スポーツは昔から苦手です

2013. . 24
俺は変人だなと、思うことが最近多い。

世の中の常識は大体分かっているつもりなんだけど、そういうことじゃなくて、いわゆる一般の人との価値観の乖離が激しく、嫌いとか、嫌とか、気に食わない、ではなく『理解できない』という困ったことに陥ることが少なくない。

たとえば
今ホットな話題として、桜宮高校の問題がありますが、まあスポーツの名門校として名を馳せているだけあり、顧問の熱の入れようも尋常ではなく恒常的に体罰というか、喝というか、気合を入れる儀式みたいなものがある(ようです)

で、桜宮高校は大阪市立ですからそこはそれ、かのトオルちゃんが黙っていないわけで、相変わらずの強弁で「入試は中止、教員(顧問)は全員入れ替えろ」と。まあ大体はみんな知っていると思うので説明は省きますが。

なにかと話題になるトオルちゃんの弁はマスコミの餌食になりやすく、そこばかりがクローズアップされつつある昨今、その対極にはかの高校の体育科を志望していた受験生やその保護者たちの悲痛の声非難の声が重ね重ね、市長の意見は現場を混乱させる、悪影響、問題を大きくする、とあちこちから物分りのいいおりこうさんがドヤ顔でおっしゃる毎日。

まあ、私からすればスポーツで負けたくらいで顧問が生徒をフルボッコするなんてのがそもそも異常であり、いわゆる上の人間が下の人間に対して、抵抗しないのをイイコトに何十発も殴り続けるという時点で大人として、まして教師として異常であると考えるのが常識だと思うのですが、どうも世間はそうではないらしく、殴ったことに対して大きくお咎めがあるような感じでもなさそうなので、世の中的にはこれを「体罰」という「教育的指導」の一環であると認めているのだなぁ、と虚しくもなるんです。

スポーツというものにさほど意味を感じない私の性格の問題かもしれませんが、誰に損失を出させたわけでもないアマチュアの世界でここまで「罰」を受けなくてはいけないのならば、オリンピック選手やプロ選手が負けたら死刑なんじゃないでしょうか。

まして古くはナチスドイツ時代に行われたベルリンオリンピックなんてモロに国威掲揚だったんですが
石原爺および猪瀬都知事が猛烈に推し続ける「東京オリンピック再び」ですが、あのくらい金と名誉と利権が絡んでいればスポーツも立派なビジネスですし、その尖兵となるトップアスリートの双肩にかかる期待と責任たるや一会社の営業マンどころやありません。

ま、スポーツ選手は「超能力者」として認めるにたるところはありますが、私は羨ましいとも思いませんしそれを見て感動もしません。ただただ「速いなー」とか「強いなー」とか思うのみです。もともと他人の行動にとやかく興味を持たない性質であるせいもあるかもしれませんが、多分実際に自分がその競技をしていれば共感もするんですけど、客観的に見るだけのスポーツ観戦は、本当の意味においてその素晴らしさを実感することは不可能であるとおもうわけで、けしてスポーツ競技そのものに感動感涙しているわけでないことは明明白白なのではと。

そもそもオリンピックで経済効果が上がるというのは幻想ではないのかなと思うところあり、過去には世間が湧き立つような世界のスポーツ祭典という側面があったものの、昨今の日本人の祭に対する雰囲気を見る限り、冷めてるなぁ、と思うことが多く、私のようにスポーツ選手を自分たちとは違う超能力者と見るようになってきているのではないかなと。つまり、技術や能力が高度になりすぎて、あるいは極みに達しすぎて浮世離れが加速しているような気がします。その反面選手はスポーツを通じて感動を、未来に希望をとお題目を唱えているのがどうもなんだかなぁ、と。

そういった彼ら超能力者もいずれなり最初から超能力者であったわけではなく、血と汗のにじむ努力の末に獲得した能力であり、それを賛美する精神性は誠に健全とは言えます。それにたとえ対象がビジネスであっても血と汗のにじむような努力をして報酬を得るというのは真っ当だと思います。ある意味でスポーツとは努力や我慢、自分との戦いという言葉に表されるように自身の肉体的性能と精神性を高めてゆくことに特化した行為を指すのであると思われますので、人はこのように生きるべきであるとスポーツを通じて教えられるわけです。

