
いわゆるビートル、1303というモデルはカーブドウィンドウという、湾曲した風防が付いています。フロントガラスのことですね。
1303というのは空冷ビートルの歴史の中で、最後にリリースされたモデルでして、最終形態と言っても差し支えないかと思います。
つまりフォルクスワーゲンという会社が出した『答え』であり、正常進化の果て、この形に落ち着いたといってもいいでしょう。
当時はハイスペックで非常に人気があったのですが、いかんせん高価でした。逆に今ではビンテージと呼ばれる6ボルトのビートルなどは見向きもされない――というほどではないとしても、けして人気があるというものではなかったそうです。
そういう時代があって、今があります。
少し前はビンテージが懐古的趣味であった部分はあるかと思います。
今は少し違いますね。
相変わらず最新型の車には、最新のデザインラインが導入されておりますが、同時にノスタルジックなデザインラインも積極的に採用する節があります。長い長い工業製品の歴史の中で、新旧を入れ替えながら進んできたデザインですが、ここに来て材料が出そろってしまった、という気もします。
ビンテージと呼ばれる、旧製品が現役であった時代のデザインは、一つの様式美となって、固定化されたのではないかという気はします。これが、デザインが繰り返すという現象となって現れているように思います。
ファッションにしても同じですが、旧来のスタイルを継承しながら、アレンジを施すという手法で、毎年リファインされてますが、それはいわゆる様式美として固化しているから出来ることであると思います。
何のことを言っているのかわからないかもしれませんが、つまりですね。
新しいデザインが生まれにくくなっている、ということです。
これは創作物の宿命として当然のことなんですが。
人が作るものは時代を経るごとに広がりは見せても、旧来のオマージュに陥りやすくなってしまうということです。
新しいものが次から次へと求められ、生み出される世界で、次の『新しい』を見つけることは非常に困難だなという気はします。
そのように考えると、さて、私たちはこれ以上に新しいものを求める必要があるのだろうか? という疑問もわいてきます。
時代もありますが、かつて空冷ビートルは約30年にわたりマイナーチェンジを続けて、毎年改良を重ねていました。
見た目はほとんど変わらないけど、細部をどんどんと変更して時代に追随してきたのです。(中には改悪と思われるようなマイチェンもありますが)
もしも、同一機種で、マイナーチェンジをくり返していったなら、どんな製品になっただろう、と思うことはあります。
製図を引き直すのではなく、技術や素材の進展とともに、そのものがリファインされていったなら、きっと、もっと、人は可能性を追求できたのではないかと思うことはあります。
考えたとて栓のないことではありますが。
もちろん、新しいものも素晴らしいですけどね!
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