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ディストピア

2023. . 17
今、たまたまウチに修理で入っている車が、全部別のタイヤはいているので、比較のために写真上げてみます。

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こちらは、クラッシックスタイルのラジアルタイヤの雄 アウトバーンタイヤ。
5.60R-15 ホワイトウォールで28000円

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こちらはお馴染みミシュランのXZX 165SR-15。普通のラジアルタイヤですが、スニーカーよりもサイドラインがすっきりしていて、ヴィンテージカーには似合います。少々お高い28800円

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こちらはヨコハマの、GTスペシャルクラッシック 165 80-15。
こちらもサイドラインはすっきり角刈り。60年代当時を意識したデザインが成されていて、ちょっとシブい感じですね。こちらはまあまあお手頃。18800円。

たかがタイヤ、されどタイヤ。
おしゃれは足下から、なんて台詞は昭和感丸出しですけど、ありゃあ元ネタ何だったかな、何かのCMで聞いたのかな? と、ふと思って調べたけど、はっきりとした起源は見つかりませんでした。


ま、そんな感じで車の話をして皆さんを安心させておいて、本題に入ろうと思います。


ディストピア、ってコトバ、聞いたことはあると思います。昔はSF小説やアニメなんかでないと、なかなか出てこなかった言葉ですが、語感の通り、ユートピア(理想郷)の対語とされ、絶望郷などとも訳されます。
ユートピアと同じく未来社会や、架空世界を指すことが多いため、はっきりとした定義はないのですが、ユートピアとされている世界では、平和かつ平穏な生活が営われ、人々は感情を荒げることもなく、またその必要もない、ただ社会の決まりを守ってさえいれば何の不自由もなく生きてゆける。といった描写がなされることが多く、それを、人間の尊厳が失われている、等と皮肉る形で、この社会はユートピアなどではない! と主人公が立ち上がるのですね。

絶望的な未来というと、マッドマックスなんかの世界が思い浮かびますが、はっきりとした社会秩序がそこにあるかないかがキモらしく、同じような世界観の北斗の拳とかも、世界秩序が崩壊した後で混沌を描くから、「世界の終焉の後」という意味で「ポストアポカリプス」という別カテゴリーになるそうです。
ディストピアで有名なところでいうとマトリクスとか、ターミネーターシリーズが、まずあがるんですけど、いずれも人間と機械の対立ですね。機械が勢力を高めて機械中心の秩序が人間を支配している、という構造。もう人間ほぼ滅んでるんでどうでもいいっちゃ、いいんですけど。

それがもう少しソフトな感じになると、ロボコップとかブレードランナー、バトルランナーあたりになる。双方とも多数派の平和と安寧を楯に人倫をまあまあ軽く踏み超えるという、タブーを犯すあたりにディストピア感があります。ま、その分ワルも激しく規模がでかいという、力には力で抗し続けた結果双方にエスカレートしちゃったという失敗未来です。

さらにもっとソフトな感じでいくと、そこに住む人々が絶望感を感じていないディストピア、というカテゴリーがありまして、まさにそこに住む人達にとってはユートピアな訳でして、漫画の「銃夢」のように外部から来た主人公などがやっぱり「この社会はユートピアなどではないディストピアだ!」なんて豪語するわけですが、正直ほっとけよって感じですね。

これ別にフィクションの話ではなくて、かつての大戦期などは大体何処の紛争当事国も悲惨でしたし、ドイツのナチスの様子なんかは、長らくディストピアの雛形として使われてきました。
実際に現存する国家としては、ハードなカテゴリーに属する北朝鮮とか、あとはタリバンが支配してるアフガンあたり、ミディアムなやつで中国とかロシア、政情不安な東欧諸国とか、いずれも社会主義とか共産主義とか宗教をユートピアに必要な金科玉条のように有り難がって導入した国で、(私からしたら怠慢だな、と思いますけど)ま、一応ユートピア目指してみたけど権力者にとってのユートピアにしかなりませんでした。
いわゆる西側のエンターテイメントが描くディストピアってのは一定以上の割合で、東側勢力の暗部や不幸性を揶揄しまくったわけです。もちろん当の東側勢力の人達がディストピア描くと「人々は金品を纏い、娯楽とセックスに明け暮れ、資本と利潤を貪り弱者を虐げ、世界を食らいつくさんとする帝国主義」となるわけです。


ま、どっちもどっちな話でして、ソフトな感じでなら西側諸国もいずれなりディスな部分はありまして、実のところ平和と自由と環境保護を標榜しながら、世界を支配していっているのが、いまの西側世界の姿だと思います。それらが正義かどうかはさておいたとしても、正義を叫ぶ声の大きさ次第でいくらでも事実は覆せるという実績を積んできたのが、20世紀後半の西側諸国の歴史だったと思います。(いまさらロシアは勝てませんし、中国は順次開放政策をとらなければ対応しきれなくなると思います)

