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幸福な娘

2019. . 19
てんちょのあやしいはなし


その昔。

当時雇っていた年下の従業員と、仕事上のことで話がこじれた時、「今までだってそうやってきたんやし、問題なかったし――」という私に対し、「そんなやり方承服できません、俺もこの職場にいる限り、俺の将来がかかっているんですよっ!」と年下の従業員が激昂してました。

まあ、彼の主張を端から否定するものではないですから、私も一応上司として話は聴きます。

そもそも彼がそんなことを叫ばざるを得なかったのは、私が今までやってきた方針や、方法論や、経営観念といったものが、彼の目から見ると悠長で、時に雑で、時にデリカシーに欠け、時に不誠実に映るという労働方針、あるいは印象の齟齬があったためです。

私は一人でやっている時間が長いものですから、人から見てどうこうだというのは気づきにくいものですから、ある程度は聞き入れなきゃなとも感じましたし、参考にもしますし、時に意見を全面的に取り入れ改善改革もします。そのくらいの心の余裕はあったと思います。

ただ、別々の人間が一つの仕事に共に取り組む時に、二通りのやり方が生じてしまうことはあります。そして、ここは譲れん、それは違う、という部分も生じます。そういった場合すりあわせが出来ればいいのですが、互いにひかない場合は喧嘩になりますし、業務が滞ります。

ただ、立場や年齢に上下関係や、経験値の多い少ないがあれば、多くの場合上位者の意見が通るものです。
当然です。
責任をとる者の方が意見が強くなりますから。

そんなことを思い出したんですよね。

グレタ・トゥンベリさん(16)の一連の発言をみていて。

グレタ・トゥンベリさんについて今更詳しく説明するまでもないと思うので、知らない人はウィキでも読んでください。今や時の人ですから、ネットでひけばいくらでも情報は出てきます。
ちなみに皆さんはよく「グレタさん」と呼んでますが、ありゃあファーストネームですから、ちょっと馴れ馴れしいのかなと、思うところありますんで、フルネーム表記してます。

彼女が有名になったのは環境活動家として、非常に若いというのもあるのですが、インパクトがあったのはその強い言葉遣いでした。まさに大人を責め立てる言葉の応酬。それもとりわけ、立場の強い、いってみれば一国の代表レベルの大人達を非難する言葉の数々と歪めた憎悪の表情に、少なからず社会は衝撃を受けました。

大人は我々子供達の未来を奪おうとしている。今環境問題の改善に取り組まないなどあり得ないではないか、もしも問題を把握し理解していながら行動を起こしていないのだとすれば、大人達は邪悪である――とまで。

これら言動に関して嫌悪感を示す大人はとても多く、論調としては「子供らしくない」 「何者かに操られている」 「そんなことより学校行って勉強しろ」 といったスピーチ内容を余所に、端から取り合う姿勢を見せていませんでしたし、「まずはあなたの未来を考えたらどうか」など、かのアメ帝の大統領ですら、というかあの人だからだろうけど「彼女はとても幸福な娘だ」と皮肉を込めたツィートをしていた。

ほかにも有名著名人が彼女を揶揄するような発言をしていたように思いますが、まあこれに関しては大人げないの一言でしょう。
匿名でなくとも、拒否派の多くは彼女に比べればかなり安全な場所から、無難で否定的な意見をさもエラそうに、正しいかのように、大人の代表かのように意見を述べていました。

まあ、彼女も飛行機で移動することを拒み、そのかわりヨットで移動するとかめちゃめちゃ非難されそうなことしてるし、いかにも苦労人っぽい自己演出が逆にツッコミを煽ったりしているわけで、そのあたり思慮が浅いというか、プロデューサーの役割をしてる人間はいるんだろうなぁ、と勘ぐる材料にもなった訳ですから、そのあたりはちょっと考えて行動すべきでしょう。

ですから、何らかの組織の傀儡であるという可能性は棄てきれません。自ら環境問題について提言を始めたとしても、我のあずかり知らぬところで上手く利用されている節は否めないだろうし、その尻尾は既に掴まれてしまっているかもしれない。

だが、彼女が主張する言葉には意味があります。
経済ベースではなく、生存ベースとして地球環境を考えねば、人類の未来がなくなる可能性はある。
それはそうだと思う。

彼女のことをメディアなどを通じて知る人は、彼女が学校に行っていないという、この部分に眉をひそめる。
子供は勉強するものだ、と。
彼女はまだ子供だから、色々なことがよく判っていないんだ、稚拙な正義感で地球環境の危機を訴えているだけだ。
大人の立場をいたずらに脅かすものではない。
なんて子供だ、いやらしい。

