イイね! リア充。

2017. . 28
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最近、というか、ここ数年はSNSやらブログやらで自身の行動記録というか、活動報告を衆目に晒すという習慣がすっかり根付いてしまい、まあプライベートも何もあったもんじゃないというか、そんな感じで面白おかしく人生を謳歌するのが、ここのところのトレンドだったりします。

そんななかで、フォトジェニックなる言葉が氾濫しているのは御存じでしょうか、というか言葉自体はさほどに定着してませんが、要するに『写真映えする』的な意味合いですが、これらの画像をSNS等でアップすることで「イイね」の数が増えたり、自身の「リア充」ぶりをアピールしたりという目的があるようです。無論ながらそういったことを意識していない方も多数だとは思いますが、巷では「リア充アピール代行」という冗談のような商売もありますから、それなりの需要があるという事なんでしょう。

簡単に説明しますと「リア充代行」とは、本当は誰にも祝われないさびしい誕生日なのに、代行業者にスタッフを派遣してもらい、さも、自分の友達のように仲良く、楽し気に祝ってもらっている写真を撮る、その上でその写真をSNS等にアップするという。
無論ながら、本当の友達ではないので、契約の時間ないし、目的を達した時点で、料金の精算が行われてさようならとなる訳です。

ところでここで問題になるのは、代行サービスを利用した人同士がSNS内で知り合い同士だったりすると、これはかなりバツの悪いことになりかねませんで。画像の顔面を読み取る顔認証という機能が実装された今、他人の空似ではなかなか済ませられないのではないかと。

なので、お互いに代行サービスを利用したことが発覚した時には「ってか、○○さん、俺の友達と友達なのー?」ととぼけまくるか、互いに「や、まあ、そのなんだ、お互い察しようぜ」的にむにゃむにゃ言いながらそっとブロックするとか、そういう事になるんではないかと、ちょっとどうでもいい心配をしたりします。

このサービス、普通に考えると虚しいんですが、こういったサービスを利用する人の目的意識は、友人を得ることではなく、自身の虚栄心や承認欲求を満たしたいだけですから、ネタでしかないわけです。その証拠にSNS等でアップされる話題のスィーツあるいはグルメなどにしても、フォトジェニックな写真を撮影し、投稿したならば、それでお役御免なので、そのまま食べずに捨てたり、大半を残して退店したりというのが常態化しているようです。

いかに自分は面白おかしく充実した生活を送っているか、というアピール。
あるいは、アピールすることで得られる仮初の評価で、自身のアイデンティティの維持を図っている。

すみません。わたし、笑いこらえながら書いてます。

確かに、人から良い評価をもらえると嬉しいですよ。すごいねーって言われると嬉しいですよ。
それはわかります。「あんたは、どうしようもない豚ねっ!」なんて貶(けな)されて喜ぶのは一部のマニアの方たちだけです。(うん、そんなこと考えてたら、『ダメね』を押しまくる、SMSとかいうネットワークサービスもありそうだな、と。)

価値のあるものに寄り添う事で、自身の価値を高めるという行為、行動は誰でも持っているし、やってきたことだとは思います。例えば先祖が貴人であったとか、歴史的に有名な武将であったとか、その血を引いている、それら故人の遺品を持っている、などと本人とは全く関係ない事でも「すごいね」と言われることはままあります。

庶民であっても少しばかりの小銭を払えば、世界に名だたる超一流ブランドの商品を手に入れることはできますし、それを持っているとある程度「へーすごいね(お金持ちだね)」という評価は得られます。

そういった心の動きは、人である限りもって然りですが、ご存知の通り、これらを人に晒すことは虚栄心から発する物であり、文字通り「中身のない上辺だけの衒(てら)い」という事です。(衒っていうのは女衒の衒で、売るという意味です)

じゃあ、それは嘘なのか、ダメなのか? と言いますとそうではなく、世間は人間の持つ虚栄の心情を踏まえ、それを忖度(そんたく)、あるいは斟酌(しんしゃく)しながら(うおお、俺はいまトレンドな単語を使ったぞ!)現代社会に生きる社会人として最低限のたしなみとして据えているわけです。したがって、中身の人間を直接証明するわけでなくとも、外部要素によって支えられる、スーツや制服などという衣服も存在するわけですし、伝統や地位や名誉という概念も存在するわけです。(我々の世界でも声高に叫ばれるビンテージというのもおなじです。言う人が居なくなれば、ほぼ無価値に転落します)

ま、実績や人間性が伴っていればそれに越したことはないんですが。(古いものでも良いものは良いという本質的価値は、ビンテージという言葉の本質なのですが、長くなるので今回は割愛します)

ただ、クレクレ「イイね」や「リア充アピール」は、少し前に流行った『サプライズ』なる現象の縮小個人アピール版とも言えまして、現代人は人や物の本質的な価値よりも、他人や社会が強く認め求める他己評価、共同意識を選択し、社会に積極的に参画しようとしているのだな、という前向きな理解の仕方もできますが――

――ええっと、やっぱり、虚しくないですか?

もしも虚しいと感じないのであれば、それはそれでわざわざ虚しさを感じていただく理由もないんですが、やっぱり企業でも粉飾決算が叩かれる現状を踏まえれば、ちょっと罪な感じはします。
「友達多いアピール」してる相手といざ結婚してみたら、実は一人もいないさびしい人だった、「料理教室、書道教室に通ってまーす」なんてアピってて、いざやらせてみたらダメダメなんてかなり痛い。

私は、自分の価値を高めるには、一朝一夕では成し遂げられないから、人生にはこれだけの時間が用意されてるんでありましょうと思って、仕方なく慎ましく生きております。リア充には程遠い。

でも、たぶん、小学生の頃のじぶんよりかは「イイね」もらえるようになったかなぁ、と。

皆、こんな私に「イイね」をくれ! 死ぬほど連打してくれ!



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