今日は車検です

2018. . 08
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えー、日本を走る自動車には車検という制度があります。

車検ネタはここでも何度か取り上げてますが、私も業界在歴二十年を超えましたから、色々とその変遷は見てきています。昔の人ほどじゃないですが、昔はオッケーだったことなんかも今では許してくれなかったりします。

と、いいますのも。

やはり世代の差とか、世間の風潮とか、そういうものが関係しているんだろうなという気はします。

車検というのは、決められた項目をお上の手先がチェックするという制度で、その車に対して100%の安全を保証できるわけではありませんし、安全性のお墨付きをくれるわけでもありません。
そもそも、一台の車の状態を私達ですら完全には把握できないのですから、整備に関して素人のオーナーはもちろん、さっきであったばっかりの検査官が、その車のなんたるかを即座に把握することなど不可能です。

では、だからといって無駄な制度かと申しますと、そうでもなく。

人というのは低い方に流れるものですから、車検がなければ車の管理もおざなりになること請け合い。
壊れるまで乗るという人が殆どになるでしょう。壊れる前に危険箇所をできるだけピックアップして、修理を施す。これが大事なんですね。仮に、ブレーキのホースが破れてて、ブレーキオイルダダ漏れなのに走行したら、当然途中でブレーキは効かなくなります。
それで事故につながることだってあります。当然。

ですから、ブレーキホースがタイヤなどに擦れていたりするのを事前に発見できるかどうか、の機会として車検制度、というのは有効に働いています。

車検では、あれこれ見られてアラ探しをされるようなことがよくありますが、一応は道路運行法定基準に沿ってチェックはされています。昔は結構見過ごすとか、見逃的な部分はあって、人情的なところってあったんですよ。
車屋も車屋で、ヤクザみたいな人間も多かったし、杓子定規にやっていても埒があかん、って感じでした。

それが厳格化してゆくのは、実は昔の人が無茶したから、という言い方もできるんですよね。

向こうも法の番人ですから、車屋の言いなりになってはいけないし、「きまりはきまり」と頑として譲らない姿勢を取らねばなりませんし、喧嘩腰で行ったら問答無用で警察も呼ばれます。

これ、ある意味では、内輪で処理できなくなってるってことなんですよね。
なんか話が長くなって何が言いたいのかわからなくなっていますけど、「今回は目を瞑るけど、次はちゃんとしておいてね」ってことを言えなくなってるのは、その前例を作ることで揚げ足を取られる可能性が浮上するためです。この業界はそういうのでメッチャ揉めてきたんです。

ネットの社会でもありますし、何かあれば「どこそこの陸運支局の検査官は~」と名指しをされて詰められることだってある。

自分の胸の内で納めておけない問題に発展する可能性があるから、自衛のため、錦の御旗を掲げて、伝家の宝刀を抜くしかなくなっているんだと思います。

法が幅を利かせて「絶対」となる時代というのは、実は駄目な世界なんですよね。
大した問題ではない部分は法で定められていたとしても、個々人の良識や倫理観のなかで、取捨選択していけるのが健全であるといえます。

何でもかんでも「きまり」でガチガチに固められて、それに対して疑問を持たないでいるお利口さんがけして賢いとは思いませんし、正しいとも思いません。

ただ、事細かになんでも「きまり」を設定せざるを得なかったのは、法の抜け穴を利用する輩がいたからです。
悪事をこなしていることを自覚しながら、法に触れていないからといって、法を盾にして無実だと主張する狡さ。

そもそも法がどうして生まれたのか、を考えれば、すべきでないことはわかろうものでしょうに。



ああ、そろそろ墓穴掘りそうなのでこの辺でやめときます。


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