明後日だね。クリスマスイブ。
このブログでクリスマスを検索すると、かなりの数の記事を書いている事に気づかされる。
それだけ思うところが多いというか、なにかと関わることが多いって事なんでしょうね。
クリスチャンでもないけど、ってのは日本人ならだいたいそうだし、そもそも敬虔なクリスチャンってクリスマスに恋人といちゃついたりしないで、家族と静かに過ごすって言うし、お祭りみたいにやってたり、ラブホが満室になってたりする我々が随分おかしいのかもしれません。
で、最近思うのは、クリスマスだからと言って、それほどクリスマスしていないなぁ、ということ。
これは二年にわたるコロナ禍の影響もあるかもしれませんけど、街はLEDの普及もあるでしょうけど、気軽にイルミネーションが出来るようになり、各地で割と活況です。でもクリスマスって感じの演出がそれほど多いようにも思えません。
まあ、それ以前から山下達郎はほぼ流れなくなったしWAM!もほぼ流れない、マライアキャリーでさえも――(っていうか全部曲が旧いよな)そもそも20年以上前の曲が今も流れているという方がおかしかったのだけど、クリスマスムードをグッと引き上げるのはこういった定番の楽曲だったわけです。
じゃあ、新たなクリスマスソングってのに更新されて置き換わっているのかっていうとそういう感じもしない。
もしかして今の若者は、クリスマスに恋人同士、連れ立って街を歩くなんて事を想定していないのか? という疑義が沸き起こります。
そこで知り合いの職場のバイトの大学生に訊いてみると、「なんでクリスマスだったらデートしなきゃいけないんですか?」という驚愕の応えが返ってくる。
なぜ、であります。WHYですわ。
そう言われてみればたしかにそうです。
なんでクリスマスだからといって、恋人と過ごさなきゃいけないのか?
ここで私は重大なことに気づいてしまいました。
若い頃、意味もなく、クリスマスまでに彼女を作らねばならないという強迫観念に迫られていたことを。そう、クリスマスがまるでゴールのように、12月24日の時点で彼女がいるかどうかが、輝かしき青春の分水嶺であったかのように、主に昭和生まれの男子も女子も(現在おっさんとおばはん)心の中ではクリスマスにデートできるという事実は羨望であり、それを果たした人物達を成功者のような眼差しで見つめていました。
たしかにこれはものすごく変なことです。
誰に教わるでもなく、自然に、ほどよい年齢になるとクリスマスは恋人と過ごす事が望ましい、などと。
そう、洗脳されていたのです。
私達は散々この時期になると、クリスマスをゴールにした恋愛ドラマや、映画を観させられ、音楽はクリスマスと恋慕をからめた歌詞が、キャッチーなメロディと共に耳に囁きかけられ、プレゼントは思い合う二人が互いの心を確かめ合うアイテムだと吹聴され、雨は夜更け過ぎに雪へとかわるものだと信じられていた。
では何故今の若者がそのような影響を受けにくいのか、もしくは全く受けないのか、といいますと、これはひとえに、情報量の多さによるものかと思います。
我々の時代というのは圧倒的に情報が少なく、誰もが同じ方向に向きやすかった。逆を返せば余所を向くほど何かがあったわけではないから、興味があろうがなかろうが、一応そっちの方を観る、というのが常識的な行動だったわけです。
それが今になれば、様々な価値観が認められ、多種多様な行為行動が許される世の中になり、人の心を一所に集まるような巨大なムーブメントは生まれにくくなった。要するに興味のない人は「それには興味がない」と素直に発言できる時代になったということです。
そしてもう一点は、今の若者のテレビ離れというものが挙げられますが、前述したようにそれ以前からメディア上でもクリスマス的な演出が減っている事を考えると、テレビドラマや番組を作る脚本家や演出家が、従来のクリスマスをゴールとするストーリーラインに辟易して、「つまんねぇ」と感じてきているからではないかと思います。
また、同じく彼らが生み出す脚本演出にしても、従来のものというのは「表現が古い」となりがちで、あえていうなら時代が下ればかつての最先端も「ダサい」と断じられることから、それを極度に避ける傾向は生まれる。
一時話題になった登美丘高校ダンス部の「バブリーダンス」がパロディ仕立てになっている(ダンス自体はものすごいクオリティです)時点で、90年代あたりに流行ったトレンディドラマみたいな演出を今やったらお笑いにしかならない、ということは想像できるかと思います。
昭和から平成の、バブル覚めやらぬ時代に青春時代を過ごした我々というのは、あまりに斬新で鮮烈な体験とまばゆい時代を目にした影響から、感覚があの時代で停滞している事を認めなくてはいけないでしょう。その後の失われた20年だか、30ねんだか、あれほど攻撃的な時代はあそこで終わってしまったから、我々は極度に肉食系なのだと思います。
これは実際にバブルの世の中に身を投じて恩恵を受けていたかが問題ではなく、その時代に影響を受けやすい多感な年齢――(中高生あたり)であったかどうかが鍵です。というのも彼らは同じ時代を生きてもバブルという時代の断片化されたごく一部の側面しか観ないし、感じ取ることが出来ないから、よけいにバイアスがかかり、イマジネーションが肥大しやすくなります。
だから未だにクリスマスに恋人と過ごすのが良いよね、などと言い張り、ホテルの窓際のディナーのあとによろしくプレイするための、最上階スィートをとってしまったりするのです。
そんなバブル残りカスの中年は、意識して積極的に感覚を更新してゆかなければ、この先ダセぇ爺婆と呼ばれること請け合い。そうしていずれ「老害」などと呼ばれてしまうわけです。
さあ、いまこそ我々はクリスマスの呪縛から解かれなければいけません。
クリスマスに恋人がいなくても、もう嘆くことのない時代が来たのですよ。
家族がいなくたって、独身貴族を貫いていたって、ツリーは思い思いの飾り付けをして一人の部屋を彩り、綺麗にラッピングされたプレゼントは自分のために買って、蝋燭立てたホールケーキは独り占めです!
メリークリスマス
ボクちゃん、金曜日はブログ更新してる暇ないので、お先にドロンします、ヨロシク~
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