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日本人の美徳

2021. . 06
てんちょのあやしいはなし


「昨今、感染拡大、感染爆発が各地で起こり、看護師をはじめとした医療関係者達への嫌がらせや、根拠の無い誹謗中傷が続いています」


SNSでは、そういった書き込みなどをよく見かけます。
私の周りではそのような人はいないのですが、住んでいる地域性なんでしょうかね?

それとは逆に、SNS等の書き込みで、“自称看護師”の世間や社会に対する辛辣な批判が耳目を集め、その恨み節がまさに現場で働く人間 (も自称医療従事者) 達がそうだそうだ、と声を上げて炎上している様があります。

たいていの人はそのどちらにも所属していないので、本当の現場というものは計り知れません。とにかく情報源は噂や愚痴なんです。そこには私情が載ってますし、共感欲求も載ってきます。ま尻馬に乗るという奴ですかね。

その手の理路整然と感情むき出しの怨嗟は (しかもまあまあ文章上手かったりするので) バズる事が多いので、自称医療従事者が面白がってお話をねつ造したり、人づての噂を切り接ぎしてさも自分のことのように話したり、あるいはコロナ禍の影響で不幸のどん底お涙頂戴的な話も枚挙に暇がありません。
よくSNSのコメントなどでは、「テレビメディアは自己都合で情報を選別し、放映しているので情報源として信用性に欠ける」、等といった批判をする人間がようやく増えてきてはいますが、ネット上のSNSなんてそもそも匿名で、裏取りすら出来ない真贋入り交じりのいい加減な情報だし、閲覧数やイイね稼ぎの為なら嘘も平気でつくわ、犯罪も犯すわの無法地帯なんだから、過度なネット賛美、信奉もいかがなものかとは思います。

なので私は匿名のSNSの書き込みは、ファンタジーだと思うようにしています。
そういう誰かが書いた物語があって、その物語に皆さんは共感したいのだろうな、感動したいのだろうな、と。

もしも本当に本気で誰かに、大切な物事を伝えたいと思っているのなら、匿名なんてバカなやり方はしません。匿名である限りいいたいことは伝わりませんし、真実として捉えてはくれません。
もしも伝わるとしたら、物語のように、メタファーとして認識された後、複数個体間で共有され、常識、日常に融和してゆくことで、意識物質として成就普遍化するのではないかと (はい~訳わからん~)

要するに、皆さんが目にしている話、あるいは耳にした話の大半は、嘘かもしれないし本当かもしれないが、直接自分に触れなければ、触れることもしないし、影響も及ぼさないのであれば、どっちだっていい事なのです。
大切なのはその話の本質を捉えることにあります。

たとえば、

「幼い少女が車に轢かれた事件があって、大層悲しんでいる人がいる」

こういう話に対して、私たちは真偽を見極める必要は無く、共感すればいいだけなんです。そこから少女の親の気持ちに寄り添ったり、ドライバー側の安全意識に目を向けたり、その土地の交通事情や法整備に疑問を投げかける人だっているでしょう。
大切なことは、個々に人々が考え思考することにあります。

ですからたとえテレビメディアが偏った報道しかしていないのだとしても、そこから得られる情報が偏向していると感じる頭脳や思考力があるなら、足りない情報を自ら集めることをすればいいのです。それをせず、「テレビは~」「ネットは~」と言い合っている人間が最も愚かと言えるのです。無論何の疑問も持たずに偏向情報だけを受け取っている人は人ですらありません。人は考えるからこそ葦として地に立つのです。

聞いたこと言われたことをそのまま受け取って、悲しんだり憤ったり心を乱しているのは、動物と同じです。考えないから感情で完結する。とにかく悲しい、とにかく腹立たしい、で自己完結して、それをまた誰かにどこかで何らかの形にして発露してしまう。あるいは自身の中の陰部に組み込んで、知らぬ間にダークサイドを形成してしまう。

冒頭にお話しした医療従事者への差別もそうです。
頭が悪いから、ただ医療従事者というだけで、「感染リスクの高い人」などとにわかに得た知識で裁断し、差別する。

冷静に考えれば、リスクはむしろ市中であり、不特定多数の人間が出入りするサービス施設での業種に携わっている人の方がよほど高い感染リスクを抱えています。
また、満員電車で毎日通勤しているサラリーマンの皆さんも大概リスク高いですし、スポーツ観戦している皆さんも盛大に歓声上げてらっしゃる上に、帰りは興奮しながら集団で電車に乗り込んでいらっしゃる。
喫煙所とか喫煙室とか、せまい密閉空間の中でマスク外してスーハースーハーしてるのって、かなりパンデミックな感じするんですけど、喫煙者の皆さんはその辺どう思っているのか不思議ですね。それがどこぞの家庭のお父さんだったりお母さんだったりするわけですし、そういう人と一緒に暮らしているのはリスク高くないんですかねぇ、と。