だから、スポーツマンにもスポーツにも何の落ち度もないのですが、問題はスポーツを代理戦争だとする輩がスポーツ界を席巻している現実があることではないかなと。
スター選手が現れればそれはすぐにビジネスチャンスになる。本人にとってはどこ吹く風でもそれによりしっかりがっぽり稼ぐ者がいる。監督なり所属する団体や組織には栄誉や知名度が与えられる、だからスポーツ選手という質のいい弾丸を大量に欲する。その弾丸が不良ならば切り捨てる。
一部のスポーツ選手もそれはよく判っているもので、無能イコール無用であるから、そこに陥らないために血と汗のにじむ努力を怠らないというロジックには何ら無理はない。
要するにスポーツも資本主義の一部であるということです。

ましてニュース番組のスポーツ報道枠の大きさは尋常ではないというか、私的にはもっと時事問題を深く掘り下げて欲しいと思うのであって、えーっ世間ってみんなそんなにスポーツ好きなのか?って思うんですが、そうなんですか?

話を戻しますが、私の常識的には、教師による体罰と称する暴力沙汰が間接的にでも一人の生徒を自殺に追いやった時点で、普通は在校生であっても、これから入学しようとする生徒であっても、およびその保護者であっても、警戒するし、子供が望んでも急遽進路変更を親が断行するという流れかと思ったんですが、どうやら教育熱心というか、自分の子供がトップアスリートになることを夢見てやまない親が多いようで、なおかつ自分の息子や娘はそんなことでは死なないし、殺されないという安心感を抱いており、なおかつ自浄機能の全くない陸の孤島ならぬ教育界の孤島で、きっとそこはパラダイスなのだと信じ込まされて、笑って息子娘を激励し送り出し、親の期待に応えねばとそこは殴られても蹴られても全ては〇〇様(好きな名前をいれよう)のために報いることが自分の使命だと命を削って登校する子供たちがいるわけです。

というのが現実だったら、私は理解できないなぁ、という話です。

いまどきね、犬猫ですら人間に殴られたりしないもんです。たとえ動物でも蹴ったり殴ったりしたら犯罪になる世の中です。それを殴らなければ言う事を聞かないのか、求められる行為がこなせないのか知りませんが、腕力や権力によって他人に一定の行為を理不尽に強要することを一般にはパワーハラスメントといい、多分私の生きている社会では断罪されるんですが、違いましたっけね?

私がこういう考え方をする時点で常識はずれな人間なのかもしれませんが、スポーツってそんなに一生懸命やるもんなんですかね?
一生懸命やったその行先が、口よりも先に手が出てしまう動物以下(申などの社会性動物でもいきなり襲いかかることはしません)の知能か、あるいは自分は偉いから人をガンガン殴っても免責特権があると信じている阿呆にしかならんのなら、桜宮高校体育科は阿呆製造工場と言われて入試する価値なしと判断されても仕方ないのではないかな、と。

ああ、それと

子供たちの夢を希望を潰すのか、と声を荒げる保護者、教育関係者お歴々は子供にも基本的人権というものがあることをご存じなのでしょうか?

私は少なくとも現在の日本における教育下での子どもの権利はアシモフのロボット三原則以下だと思っています。

注意1:今回はこの事件をきっかけに、社会的異端者の私がごくごく個人的に「ゆがんでるなぁ」と感じたから書いたまででありまして、自分だったら嫌だし、自分の子供だったら考え直せと助言するだろうなぁ、と思ったまででどこぞの誰を糾弾したいわけではありませんので。
ただまぁ、私はこういうスタンスであるということはお分かりいただいていたほうが今後何かとお互いストレスも抱えず済むという観点から、ごくたまーに社会問題に触れて表明してみたりもします。
もちろん考え方を改めないという意味ではございませんし、間違いは間違いなりに訂正是正をする気構えはあります。


注意2:今回はトオルちゃん擁護みたいな話に取られるかもしれませんが私は彼のシンパではありませんので。ただ、偏っていようが混乱が起きようが何事も根本をこねくり回すという姿勢は評価してます。

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