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お母さん使用禁止

2021. . 28
てんちょのあやしいはなし


先月の話なのでもう古いのだけど、今後も類似の問題が頻発する事は予想できるので、少し書いてまとめてみたい。

事の発端は、ファミリーマートのプライベートブランド商品である「お母さん食堂」の名称に、高校生たちが変更を求める署名を始めた事に始まります。正式に訴訟を起こしたわけではなく、署名サイトで一万人を目指して署名を集めるという行為が物議を醸しました。

お母さん食堂というネーミングは、「性的役割分担の固定化」につながると懸念して、署名サイトでの活動に取り組んだのだそうです。
しかし、この署名は、ネット上で実に感情的な大人達によりバッシングを受けていると、むしろこちら問題の方が大きく扱われ、有名になってしまいました。

ちなみに最初にネタばらししておきますと、高校生は三人組の女性、つまり女子校生ですが、学校の仲良しグループではなくて日本ガールスカウト連盟の会員。
実際にガールスカウト連盟もこの活動に賛同し協力しています。

もちろん、突っ込みどころ満載なので、これを読んでる皆さんも言いたいことはあるでしょう、でもここではあえて言わずにおきましょう。

結果だけ言うと、署名は期限内に1000弱しか集まらなかったそうです。目指したのは一万UP。
要するに、世論の賛同は得られませんでした。
これ何故なのか、というのは世間様がジェンダー問題に無関心で無頓着という結果なのではなく、主張が雑すぎて、狙い所が安易すぎるから、突っ込まれて当然、その主張に賛同できるほど頭の中お花畑になれる人がいなかった、という結果だっただろうと思います。

まず、彼女らが主張するように、お母さんが食事を作るイメージは、女性の性的役割を固定する事に繋がるとするのであれば、お母さんとか、お父さんっていう呼び名を無くしちゃえばいいんじゃないですか? という極論ももちあげなくてはいけなくなるんです。
なぜなら、そもそも漢字は表意文字なので、父や母という漢字はイメージから創作されています。なので漢字自体が既にジェンダーバイアスとジェンダーロールに充ち満ちあふれているということくらいは知っておかなければ、主張が片手落ちになるからです。

だから、そもそもジェンダー問題を提起する人は「お母さん」という言葉を使ってはダメなんです。
外向きには「女の親、男の親」、と言って、内向きにはそれぞれの名前で呼んだらいい。欧米的に。 

え、なに? それは嫌なの? それはちがうって?

こういった問題にはつきものの屁理屈なので私も一枚かんでおきました、というのを枕にお話をはじめましょう。

真面目なことをいうと、日本に限らず人が住む文化圏における父子、母子の関係性って、風土や文化慣習と繋がっているから簡単には拭えないと思うのですよ。
ジェンダー問題はたしかに性差別の観点からすれば乗り越えなければいけない点かもしれませんが、私は今のところどう考えても、世間様(老若男女全てを見渡しても)がその覚悟もないし、議論の場に立つ自身も能力もないと思います。

そもそも、ジェンダーフリーをいうなら、結婚という制度が最悪です。結婚などすれば、家事を含めた仕事を二人で分業せざるをえないからです。
恋愛や服装もジェンダーのアンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)はかかっている。セックスではない。情の性別として確実に作用している。

女は子供を産み、男は金を稼いでくる。

そしてそれらが現実に受け入れられている。無意識に、ですよ。

不思議なことに「女は子供を産む」という偏見に異を唱える人は実に少ないのですよ。
同じく、「男は稼いでくるもの」という偏見も。
子供を産まない女は旧世代の人間から役立たずのように詰られ、同世代の人間からは半端物か半人前のように蔑まれる。
同じく、金を稼いでこない男は旧世代の人間から役立たずのように詰られ、同世代の人間からは半端物か半人前のように蔑まれる。
全く同じ構図で偏見を突きつけられ、差別されるのですよ。これがジェンダーロールを根拠にした、ジェンダーバイアスです。
これがジェンダー問題をやり玉に挙げて他者の文言や書物や商標を攻撃する人々のロジックです。

私は彼らが声を大にするジェンダーフリーを謳いたいのなら、自身も犠牲になる覚悟はあるのかという問いを突きつけたいのです。

「おかあさん」は確かに性別役割に固着したイメージだが、蔑称ではないし奴隷やメイドの別名でもない。子供から「お母さん」と呼ばれて嫌な母親はそうそう居なませんし「お母さん、ご飯作って」と子供からせがまれて拒否する母親もそうそう居ません。

この時子供は、「ご飯は母親が作るものだ、それが当然だから要求するのだ」という思考をもって発言しているでしょうか?