未だにスーパー銭湯がどうして営業できるのか不思議でなりませんが、行政が気付いていない穴などいくらでもあると思いますし、さすが頭の悪い人は、自分たちが楽しむための方便にあわせて、いくらでも事をねじ曲げるのですから、さすが行動原理は本能に根ざした動物並みだな、と。
自分に都合が悪そうな事柄については、印象で、なんとなく、噛みつく。自分が損するのが怖いから。

この手の話題があると必ず持ち上がるのが、「日本人の美徳どこいった?」です。
様々な災害時における日本人の対応、態度、姿勢や過ごし方。とくに機に乗じて暴動や略奪などが起きている海外の惨状と比較して、日本人はなんと素晴らしいのだろう、と自画自賛する様子が窺えます。

それを、島国特有の共同体意識が生んだ譲り合い、思いやり、助け合いの精神、それこそが日本の歴史が育んできた、日本の、日本人の、美徳なのです、と。

実はですね、そんなもんはないんですよ。

人間は、環境を変えることによって、衣食住を安定的に確保できるようになった。だから文化的に生活が出来るようになった。他人のことも考える余裕が出来た。共同体として生活しているから仕方なく助け合うという習慣も出来た。
だがそれは利害が一致している者同士において成立する慣習であり、共同体から逸脱する者、あるいは離反する者をも救済する制度では無く、むしろ秩序を乱し共同体存続を危ぶませる存在を排除することも厭わない冷徹な仕来りなのであります。

だからド田舎によく見られるような、狭小なコミュニティにおいて、よく村八分が行われるのは前時代的慣習に則った、非文化的行為なのではなく、れっきとした秩序ある共同体のあるべき姿、とるべき対応策を講じているのです。
所詮、規模の違いはあれど、秩序の維持を目的として人は鬼にでも仏にでもなる。
自身の生命を長らえさせるためならば、手段を選ばない。

日本人がまるで美徳を持って生きているように見えるのは、日本が世界史上でもまれに見る、というか世界史上最も平和で、安全で、生命を脅かされる可能性の低い国だからです。

日本にあるのは、国家の盤石性と政府が保持しているセーフティネット、あるいは国家組織が運用するセキュリティシステム。
それらが機能しているから、国民たる日本人は「安心」して社会生活を営み、また元の社会生活に復帰できる希望を描くことが出来るのです。
そのような背景が日本人を日本人たらしめている、ということにいい加減気付いたほうがいい。
日本人は、たまたま恵まれているから、人に優しく出来るような気がするだけです。
衣食足りて礼節を知る、というのは全世界で共通することわざだと思います。

この全世界的災禍ともなった今、たちまち助け合う心が失われるのは、「自分も死ぬかもしれない」といった、ひたすらの死への恐怖です。
かつて義賊と言われ、釜茹での刑に処された石川五右衛門が、(一説では)耐えきれず、一緒に茹でられていた自身の子を沈め下敷きにしたという逸話が思い起こされます。

恐怖や悲しみや憎しみは、人をアホにする。
恐怖や悲しみや憎しみの中で育ってきた人はアホになる。
考えられないからです。考える余裕が与えられなかったからです。
そうして育ったアホは、ふたたび誰かを、あるいは我が子を、恐怖や悲しみや憎しみの渦に巻き込む。

人は考えて賢くならなければなりません。そのための情報ならどんどん取捨選択してゆくべきでしょう。一つにとらわれる必要などありません。日本人には幸いにして自由がある、選択が出来る。人生を自ら選ぶことが出来ます。

産まれながらにして幸福な自身の身の上には感謝してよいと思いますよ。だから我々は次のステージのことを考えられる。
もはや日本人は、自分のために自分の人生があるなんて考えているお馬鹿さんになってはいけないのですよ。自分の行動行為が次の何になるかを考えられなくては、生きている価値などないのです。

――と思うんすよ。

私は好きに生きますけどねぇ。


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