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SNS蠅

2020. . 07
少し前に書いたものなんですが、実はこの文書は封印してました。ブーメランになるのもいやだったというのはあります、正直。
ですが、ここ数週間、モラル崩壊している世間をみていると、自戒の意味も込めて言わねばならんだろうと。
少し前の話題混じりで恐縮ですけど、お暇な方は目を通してください。

てんちょのあやしいはなし

「今後の御入店はお断りさせていただきます」という文言をたまに目にする。(たぶん御入店の『御』はいらないし、『お断り致します』と思うんだけど)

これ、珍しい食事や、話題性のあるメニューなどを写真に撮るだけとって、実際には食さずに帰る、あるいは大部分を食べ残したり、テイクアウトして写真だけ撮ったら店外のゴミ箱に棄てたりする行為が頻発しており、その事に店主やオーナーが怒り心頭で、SNSなどに書き込んだ文言です。

いわゆる「インスタ映え」、などと言われてますが、SNS上に自分が遭遇した素敵体験をシェアして、注目を浴び、称賛されようとする承認欲求と自己顕示欲の顕在化ツールであります。
人によっては投稿記事に向けられる「イイね!」の数をあたかも自己の人生の価値かのように捉えている必死な御方もおられますが、視聴率にあえぐテレビ局じゃあるまいし、何にエクスタシーを感じておられるのか皆目見当がつきません。

自分が大したことないってのを自認するが故、アウトソースに頼るってのはブランド服飾と同じでして、現代人の正しくも無難な世の中の歩き方といえばそれまでなんでしょう。


で、この『SNS映え』という文化が根付いた昨今では、まさに何もかもが『ネタ』(タネとも)になり得るが故に、冒頭のような軋轢が各地で生み出されている訳で、直近では甲子園の近くの老舗定食屋がカツ丼大盛りの提供をやめたという話題があがった。これ、高校球児みたいな食べ盛りの若者が、お金がなくてもたくさん食べられるようにって、店主が始めた採算度外視の心遣いだったそうな。

だけど、昨今じゃこの大盛りのボリュームがすごいって話題になり、興味本位で大盛りを頼んで食べきれずに帰って行く人間が続出。それで店主は、食べ物を無駄にするくらいなら辞めにしようとなった。
もちろんお金を払わないで出て行くという訳ではない。ちゃんと払ってゆくし、態度が極端に悪い訳でもない。彼らはネタのために訪れただけなのだから、それこそ食べなくても良かった。写真が撮れて、行ったという既成事実が作れたらそれで良かったのですから。

それとは別の話で、珍しい動物の肉など、一般には食されない食材を調理して提供する『ジビエ料理店』というのも、しばしば『インスタ映え』のターゲットになる。理由は解りますよね。
『ワニの肉のステーキ 『ダチョウの卵焼き』とか聴いたら誰でも、え? ってなりますもん。
で、例の如く、食べきれないほどの量になってしまうと解っていながら、メニューにある目新しい料理を片っ端から注文をして、写真を撮って、一口二口食べて退店する。

店主からしたら、残されたって思う訳。定食屋の親父さん同様、もったいないってのもあるだろうし、せっかく料理した側の気持ちとしては悲しいでしょう。
料理人、サービスマンとしての本質的な部分を否定されたような、そんな気持ちになるのではないでしょうか。

ですから各種のメディアやSNS内でも「マナーがなっていない」、「命を粗末にしている」という店主の意に寄り沿うようなコメントが添えられることが多い。

そんな奴いるの? 信じられない! って思うでしょうか、この『撮影だけして食わない』行為。
でも、皆日常的に目にしていることなんですよ。

メディアの筆頭たるテレビ番組でのグルメレビューなどの現場では「美味しい!」と涙目でタレントがコメントしつつも、殆どが手をつけずに廃棄されてるんですから。そうでなければ一日のロケの中で、一人のタレントが何品もの食事が出来るわけありません。
そういった取材行為を店側は快く受け入れたりする。なぜなら宣伝になるから。ひいてはお金に繋がるから、店側はその茶番劇を受け入れてフィクションに加担している。

このSNS利用者による『映え問題』は、話題の店舗があちこちから非営利な有象無象によって取材されているようなものです。だがそれが口コミという形で宣伝にもなったりする。さらに言えば、それに対する店主の愚痴が宣伝にもなったりする時代です。恩恵を受けている店も人も相当数いるはずです。


この件に関して書こうと思ったのは、私はここのところ毎度こういった記事を目にして違和を感じてきていたからです。

「別に食わなくても、金払ってるんだから良いんじゃネ?」 という声もあります。

これに対して、「金を払ったらどんな行為も許されるという考えは間違っている」と、必ず反論がある。

あきらかに食べられない量のメニューを頼んで、あきらかに残して帰る行為がダメなのだ、という言葉の裏には『もったいない思想』が横たわっている。それに似て非なる『命をいただいている思想』も。

総じてモラル問題、とでも言えばいいんでしょうか。

食べ物を粗末にすると罰が当たるといいます。
命をぞんざいに扱うことも許しません。

古き良き道徳観念ですね。

食べてもらうために狩った、食べてもらうために捌いた。食べてもらうために調理した。
サービスを行うものの側からすればそうでしょう。
ですが、お客は違います。実に様々な目的に対してお金を支払います。
料理店に入ったからといって、必ずその店の料理を味わおうという動機とは限りません。単に夜景が綺麗に見えるレストランだったから入ったのかもしれませんし、意中の相手がどうしても行きたいといったから付き合って、金を払っただけかもしれません。もしくは本当に他に店がなかったから空腹に苛まれて仕方なく入っただけかもしれません。

