ワーゲン四方山話 その7 「ワーゲンのパッケージ 暫定一部」

2011. . 15

 何かと問題の多い大相撲界、つまり角界においていわゆるタニマチと呼ばれるパトロンの存在が今までの角界を支えてきたものである、というのがおおむねの裏事情でありまして。
なにかと芸事にはパトロンは欠かせないわけでして、各種格闘技もやはり興行主というものが元締めとなってですね、地方を統べている訳です。
 そういうものをですね、そんなブラックな贈収賄的関係はいかんと、取り上げてしまうといわゆるその筋の人々の「しのぎ」がままならんようになって悪事に手を染めるということもあるわけでして、清い水には魚は住まぬというか、社会とはそれなりのパッケージングで成り立っているわけですからそれには裏もあれば表もあり、見なかったこと、知らなくていいこと、というものの分別をつけるのも大人ではありますまいか。
ま、大所帯ゆえに「そこそこの人物」を槍玉に挙げて手打ちにしたいというのが各業界の人々の心情でしょうなぁ。

といったところで、本日はワーゲンのパッケージング、レイアウトに関してです。車や機械というものはある一定の枠内でいかに効率よく稼動させるかという理論の塊であって、あっちを立てればこっちが立たずなんていう繰り返しの末の産物なんですな。
一昔前約20年前ほどですが、本気で人間の手のひらの動きを機械(マニピュレーター)で再現するとなると6畳間ひとつ分の装置(ソフト、ハード)が必要と言われておりましたが、現在はご存知のようにほぼ人間と同サイズの完全稼動する手のひらも夢ではなくなってきました。

 このように技術の向上はパッケージングをより小さくまとめ、実用に適することにも寄与するわけです。ただ、何でもかんでも小さく薄くできればよかったのはせいぜいソニーのウォークマンがポータブルプレイヤーの雄だった時代かと思います。あるいは35ミリフィルムカメラや、ハンディカム、黎明期の携帯電話などでしょうか、21世紀を境にメディアがいっせいにデジタル化したせいで既存のメディアのパッケージにこだわることなく小型化が極端に進んでしまい20世紀なおじさんはいまひとつそこのところで足踏みをしてしまい、VHSビデオが手放せないままだったりします。

 おもえばソニーのウォークマンが目指したのはカセットテープケースのサイズという究極目標であり、あたりまえですがカセットテープよりも小さなものという要求はありえませんでした。まあ、磁気テープに並ぶメディアは当時最小といえどDATなんてのもありましたが結局のところテープを駆逐する普及版録音メディアはMDの登場まで待たなくてはいけませんでした。

 さすがに(良いか悪いかは別にして)CD並みの音質にテープの四分の一ほどのサイズとくればもうこれは小ささの極みであったのですが、テープウォークマンで培った技術により、より薄く小さくという進化はMDウォークマンではすでに見られませんでした。出たいきなりからしてパッケージングの限界が見えていたからです。
 私が思うに、このあたりから「最小技術」というものはほとんど進化しなくなった、そのかわり新しいフォーマットが次々と発表されていった末に現在があるのではないかと思われます。もちろん小さすぎると使いにくいといった弊害もまた生まれたことが歯止めにはなったのでしょう。

無論自動車の世界でも新設計エンジンというものが生み出されていないかというとそうではありませんが、基本の構造は変わらず、パッケージングのみを変更してより効率のよい軽く回るエンジンに仕立て上げるという手法や、既存の基本設計を継承しながら点火系を変更したり給排気系を変更したりすることで別物のエンジンのごとく作り上げるなど、チューニング、あるいはモディファイリング、リテイク、リプロダクションがここ20年の成果であって、そりゃまあ不景気だっていうのも頷ける話ではあるんですが、目新しいものがどうも少ないなという印象です。

 で、このへんでワーゲンのパッケージングの話になるんですが、他の回でも書いたようにワーゲンの車体というものはすべてにおいて合理的に計算されつくした結果生まれた車体であるということで、エンジン、ミッションに対しシャーシ、ボディの組み合わせがそれ以上も以下も許されない、何も引かない何も足さない、理想的なパッケージングを実現しています。

 ベストセラーというものはえてして目立って人の気を引く奇抜なものではなく、意外なことに少しばかり最先端よりも劣るところにあるものでして、先端技術ではないからこそ熟成が可能なカテゴリーで、更なる完成を目指すことができるといった皮肉な輪廻があります。

 これまでに突出しては消えていった製品は数多くも、そのほとんどがトライアンドエラーであり、旧車などの構造機器には試行錯誤の後が垣間見れます。
ですから自動車産業黎明期において、開発当時からワーゲンが特に目立つことはなくとも安定した性能と必要最低限のパッケージ、消耗部品の安価さや再生産のしやすさ、部品の転用が容易でフレキシブルで簡素な構造、を採用し、量産を容易にしたその判断というのはある意味で天才設計士の為せる技だったのだろうとは思います。

開発から生産終了までの約50年間、空冷ワーゲンは年を追うごとに少しずつ進化してゆき、その都度世の中のニーズに応えながら20世紀を走り抜けてゆきました。
この21世紀、車は走って当たり前の世の中で、やはり同じように少しずつ進化はしているものの、それは既に車がよりよくなるための進化というよりも、人がより楽をするための道具として進化の駒を進めてきた結果のような気はします。

もちろんそれが悪いこととは思いませんが、満たされつくした道具には何かしら熱い血潮を感じないというか、不完全さゆえに人の能力が問われる事に運転者の意義というものもあるとは思います。ですから車は「自分で動かす車」という意味の名が付いたのだと思います。
しかしながら、これからはナビや制御装置の進化により「自分で動く車」という意味の自動車が現れそうな勢いでありまして、もはや運転手さえ必要がなくなるという究極のパッケージングはいくらなんでも省略しすぎなんではないかと。

いや、マジで。


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