この世の終わりが来たかと思うほどの腰痛に苛まれ、歩くこともままならなかったのですが、例によりセルフメディケーションして一日でほぼ回復した。
酷い腰痛の時って、上半身と下半身が生き別れになるような錯覚を覚えるものですが、じゃあ実際のところ、上半身として生きるか、下半身として生きるかって選択肢を問われると、私的には肩こりとか、頭痛とか、そもそも考えることすらめんどくさいので、圧倒的に下半身として生きていきたい所存であります。気持ちいのは下半身ですし。
それはともかくとして、なんでいきなり腰痛になったのかはよく判らない。寄る年波には勝てずということなのか。
まあ、人体も機械だから、壊れもするし、修理不能になったら廃棄されるわけですから、それはそれで仕方のないことだと、エコキュートに悪態つきながらも、渋々この原発社会を支える善良なる世界市民としての自覚を改めたわけです。

今月というのはどの業界もすっかり景気落ち込みシュン太郎で、もはや売り上げなんてないぜ! 的なお店もあることでしょう。
まだ自殺者は出ていないようですが、そんな折に定額給付のお話が出て参りましたが、未だに決定していないというアホンダラな状況で、最悪なのは特に落ち込んでいる水産畜産部門を活性化させるために「お魚券、お肉券」の発行を考えているなどと言ったものだから、そりゃあ炎上するだろう。
このボケさ。万死に値する。
そうそう、その自殺って話で思い出したけど、どっかのお笑い芸人が、政府の対応の遅さで自営業が逼迫して、店主が首吊ったら政府が殺したってことになりますよねぇ! みたいに非常に強い口調で言っている奴がいたけど、んな訳ねーだろ。
自分で自分を殺す奴が悪いに決まっているじゃないか。そんなこともわからんのか。
というか最近は、お笑い芸人だろうがえらく生真面目で攻撃的なコメントする奴が増えたよな、と思うのだけど、そういうこと言いたいなら評論家か研究者か総会屋か右翼にでもなれば良いんじゃネェの? と思います。
どうして本職がお笑い芸人なのに、面白おかしく批判をし、冗談めかした問題提起をし、ふざけ半分でコメントしつつも、最後にキリッと鋭いオチで人々をはっとさせ、楽しませることが出来ないのか。 ま、そりゃね、お笑い芸人とそうでないタレントを分け隔てるのも難しいかもしれませんけど、普段あなた方がやってるバカや、所属している業界に比べたら、あなたの批判対象ってのは割に常識人だと思いますよ。
脱線しましたが、世間の声としては「同情するなら金をくれ」じゃないですが、お魚券もお肉券も、期間限定商品券もいりません、とりあえず現金ください! とまるで乞食並みの要求をしておられますが、私としても全く同意します。
政府が金を配ろうとしているのは、金を使わせ、経済回して経済破綻が起きないようにという、社会維持のための施策なのですが、国民からすると求めているのはそこではないというのがありありと見受けられます。
そもそもお魚券お肉券をもらって、じゃあ高級マグロ食いに行こう、松阪牛をたべようぞ! などと誰が思いますか。
この閉塞した環境下で、しかも首都はそろそろ閉鎖の流れになっているというのに、不要不急の外出を自粛しろといったのはどこの誰か。
期間限定の商品券にしなければ、皆が貯蓄に回してしまう、それでは経済は回らない。
おっしゃることはごもっともだけど、商品券にして配るまでに一体どれだけの時間とお金がかかるのか、そこをよく考えて欲しいのと、店舗単位でどのように使用のルールを定めるのか、その通達に非常に手間と時間がかかる。
さらには、その使用の可否を巡る煩雑さから、自ずと市民は商品券を使いづらいとして、商品券そのものの転売行為が始まる可能性はある。仮に給付するのが10万円だとして、10万円分の商品券が9万円の現金になったとしてもその方が良いという人間はいるだろう。
私は給付金を貯蓄に回すということがそれほどダメとは思いません。
今目の前で10万円がもらえなければどうにもならないという日本人はほぼいません。むしろそういう人は給付金があったとしても受け取れる状態にはないだろうし、10万円ごときが自分の貯蓄から捻出できないような人はまずいません。
むしろ10万円ごときでは現在の状況を打開できない状況の人たちもふくめて、給付金現金10万円なんてのは国民生活にそれほど大きな影響は与えません。
