
昨日は雲の中を走っているような霧の中、帰路につきました。
なんだかもうすっかり春めいてますよねぇ。

注文して届いたレブマスターシングルクワイエット。 マフラーですね。
う、ううん・・・・・・錆びてます。

日本人よ、刮目するがいい! これが世界だ! これが世界標準だ!
新品から錆びてるなんてあり得なーい、というのは世間知らずに過ぎるのです。
と、世間知らずで思い出した。
ちょっと愚痴っぽい話になりますが。自戒の意味も込めてお話しします。
以前、プライベートで、とある同年代の方とお話しする機会があったのですが、その方は自称オタクで「私は何にも影響されない、曲げない、折れない」とかたくなにおっしゃっておりました。それはそれで結構な信念をお持ちだなとは思いました。
「好きなことをやり続けるって事は素晴らしい」「好きなことに対して妥協したくない」と、それに関しては私も同感です。
「テレビは時間の無駄なのでもっていない」「ネットにもつないでいない」情報はどこから得ているのだろうかと不思議に思ったが。
私もオタクですので、ある程度は話が合うかなと思ったのですが、こちらのフリには返してくれるが、向こうからのフリがまったくない。ようするに私が質問して答に対してコメントするというMC状態。
なんだか会話が変だと思ってはいたのですが、相手の話の振り幅が極端に狭いのだなと気づきました。
もしかしてこの方の世界は思った以上に狭くて小さいのではないかと。だがそんなに浅い人間が同年代にいるのだろうかと懐疑的でした。
最初にすごく充実していて、自信のあるような生き方を示されたので、さぞ深いのかと思ったら、なんのことはない、浅い引き出しが3段くらいあるだけだった、という。
なるほど、その浅い引き出しが満タンになるくらいの経験はしてきたんだなと。
でも、その方がそんな自分に自信を持つほど、その方の周囲にいた人々もまた、浅い引き出しの持ち主達だったのだろうと思われ、なんだか私はげんなりして、帰ってきたのを思い出しました。
余り言いたくはないのですが、もう明らかにレベルが違うのでこちらの言っていることが向こうにはまるで伝わらないし、空気読むというか、言葉にしないでも普通解ることがまるで解らないようで、挙げ句「言葉で聞かされなければ伝わらない」と豪語される様に憮然としてしまった。
むこうはそれが当然だと、ドヤ顔で正論を説いているのですが、こっちからしたら直接言わないのも、ぼかして言うのも、相手を慮ってのことであり、なにも言葉にせずに解って欲しいわけではない、そんなことをいい大人同士でわざわざ言わせるな、という事を本当に言いたかった。
結局その方とは物別れにおわり、二度と会うようなこともないと思われますので、今更この事をここに書いても無意味なのですが、
出会いによってお互いの人間性の研鑽を求めるには、双方の意識の差が乖離していないことが前提なのだな、と思い知らされるエピソードでした。
まあ、あえて言うなら中学生と喋っているような気分だった、といえば解りやすいか。
むやみに情報を漁り、情報におどらされるのも愚かですが、情報を全く重視せず、知識も全く持ち得ていないというのも、相当に愚かに見えますし、自分基準でそんなものは必要がないと言いきるあたりは相当痛いと言わざるを得ない。言葉を最後まで聴かない、文章を最後まで読まない、多面的に物事をとらえられない、都合のいい場所だけ抜粋する。
いまだに完全否定されているコロナ対策のデマを意気揚々と晒してくる人もいます。もう、バカなのだから黙っていてくださいといいたくなります。
まあ、同じレベルの人同士なら問題ないのかもしれませんけど、私は無理でした。この人と話していても無意味しか感じませんでしたので。
ただ、ある意味、斬新な経験だった。

本日、すこし遅いバレンタイン義理チョコをいただきました。
ありがとうございます!
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