このバスはどちらに走るでしょう?
という問題。 幼稚園のお受験に出る問題で、三歳児は即答するらしい。
そして大人はウンウン悩むらしい。

これをして、よく「大人は物事を考えすぎる」「子供の素直な思考は素晴らしいね」的に自戒及び賞賛するのが毎度のパターンですが、今日は真っ向から幼稚園児と勝負しようと思う。
まずこの画像。圧倒的に情報量が足りない。
この情報量では右でも左でも正解になる。
少し考えてみてください。
どーですか? わかりますか?
一応日本の話とします。
これは左走行車線の国の話なのか、右走行車線の国の話なのかを絶対に前提しなければなりません。
なので、国によっては正答が真逆になるんです。
仮に日本だと画面向かって右方向に進むのが正解で、アメリカだと左。
なぜか? ボディ側面に乗降口がないからであります。つまり日本を走るバスは必ず左側に乗降口があるからで、それがないボディ側面は右側面ということになり右方向に動くということになる。
これは卑怯ではないかと。
乗降口がないから右側面であると判断するのはいいとしても、それはリアルなバスを見てそうだと捉えられることのほうが大事なはずであります。こんなバスは存在しないのだから、これを正答できたところで何の意味もない。だって乗降口も省略されてるかもしれないじゃないですか。
そんなデティールの話をするなら、なぜフロントガラスとリアガラスを同じ大きさにするのか? ヘッドライトとテールライトくらい描けよ、とか、エンジンの吸気口がないぞ、とかエンジンスペースがねぇよ、とかそもそも運転手が乗ってないんだから進まねぇよ、とか大人げない私は思うのであります。
少ない情報量で判断できる力は必要です。
ですがそれは、多分とか、可能性の問題です。
数えるくらいの線と単調な色使いから、精緻性のレベルを推察しない限りは答えの正当性を得られません。
これが出来たからと言って頭がいいとはとてもではないが思えません。
逆にこの問題に迷いなく「ドアがないから右に走るよー!」とか無邪気に答える子供は意外にバカなんじゃないかと思います。
どちらとも言えない、わからないと答える子供は普通で、その理由を考えることがむしろ重要な事ではないだろうかと思います。
つまり結局どれも正解で、「どのように考えてそう答えたか」、というのが本当の知恵というものではないかと思います。
歩道から見てる自分の経験則から、バスは左に進む、という答えをしても間違いではないし、画面上のバスの位置がやや右に偏っているから右に進んでいる、と答えるもよし、後ろの木は中央分離帯に植樹されたものだから左、見ている位置からして道路の面積が手前に広いので対向車線にあると考えて右、私が答えたようにそもそも人が乗っていないから動かないとか、これはバスなどではないと、真っ向から否定するのもありだと思います。
もちろんジブリの『ネコバス』をみて正解を間違う子供はちょっと困った子だと思います。
子供は限られた条件内で答えを見つけ出すのは得意かもしれません。
しかし、様々な状況に鑑みて、答えを保留し可能性を勘案する必要があるのが大人です。それが出来ない大人はバカだと言われます。
ですから、大人は悩んで当たり前なのです。
出来なくてもがっかりする必要はありません! それはあなたが大人であるという証拠なのです!
この問題を我が子にさせて『ドアがないから右に進むよ』と答えたなら、ぜひ大人の思考を叩き込んで混乱させましょう。
くそっ、どーだ、幼稚園児め!
――え?
てんちょ、解けなかったんだろうって?
ま、まあな――私は車屋だからな、そこはうるさいんだよ。
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