車検に落ちた。
これは、私が悪いんじゃないです。
言い訳はしたくないですが、検査官の認識の相違というか、知識不足によるものです。
二日連続は一台の車ではなく、二台の別々の車ですが、いずれもヘルムで10年以上車検を受けてきている車両で、私的には勝手が分かっています。なにがOKで、なにがOUTなのか、そういうカルテをもっていますので、安心して検査を受けに行ったわけですが、不合格宣告。
端的に言うと、「そんなこと今まで一度も言ったことねーじゃねーか!」という話です。
検査官は、法に照らし合わせて不合格箇所を洗い出します。
自信がない時は、分厚い適合基準本を見て確認します。それで判らなければ車両ごとに登録されている諸元表というのを参照します。ですから間違いはないのです。
悪いのは、その正確な諸元とか、適合基準とかを把握していない私です!
そう、悪いのは私!
でもね、十年以上車検受けてきて、今になって今更ですよ。今まで通っていたんだからいけてると思っているでしょうが。当該車両は今まで何人もの検査官に見られてきているんですよ。
なので、吠えましたよ。二日連続で。
『今まで通ってたのは何故か、何故通していた?』
という問いに対して
『それは別の話、とにかくダメなものはダメ、ここに書いてあるでしょう?』
私とてそれは理解する。ダメなものを通せとはいわん。
『じゃあ何か? いままで我々はオーナーを騙していたことになるぞ。その事についての道義的責任はあるだろうが、謝れよ!』
でもやっぱり、当然というか、彼らは謝りません。ケツに「官」と付く職掌になると、「けして謝ってはいけない」と教育されるようです。
検査ミスをしたのは二年前とか四年前とかあるいは六年前とか、あるいはもっと昔の、どこかの自動車検査官であることは確かなのですが、それは組織としてのミスではないですか。そこを「それとこれとは別の話」と言ってのけるのは、余りに失礼な話ではないかと思います。
今時は野菜ですら産地明記し、どこの誰ぞが出荷したと申告している時代なのに、自動車検査の現場では、誰が検査して誰がOKを出したのか、責任を持つシステムはありません。ですから、車検に通ったからといって安全性を担保してくれるわけではないのです。車検証の裏にも「俺達検査はするけど、あんたの車の責任はとらないし補償もしないし~」と明記されています。
で、じゃあ、誰が責任とるんだよ、っていうと、オーナーさんです。車のオーナーが自身の持ち物に責任を持つのが原則です。
ですので、運行前の点検だとかそういったことが、義務づけられています。
が、それでは機械に明るくない婦女子などが車に乗る現代では、オーナーは車を管理して異常を検知したなら、ただちにしかるべき整備を施せ、というのは現実的ではないので、我々のような請負業があるわけです。
ですから、車に対する責任の一端は我々にもあります。なので、問題がないように整備は心がけます。判らないこともありますが、判るように努力もしますし、研究もします。時には人柱にだってなります。
けど、検査官というのは、ただ書面上の仕様と適合しないということに対しダメを言うだけです。
それが安全とか危険とかはどうでも良いんです。それこそ「それとこれとは別の話」なんです。
じゃあ、あんたら一体何のためにいるんだ?
と、いわれても仕方がない立場だと思わないのでしょうか? 私にダメ出しをした検査官はもう定年も間近そうでしたけど、あんたその年になって謝ることもできんのか、って。誰も足下すくおうなんて思ってねーよ。
あまりにも腹が立ったので、カレーうどん3玉食べたった。
とはいえ、あんまりにも微に入り細を穿たれると、ほとんどの旧車はアウトになります故、厳格な適合検査を実施されては少々困るという面はあります。無論それが本筋ではあるのですが、そういうことを言い出すと、オイル滲みだってアウトですから、今度は車検の度にアホみたいに整備費用がかかり、車の維持管理費がかかって誰も乗り続けられなくなります。
ですんで、まあまあ、なところで双方妥協すべきってのは判っています。
でも、私だって大人げなく怒りたいときはある。
だから、けして謝らない「官」の人には、これからも盛大怒らせてもらいます。
どうせ怒声を感知すると「耳ちくわ仕様」になるので、本人は痛くも痒くもないでしょうけどね。
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