というのは、日本くらい成熟した社会になると、金銭は物品の対価と考えるよりも、自分の人生におけるパッケージングの一定量の割合を埋めている物質と捉えます。つまり、自分の持つ有形無形の価値を一緒くたにして、トータルパッケージとして人生を俯瞰しているのが現代日本人といってもいいでしょう。
こういう考え方を専門でどう言うのかは知りませんけど、あるんでしょうか? ありそうですけど。
だから日本人は、漠然と「金がない」「先行きが不安だ」という言い方をする。「生きてゆけない」という言い方をする事もありますが、これは先一週間の食糧が手に入らない、という意味とはまた違います。もっと社会と繋がった一個人として落伍する事をいっています。
ですから日本人にとっての10万円の価値というのは、人生におけるトータルから見た、もしくは自身を取り巻く環境から相対的に判断した価値でしかなく、10万円で何が買えるか、どう使えるか、などと考えるのはせいぜい高校生までの子供です。
私の言っている事が全く意味が解らないとおっしゃるあなた、大丈夫、私も解っていません。
もう一度いい直します。
日本人で、今すぐ給付される10万円が必要な人は、いません。
断言しても良いです。
もしそんな人がいるなら、平時でも死にかけてるはずです。すぐに生活保護申請してください。
しかし、だからといって、給付するのは商品券ではダメなんです。
日本人にとって、お金は資源(エネルギー)なのです。
金がなければ人心は荒む。それすなわち、衣食足りて礼節を知るというそのままの意味です。
貧乏で食うに困るような地域は自ずと治安が乱れます。それはあまりに近い未来に、既に不安が見えているから。
当然そんな世界には何の保障も保証もなく、ましてや慈悲などもなく、常に食うか食われるかの非情な現実が横たわっています。
日本国内にはそんな世界はほぼないと言ってもいいでしょう。これは本当に素晴らしいことなんです。世界中探してもなかなかこんな国はありません。
ですがそんな日本人でも、この社会の中で生きてゆけないことは、それすなわち死と同然。
そのために、ある程度の金銭を持っておかなければ死ぬしかない、という自明が横たわっているから、一生懸命貯蓄をする。命を取られるからではなく、社会的に死亡することを日本人は恐れている。成熟した市民とはそういうことです。
10万円は大した金ではありませんが、日本人の心に10万円分の心の余裕が出来ます。10万円分の寛容さが生まれ、10万円分の優しさが持てるようになります。
それが、有形無形の価値をトータルで考えられるということです。(そういう考え方ができないような人もいるでしょうけど、それが良いとか悪いとか言うことではありません)
だから、現金給付は必要なんです。
心を消耗し、荒んでゆくのを抑えるために、目に見えるエネルギーである現金という共通価値を手にすることが大事なのです。
無論ですが、貯蓄する人も当然います。
ですが、10万円をもらった、という事実はその人の心からは消えませんから、おのず財布の紐は緩むものです。10万円の力なりに。人間なんてのはそういうものです。
庶民の感覚や心理を巧妙に計算して、大胆かつ繊細に人心を掌握する、それこそが政治経済ではありませぬか。
この不況下、不安と不満でストレスを抱える人を前に、まず政府として国民に対し何をすべきなのか、よくお考えになるべきではないかと。不可能なことをしろと言っているのではなく、今は損得を考える時ではない、出来ることはやれといっておるのです。なんなら現金10万円の上にお肉券とお魚券をつけて、消費税も5%とかにするくらい大盤振る舞いしたらよろしかろう。
ともあれ長々と書きましたが、私は経済学者でも社会学者でも何でもないので、先に某お笑い芸人を非難した手前、最後は車屋らしくそれになぞらえて、まとめさせてもらわねばなりますまい。
体は車、心はドライバー、金銭は燃料、人生はツーリング。
ガソリンがなきゃ車は走らないし。
走らない車を抱えていればドライバーの心は荒む。
ドライバーの運転が荒けりゃ車は傷むし壊れる。
よい運転とよい車と、燃料が必要量にあってこそツーリングは楽しめるもの。
だから、こんな時こそ、こんな時だからこそ、普段の消費社会に慣れきった自身と、そうしなければ維持できない社会を見つめて、あえて一言、自身に問いかけてみようではないですか。
―― ところであんたは、その車に乗って、どこに向かっているんだい? ――
と。
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