
と、思ったりします。
一ヶ月前は世の中が静かだったなぁと、思います。
今となっては幻のような一ヶ月間でしたけど。
そろそろどこぞに遊びに行こうかな、なんて思いますし、飲みにも行きたいところです。
というか、大阪ってもうどこもほぼ全開で営業してて、キャバクラ系でもマスク接客なんかしてないそうですけど、この感染者数となればほぼ押さえ込んでませんかネェ? とか思いたい。
緊急事態終わってからの方が、ガンガン忙しくなっている人が多いらしくて、なんとなくそれは肌で感じますし、まあ消費が増えるのはいいことではないかと思います。
だけど、やっぱりつまらんなぁ、とおもう。
いかに当たり前にある日常が平和で幸福であったのか思い知らされる。
悪態付きながらも、毎年巡ってくる日常のイベントの上で生きていたのだなぁ、と思う。
たぶんそれは我々が当たり前のように、その「文化」という舞台の上で盆踊りをしていたということなのだと思います。
オリンピックも高校野球も、音楽ライブも、食事も宴席も、映画鑑賞も、読書も風俗も、やっぱり文化です。
これらは、なくなっても生きていくことは出来ますけど、生きることは出来ないかもしれないなぁ、と思います。
少し難しい話ですけど
「生きてゆく」ってのは人生というか寿命を全うするという、物理的時間的な感覚だと思っています。
対して、「生きる」というのは、瞬間瞬間を実感するということだと思います。その瞬間の連続が人生という長い時間を積み上げて形取っている、という観念的な感覚。
私たちは、何か外的刺激がなくては、なかなか「今」を実感できないようです。
感動がなければ、今を感じることがないのなら、「感動」とは、時間的な概念に近いものなのかもしれません。
ああ、俺は
十万円握りしめて、風俗に行きたい。
……言ってみただけです。
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