ですが、私は思うに、興味のあることに若いうちから一生懸命に夢中になって取り組むのはいい事じゃないかと思います。
そういう意味では、彼女のご両親(共に有名人ですが)は非常に勇気のある決断をされたと思いますし、何かあったらケツ拭く覚悟で送り出したんでしょう。彼女もそんな懐の深い両親の元に生まれてきて幸福であると思います。皮肉ではなく。

そもそも子供に満遍なくあらゆる教科を勉強させるのは、将来の選択肢を増やすためであり、また自身の可能性の追求を容易にするためであり、用意されたカリキュラムをこなし達成度を測ることで社会生活に必要な一部の能力の優劣を見極めるためでしょう。
ですから、もうすでに自分のやるべき事が決まっているような人には、無駄な勉強は必要ないんじゃないかと思います。そんなことをしている暇があるなら、自分にとって必要な学問をだけを取り込みたいでしょう。

だいたい、良い学校を出たからといって聖人君子になれる訳でなし。
せいぜい、給料を多くもらえる会社に入るのが関の山でしょう。

そう。

現在の多くの大人が考える人間の価値とは、経済力です。

すなわち労働に勤しむこと、それにより飢えないこと、それにより場を乱さないこと、そして、それらにより平和を維持できること。

これが、大人に求められているものです。
正しいように聞こえますよね。確かに正しいと思います。
平和というのは、何も起こらないこと、です。何も起こさないことです。
昨日と同じ日が今日も続き、明日も続くと信じられることが平和です。

そういう意味で我々日本人は、日々概ね平和だと感じると思いますが、それはただ、自分の周り以外をみていないからです。自分たちは平和に過ごせているから、周囲を見渡す必要がないのです。

気づかない、見ていない、関心がない、それは罪でないのか。

そういうことをグレタ・トゥンベリさんは言っている。

ただそれだけですが。

実際の所、本当に温暖化が人為的な原因によって生み出されたのか、という議論はつきません。いわゆる温暖化懐疑派というやつですね。これは原発などの利権に絡めて言われることもありますし、産油業界をはじめとしたあらゆる組織や業界の利権が関係していることなので、それだけ否定派や反対意見も頻出します。
こればかりはグレタ・トゥンベリさんが十六のピチピチ小娘だろうと、萌え要素だけで乗り切れる問題ではございません。

グレタ・トゥンベリさんは、このままゆくと社会にまともな形で参画することは叶わず、一般的な相応の年齢の少年や少女と触れあい普遍的な会話をするに至らないことは容易に想像できますから、「一般的な大人の視点」を得ることが出来ないというハンデを被る事になります。(そもそも彼女は幼少期にアスペルガー症候群という診断も受けていますが)

下手をすれば恋もしなければ家族も作らないかもしれません。洋服や宝石を買ったり、車を所有したり転がしたりする喜びも得ないままかもしれません。
そういったストイックな修行僧のような生き方をしている人の言葉が、一体どれだけ我々に響くのか? という事はよく考えます。
それはそれで歪な人生になると思います。

私なら、そんな人の話の大部分を信用しませんし参考にもしません。

言っていることは正しくとも。
大人達よりも意味のある、意義深い提言をしていたとしても。
もし、温暖化が別の要因によって引き起こされていたものだと後年になって判明したとしたら、その時世界の中に彼女の居場所はあるのだろうか、と少しだけ大人として心配になります。

彼女が環境問題そのものを、「自身の存在意義である」などと捉えることがないよう、我々は我々で少しずつでも、今そこにある危機の片鱗に目を向けることは非常に重要だと思います。

ですが、

自己反省するなら、我々は生活に忙殺され、今この瞬間だけを維持する事を何より優先していますし、それ以上の余裕は殆どありません。
自己弁護をするなら、環境保護のお題目として掲げられる脱炭素社会は、自身の食い扶持を脅かすことになるため、肯定しきれないという現実はあります。

私はその程度ですが、明日、あるいは次の食事がままならない人間にとっては、地球の未来など知った事ではないでしょう。
食事ならまだしも、命の保証すらない人間だっています。
それも彼女よりも年若い子供が爆弾を腹に巻いている世界も、地球の一部ですしその戦争で開発された、ロケットをはじめとする莫大なエネルギーによって得られた宇宙観測データが、地球という惑星の謎の解明に貢献してきた事も事実です。

そういう意味では、彼女はやはり幸せな娘だといわれても仕方がありません。
出来ることなら、彼女も今の世界の現実を見て欲しいなと思います。せっかく世界に出てきたのだから。
そのような世界に触れさせるのも、周囲の大人の役割ではないかと思います。

この先、彼女のような若者達が古い世代の築き上げた悪しき伝統や慣習や因習を駆逐してゆくのか、それとも人類はそのままでも生存維持を続けてゆくのか、それはいずれにしても、人々の総意としての「ただしさ」という船がすすむ行き先なのだと信じたいものです。



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