自動車は電気羊の夢を見るか 5

2016. . 30
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はい、これで終わりにします。

前項で説明したように、自動運転というのは、社会全体が自動運転に包括的に則していなければなりませんし、その中で完全なアナクロマニュアル車などが走っていると、この自動運転社会を乱して、結果的に自動運転車オーナーは自車の持つメリットを享受できなくなる可能性が出てきてしまいます。

それに序章『機械は間違わない』でもちらと触れましたが、自動運転車が航行する道路は整然と交通が流れているため、人もまた整然とした動きを要求されることになります。

別に人は今まで通りでもいいんじゃね? と思われるかもしれませんが、先にも述べた通り、自動運転車両が運行できる社会というのはそれだけ統制されなければ不可能だという前提があります。
人もまた機械に準じて判断して、心をコントロールするようになります。


これ、端的にいうと、人間は機械に寄り添うように生きることになります。人間が機械のために用意されたフォーマットに取り込まれてゆくことになるのです。今現在でもネット社会により、そういった状況は出来つつあります。

確実に言えるのは、人類は人間の尊厳を失います。というか知らない間に放棄してしまいます。

こういった未来を誰が望んだのか? と退廃的な未来社会が出来上がったあとで嘆いたところで、もはや遅いのです。
機械に人類が支配されるとは言いませんが、人類は自ら望んで機械化してゆくのは自明かと。

アニメやSF映画の観すぎだと思われるかもしれませんが、私が子供のころに観てきた未来のいくつかは現実になっていますし、予見されていた問題の湧出もやはり現実になっていますから、その積み上げでより正確な予測が今後もなされてゆくでしょう。
そもそも普通、出来るだろう、これだけの利点があるだろう、というポジティブな予測は飛躍しがちですが、出来ないだろう、問題があるだろうというネガティブな予測はかなり現実的に提示されますので、私はこういう書き方になります。

自動運転車が出来るだけでしょ、何を大袈裟な、とおっしゃるかもしれませんが、私は人間は「そんなに利口じゃないし、強くもないし、器用でもない」と思ってますので、恐ろしいなと感じています。

まあ、ロボットカーに乗るような未来の世代の人は、その世界に何の疑問も持たずに適応してゆくとは思いますが、その時私のような空冷式キャブレターマニュアルミッション車に乗っていた老人は、彼らと意思疎通そのものが出来なくなっていると思います。

んなわけなんで、自動運転自動車には全く興味ありませんし、実現はかなり難しいでしょう。
もちろんそんな世の中で車を運転するほど馬鹿でもありませんから、せいぜい自動運転社会が出来上がるまで、生きている間に自分の好きな車には乗ります。



というスタンスで、車とバイクをこよなく愛する皆様のために、今後もやってまいります。

おわり



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