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ありえとう

2020. . 22
てんちょのあやしいはなし

緊急事態宣言も解除され、ようやっと元の暮らしが戻りつつあります。
久しぶりに目にする世間様のその景色は、少し新鮮に感じます。
特にこの数ヶ月見かけることのなかった、見目麗しい学生服姿の女学生さんたちが、初夏の新緑の中を駆けてゆく姿があまりに眩しく、車を運転している私はついぞ目を奪われ、眼前の自転車の老人を撥ねそうになったのであります。
この様に突然、刺激的に、緊急事態が解除されるのも考え物ではありますまいか。 ねえ、みなさん?

と、いったところで、

たぶんこのままなし崩しで「六月からアゲアゲで行こうぜー」ってノリになるんでしょう。結構なことだと思います。
10万円の給付もそろそろ始まっているみたいですけど、当面使うあてのないひとは、ほんとうにマジで、我慢したご褒美って感じで使って良いと思います。全部使わなくてもご馳走食べに行ったり、欲しい物を探して買ったりでも良いと思います。
このおおよそ二ヶ月ほどの間、確かに収入が落ち、支出だけが増えた事でしょう。五月は税金の支払いだってたくさん来ました。
このマイナスした分の補填として10万円を考えている人も多かろうと思います。
ただ、どうかその10万円のウチの三割でも良いから、憂さ晴らしにぱぁーっと使ってみようではありませんか。

大切なのは、今回のコロナ禍で、「損をした、ロスをした、失った」と思わないことです。

この世の全ては無常であり、何一つとして同じ状態であり続けることなどありません。
ですが、人は人の心の中は、なかなか変わろうとしません。変わろうにも変わることが出来ないといった方が正しいか。
年老いても心が成長しない人もいれば、幼少期のトラウマに囚われて行動を起こせない事もある。世の中の常識や法に縛られて考え方を広げられない人もいる。また、思想やイデオロギーに支配されて変化を拒むばかりか、周囲に牙を剥く者もいる。

移り変わってゆくものに対して、我々人間も変化しなくてはいけません。
そうでなくては、新しいものが見えないのです。
無論今までやっていたことを辞めろという意味ではありません。
今まで続けてきた事も継続させながら、新しいものを見つめ、認め、必要ならば取り入れてゆくのです。

コロナ禍は災害です。
不幸にも全世界が被った全世界規模の災害で、今も皆が、多くの国が、人が、多大な苦労を強いられています。それを乗り越えてゆかねばならないことは自明であるのですが、常に同時に語られるのは、この災禍において被った経済的、または人的、物理的、精神的損失のこと。

平時であれば見込めたはずのあらゆる利益をベースに考え、「損をした、ロスをした、失った」と嘆くのです。

本来であれば、一年のうち三月から五月にかけては、航空母艦から戦闘機が発進する際のカタパルト~テイクオフにかけての段階のようなもので、様々もの、こと、ヒトが前へと進んでゆく時期です。当然ながら経済活動も活況であり、めまぐるしく変化する世界に翻弄されながらも、それらを吸収してゆこうという貪欲さでもって、あらゆる事が急成長する時期でもあります。一言で表すならば春という季節は「希望」と言いかえることができましょう。

それが、今年は見事なまでになかったことになりました。
そういったことは、学生さんが特に痛烈に感じていらっしゃるかもしれません。特に進学、入社などの節目を迎えた世代の方は困惑するところでしょう。あらゆる集団行事がなく、遡ることもやり直すことも出来ず、始まりも終わりも判然としないまま、新しい環境に移行してゆく。まあ気付いたら空の上に飛んでたくらいの感じですかね。

また、春から夏にかけての各種のスポーツイベントも中止を余儀なくされてしまいまして、当然ながら高校野球など、今年が最後となる高校三年生としては残念至極でありましょう。
おそらくは小学生の頃から夢に見てきた「甲子園出場~プロ球団入団」という図式が、こんな形であっさり消え失せてしまうものだとは思わなかったでしょう。

