って大変ですね。
エンジン降ろすのに、背筋と腹筋めちゃめちゃ使うやん。お腹でてたらでけへんで。

に、しても、たかが2000ccエンジンだけど、デカいな。前時代型の直六だから致し方ない面もあるけど。
まあ、空冷のエンジンが小さすぎるんですけどね。
昨日「なぜパラリンピックは注目されないのか?」という話をテレビでやってましたけど、制作側の正直な声としては、放映権を買って流しても、利益が見込めない(つまりスポンサーがつきにくい)という、業界的な理由が主なようで、ではなぜ視聴率がとれないと考えているかというと、これも正直な話、世間からして「障害者を見たくない」という声があるためです。誰も大きな声では言いませんが、彼らを見て不憫である、可哀想である、気持ちが悪い、など差別的な意識が働くためです。
このところになってようやくオリンピックとパラリンピックが同列でインフォメーションされるようにはなりましたが、実際の放映では、オリンピックに対してパラリンピックはまずLIVEの中継は行いませんし、注目される選手、あるいは結果を出した選手のみが数秒単位のダイジェストで取り上げられるだけです。
まあ、民放は営利団体ですから、何を流そうが勝手といえば勝手。数字がとれるものだけ扱っていればいい。ボランティアじゃないんだから。
私は思うんですよね。
パラリンピックはオリンピックのあとにやるんじゃなくて、前にやるべきだと。それくらいIOCは出来ると思う。
もしくは、難しいかもしれないが、オリンピックとパラリンピックを同時開催するとか。
パラリンピックの種目の中に、健常者でも参加できる種目を設定するとか、たとえば車椅子のテニスとかバスケとか、ブラインドサッカーとかは、健常者だから有利になるという事はないはずで、マインドスポーツという分野もあるくらいなのだから、れっきとした一つのカテゴリーとして成立してもおかしくはないと思う。
そしてなにより、スポーツを見る、応援するという気持ちは何ら変わらないと思う。
彼らの身体部位が欠損していようが、不自由であろうが、スポーツに対する気持ちや、スポーツにかける情熱は何ら変わらないと思う。我々凡人は、おそらくそれらを見た時に、当たり前のように観戦するのではないかなと。
なので、まずは、テレビという普及メディアが、視聴率への杞憂から彼らの活躍を取り扱わない、という行いをやめていかねば、やはり差別的意識はなくならないでしょう。
彼ら障害を持つスポーツ選手達はメディアに「やらされてやっている」のではないし、「やれる機会があったからやっている」のでもない、そこのところを私たちは知るべきなんじゃないだろうか。

今日も夏は暑いぜ
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