男と女における仕事と家事、とは合理性の上で長年かけて構築されてきた文化形態であり、ジェンダーフリーを謳うならば、高校生諸君も男女の制服の相違や、髪型への偏見、各人の立ち振る舞いへの対応、そういったものを世の中や組織や学内からまず排除しなくてはいけません。
ましてや、ブランドのように「女子校生」や「女子大生」などと、口が裂けてもいうべきではなく、「なんとか女子」と自らや他者を分類するのもアウトです。

そもそも冒頭であえて言いませんでしたが、この主張をするなら「ガールスカウト」という組織は解体されなければいけない。ちなみに現行ではガールスカウトは女子でなけれが加入できないので、存続するつもりならば、男子も入団できるように規約を改正しなければ示しがつかないでしょう。いわゆる日本におけるボーイスカウトには女子も入団できます。

では女子トイレや女風呂も無くさなければいけないのではないか。というゲスな問題も一応考えてみましょう。
身体的(生物学的)な性のことをセックス。それが絡まない、社会的、文化的な過程で形作られた性のことをジェンダーと呼ぶのですが、我々男子が女子トイレや女風呂や女子更衣室といったものを「エロい場所、あるいは禁断の地」と考えているのは実は多分に文化や社会的背景が作用しています。
で、その社会的背景を形作る根源はというと、結局セックスが絡んでいるので、女子トイレや女風呂、更衣室といった場所は分け隔てられるのが真っ当かと思います。

今回学生さん達が奮闘したにもかかわらず、結果はかなり芳しくなかった理由は、あまりに安易過ぎた、の一点に尽きるでしょう。
自分たちがジェンダーによるメリットを無意識に享受している立場であることをスルーして、一企業の営利活動にものを申すという態度が、社会で実際に働いている大人達の反感を買うのは当然と言えます。
身の丈に合った抗議活動はいくらでもあるし、自分たちが今現在無意識に差別を受けている問題も学校組織の中にはある。そこに目を向けていればまた違った結果になったかもしれません。

長くなりましたが、私は男と女の格差があってもいいと思っているし、偏見があってもいいと思っています。
なぜなら、その格差や偏見が時に魅力に映り、時に物語を産むからです。だからこそ、人生は彩りに満ちあふれると、あえて断言しましょう。
ジェンダーフリーにはじまる「なんとかフリー」という価値観のぶち壊し、平滑化はただただ、不毛な社会構造を作り上げるでしょう。
私が男だから皮肉を言っているのではないのですよ。
めっちゃ大事なことですよ。
単純に、

ジェンダーとしての男女格差や偏見がなければ、恋愛という文化が消滅するんですよ。

チベットのある地域では、娘は年頃になると親の決めた男と結婚する決まりがあるそうです。娘に選択肢はなく拒否も出来ません。どうしても何処にも嫁に行きたくなければ出家するしかないのだといいます。
これを女性目線で語れば可哀想となるかもしれませんが、男性だって同じ事です。この制度は、風習風俗の中で個を殺し、脈々と民族の生存を念頭に置いた生活形態を踏襲していっているだけなのです。
ジェンダーという概念が産まれる以前は、人類ですらセックスしかなかった、といういい例です。
無論、本当の意味での理不尽な男女格差や差別偏見問題も未だ地域社会に根強く残っていますが、私はそれらを含めても一定以上必要な社会構造だと思っていますし、まだその形が必要とされるコミュニティもあると考えています。
ジェンダーという概念は文化的活動の証と言えます。
もし、これをなくしてしまえば、セックスして子作りするだけの雄と雌になります。性器を分別してAとBという二種類に分けられるだけです。なんなら子作りもする必要はありませんから、同性愛だらけになって人類滅んでもいいなら、どうぞ男らしさも女らしさも捨てて好きにやればいいと思います。

ま、皆さんは概ねオトコらしさもオンナらしさも、極標準的な感覚で受け止めてらっしゃると思いますので、私がこんな所で長々と話をする意味は全くないのかもしれませんが、ちょっと考えてみたかったので書いてみました。
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