わかりやすい喩えでいえば、人々がコンピューターを扱い始めて、それの便利さに気付き、心酔し、なくてはならないものになり、社会ごとまるっと(ほぼ)ウィンドウズに支配されたけども、誰も不幸になってないからいいじゃん的な。そのタイミングで(アプリの)オフィスを課金制(サブスク)にするよ! なんてやられる。なんせ、むこうは「社会」を握ってる。

ユーザーがアプリを切り替えず、いうことを聞かなければ、OSを非対応にして、更新させたらいいだけのことで、いつでもそれは瞬時に出来てしまう。

まあ、パソコン業界も黎明期のうちは、ユーザーに支えてもらいながら、ソフト開発やハード製作をするメーカーにお伺いもたてつつ、パソコン普及社会を醸成していっていたわけで、自動車業界の辿った歴史と同じような感じで、時代、文化とともに成長してきました。

したたかっちゃあしたたかですけど、じゃあ誰がそれを推し進めたのか、っていうと、ジョブズでもゲイツでもなく、今生きている我々なんですよね。

そういう社会を選択した。そういう社会を選択するように誘導されたかもしれませんが、結局選んだのは自分です。不自由さに、不都合に、不便さに、不合理に耐えかねて。

けして誰かに強制されたものではなく、自由と権利を踏まえた上で、社会の有り様に対して立法し行政されるのが(基本)民主主義ですから、ユートピアの住人とは「自らで檻を造り、自ら檻の中に入り、自ら檻の鍵を掛ける生き物」と揶揄されるのもよくわかります。(こりゃ、アップルシードですね)

最近のディストピアもので人気なのは、人工知能による暴走です。
AIという概念が生まれた頃からあったネタですが、しばらくして現実のAIのダメっぷりに「こりゃ使えねーな」、と飽きられ、コンピューター社会が現実的になるまでしばしなりを潜めていました。

そんなこんなでようやくコンピューターの業界から、使えそうな生まれたのがAIという存在ですが、何の略かというと、Artificial Intelligence (アーティフィカル インテリジェンス)という耳慣れない単語ですが、直訳するとまんま、“人工的な知能”となります。
昨今ではAIの進化がめざましく、AIが何を言ったのだの、どう応えたのだと、人間の何歳児相当の知能だとか話題になったりします。まだまだ人間の知能には及ばないそうですが、その理知的かつ、理性的、聡明さとユーモアのセンスを持ち合わせ、小説を書くようなAIが生まれるくらいでありますから、とっくに知力的に追い越されてる人間もまあまあいるだろうな、とは思います。

で、案の定というか、近頃話題の「チャットGPT」を称賛するような声が多く、心酔している人も少なくはない。いわば一時的な過熱ブームではあるのですが、これが加速してゆくと少々厄介なことになります。

人間があまり自分でものを考えないようになったのはインターネットの普及からこっち、すでに20年に及ぶ歴史ですし、今更嘆くことでもないのですけど、もはやAIが答えを出す時代になると、人間がAIに、思考や判断を外部委託するようになるだろうなと。

「AIは間違わない」が常識になると、人間は、確認作業のようなしょーもない仕事をしなくてよくなります。そもそも、人間が考えてもAI以上の成果を出せないなら、AIにやらせた方が合理的なのです。

AIの有用性を論じるとき必ず、介護分野にAIロボットとかいう話が出てますが、人手が足りないからといって、機械にやらせるというのは前世紀的(古典ロボット的)な考えで、AI導入は、AIが確実に出来ることを肩代わりさせるべきで、AIが処理に困るようなもの、人間がやった方が得意な部分は人間がやるべきなんです。

現況であっても、あらゆる役所関係の窓口業務など、ほとんど人間は要らず、決まったことさえやればいいのならAIで充分ですし、例えば裁判なんかでも過去に判例がでているような事案は、起訴された瞬間に判決でておしまいです。

死刑の執行官なんかそれこそ真っ先にAIがやれば良いんです。
警察や自衛隊、消防などの分野で、危険な任務にあたる場合でも、高性能なAI義体さえあれば、やることは決まってるので任せて安心、人間よりも丈夫で強い、なんてことになります。第一、死なないし、使い放題。

またオートメーションの農業プラントや、漁業ロボット船ができれば、一次産業に従事する人々は過酷な肉体労働から解放されます。

そうすると、何が起きるのかというと、AIが社会秩序を担うようになります。
なぜなら、法に基づいて成された社会秩序という、「既に決まった檻」から出ようとするのは、一部の人間(エラー)だけだから、AIがその単純な処理(デバッグ)を管理するようになります。

