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ハッピートリガーな中心で、平和を叫ぶ

2022. . 27
できるだけ気にしないでおこうと思っていたのですが、やはりちょっとどうかと思うので書こうと思います。

てんちょのあやしいはなし

現在ロシアがウクライナに侵攻して、街や市民生活を蹂躙しているさなかで、国際的にはロシアに非難が集中しています。西側諸国は参戦を拒んで武器供与、医療品や食料、支援金といった後方支援だけに留めているのはご存じの通り。
我が日本も、ゼレンスキーから「復興の暁には力を貸してくれ」と、要するに金を送ってくれということなのだけど、それに大して日本の政治家諸氏は予定調和のスタンディングオベーション。

日本の政治家がこぞってスタンディングオベーションした、と聞いたときには身の毛もよだつというか、なんか本当に、心配になってしまった。
もちろん、日本人が自発的にスタンディングオベーションなんてしないのは明々白々、ちゃーんと脚本通りにやったに過ぎないし、なんでそんな脚本があるのかっていうと、アメ帝がそうしてたから日本も続けって訳ね。

こういう政治の側面から今回の戦争見てたら、歪には見えます。

ロシアの侵攻に乗じて、ロシアに関する文化の拒否や排斥が各地で始まって久しい。
一国の一指導者が起こした戦争により、それまでの文化や歴史、民族までもが否定される、そしてそれを国際世論が容認している。

これは、民族差別に他ならないのではないかと思います。
前にも話しましたが、文化というのは民族によって生まれ、継がれ、醸成され、今に至るものであり、住む土地や、着る服、食べるもの、それらはその民族のアイデンティティに直結するものであると思います。

仮に民族としてではなくロシアという大きな枠組みで見たとしても、ロシア国民は自身らの国から輩出された技術や文化、学問や芸術、文芸、それらを誇り、矜持とする部分は少なからずあると思う。それを有事であるからといって、外にいる人間が拒否し貶める権利があるとは私は到底思えませんし、ロシア人を差別し、暴言を吐いたり暴行を加えたりしても良いなどとは思いません。

ところが、我々の様なほぼロシア文化に無関係で、無関心な民族までもが、そのバッシングの尻馬に乗り、ロシアそのものを否定し「戦争を起こした国、当事者なのだから当然だ」とあまりに情動的に口を開くようになってしまっていることは、実に嘆かわしい。

ロシア軍がチャイコフスキーを流し、戦意昂揚を煽って進軍しているなら、聞いたり流したり、弾いたりするのをやめても良いと思う。
ロシア兵がドストエフスキーを朗読しながらマシンガンをぶっ放して無抵抗に婦女子を撃ち殺しているなら、図書館から撤去しても良いと思う。
プーチンがロシアンバレエのタイツを纏って、白鳥の湖を踊りながら進軍の指揮を執っているなら、世界各地を巡るバレエ団は石を投げられても仕方ないと思う。

もう一つ、件の戦争の周辺で話がにわかに持ち上がっている、気になる事がある。

これはプーチンが起こしたディープステート(闇の政府)との戦争である、という話。
端的に言えば、プーチンは正義の側にあり、我々は世界に欺された「目覚めていない人々」なのだと。その哀れな民を解放すべく闇の組織に立ち向かっているのが、トランプ前大統領を筆頭とし、プーチン、習近平、金正恩、などといった、いわば我々が想像しているのとは真逆の対立構造を裏社会の事実として情報展開しており、現代の社会を統べる全ての団体や指導者、国家元首は悪の手先、あるいは爬虫類人類だとか、地底人だとかいう、ああもう、な論調で、人類の恒久的な支配と家畜化を目論んでいると語られる、壮大な陰謀論です。もちろんコロナ禍騒ぎやワクチン詐欺もここに含まれるので、今の時間帯は余計に論が肥大して、元気いっぱいに暴れ回っています。

ま、この事に関しては否定も肯定もしませんが、この論を展開する人は、本当にフルチンで突っ走ってる感じがして、もう、誰の声も届かない感じがします。
そういう陰謀論というか疑惑がムクムク沸き上がる温床、マスメディアの杜撰さもあるのですが。

例えば、戦闘の惨状は映画の一場面の切り取り、爆撃の様子はCG、怪我人はクライシスアクター。
実際ウクライナは何の被害も受けていない、とか。

ま、ゼレンスキーはいつも身ぎれいに髪も髭も整えているなぁ、という印象は受けるので、あんたホントに戦場にいるのか? と思わないでもないですけど。
ちなみに、日本で首相とか責任者が災害時にこぎれいなスーツで、髪も髭もこざっぱりしてたら(それこそTシャツなんて着てたら)怒濤の非難に晒されるので、政治的判断として、おろしたての作業服を着て髭を伸ばし放題にするのが慣例です。

たしかに、マスメディアはねつ造しますし、過剰演出もします。
外の人々が想像する、最高、もしくは最上級の状況を演出して放映します。そうしなければ想像以上のインパクトが与えられないからであり、視聴者の満足が得られないからです。

