
今日初めて気づきました。この歳になってもそういうことあるんですね。
これ、67のビートルなんですが、リアリッドはコンバーチブルのものがついています。大変貴重なリッドなんですが。
よく見てください。
左右、非対称です・・・・・・
き、きもちわるい。
ズレ方が微妙すぎて、気持ち悪い。

左はこう

右はこう
ううん・・・左右対称には出来なかったのだろうか。
ちなみにこれよりあとの高年式のスリット付きのリアリッドは左右対称です。 たぶん。
で、左右対称でないといえば、皆の大好きなオッパイですが、人間利き手や利き足があるので、オッパイにも利き乳があるわけでして、それはえてしてパートナーの利き手如何で変化するのかな、とそのようにも考えるわけですが。
今日のお話は、「その胸の内のプライドはオッパイかもしれない」、という話です。
まるで唄のタイトルのように美しい文脈ではないでしょうか。
いやすみません。下ネタじゃないんです。
昨日ふと思いついたんです。温泉はいってて。
オッパイって膨らんだりしぼんだりするじゃないですか。
でも、そういう変化があっても、骨格は変わらないし、生死にも関わらない。
でもあると、とっても自信がつくというか、誇らしい。(ですよね?)
大きすぎると厄介ですが、それなりにあるとほどよい感じで尊厳が保たれるというか。
いやすみませんすみません!
まあ、オッパイでなくとも、男の筋肉とかでも同じなんですけどね。胸板モリモリとか二の腕ムキムキとか、腹筋バキバキとか、そういうのあると、男でもそれなりに自信ついたりします。無意味に、根拠なく。
でも、男の筋肉って、基本的には使うためにあるんですよね。使ってたら勝手についたってのがだいたい普通。
ビルドしている人以外は、仕事や趣味における最適解な肉体が出来上がっているはずです。
ところが女性のおっぱいはそうはいかないのですよね。
使っていたら大きくなるとか言う人もいますが、実際使うっていっても、どの用途がもっとも正しいのかよく判りません。
そして、よいオッパイとは何かと問われても、やはり私たちはその最適解を導き出せないのですね。
皆さんが大なり小なり持っているプライドというもの。主にそれは人に誇示するものであることが多いですが、しばしば内省の根拠になったりもします。相対的であり、根源的であるともいえる。
プライドを盾に憤り諍う事もあると思います。
ですがそれはどこか、互いに向き合いながら、オッパイを手で隠し合っている姿に重なります。
何を言っているのか。
諸君。
つまりだ。
オッパイなどといってみても、所詮は胸である。
互いにそれを認め合ったとき、もはやそれを特別視に値しないものとなるだろう。
そして誇示するものなどではないと感じるだろう。
「僕にだってプライドはある!」
「俺のプライドを取り戻す!」
「あの人プライド高いからね」
「それが私のプライド」
プライドを全部オッパイに言い換えたら大したことないぞ!
頑張ろう日本!
明日から本気出す。
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