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徒然なるままに思ふところありて

2020. . 19
激しく汚い作業風景。まるで私の心の中のようです。

IMG_9212.jpg

さて。

明日はというと、休日ですがなんか雨っぽい。午前中まで降ってる感じ。
出かけない口実には良いんだろうけど、明日くらいバイクでひとっ走りしてもよいかと考えてた。

何日か前、バイクは自粛せんでもエエだろ! みたいなことを言ったと思う。
個人だし、メット被ってるし、人と接触しないし、開放された空間を走るわけだし、いわゆる三密からもっとも遠い存在と言えるでしょう。これは間違いないと思っていた。
けど、ある御仁(ネット上の人)が言うには「バイクに乗って事故ったりでもしたら、今も大変な医療機関に更に医療負担をかけてしまうから自粛すべきなんだー!」 と。

一定、なるほどなんです。
不要不急でバイクなんかに乗る必要ない。
一理あります。
だから家でじっとしておれ。
そういう理屈になる。

でも、ここまでいくとなんかヤバくねぇ?

もう、死んだほうがマシな感じするのは私だけでしょうか。
この社会において次の瞬間死なないなんて保証はどこにもありません。街を歩いているだけで老人の暴走プリウスが突っ込んでくる時代ですよ。バイクはたしかにリスキーではありますけど、それとてどれほどのものかと思います。バイクに乗って事故って病院担がれた人間は多いでしょうけど、少なくとも私はありません。私の周囲の人間でも近々では皆無です。

だから事故らないとかそういうのではないんですけど。
リスクを理解して社会に配慮する。それがソーシャルディスタンス、と言われればそうかも知れません。

けども、個人個人の姿勢、取り組み方、環境、経済状態、様々な事情があるなかで、どれほどそれが徹底できるかというと非常に難しい。とにかくマスクをしなくてはいけない、とにかく人と接触することは避けなくてはいけない、とにかく集まることは良くない、とにかく他府県に出かけることは良くない、とにかく外出してはいけない。とにかく手を洗え、体を洗え、うがいしろ。
それらが呪文のように毎日繰り返されているにも関わらず、頓珍漢な行動が目についたりする。

これは、本質的にウィルスから身を守るという意味が理解されておらず、とにかく決まりを守るという観点のみ注視しているからではないか、と思う。だから、決まりを守っていない相手を攻撃する。押さえつけてでも決まりを守らせる。おれは守っているのに守らない奴がいるせいで、こちらも被害を被る、理不尽だ、正義の鉄槌食らわそうぞ、と。

はっきりいって、いろんな人います。だから、しゃあないとおもってます。
他人のせいで自分が災禍を被る。
よくある話ですよ。交通事故だって、強盗だって、窃盗だって、普段からあるんだから。
決まりを守れない人、普段でもたくさんいるでしょう。言われたことちゃんとできない人、いっぱいいるでしょう?

そういうのと同じ世界で生きているから、ある程度は仕方ない。
期待値を高くとっても、現実はその三割にも満たないんじゃないかなって思う。
だから社会規範や今回のようなソーシャルディスタンスは努力義務に落ち着かざるを得ない。
できるだけ頑張る、という姿勢でいるしかない。

個人個人ができる限りやって、罹るものは仕方ないと考えられなくてはいけない。
そう考えられないから、罹患者や感染者が差別を受ける。迫害される、謝罪を要求される。
事実そのような動きは世界中で起きている。皆自分が死ぬのが怖いから。
福島の原発事故でも同じようなことがありましたよね。あちらから避難してきた人に対し、心無い言葉をかけた人々は、いまも同じようなことを感染者相手に言っているのでしょう。

中国が発端であったとしても、パンデミックが彼らのミスが原因であったとしても、ウィルス禍は自然災害です。政府による人災だと言いたい人は多いようですけど、ウィルスは自然のものですから。
実際に、それに罹っても、無症状の人がたくさんいる。もしかしたら私もすでに罹っていて、もう治ってしまっているのかもしれない。だから多くの人がすでに抗体を作ってしまっていて罹らない状態に達しているかもしれない。そういう希望的観測もできる。
だって、ほんの一ヶ月前は普通に社会生活してましたから。飲み屋もカラオケもやってましたから。

だけど、人が人を追い込んで心身を問わず傷つけたり、死に至らしめること。これは原因がなんであっても人災です。
その人災の代表格たる戦争が、なぜだめなのかを明確に答えられる人は少ないです。
仮に、自然災害から資源不足に陥り、争いに発展した戦争があったとしましょう。
人によってはこれを自然災害ベースで考え、自然災害が起きなければ戦争も起きなかったと解釈し、戦争は自然災害によって引き起こされた、と結論する。

果たしてそれで良いのでしょうか?
戦争は、止めることができませんでしたか?
資源が不足することまではゆらぎようのない事実です。
ですが、それを奪い合わなければならなくしたのは人間です。

自然災害で死ぬのは仕方のないことです。
自然災害で生き残られなかったのは残念なことです。
自然災害から身を守ることは、もしかしたらできたかもしれません。

でも

利己的欲求をもって争ったのは人間です。

戦争がなぜだめなのか、それは、止めることができるのに止めないからです。やらなくても済む道があるのに、それを選択しないからです。誰もしたいと考えていないのに、やってしまうからです。

今回の全世界的災禍においても、人災は広がりつつあります。人の心が乱れてきています。この先何ヶ月かあるいは年単位で、この数ヶ月の影響がじわじわと出てくるでしょう。考えたくもないですが、ウィルス禍よりもよほどひどいことになると思います。
どうか、皆さん心を落ち着けて、怒りや嘆きや悲しみを、とりあえず消す努力をしましょう。
とにかくなにがなんでも、とこだわるのはよくありません。
できないことを嘆くより、できたことを喜びましょう。

すみません、私別に宗教関係者ではありませんし、なんらかの幸福になる団体に所属しているわけでもありません。ですからそれら団体に勧誘とかもありえませんし、今後も入信やら参加予定は全くないですから、ぜひとも警戒しないでいただきたい。ヘルムに来たら勧誘されるとか変なデマ流さないでください。

ただ、それでも私個人が普通に考えたら、こういう結論にしかならないです。
これが私のソーシャルディスタンスです。

お互い様、お世話様

で世の中やってはいけませんかね?

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一週間終わった。

さて、明日はどこに遊びに行こうかなぁ!

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