ありゃりゃ、昨日はかなり一生懸命内閣不信任案でどうなるか!って期待もしたのだけど。(要は現在の閉塞感を何とかしたいだけなんだけど、別に今期待する後釜がいるわけではない)
政治ってのは、あれだな、大人の遊びだな。
ポーカーゲームかよ。ばかばかしい。
そんなしょうもないことをニュースで流すなよな。どうせ否決されることが決まっているような話なら表に出すなよ。小沢も欠席するな馬鹿!
私は今回で政治に期待するのはやめます。とりあえず民主政権下でも自分の周囲の環境だけは健全性を維持しようと考えるのみ、次の総選挙までは耐えましょう。
確かに、被災から三ヶ月やそこらの段階で、総選挙なんてやっている場合かってのは大変正論でありますけど、これほどまでにこの状況下で降りろ辞めろと方々から言われているということは、相当支持されてないのだと菅直人は自覚すべきであり、平時に降りろと言われているのとはわけが違うということです。
日本が政治不信になってからいったい何年が過ぎてきたのでしょうか。
振り返れば角栄のときが良かったのだという御仁もちらほら、無論、時代的に色々なものが上方へと向かう過渡期であったことも影響しているでしょうし、がんばればがんばるほど今よりは悪くはならないという、日々まい進の時代であったからだともいえます。
そういう意味で、私は老人の言う過去と現代は違うといいたいですし、単に苦労話を鵜呑みにもしたくはありません。もちろん衣食住が満ち足りて余るほど幸せで苦労もしていないともいえますが、それを過去と比べられてもどうかという気はします。少なからず私たちが今生きている時代は現在なのですから。
こういった意見をどのように読み取っていただくかは自由なのですが、ひとつだけはっきりしているのは、みんなそれぞれ苦労もしているし、不満だってあるってことで、それぞれに価値観も違えば見方だって変わる。
それを一律に決めることの難しさというのが政治には求められているのが常なんですよね。
永遠に答えはないといえます。
だから私が常々言うのは、 世界を救おうなんて無理、自分の手の届く範囲守れれば御の字 なんです。
歩いて地球を一周するなんて考えただけで途方にくれて絶望するでしょうけど、目に見える目標まで今日のうちに歩いてしまおうって考えて進めば気楽だと思います。
先のことはまた先の状況がわかってから考えればいいと思います。
未来からすれば今のわれわれは過去の人なのですから、そこからあれこれ推察して足踏みして何も出来ないことほど無駄なことはございません。
明日がどうなるかわからない今だからこそ、今あるものを大切にしてゆきたいものです。
死ぬとき後悔はしたくないですからね。
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