解りやすく言えば、住んでいる地域から離れた場所でひどい地震があったとしましょう。そうすると人はテレビでその惨状を確認しようとするわけです。これは情報取得の側面もありますが、おおくは好奇心、野次馬根性に他なりません。
震度7とか8の地震があったとしましょう、なのに映像に映る景色は、建物の倒壊もなく停電も起きておらず、人々がほがらかに過ごしていたらどうでしょう。

テレビのチャンネル変えてしまうでしょう。

人はひどい地震の惨状を期待して、テレビを点けるんです。
期待通りであって欲しくないと願いながらも、期待通りにビルが倒壊していたら安心するんです。

私の住む地域も数年前比較的大きな地震がありましたが、表向きの被害というのはそこまで大きくなかったんです。死者も殆どいませんでした。
でも内部的には大変な家も多かったんです。家の壁がひび割れたり、屋根瓦が落ちたり、食器棚が倒れてきたり、断水、停電、ガスも当然止まっていて、普通の生活をするまでに数週間はかかっていました。
でもマスコミは、見た目的に派手に激しく損傷している建物の箇所ばかりをピンポイントで撮影していました。わざと、そこ以外を撮影しないようにアングルしているのが手に取るようにわかりました。
さも、全域がこれほどの被害なのだといわんばかりに。

だから今回の事も同じく、ウクライナ全域が廃墟になっているなどとは私も思っていません。まだ平和に過ごせている都市も街もあると思います。
ですが、普通に爆撃や砲撃で家や道路が吹き飛ばされて、子供や老人、非戦闘員の市民が巻き添えを食らっている。

これをして、ジュネーブ条約に違反をしていることが明らかであるから、良識ある世界は彼らを弾劾すべきだ、などといいたいわけではなく、普通に考えて戦う意志のない、ただ逃げることしか出来ない人間の頭の上に爆弾落としたらダメでしょう、ってだけです。

命令されてもそれはやっちゃダメです。
それが守れなかったら、ダメです。

太平洋戦争時もアメ帝は無差別に日本の都市を焼いて、あげく原爆まで落としましたけど、条約違反で裁かれる事なんてなかったんです。だから条約なんて無意味で、人は人としてあるべき法を見定め、その下に集わねばならないと思います。
人間同士が私利と私欲の元に生み出した譲歩案なんて、力ですぐに踏みにじられる。

私の友人の店の従業員にロシア人の女性がいるんですけど、この戦争が始まって幾度か心ない言葉をかけられたそうですし、実際に親族とは連絡が取れない状態にあるようです。
その方の話によると、たしかにロシア兵は欺されて戦場に連れて行かれることがあるそうです。彼女の叔父も軍隊に入り、訓練だと偽られ一年間音信不通になっていたと思ったら、還ってきたときには遺骨だったということがあり、それはロシアではさして珍しくない話だそうです。

ロシアでは普通にそういうことはあるのだ、と。そう受け止めていたそうです。しかし、彼女は日本に来て、それが異常なことだと気づいた。
そういった不幸を、悲しみを、憤りを知ってか知らずか、まるで森林を間引くかの如く行える為政者がまさか高潔で神聖な指導者とか、正義の使者だなんて、私は思えませんけどね。

しかし、だからといって、日本が積極的に肩入れする義理はない。
西側諸国、(おもにNATOの意向)に跪いて、尻尾を振る必要などない。
だから、日本の政治家が、脚本通りにスタンディングオベーションなんてしたのが、ほんとうにやるせない。

元は我々の国も、国家存亡の危機であると煽りに煽り、天皇陛下という一個人を神輿に担いで神であるなどと国民を欺き、同調圧と懲罰という恐怖で世論を操作煽動、支配し、多くの国民と若い命を損耗して、挙げ句、文字通り国土が灰になるまで戦争をやめなかった。

それを後世の歴史は戦前戦中の日本を「狂った指導者に支配された恐怖政治国家」であるとした。そして戦後の日本人は自身らの思慮思考を失い、あるいは自ら同調圧により封印し、民主社会が差し出す甘露を目の前に口を噤んだ。

今この二十一世紀において、かの時代の日本人および日本の軍隊は高潔であり誇り高かった、不正を嫌い厳格であった、全ての動機に正義があった、などと祭壇に据え、担ぎ上げようとする声が高まっている。それは世代が塗り替えられ、ある程度「戦勝国が用意した洗脳プログラム」が薄れかけてきているせいもあるが、なにより、日本という国が情報や知識の制限を設けない上、宗教的戒律や、イデオロギーに支配されにくい、世界的に見ても非常に自由な国だからでしょう。

結果論ではあるのですが、そういった世界が醸成されたのは、かつてとことんまで散った過去があったからなんです。民主社会を獲得するため、当時の首脳陣、指導者、権力者も(見える部分は)軒並み排除されたから。
だから、日本人はIFを語ってはいけない。失敗もした、欺されもした。調子にも乗ったし、非道いこともした。やることはやって今がある。