ただ、これも全国高校野球大会は甲子園で毎年行われるものだ、という恒例というか慣例というか伝統というか、夏の風物詩とも言われるイベントではありますが、あまりに誰もが当たり前だと思い込んでいたに過ぎないのです。
当たり前のように、甲子園に向けてお膳立てをし、準備を施し、決勝大会に向けて地方大会があり、そこに人生の半分くらいの時間をかけて夢を育んできた者達が居て、それを眩しい視線で見つめる人々がいる。

だけどそれは、甲子園という名の舞台が存在する前提において繰り広げられる輪舞に過ぎない。

行われないことだってある。失敗だってする。不慮の事故でなくなってしまうこともある。
もちろん開催出来れば良いし、行われればよいし、成功すれば良いし、実現すれば良いと思う。

だけど、ないことだってある。

だから、ある時を喜ぶべきなんです。感謝すべきなんです。
今までも何度か話をしましたが、「ありがたい」の対義語は「当たり前」です。

なぜか? 漢字にすればよく判ります。 「有り難い」ですから。
私たちは今ある全てを当たり前だと感じているから、それらが不自由で不便になったとき、憤慨する。
何も持っていなかったときは、有り難いと感謝していたはずなのに。持っていて当たり前だと感じ出したときから、感謝の心を忘れる。

――少し脱線しますが、ふと思うのですよ。

有り難いは、なかなかないことだから感謝すべき事柄として、御礼の言葉「ありがとう」に転じた訳です。
じゃあ、あり得ない、奇蹟のような事が起きたとき、は少々言葉に足らずが出ますまいか、とふと思い、考えてみました。
ありがとうよりもすごい感謝の言葉。

「ありえとう」

ってのはどうでしょうかだめですかはいそうですかすみません。

――話を戻します。

ま、生きてるだけで丸儲けだなんて間違っても思いませんけど、人間一人が生まれてくる確率考えたら、だいたい奇蹟みたいな確率なんで、しょっちゅう奇跡なんて起きてるんだよなぁ、って事でして。

でもだからといって、「皆さんは最初っから奇蹟的に生まれてきたんですから、それぞれ一人一人に価値があるんですよ!」 なんて文言には虫唾が走ります。価値があるかないかは、その人の生き方が決めることで、人が生まれりゃ価値も一緒に生まれるわけではないと思います。

我々は皆、すごい確率で生まれてきたミラクルベイビーだけど、なんでそうまでして生まれてこなければいけなかったのか、という点は全ての人類が一人一人考えねばならないことでしょうな、と。

甲子園に出て野球選手になるため?

そんなわけはありませんよね。全国高等学校野球選手権大会はウィルスの蔓延ごときでなくなってしまう事象です。そんなものに人生載せてどないしますか。
私は思うんですよ、今年、来年と悔恨の情を懐に抱え、学校生活や部活を終える青少年の皆さんは、とても有り難い経験をしたことになるのではないかと。

崖崩れで通れなくなった道のことをいつまでも悔やんでも仕方がありません。
あきらめて、回り道をするしかありません。
遠回りであっても、険しくとも、すすむ道は他にはないのです。
旅人はいつでも道を往きます。
当然どの道もいずれどこかへと繋がっています。
ですが多くの旅人達は旅の目的を知りませんし、知ろうとしないものです。
しかし、道を往く途中で、自分がどこに向かっているのかを知ったとしましょう。
道程を紡ぐことでしか前に進むことを知らなかった旅人が、目的地を知るのです。
そうなればきっと、これまで紡いできた道程と、これから紡ぐであろう道程は、旅人にとって素晴らしい宝となるでしょう。
そして、その旅の意味を知ることになるでしょう。

そんなことを、全国の青少年の皆さんにお伝えしたい。

などと、ちょっといいオジさん気取ってみたりする。

なんて良いことばっかり書いてあるんだ! こんなのオレらしくない! モザイクかけろ! 
たぶんちょっと、季節の変わり目で頭湧いてるのだと思います。

また明日からふざけた生き方します。

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