ちょうど震災から一ヶ月を過ぎ、被災地でも復興の動きが見られるようになってきて、自身らから何かを発信してゆこうという動きが散見されるようになってきました。たとえば毎年やっていた祭りを今年もやろうとか、各種のイベントを、地域色をより際立たせる魅力ある復興計画を、など。それらはとてもよいことだし、どんどんそういった目標を当事者たちから立ててゆくのはよいこだと思います。
しかしながら、東京老知事は花見は自粛だとか言って強制的に花見をさせなかったという強権ぶりを発揮するのをはじめとし、各都道府県レベル、果ては地方自治体、イベント、コンサート、いろんなものが自粛により中止、延期になった。
無論、計画停電をしているさなかでなにもナイターをする必要はないというのはもっともな話だとは思う。ガンガンに電気を使うようなイベントごとも中止になるのは仕方があるまい。
しかし、それらとは無関係の場所で、不謹慎だとか言う理由で自粛を求め、履行するのはどこのおりこうさんかと思ったら、私の近所の花見祭りも自粛中止になっておりました。
自治体はテキ屋のしのぎを奪ったら余所で稼ぐしかなくなる、ということのリスクの意味を考えているのか?
さて、この二つの地域の温度差はなんでしょうか?
被災地のヤル気と、非被災地の消沈ぶりは、なんでしょうか?
大変だ大変だ、ご苦労で、かわいそうで、何かしてあげなきゃいけない、そう思い、それを望んでいるのは被災地の人ではなくて、被災していない無事で安全な地域の人々なんじゃないだろうか。
弱者を弱者として据え置いて、その支援を、その手を差し伸べることで精神的充足なり精神的安定を得て、自身らの感じた震災のショックを和らげようとしているんじゃないだろうか?耐えられなくて卑屈に自虐的になっているんじゃないでしょうか?
私にはなんだかそのように感じます。
もちろん私の見方は、斜めすぎます。
だけど、食料品の買い込み買いだめに、アレだけ福島県近郊の農畜産物から海産物への買い渋りが起きている現状を見ると、どうもそのような見方をしても悪い気はしないのですけど。
当初出荷規制が敷かれていたのは福島県だけだったはずだし、それも一部の話だったものが、隣接する茨城、宮城、果ては千葉県産までもが「放射能の汚染がある、かもしれない」という根拠のない憶測で、売れないことを見越して野菜が市場に並ぶことも、漁港に水揚げすらされないようになってしまい、地元の農業も漁業も言われなき偏見により大打撃を受けています。
信用するかしないかは別にして、あれだけ報道でアナウンスされているのに、風評被害に苦しむ人々が居るという現実を毎日のように目にしているのに、それでも千葉県産は(自分の住んでいる場所より)福島に近いから危ないかもしれないと買う事を敬遠し、いくらどんなに安全だと書かれていても、それを出来るだけ避けようとする。
そういった個々の行動がさらに小売店、市場、生産者の事業の圧迫を行い、海産物や農産物の全体的な価格高騰を引き起こす原因となっていることに気づかないおろかな人間が多すぎる。
無論それが、被災地復興の足枷になっているということにも気づいていない。
いや、
結局、自分たちの身の安全も守られなければ、他人のことまで、まして日本全体のことまで考える余地などないということなのでしょう。海老蔵も嫁はん連れてさっさと南の果てに避難して水の買占めしてたみたいですし、別に芸能人だからどうとか言っているわけじゃなくて、率先してそのちっこい人間性見せられると、恥ずかしさ倍増だなと思うわけで、はっきり言って悪意は全くない。
で、
福島県といえば、実はカーネーションの一大産地だそうでして。そろそろ母の日も近くになると花屋の店頭にカーネーションが並ぶようになるのですが、当然ながら福島県の農家の方は今年の出荷を見越していたはずですが、現況花市場でも福島県産の農産物というだけで値がついていないという状態にあり、事実このままだとおそらく店頭にも並ばないままになる可能性が高いわけです。
実際、現在花屋でも産地を明記しなければいけない決まりになっているため、やはり「福島県」と書かれている花は売れないばかりか、近づかないという馬鹿者もいるようです。まさに無知無学にして愚かの極みなりといったところで、極めつけは「自分のところの畑があるから野菜には困らなくて良かった」などと公言する始末。
そして、ついに、やはり起きたのが、福島県から疎開してきた人間に対しての偏見。福島県から来たと言ったとたんにタクシーの乗車拒否、病院での診察拒否、子供たちの中でのイジメ、疎外。
子供やタクの雲ちゃん、もとい運ちゃんは、まあギリギリ仕方がないとしても、医療に従事している人間がこれでは、もうどうしようもない。日本国民は大丈夫か?
放射能がそんなに怖いんか?
古今東西の富と名声を得た王や皇帝達が決まって最後に求めたのは、不老不死の秘薬なり秘術なり秘宝なりであったのですが、いまだそれらを手に入れた者はおりません。
日本人は今、最悪のどん底から立ち直り、そして世界でも類を見ないほどの豊かさに恵まれています。
それでも自分はそれほど豊かだと思わないというのは、そういったバランスで社会が成り立っているからという言い方も出来るのですが、もっと本質的な場所から言えば傲慢な話で、日本において、明日死ぬかも、殺されるかもしれない、と自覚して毎日を生きている人などほとんどいないでしょう。
ですが、今回の震災で、全てを失った人々を見せられた。全てならまだしも命まで奪われた人々を見せられた。
それらの人々は、きっと、明日死ぬかもしれない、などと思っていなかったでしょうし、明日身包みを剥がれて無一文になるとも思っていなかったでしょう。考えれば怖い話です。
だけど、現実です。
そして今、それらの人々は、生き残ったがゆえに生き続ける選択を選んで前に進もうとしている。
だが、なにも奪われなかった我々は、ただ悲惨だ、恐ろしい、嫌だ、ああはなりたくないとわめき散らしているだけで、弱さ全開にして情けなさっぷりを晒しまくっているのではないでしょうか。
この分だと、戦争にでもなったら、たぶん、かなり多くの日本人が海外脱出するんでしょうな。国など知らないと。
お前も結局その時になればわからんだろう?と言いたいですか?
あいにく私はパスポートを持ち合わせておりませんし、今後作る予定もございませんし、何より飛行機の乗り方も解りませんので、国土に骨をうずめる予定でおります。
なにより、私がいなくなったらヘルムなくなっちゃいますから、そうなると困る人がたくさんいますので(多分)
余談ですが。
自分にとって何が一番の不幸か?
それを少し考えてみるのもいいんじゃないでしょうか?この機会に。
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