カニ光線

2011. . 01
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なんだか暖かいんですが、暖かいのも曇りのせいだったりでどうも春らしい感じがしません。

というより暦ではそろそろ春も終わりで夏に突入する勢いなんですけどね。

さて、5月に突入しまして、5月の1日といえば、メーデーといいます。昔からよく聞く言葉ですがなんざんしょと?
「メーデー!メーデー!」ってところから始まるアクション映画は意外と多いんですが、そういう意味のメーデーではありません。

あ、ちなみに上記の叫ぶメーデーは「SOS」と同義の緊急救難信号で、モールスで発信する時は「トントントンツーツーツートントントン」でSOSを表すんですが、電話や無線の場合は(言葉が通じなくても)「メーデー」と言えば万国共通で通じるということです。

で、5月のメーデーは、MAY DAY という意味です。

本来は春の訪れを祝う日として欧州の慣習となっておるようですが、一方では労働者の権利要求を謳う日としてメーデーという言葉が使われまして、その二つの関係性がどうなのかはよくわからんそうです。

で、お題のカニ光線ですが。

カニ光線といえば、ウルトラシリーズでは超メジャーな怪獣カニゴンの必殺最終光線である、と現代の若者に説明すると本当に信じてしまいそうなくらい共産主義革命運動はなりを潜めたといっても良い現代日本です。

かにこうせん とは「蟹工船」、小林多喜二のプロレタリア文学であります。

そもそも、プロレタリア「無産階級 あるいは労働者」という概念自体がすでに古めかしく、あえて一般人を労働者と銘を打つことにどんな意味があるのかは現代の日本では考える余地もありませぬが、過去日本は封建社会を経て資本社会へと他の先進国に倣って移行したわけですが、どの世界にも起こった摩擦として資本家(ブルジョア)と労働者(プロレタリアート)の闘争があります。

主には横暴な資本家をはじめその手先らが労働者を自身の利潤追求のための道具のように扱い、嫌なら死ね、面倒なら殺せ、といったレベルで酷使した時代が実際にあり、それに抗うため草の根レベルで労働者達は労働者の権利を勝ち取ろうとして労働運動をそこここで起こしては潰され、あるいは投獄され、処刑されてきております。
共産思想を流布する者として小林多喜二自身もまた特高に捕まり殺されております。

そういった運動の思想根本はもちろん共産主義であり、帝政ロシアや中華皇帝時代を文字通り赤に塗り替えた社会革命運動で、人民は皆平等で、平等に労働し利益を得るというあまりにも簡単で解りやすい、まさに実現したならばユートピアであるという思想です。

解りやすく言えば、資本社会は三角形のピラミッド構造であるのに対して共産社会とは、上下がなく皆が横並び一線で皆で努力して得たものは皆で平等に分け合おうという考えで、(指導者はいても)支配層は原則的にはおりません。ですから一人が努力して上に上がろうとしても上がる意味がなく、私的財産を否定し共有するなど極端に言うとその私欲こそが悪だとなります。

つまり個人労働は社会のための労働であるべきで、労働によって報酬を受けるのではなく、必要に応じて報酬を受けるのだと、ここは解りにくいですが一言で表すならば、欲張らずつつましく生きろということかな。
資本主義が裾野を広げて成長するピラミッドであるならば共産主義は上下左右もない肥大してゆく円という表し方ができるかと思います。

しかしそんな共産主義にも紆余曲折と利権と覇権主義が絡みまして刻々と変化してゆきます。というのは前述はあくまで観念上(理想論)の話で実際は皆様もご存知のようにどこもそんなに上手くはいってません。

上手くいかなかったから東側社会は崩壊した、ともいえますが当時の情勢下、血気盛んな指導者のもと行われた各種の強引な改革は、脱資本主義という、資本主義の構造にすら疑問が残る中での砂上の楼閣、あるいは桃源郷といった夢見物語の感があり、やはりいくらユートピア実現のためとはいえ、強欲な庶民には受け入れがたかったわけです。というか、目的もなく走り続けることはものすごくしんどいということです。

では王政や地方の有力者や豪農、富農などのもとで搾取され続ける生活が良かったのかと言われるとそれも地獄であるという時代だったので、まさに庶民にとっては今日を生きることだけが望みというような状態だったわけです。
しかしながら、そういった封建制社会で共産主義が台頭するにはそれなりの訳があったにせよ、性急で庶民の機微を解さないインテリの理想論と独裁者のギラギラした油ギッシュな情熱は貧困と飢餓と経済破綻と統制と虐殺しか生み出せませんでした。

日本での、蟹工船が執筆された当時の共産思想はまさにその黎明期であり、資本社会にまい進していた日本の中枢はこれを民衆が迎合することを危惧したわけです。
資本社会において共産主義革命とはいわば国家転覆ですから当然でしょう。

しかしながら、今の時代からこういった背景の社会を見ると、当時の共産主義が良いか悪いかは別にしても、この位の権利や保護、保障を労働階層が受けられてもしかるべきだと感じますし、作中の資本家のなりふりは横暴にも程があると読み取れます。今時こんなやり方の企業があればすぐにでも訴えられるでしょう。というか社会的信用を失うばかりか会社の存続は不可能です。

そういう意味ではこの資本社会にもある程度の共産革命思想は根を下ろしたわけで、もっというなら社会全体を見渡し各種の保障を国が行うところを見れば(働かない、働けないものの面倒まで見るなど)すでに資本家>労働者という構図ではなく、高レベルで完成に近づいた共産国家ともいえましょう。
要は地球上で東へ東へ走ってゆくことは結局西に向かって走るのと同じことであるわけで、どこをよしとするかという妥協点上でこの100年間世界はあえいできただけのような気がします。


現況日本では、給付金や各種優遇割引、前月まで沸いた家電エコポイント制度、エコカー割引。これらは資本主義に基づいた社会統制であり、市場を操作することにあたります。見るところから見ればこれは資本を持つものだけ(あるいは権利を持つものだけ)に許された市場開放と利益獲得権でその一部を国家へ還元するための統制(ようするに茶番劇)である以上、悪い社会主義に程近いところにきていることが解ると思います。

生産活動は需要に応じて供給がなされることが理想ではありますが、それだけでは本体たる資本社会を維持できないため、意図的な供給によって需要を高めるということを政府の財政政策によって扇動、補助、補填しなければいけなくなっているというのがどこの国でも起こっている資本主義の穴です。
こうも考えていると、20世紀の西と東の闘争にある程度の意味はあったのかもしれませんが、根本的には何も変わらないんじゃぁないかともとれるわけで、ひょっとすると世界は既に巨大な「三角錐」の様相を呈しているのではないかと思う次第。

まあ我々庶民が日々を生き抜くのが精一杯という事実は古今東西変わらないのですが、蟹工船を読むと、命をかけて労働階層の権利を打ち立てた先人達には主義思想を超えて感服するのみです。

といったところで現代のプロレタリアはゴールデンウィークというプレゼントをいただけるようになったわけです。しかしながら、明けにはまた休んだ分を取り返すくらい必死で働きなさいと、そういう声も聞こえてくるわけです。

私は休んでませんけどね。
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