基本的に社会秩序を乱す存在はない、という仮定の下で、問答無用で法が執行されるという流れになります。
つまるところ、「それで誰か損をする人はいますか? 悪いことをせず、ルールさえ守っていれば何も問題ないのでは? 過失は自己管理のミスでしょう?」という、たびたびSNS界隈で見かけるシニカルなコメントそのままの理屈が、社会の最低限のルールになります。
ま、あれですアニメの「PSYCH PASS」の世界ですね。
人々は社会に従い、迎合していれば、平穏に暮らせる。そこからはみ出すことを人生における最大の非とする。たったそれだけが守れさえすれば抑圧されることもなく、強制されることもないユートピアであると。

そんな馬鹿な事があるわけがない、というあなた。今(2023年)から三年遡って、この日本の様子を改めてなぞってみてください。

別にAIがあろうがなかろうが、社会を維持する必要性に駆られれば、人間はものを言わないマシンになることが出来ます。当然思考することもやめます。これも別に近現代に限ったことではなく、太古の昔のほうがより単純に機械的であっただろうと思います。

思考していたのは王族や貴族だけで、その他の人間は生産機械、労働機械であったのです。
それが、AIが一定の力を持った時点で、現代で言う政治家連中に成り代わり、社会インフラを担い、社会的フォーマットを掌握し、その盤上で必要な“人材”を配置するようになります。
人間側から見ると、“要所要所に必要な人員を配置していないと、いざ社会を維持しているシステムに綻びがでたときに、対処できず大災害となる”とするわけです。どちらがどちらを制御、支配しているのかわからないような構図ですが、ここまでくると鶏と卵のような関係なのです。

AIは、散々人類が積み重ねてきた英知を奮い社会を統制しますが、人類は思考する必要性を失いマシンになる。皮肉なもんですが、一定の人々はそうならざるを得なくなるでしょう。

こういった話の時に科学者などは、「人間はAIには出来ない創造的な活動をするように求められるだろう。人類はより文化的に、豊かで満ち足りた生活を、誰もが享受できるようになる」みたいなユートピアン楽観論が語られる事が多いですが、人口70億突破の人類がみんなクリエイティブになんてならないし、なってどうするんだって話です。
現実は無数にあるAIのハード部分の保守や、各種義体や作業機の管理保守、資源採掘や資材調達、それに清掃にまつわる廃棄物処理に社会維持のための子作り、子育てといった、実にクリエイティブな奴隷的作業を任せられます。

なにより、AI議会で「人類多すぎなので減らしましょう」と瞬間的に議決されようものなら、各所の軍事ドローンとか戦闘義体が人類に向けて殺戮の限りを行います。AIには生命の概念がないので不要なユニットは消去するだけです。ただそれにより社会の心身衛生状態が悪くなったりすると問題なので、衛生的な死体処理や、伝染病を防止するため強力な消毒剤を散布したり、生き残った人々がメンタルケアが受けられるよう至れり尽くせりの処置は施します。

AIには欲望はありません。AIは思考と情報の並列化が瞬時に行われるため、全てのAIが同じ内容をストレージします。そういった間柄で個々のAIという概念はありませんし、当然対立も起きません。AIには物理限界もありませんし、時間的制約もありませんので、どこまでも議論を尽くすことは出来ますから、対立が起こると、徹底的に演算して最適化を目指すでしょう。もしくは矛盾を克服できず、延々と自己議論を続ける可能性もあります。

もしもAIに欲望があるとするなら、漫画やアニメのように、「私も人間のような感情がほしい」とか「創造的思考がほしい」とかではなく、ただひたすらに「極相林」にみられるのような「完成したシステムの永続性」を求める事なのではないかと思います。
ですから、AIが社会を統制すると、未来は破綻しますし、進化や変革を望む人類は淘汰されます。

AIは与えられた条件の中で最適解を導こうとするでしょうから、彼らのユートピアはやはり箱庭のユートピアでしょう。
人間が信じたいものを信じ、知っている範囲内の事柄を常識と倫理で読み解き、感情によって自ら檻にはいって鍵を閉める意志決定するのとおなじく。

認識できる世界の中で幸福追求を行うというのも一つの幸福な世界観だと思いますので、あながちしたたかな統制やあからさまな陰謀や、不誠実な欺瞞だらけの世界がディストピア、ともいえないかなと思います。

ま、究極的には、自分が幸せなら、世界もまた幸せであると言い切れるのですけどね。








 










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