帳だって偽造かもしれません。
何より私は免許証を見られ、住所も名前も彼らに知られてしまっています。
彼らが悪人で、私の家に押し込み強盗を働かないという保証がどこにありましょうか?

だから、車のグローブボックスを調べようとしたのを「そこは開けるな」と制しました。
彼らは私の許可がなくては勝手にそこに手をつけることが出来ません。
それは、最初に窓をノックされた時点で、窓を開ける理由もなければ、応対する義務もないのと同じで、実は彼らは「お願いする」しかないのです。

仮に頑なに応対を拒否すれば、説得を続けられます。何故開けてくれないのか理由を教えて下さい、理由を言えない訳を聞かせてください、嫌だという理由を教えてください、教えない訳を聞かせてください、と延々堂々巡りをします。
なるほど、深夜から朝までかかったとしてもあんたは車の前で、私に疑惑を突きつけたまま説得するのだな? と。

だからグローブボックスの中を調べることだけ拒否してみました。

案の定、なぜ今まで応じてくれたのに、グローブボックスだけは拒否するんですかと、問うてきます。道理ですな。
だから逆に聞きます。

「私が危険物なり不審物を所持している可能性があるならば、あなたにだってその可能性はある。あなたは警察官であるけれども、麻薬を持ち歩いている可能性はある訳で、それを一般市民のわれわれに街中で突然問いただされて応じるだろうか?」と。

あなたの理屈が通るなら、あなただって、疑われても仕方のない一人の人間なのですよ、ということが言いたかったのですが、どうもよくわからんらしい。
「やましいことがなければ見せてもいいでしょ? 素直に開けて見せてくれればすぐ終わるんですから(わからないひとだなぁ)」と。

それは中で出さないから先っぽだけ入れさして、と言っているのとそう変わらんじゃないですか。

私が夜のひと時、車の中でくつろいでコーヒータイムしているのを邪魔されたあげく、クソ寒いのにドアをあけ放たれて、延々と押し問答させられ、私にとっては何の意味もない行為と時間なのに、それで何を納得しろというのでしょうか?

「なにもなければあなたに対して警察として、お詫び申し上げます」

「そっちにとってはご協力でいいけどね、俺にとってはそれだけなの? なんで? いみわからん」

「他に何が? どうすればいいのですか?」

「詫びなんていらんから、金くれ」

一応言いました。もちろんくれませんでしたけど。

要は素直に洗いざらい見せりゃ、相手は引き下がるんですけどね。ちなみに私自身のボディチェックなんか全然してませんから、私が股間に忍ばせているマグナムはバレずに済みました。

が、あんな上辺のチェックなら全然片手落ちもいいところで、その無意味さゆえに私は物申したくなるんです。
だったらそこの、今コンビニから出てきたねーちゃんのカバンの中とパンツの中を調べろよ、もしかしたら粉末のソーセージ突っ込んでるかもしれねぇじゃねぇかと。

散々営業中のコンビニ前(他人様の営業権を有する敷地内)に警察官が三人もたむろして、そこにくる客を洗いざらい調べるのが健全なのでしょうか?

何の権利があるというよりも、もっといかがわしい路地歩いてる悪そうなやつのポケットの中でも調べろよ。いい匂いのする葉っぱとか出てくる確率高いじゃんかよ。

ま、とはいえ言葉で言ってるほど腹が立ってるわけではありません。今回はいい機会だったから、当事者に対して極素直に普段から思っている疑問を口にしただけです。
楽しく過ごした後で、帰り際にこんなことに付き合わされてイラっときたのも、かなり影響してますが。

もちろん、彼らも仕事でやってることですから、面倒なことやリスキーなことは避けたいでしょう。それはわかります、理解もします。

でも、だったら私の顔見て「ややこしそうだ、やめておこう」と察してもらいたいものです。私のコーヒーがすっかり冷めてしまったじゃないですか。コーヒー代くらいおごらせるべきでした。

幼稚園児に真っ向から勝負して自己弁護する

2017. . 11
このバスはどちらに走るでしょう?

という問題。 幼稚園のお受験に出る問題で、三歳児は即答するらしい。
そして大人はウンウン悩むらしい。

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これをして、よく「大人は物事を考えすぎる」「子供の素直な思考は素晴らしいね」的に自戒及び賞賛するのが毎度のパターンですが、今日は真っ向から幼稚園児と勝負しようと思う。

まずこの画像。圧倒的に情報量が足りない。
この情報量では右でも左でも正解になる。


少し考えてみてください。
どーですか? わかりますか?
一応日本の話とします。





これは左走行車線の国の話なのか、右走行車線の国の話なのかを絶対に前提しなければなりません。
なので、国によっては正答が真逆になるんです。
仮に日本だと画面向かって右方向に進むのが正解で、アメリカだと左。

なぜか? ボディ側面に乗降口がないからであります。つまり日本を走るバスは必ず左側に乗降口があるからで、それがないボディ側面は右側面ということになり右方向に動くということになる。


これは卑怯ではないかと。

乗降口がないから右側面であると判断するのはいいとしても、それはリアルなバスを見てそうだと捉えられることのほうが大事なはずであります。こんなバスは存在しないのだから、これを正答できたところで何の意味もない。だって乗降口も省略されてるかもしれないじゃないですか。

そんなデティールの話をするなら、なぜフロントガラスとリアガラスを同じ大きさにするのか? ヘッドライトとテールライトくらい描けよ、とか、エンジンの吸気口がないぞ、とかエンジンスペースがねぇよ、とかそもそも運転手が乗ってないんだから進まねぇよ、とか大人げない私は思うのであります。

少ない情報量で判断できる力は必要です。
ですがそれは、多分とか、可能性の問題です。
数えるくらいの線と単調な色使いから、精緻性のレベルを推察しない限りは答えの正当性を得られません。
これが出来たからと言って頭がいいとはとてもではないが思えません。
逆にこの問題に迷いなく「ドアがないから右に走るよー!」とか無邪気に答える子供は意外にバカなんじゃないかと思います。

どちらとも言えない、わからないと答える子供は普通で、その理由を考えることがむしろ重要な事ではないだろうかと思います。
つまり結局どれも正解で、「どのように考えてそう答えたか」、というのが本当の知恵というものではないかと思います。

歩道から見てる自分の経験則から、バスは左に進む、という答えをしても間違いではないし、画面上のバスの位置がやや右に偏っているから右に進んでいる、と答えるもよし、後ろの木は中央分離帯に植樹されたものだから左、見ている位置からして道路の面積が手前に広いので対向車線にあると考えて右、私が答えたようにそもそも人が乗っていないから動かないとか、これはバスなどではないと、真っ向から否定するのもありだと思います。

もちろんジブリの『ネコバス』をみて正解を間違う子供はちょっと困った子だと思います。

子供は限られた条件内で答えを見つけ出すのは得意かもしれません。
しかし、様々な状況に鑑みて、答えを保留し可能性を勘案する必要があるのが大人です。それが出来ない大人はバカだと言われます。

ですから、大人は悩んで当たり前なのです。

出来なくてもがっかりする必要はありません! それはあなたが大人であるという証拠なのです!

この問題を我が子にさせて『ドアがないから右に進むよ』と答えたなら、ぜひ大人の思考を叩き込んで混乱させましょう。

くそっ、どーだ、幼稚園児め!





――え? 


てんちょ、解けなかったんだろうって?




ま、まあな――私は車屋だからな、そこはうるさいんだよ。


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