その中に、ここの料理は見た目が素晴らしいから一度目にしてみたくて頼みました。素晴らしいです、記念に写真を撮りましょう。そういう目的が入っていたって何ら不思議ではありません。

料理を作っている人なら、誰だって『美味しい』『ありがとう』『またきます』、そう言われたいと思います。その言葉がもらえるならお代なんていらない、とすら言いそうになるでしょう。
皆に喜んでもらいたい、幸せになってもらいたい、だから料理をつくって提供している。
そういう思いの方にとって、料理を残されるのは沈痛の極みでしょう。


ですが逆に、『魅せる料理』もあります。味だけではなく、提供するスタッフの姿勢や、サービスのスタイルや、内装や食器類、BGMも含めて、食事行為そのものが総合的なエンターテイメントになっている店も、今時では珍しくありません。むしろ味などどうでもいいというものだってあります。その見た目のインパクトを楽しむという食事方法だってあります。

このように、賛否は別にしても、サービスする店側によっては様々かつ、明確な意図があります。
その意図に沿うようにお客を誘導し、お金を使わせるのはそれぞれのお店の持つテクニックです。
たいしたことの無い料理でも、美味いと感じさせる事も出来れば、最高級の食材を使った料理を、しれっと何気に食べさせ感動させたり、逆に食べに来て損したと思わせることも出来ます。それほどまでに食文化というのは深く進化してしまったのです。たんに空腹を満たしたり栄養を摂取するといった目的すら見えなくなるほど、私たちが食事を食事として意識しないほどまでに。

そのような飲食事業の背景の中で、お店側が自分の意図せぬお客の行為を目にして「もったいない、命を粗末に扱っている」などと綺麗事をたてに憤慨するのであれば、料理を不特定多数の人間に提供する商売などお辞めになってはいかがですかと、私は思います。
それほどまでにもったいないと思うなら、残った料理をご自身で食せば良いですし、命を粗末にしてしまったと思うなら、残った料理をゴミ箱に棄てずに埋葬し、供養すればいいのです。
もしも無為に食事を残され悔しい思いをしたのなら、店側として、お客に要求、アピールしなくてはいけないことがもっとあったのではないかと自身に問うべきです。こんな世の中だからこそ、食べものをおもちゃのように、あるいは金儲けだけのために扱う時代だからこそ、自分がやりたいのはそういうことじゃないと、声を上げるべきなんじゃないかと思います。

自身の信念の元、無条件でお客を排除するのは許されるべき事です。
だって、あなたの店なんですから。

お客の選別、それはあくまで店のエゴだと自覚することですし、エゴは結構です。
だって、あなたの思いなんですから。

大事にしたい思いは貫き通せるなら貫いたほうがいい。
だってあなたはあなたの人生をやっているんですから。

カツ丼大盛りを頼まれたなら「結構量あるけど食べられる? あなたなら中盛りくらいがいいと思うよ」の一言添えてやればいい。それが、美味しく食べて帰ってもらうという自分の使命に繋がるし、お客のためにもなる。頼まれ、お金を払ってもらえるから何でも作って提供するってのでは、金を払ったんだからどう食おうが勝手だろ、って客と同じレベルです。

「大盛りの写真が撮りたいだけなんです」と言われたら「ウチはスタジオじゃねぇ、帰れ!」でも、「撮影料に+1000円」でも、「じゃあ君のアカウントに、このメニューに載ってる大盛りカツ丼の写真送ってあげるよ」でもいい。

それもせずに宗教みたいな変な綺麗事並べて、自分の理想実現にそぐわないお客をこっそり匿名で揶揄、あるいは愚痴を絡めてステマみたいな行為をするのは卑怯だと思います。

金銭の対価は材料と労働、すなわち料理とそれにまつわるサービスです。
普通の飲食店なら、店側が設定した金額とサービスに対し、お客は文句も言わずに適正に金銭を支払う仕組みが成立しています。

私はお客から「よかった、ありがとう、来て良かった」という感想をもらうのは、当たり前ではなく、有り難いことだと思っています。
それはこちらが提供したサービスに対し、本当に満足した人の口から漏れる言葉だから。

誰彼となく好かれようとはせずとも、本当に人の幸せを願っていれば、その思いは伝わると思います。ですが解らない人に解ってもらおうというには、相応の努力が必要だと思います、それは非常に贅沢な望みですから。

私は、美味しい食事を提供してくれるお店をいくつか知っていて、それらは私の人生にとって大事な要素です。
彼らは、お金を払えば快く受け入れてくれます。美味しい料理を提供してくれます。ですから、そのお店がなくなったり居心地が悪くなったりすると非常に悲しい思いをするでしょう。
だから、私もお店の意図からは外れないようなお客として振る舞い、お店にとって気持ちのいいお客であるように心がけて努力しています。お店も私のために努力してくれているから。

ですから逆に、私の事を「売り上げ」にしか見てない店や、対価以上の努力の痕跡が見えない、あるいは対価以下の提供しか為されない、そのような気分を損ねさせるようなお店には二度といきません。

写真を撮られて食事を残される飲食店の方々にとって、今の私は非常に嫌な言い方をしてしまっていると思いますが、無論のこと、出されたものを食べきらないで棄てるなどという行為を平気でする人間を擁護するつもりなどありません。
そんな奴らは、屍肉にたかってただ卵を産み付けたいだけの蠅です。

ですが、そんな「蠅」を、どうにか紙一重のところで「人間」に留めておけるチャンスが、我々サービス業に携わる者の一言にかかっていると思えば、例え注意喚起をその場で実行できなかったとしても、少しは溜飲も下げられるのではないでしょうか。

そのサービスマンとしての矜持が大事だなと、思うのです。
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