
先日、家の裏を観てみると、順調に壁面緑化してる。(キヅタという植物だそうです)
別に意図したわけじゃないんですが、どうせなら全面覆ってくれたらかっこいい。
ま、うちの家の壁はこんなことで盛り上がっていますが、
政治の世界ではセクハラ祭り、スポーツ界では件のアメフトタックル問題がにわかに盛り上がっていますな。相撲の次もあるわけですか。正直うんざりしますね。
まあ、大方の予想どおり、選手は傷害罪で起訴される方向に行くだろうと。
そもそも、当初の行為からして、不可解なプレーが発端で、「アレは指示されたものではなかったのか、まさか!?」なんて憶測が飛び交ったばかりにこの様な長期戦にもつれ込んだわけですが、なら最初から選手(既に成人)を傷害罪で起訴すべきだったと思います。
現況、もっとも愚かな道を歩んでいるとしか思えませんけど、とにかくマスコミの格好の餌食になっているのは確かかなと。
まず、指示されたか、されてないかは別にしても、明らかにおかしなタイミングでタックルしている限り故意はあったと判断し、その上で迅速に聞き取り調査、捜査、必要なら逮捕拘束をするべきだった。その初動がなぜとれないのか、わたしはそこにスポーツである、学校間のことである、学生である、といった甘えの構造はあったのではないかと思います。
まして一部では、かの選手は「監督によるパワハラの被害者」的な側面も呈しているというのはいかがなものか。
犯罪教唆があったとしても、実行犯は処罰される。こんなのは基本であります。
なんで証拠映像がある犯罪に対して、さっさと逮捕しないのだろうかと思いましたけどね。
すまん、きつい言い方だけど、少なくとも当該の選手は、「自身の利益のために、他人を傷つけた」事は間違いない。名実ともに今の彼の状態は「自首」なのですよ。少なからず監督との間で水掛け論の泥仕合にならなくてよかったとは思いますが、それにしても、わたし疑問に思うんですよ。
スポーツの監督や指導者って、どうしてああも偉そうなんですか?
スポーツって、なんであんなに手放しで賞賛されてるんですか?
スポーツって、なぜ素晴らしいことのように教えられてるんですか?
ほとんどの人がスポーツは好きだと思います。観るのもやるのも。
だけど、相手を陥れよう、貶めようなどと考えた時点で、それは単なる悪意でしかない。
商売でも同じです。政治でも同じです。学業の面で競い合うにしても同じ、恋愛にしたってそうです。
相手を人ではなく敵としてみた時点で、既にその心にあるものは抜き身の利己欲の権化でしかない。
タックルした選手は、アメフト以前に、人としてのルールが守れなかった。成人しててもその判断能力を欠いていた、と糾弾されるのは致し方ない。
監督は、指導者以前に、大人としても、男としても、まして人としても、けして褒められる人格ではないことはうかがい知れる。今頃自己保身の鬼となって、慌てて辞任し、この危機を乗り越えようと必死なのだろうが、ここまでいくと容疑がグレーで済んでも、今後未来は真っ暗闇でしかないだろう。あれだけ証言があるのに、シラを切る、ほんとうに格好の悪い大人だと思う。
常識的な大人なら、まして教え子が責められているなら、「俺が指示した、半ば脅迫的にといわれても仕方がないほどに、普段からの指導は厳しくしていた。よって全責任は私にある」と庇う方向、あるいは問題の拡大化を防ぐ方向に向きますよ。
もちろん、監督が「そういう意味で言っていない」という意見も、あるにはあるだろうけど、なら教祖様が「ポアしてあげなさい」と指示して、殺人を繰り返した狂った集団の行為は裁かれなかったのかというと、そんなことはないのです。20年も経つと世間はどうやら忘れてしまうみたいですけどね。
是非ともこれを機会にスポーツというクローズドな世界における、狂信的側面をつまびらかにして、信者となってしまう恐れのある若者たちに、親御さん含め、大人の皆さんは警鐘を鳴らしていただきたい。
スターになりたい(なってほしい)気持ちは理解しますがね。
でなければ、我々は、スポーツを観るときに「哀れな奴隷が踊っている」、としかみなくなりますよ。
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