
肉盛り醤油ラーメン。タンパク質山盛り。
車検帰りにいつものラーメン屋に。
なんかモヤモヤしてたので、一発ボリュームのあるものをと、一杯1000円の大勝負に出てみた。
結果としては、今この時間になっても胃がもたれている。でも美味かったからいいや。
世の中には、肉を食わないという人がおります。
あるいは、動物に由来する食物すべてを口にしないという方が居ます。
肉食すると天国に行けないとか、体が汚れるとか、凶暴になるとか、魂が汚れるとか、宗教的な側面から頑として食さない人も居ますし、環境問題から拒否している人も居ます。
そういった方に間違ってでも食わせてしまうと訴訟問題になったりするのですが、まあ私からするとそれほどのものでしょうか? という気はします。
絶対知らずにどこかで口にしてるって、と思うのですよね。
そもそも、可食植物が満足に採れない地域などは、狩猟や、家畜に牧草を食べさせて、その肉や内臓を食してタンパク質やビタミン、ミネラルを摂取していますし、そういった方々は大昔からその生活スタイルで、植物食中心の生活をしようにも不可能なのです。
で、実際その方々が不信仰であるとか、とりわけ凶暴であるとかいうわけではなく、むしろ自然に対して敬虔な気持ちをもって、平和的に生活を粛々と営んでいらっしゃるように思えます。
そういう意味では私のような肉食都会人は不埒であるなと思うのですよ。
信仰すらないし、自然への敬意すらない。
でも、美味いからいいじゃないかって気もするんです。
厳密に言うと、我々は食を選択できるほどの自由はありません。
口にするもの一切合切に不都合な裏事情が隠されていないとは言い切れないのです。
動物保護の観点、環境保護の観点、信仰心からの観点、体質的観点から、特定の食物を避けるのは自由ですが、それとて実は自らの意思で避けられているのはごくごく一部でしかないかもしれません。
つまり、あなたがヨシと思って口にしている食材は、本当にあなたの理念や信念を反映したものであるか、というところが問われますし、極論「動物にも人の体にも環境にも優しい無農薬の野菜」を生産している生産業者さんが、肉食であった場合は間接的に肉食していることになります。
もう、農家のおじさんがこっそり肉盛りラーメン食べに行かないように監視を敷くか、自ら野菜を生産するしかなくなります。
私、そういう事考えちゃうんですよ。
だから、もうね、何食べるときも感謝します。
美味いものは美味いから、美味いことに感謝します。作ってくれた人も素材になった動物とか植物とか、それらを飼ったり育ててくれた人にも感謝します。
美味しいものを食べると幸せになりますでしょ?
このラーメンが私の口元に届くまでに、沢山の人々の思いが載っている。たくさんの素材を作ってきた人々がいる。できるだけ良いものを作ろうと頑張ってきた人々がいる。
このラーメンはその皆さんの少しずつの「良かれ」という思いが凝縮された一杯だと思っている。
だから美味しいし、だから幸せな気持ちになれるのだと思う。
別に菜食主義の人に対してどうこう言うつもりはないですが、極端な人に限ってものすごく凶暴ですし、原理主義者みたいな人が多くて制御不能な人が多いとは感じます。そういう人がとてもではないけど天国行けるような気はしないんですよね。
ま、天国なんかないんですけど。
美味いもの食って、気持ちいいことして、笑ってるのがこの世の天国ですよ。そいつを味わわないってのこそ罪だと思いますぜ。
反省なんかあとからやったらええねん。
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