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よい写真論

2020. . 15
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今日の写真は頂き物です。

アイポン11の搭載カメラ、スゲーですの。この超広角。画的には17ミリとかくらいありそうだなとおもったら、なんと13ミリ相当だという。
普通のカメラならもっと周辺歪むはずだがその辺は補正してるんだろうか。

他の画像も見せてもらったけど、どうやら暗いところと明るいところを判断して、自動的に露出を変えているみたいに見える。だから肉眼では見えない景色が写る。写真でしか表現できない画になる。

今の一眼レフもこのあたりのことは出来るんだろうけど、自動的に処理をこなすと、「撮影者の意思を無視」する事になるため、余り歓迎されないのか、あくまで任意操作となっている。つまり補正を与えるかどうかは撮影者の意志を優先する、と。

しかしながら、正直なところ、このアイポンで撮れる画像ってのを、手持ちの十万越えの一眼で同じように撮れる気がしない、ってのは事実です。どれだけ機械的な補正を加えても、撮れんものは撮れん、そんな気にさせてくれます。

端的に言うと、アイポンで撮られた画像というのは、実に映えます。
というのも、このカメラ機能は実はカメラの目的とは少々違う場所を目指しているからだと思われます。
アイポンは撮影者の意志に的確に応える高性能なカメラを搭載したいのではなく、万人が想像し、求める画像を作り出し再現する、マンマシンインターフェースたらん機能を欲しているのだろうなと。

それに対し従来からある無骨なカメラ機材というのは、確かに求める画像を撮るために技術や機材の精度を磨くわけですが、良い意味で写真としての限界に諦めがつきまとっているというか、写真とはこういうものだよと、どこかで線引きをした上で良否を語っている部分がある。

解りやすく言えば、極めて写実的に細密に描かれた風景画と、写真はどう違うのか? ということを論じるようなもので、極論すれば写真は自動的に作られた点描画なわけですから、わざわざ絵の具で描く必要なんてないだろうと、思われるかもしれない。
ですが、決定的に何が違うのかというと、写真はレンズとイメージセンサー(昔ならフィルムですかね)で色が決まる。絵は絵描きの目が捉えた色が脳で処理され、それを絵の具に変換して描かれる。

同じものを絵と写真という方法で表現するとき、圧倒的に自由度が高いのはどちらか、という事に尽きます。
人間がアナログで作業するものの方が、表現の余地が広いのです。

ですからアイポンの画像というのは、つまるところ、表現者にとっては不自由な機材ともとれるわけです。

と、アイポンディスってみましたが、簡単に撮れて映える写真が手に入り、もてはやされる時代においては、表現者の意志などもはや悪あがきか、オナニーなのかもしれませぬ。アイポンという機械が人に寄り添い、人々の意志を反映しているのは事実。人々の総意がよい写真を作っている、とするならそれはまさに、フィードバックされてカメラとして機能していると言えるのでしょう。

まとめ

結局、見る人を喜ばせた写真の勝ち


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