さて、五月晴れなどいう言葉があれど、どんより曇ったり、嵐のような豪雨だったり、真夏のような日差しが照り続ける妙な五月なのは皆様もお感じの通り。
振り返ってみれば異常に寒かった冬から春もそこそこにいきなり梅雨に突入したんじゃないかと言われるような季節感。こりゃあ普通に異常気象でっせと気象庁もええ加減認めたらいいのに。あたらない気象予報ばかりやってないで今後10年スパンくらいの環境問題対策を講じていただけないかと思います。

天気に左右される乗り物のひとつとして人類はオートバイ、あるいはモーターサイクル、あるいはモトというものを開発しまして、それぞれ趣味として愛玩される方が多いようでして。
ま、そんな話
仕事柄というか、結局エンジンの付いているものにふれる事は多いんですが、やはり車以外で何が多いかといいますとバイクなんですね。
そもそもバイクの始まりはといいますと自転車にエンジンを載せたような「自動自転車」が最初になります。自転車が人間の足でクランクを回して回転駆動力を得るのに比べ、バイクはエンジンによりクランクを回して駆動しています。そういった自転車をこぐのがめんどくさいというものぐさな方がバイクを作ったのかどうかはわかりませんが、100年以上の歴史を持つハーレーダビットソンなんかに代表されるバイクは長らく人の心をつかんで離さない乗り物となったのです。
車には乗るけどバイクに乗らないという人は数多いのですが、どちらも似たようなものだと思われがちなんですが、決定的にバイクに乗ることは意識の違いがでてきます。
車は椅子に座るという感じですが、バイクは跨る感じです。いわば車が馬車ならバイクは馬そのものといってよいでしょう。事実ハーレーのことを「鉄馬」などと呼ぶ洒落もあり(他のバイクをこのように呼ぶことが皆無なのはそのエンジン音に由来しているとは思いますが)バイク野郎なんかから見ると車に乗っている連中はどこか賺しているというか、車に無駄とも思える対抗意識を抱いていることも少なくありません。
もちろんみんながみんなそうではありませんが、バイク乗りは少々Mっけがあり、「苦労していること」にことさら快感を得る人種なようでして、それがあるからこそあんな不便な乗り物も寵愛できるのかもしれません。
雨風をしのげない、その上スタンドがなければ自立もしない、事故ればたちまち怪我をし、下手をすれば死ぬような乗り物ですが、そういう不満や不安や恐怖がなければ逆にバイクなどに誰も興味は示さないのかもしれません。
思えば遊園地などで絶叫マシンが流行るのも、人はどこかで異常な力に振り回されて恐怖を味わいたいと感じているからではないかと思います。無論絶叫マシンは絶対安全だからという神話の元の前提なんですが、もはやそれも首をひねるような事件(わたしは事故ではないと思います)がおきてからは下火というか食傷気味にもなったのではないでしょうか。
私の話で恐縮ですが、私は絶叫マシンは怖いと思うほうで、遠心力や加速感などはまあ想像の範疇というか、バイクなんかに比べたら大した恐怖ではないんです。ただ、何が怖いかというと、これってちゃんと動くのか、とか止まるのか、とかレールから外れないだろうな、とか扉が開かないだろうな、とかそういうことに恐怖を覚えるのであり、まして自分が意識もしない動作に身をゆだねるのが恐ろしくてたまりません。
ですんでジェットコースターなんかはレールの先を見ていると全然怖くはないんです、むしろ一番先頭の席のほうが怖くないです。
ま、バイクでも絶叫マシンでも、普段感じることのない恐怖を一時的に得る機会ということでは同じですけど、たまにはそういう感覚器官を動かすことも人間は必要なんでしょうな。
諸説ありますがバイクに乗っていると常時色々な感覚器官を使うことから老化が防げるという話もあるようでして、私はその節には納得するところは大きいです。
確かにもとからバイク乗りは気も若いですがね。
ですんで私は一概に車と同列に並べてバイク=趣味の乗り物とするのは了見狭いな、と思います。むしろ制約が多い命を懸けたスポーツだと思いますね。
ま、乗ってても汗はかきませんが、冷や汗だけは存分にかきます。
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