今我々日本人は世界の全てを知ることが出来るのに、またあの時代に戻ろうとしている。
どちらかの正義に肩入れして、破戒を容認しようとしている。
ウクライナを応援することは、平和を志向して、人命と人権を至上としながら、世界が一丸となってシュプレヒコールを上げているようにも見えるかもしれない。
だけど、やっていることは、自分勝手な大義名分の元に容認する破壊と殺戮行為に過ぎない。戦争など互いの勝手な言い分が通らず、利害が一致しなくなった末に起こるものに過ぎないのだから、何処の国であれ何れなり衝突の危険性はあるし、当然戦争はなくなることはない。

戦争の問題点は、ごく少数の人々が実行した戦闘行為における結果如何で、国民全体(個人の人生)の運命が決定してしまうことにある。
戦争は外交の延長であり立派な政治的手段などと高説垂れる者もいるが、おおむね外交に失敗したから戦争になる、というのが現代の常識といえます。

労働をし、税金を払って、いうとおりに法律に従って、憲法の下慎ましく生きて、国のことは政治家や役人に任せていたら、いきなり他国から宣戦布告され、徴兵、戦闘と。
外交で収拾がつかなくなったら結局国民のマンパワーをあてにして、じゃあその外交失敗の責任をお前らはとるのかよ、っていいたくなります。

多くの国は国籍を自由に選ぶことも出来ないし、無能な政治家や役人を合理的に国民の力で引きずり下ろすことすら出来ない。亡命や選挙がその手段であるなどというならば、「辞職投票」という制度を作るべきでしょう。

「立てよ国民!」、と威勢が良いのも結構ですが、結局のところゼレンスキーは国土と国民の命と財産に犠牲を強いなければならないまで追い詰められた、外交に失敗した政治家でもあるのです。
無論プーチンをして、隣の狂人かヤクザに見立て、相手が悪かった、と言うことも出来ますが、それならなおさら慎重にゆくべきであったでしょう。

だから日本の政治家が立ってまで拍手して、彼を称えるのはどういう了見かと、そう思うわけです。

日本には、国土が灰になり、国民が屑になるまで戦った歴史があります。
それはもっとも愚かな選択だったかもしれませんが、勝てるはずのない相手に楯突いたのは、国家としての矜持、国民としての矜持がそうさせた面があるでしょう。一億層玉砕の覚悟で全ての国民が立ち上がり、竹槍でB29を堕とせるとまで信じることが出来たのです。
ま、出来たというか、無理矢理信じさせられたというか、たぶん殆どの人は「無理じゃね?」って感じながらエイエイオーしてたと思います。

これね、今のウクライナの情勢と比べたりするのはちょっとアカンのかもしれませんけど、というかどっちかっていうとロシア側なんですね、日本人のやってた事って。
竹槍でB29が堕とせないってことは、訓練教官が一番よくわかっていたけど、そういうファンタジーで現実から国民を遠ざけることしか出来なかった。だって本土決戦が迫ってきたということは大本営の嘘がバレはじめていたから。

かつてのシベリア抑留で捕虜を奴隷のように扱うあたりなどから見ても、ロシアの兵士損耗率の高さは、人命軽視の結果とも言えるのでしょうけど、実は戦略戦術において現実を見ないで力押せばなんとかなるというあたりがお家芸なだけなのではないかと。
スターリンの時代から「ソ連の兵士は畑でとれる」と言われているくらいで、一万発の弾が飛んでくるなら、二万人の兵士を用意すれば、一万人は生き残る、という理論(?というか引き算レベル)がベースで、人材を育てたり、大事にする、ということにかの国の指導者はとても疎い気がします。

話がごっちゃになって何が言いたいのかわからないかもしれませんが、私自身はウクライナにもロシアにも肩入れする気はございません。ただ市民に被害が出てウクライナの方が悲惨には見えますし、実際国土の荒廃も深刻でしょう。しかし、懸命なウクライナ軍や勇気ある民兵にバッコンバッコン打ち負かされるダイコン兵のロシア軍も相当な数が死亡しており、故国で我が子の(軍事訓練の)帰りを待つ家族に襲いかかる、憤怒と悲哀と遺恨の温床を今まさに日々作り続けているわけです。

――戦争が。

それをよく知る日本は、再びそこに舞い戻ってはいけないのです。人が憎み合って、殺し合ってもやはり憎しみは消えない。

日本は戦争を放棄している。そのことをよく考えて欲しい。
憲法九条があるから戦争をしないのではなく、戦争でどれだけ多くの物を失ったかを知るが故に、戦争を肯定化しないし、出来ないし、やりたくないのだと、そう言って欲しいし、言い続けて欲しいし、言い聞かせて欲しい。

北朝鮮のように、敵国を攻撃するための賢いミサイルは、日本にはない。
だが、戦争はすべきではない、やりたくない、核も絶対ダメ! ってバカな声明を出せるのは日本だけの特権です。

ひとたび銃声が響けば思考が停止、涎を垂らして全てが灰燼に帰すまで撃ちまくる、そんなハッピートリガーな世界の中心で、我々は平和を叫ぼうではないですか。













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