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プロフェッショナル 仕事の流儀

2018. . 14

てんちょのあやしいはなし


NHKで放映されてる「プロフェッショナル 仕事の流儀」という番組。あれ、好きです。
みてると、世界や人間が好きになりますよね。捨てたもんじゃないよな、と。

そして出てくる人がみんな格好よく見えます。 

いわゆる業界でも特定の、すこし変わった仕事(あるいはパイオニア)に携わっている一個人にスポットを当てて、仕事の内容、そこに至るまでの苦労や、工夫、アイディア、そして流儀を紹介してゆく番組で、いわば個人の仕事史ともいえますが、同時に未来へ指向するドキュメンタリーともいえます。当然ですが存命中の方達ばかりで、単なる成功者としてでなく、今も頑張っているという姿を映し出すところに共感を得るものがあります。

そしてその、番組の後端に必ず「プロフェッショナルとは?」という質問を出演者に投げかけます。
彼らは、思い思いのプロ意識や思いを語ります。とても口下手で、器用な語り口ではない人もいます。ですがまたそこにリアリティがあり、深み、重みを感じさせてくれたりもします。

ま、どこまでが本当だかはこの際おいておきましょう。

たまに考えるんですよ。視てると『もし自分が出演するとなったら、何を言うだろうかなぁ』と。

お前のとこになんて来ねぇよ! とのご指摘ごもっとも、ですが。来るか来ないかは別にしても、一応、私らのような分野のところにも取材依頼が来てもおかしくはないんですよね。

プロフェッショナル、略してプロとは?

皆さんならどう答えるでしょうか。世の中にはプロと呼ばれる人がたくさんいます。
プロ野球、プロサッカーに代表される、各種のプロスポーツ選手。
歌手、ミュージシャン、俳優に代表されるプロ芸能、小説家などのプロ作家。線引きは曖昧ですがデザイナー、アーティストもプロの職掌としてあげられます。無論、あえて『プロ』と冠されずとも、立派にプロの仕事である各種の職人もプロフェッショナルですし、技能試験を通過し、免状や資格をもって仕事をされる方もプロフェッショナルでしょう。

ではその対義としてある『アマチュア』との線引きはどこにあるのか? です。

しばしば、「お金をもらっているのだからプロだ」、という意見はあります。確かにその側面は否定できません。
では、各種の企業に勤める会社員は皆プロになります。
アルバイトの店員も、パートのおばちゃんもプロです。

しっくりきますでしょうか? お金をもらったらみんなプロフェッショナルだという理屈が。

私はどうもそうは思えないんですよ。金銭の授受は副次的なものなんだと思います。結果として受け取るだけのものであり、行為行動の対価としてもらっているに過ぎない。この点でいうと、アマチュアだってお金をもらってもかまわないと思いますし、実際表向きは『御礼』のような金銭授受が発生するケースがあります。

高校野球の球児はアマチュアですよね。
プロ野球選手はプロフェッショナルですよね。

この二つ、何が違うのでしょうか?

正直なところ、高校球児はもはやプロだと思います。高校野球がプロ野球の登竜門となり、その学校の看板を背負い、矜持を持った時点で、各種のサポートが受けられて、その対価として責任を背負い込んでいる。

自身の行為行動に、責任をとる義務があるか、もしくはその気骨があるか、それがプロとアマの境界線だと思っています。
この責任というのは、金銭に対するものではなく、行為行動に対する責任です。

ユーチューバーなどがいい例でわかりやすいでしょう。
彼らは広告収入という対価を得ているように思えますが、実は得ているのは、彼らへの称賛という無形の価値です。
彼らは視聴者がその向こうにいることを意識しているから、よりよいものを、より面白く楽しめるものを提供しようとする。
そこに嘘偽りがあってはいけない、錯誤や虚飾があってはいけない、常に監視されていますし、信頼の失墜は破滅を意味します。
だから、彼らは良いもの、正しいものを作ろうとします。

実はこれ、すごくまともな事で自然な事なんですよね。

安い高いではない、良いのか悪いのか。需給に合っているのか。
人を楽しませる事が出来ているのか、その人に必要な事を伝えられているのか。

お金は望みを叶えるツールだと思います。
だからお金が多くあれば、多くの望みが叶うと思われがちですが、まずそれには、望みを求める事だと思います。
自分は何がしたいのか、何を求めているのか。そのために何をすればいいのか。
漠然とお金さえ稼げばいい、お金があるから何かをする、というのは実はすごく人の生き方から離れた場所にある行為なのではないだろうかと、まあそんな風に思う事はあります。

ネットのおかげで誰もがプロになれる時代ではあると思います。

ですが反面、自身の責任が双方に問われる時代にもなったのだろうなと。
プロの視聴者であり、プロのネットサーファーであり、プロの読者であり、プロのファンであり、プロの使用者であり、プロの顧客であり、プロの主婦であり、プロの父親であり、プロの人間である――と。

ま、みんながそうなれたら、熟成したいい社会になるんでしょうが、人間そんなに自分に厳しくはいられませんで。

私なんて自分を甘やかすために日々生きているようなものですから。
もう、もっともっと私の事をみんなで寄ってたかって甘やかして欲しい。

その好意、甘んじてお受けします!

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