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ヘンケン・ベッケナー 

2021. . 02
って人がいたなぁ、何した人だっけななぁ? 

と思って調べたら、アーガマの初代艦長(Zガンダム)でした。(どうでもいい記憶でした)

てんちょのあやしいはなし

一般的には三月三日というと、ひな祭りです。過去には女の子の節句(桃の節句)などともいわれ(昨今は、男女同権を盾にしてあまり男の子だ女の子だと全面に押し出さないようになっています)てますが、その起源の怪しい話はこちら→ ひなまつり

今年はそういう流れがあったのかどうかわからんくらい各種の行事ごとは密やかで、今日がひな祭りであることすら忘れそうでした。もちろん私のようなおっさんがひな祭りをするわけではないのでどうだっていいんですが、最近の男女同権とか、ジェンダーロールとかジェンダーバイアスとかいうの聞いてると、あ、雛人形とかめっちゃ女性差別だし、女性はこうあるべきだってのを具現化した悪しき祭壇だなって感じますよね。フェミの人が噛みつかなかったら嘘だと思います。

で、思ったんですが、「男はこうあるべき、女はこうあるべき」って映画やドラマ、はたまたアニメなどで、テーマやストーリーラインに強く影響を及ぼしているし、それそのものを魅せるため作品も少なくはないですよね。
はっきりいうと、人間が作る物語で完全に中立性、中性性を保ったものなどどう足掻いたって出来ません。なぜなら物語が進行するためには必ずバイアス(偏見)が必要だからです。偏見というのは悪い意味で捉えられがちですが誰しもがもつものです。

男性は男性なりに、女性は女性なりに、産まれたときから偏見は抱えていますし、育つ環境によっても補強されてゆきます。
その偏見から一つの物事を見たときに、個人に感情が生まれます。それは憧れや歓喜のようなポジティブなものもあれば、怒りや悲しみのようなネガティブなものもあります。感情と偏見は違うものですが、偏見抜きに物事を見ることができるなら感情の発露は極々小さく収めることが出来ます。

偏見というのは無根拠な思い込みと捉えてもいいんですが、私からすれば、人間の思考など全てが偏見と言えます。
「差別や偏見は無知から生じる」といった言葉を聞いたことがあると思いますが、(無知ではない状態を博識といいますが)では無知ではない人とは一体何を知っているのかとおもいます。
世界の全てを知って、この世の成り立ちと法則を知って生きているというならきっと博識を謳ってよいとおもいます。当然そんな人は偏見も差別もなくなります。世界に名だたる聖人達はその最たる存在といっていいでしょう。

我々の「知」の立脚点は、文化や学問、歴史や生活にあります。ただ、それらが地域や国ごとに相違するのであればそれは既に差別と区別の波間に存在する島嶼群に過ぎません。我々が存在定義の寄辺とする国民性だとか民族性といったものはそこからして、偏見に縁取られているのですから、最早語るに落ちるといいましょうか、ま、人間ごときがエラそうなこといって他人を裁いてんじゃねぇよって思います。

無論、簡単な罪に関して人間は克服しているとおもいます。たとえば「盗みをするべきではない」というのは、ほぼ何処のどんな地域の民族でも法律に書き記しても納得できる文言だと思います。
こういう分野の学問をなんというのか知りませんが、そういった利害関係が成立する簡単な罪に関しては明確に裁くことが出来るくらいまでは成熟してるんだと思います。
ですが、「盗むことはよくないが、盗んだものがあなたのハートだったらどうなのか?」といった、曖昧模糊としてよく判らないといった場合、個人的には経験も無いので判断しかねるといった場合、世間に照らして、や社会通念上、といった言葉を添えながら世の中に阿(おもね)ることで判決するのが通例となっているけども、これって結局でっかい偏見じゃねぇのかと。多数決ともいうけど、それも結局偏見。

そういうの結局無意識に受け入れてて、無自覚にその上で生活しているのを考えないで、よく男性ガーとか女性がー、とか言うよなぁ、って思います。

(全然関係ない話なんですが、“社会通念上”ってコトバがこの三ヶ月くらいどうしても思い出せなくて、ずっと密かに悩んでいました。熟語を忘れたときに、それを説明する文言を駆使するのがこれほど苦労するモノかと実感した次第。今日たまたま偶然思い出しました)

なので、男はこうでなくてはいけない、女はこうでなくてはいけない、等の主張を真っ向から否定し、男女は常に平等で同権で無ければならずその扱いに差が生じてはいけない、差別と偏見は許さない、と声高に叫ぶ方々は、まずご自分の足下をよーくご覧になるといい。もしくは男も女もきっちりくっきり分け隔てのなかった、旧ソ連など、社会主義国の昔と今を比べて、女性がどの地位に至っているのか、社会がどうあるのかをご覧になれば、少しはその方針も見えるのではないかと思います。

現況、オリンピック組織委員会が女性理事率を引き上げようと、なにやら引退した女性アスリートにオファーをかけているそうですが、そんなことをやってるくらい暇なんだなぁ、と世間からは見えますし、世間からしたらそんなことはどうでもよいことで、なんなら理事なんて役職無くっても構わないと思っている(何やってるか解らないから)
オリンピックをやるかやらんか解らん上に、聖火リレーの辞退者もバタバタ出る始末、だいたいこんな体たらくのイベントに自ら顔出したいと思う人間も少ないだろうし、有名著名人とっては火中の栗を拾うようなもんでしょう。

今年で東日本大震災から10年になります。
10年経っても未だ震災前の状態には戻りませんし、人々は戻れません。失ったものはいくら時間があってもいくらお金があっても取り戻すことは出来ません。おまけに今もまだ、「原発で被爆した福島県民」と云われをされ差別される人々がいる。

その闇を覆い隠すかのようにして行われる、オリンピック事業。
事件が起きても、問題が起きても、人々の反対を押し切って巨額の投資を続け、人々の気持ちを裏切り続けてきた。
震災後から25年にわたり全国民所得に課されている震災復興のための復興税は、実際には陳腐なこじつけによる流用がまかり通る、体のいい単なる増税でしかなく、被災者からしたときに、自分たちはインパクトバインドとして利用されただけ、と感じたのではないでしょうか。

そこから考えると、なんだか東京オリンピックを取り巻く一連の混乱が皮肉に感じます。
ずーっと呪いのように、オリンピックを中止にしようという力が加わっているような気がします。
このまま決行したら、日本はさらなる巨大な災禍に見舞われるんじゃないかと、そんな風にも思います。

これは日本が被った罰なんじゃないかと。

私なりの、偏見ですけど。
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