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利休オタク説

2019. . 16
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電車に乗ると、普段は会わないような人種とすれ違ったり、知らない人と肩を寄せ合ったりすることもあるわけで、これはこれで非日常で楽しい。

昨日は、私の隣でじゃがりこをボリボリ一生懸命食べてる30くらいの女がいたんです。うるっせぇなと思いつつ、最近は電車の中でものを食うのはスタンダードなんだな、と自身の世間知らずさを納得させてると、次に「わさび香る五穀米おにぎり」を貪りだし、「おーいお茶」をごきゅごきゅ飲み干し、さらにはデザートなのか、「ブラックサンダー」をかじって終了。

そんな食欲旺盛で自分に素直すぎる女性だったのですが、隣に座る私と肩が触れあうと、あろうことか触れたところをハンカチで拭うという、とても潔癖な方でした。休日の俺はグリスも油もついてないんだけどねぇ?

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京都に行ってきた。特に目的もなく当てもなく。
大体こういう時はカメラを片手にブラブラして、気が向いたところの店に入って飲んで、食って、ひたすら歩く。
なのでまあまあいい運動にはなる。 なんかジジイみたいなことを言うようだけど。

ま、よく言われることですが、外人だらけでございます。
ほんとうに多いんですよ。日本人よりも多いですから。
私も外国人だと思われているかもしれません。

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こんなポスター見つけた。 観に行かなかったけど こういうものだそうだ。


すごいのかもしれんけど、すごさが全く伝わらない。サイバーパンクがやりたかっただけかな、と。
石黒先生、全然進んでないような気がするんですが。

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サクラはほぼ終わりなんで、そのあたりは無視して歩き回る。

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いや、京都は綺麗な街ですよね。

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これは建仁寺。
枯山水とか。坪庭とか心が安らぎます。宇宙が見えるような気がします。

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これは有名な妙心寺のにらみ龍とは別のもの。オマージュというか、この天井画意外に新しく平成14年作です。
庭を歩いて、茶室を覗いたりして。

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かの有名な風神雷神が安置されていたお寺で、キャノンの印刷技術で高精細に複製した実物を拝見することが出来ます。

ええと、私。そんなに文化財とか歴史に詳しくありません。小難しいことは嫌いなんで、博物館とかもそれほど熱心にはみないです。あくまで今の自分の感覚でしか捉えないので、歴史があろうが、エラい人が称賛しようが、しょーもないものはしょーもないとしか思いません。
そういうのを時代背景になぞらえて想像することも重要なのですが、手放しで有り難がったりもしません。

お寺とか神社って、今の我々からすると、古くて格式高いもの、みたいな感覚有るじゃないですか。まさしく思わず背筋が伸びて、一礼したくなるみたいな。でも、当時からそんな感覚だっただろうか? と、まあ思うんですよ。

今の我々はなんだかいろんな歴史を経ているウチに身についた祖霊信仰とか御霊信仰とかの影響で、寺とか神社をみたときに自動的に神様とか仏様と自動接続するようになっちゃったんではないかと。

そもそも、お寺に安置されたり収蔵されてるものって、当時としてはものすごい高価なものだし、庶民が願っても手に入れることが出来ないものだったり、または最高の職人が手がけた作品だったり、当時の技術の粋を集めて作った最新技術の賜だったりしたはずです。そういうのが寺社で連綿と継がれてきている。でも、それらって、宗教思想とは全然関係なかったりすることの方が多いんですよ。 ある意味、寺や神社はその財力や権力、敷地やネットワークを利用して、文化財のアーカイブの役割を果たしてきたのかなと。(政権は倒れると終わりなので)

なのでアンドロイド観音も、そのうちの一つと言えましょう。あんまりありがたいと思わないのは、私たちの偏見にすぎないでしょう。
1000年くらい経てば、皆さんなんの疑問も持たずに拝んでますって。

で、そこでひとつ、思いました。

日本における仏教に始まる思想文化は、サブカルチャーだったんではないかと。
今で言う、オタク文化なのではないかと。
いやそりゃまあ、サブカルって言葉自体曖昧なものなんですが、要するに歴史的な「文化=カルチャー」ってそんなに重いテーゼだったか? って話です。
風神雷神にしてもものすごい漫画チックじゃないですか。イメージを解りやすく描画しました、みたいな。

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これとなにかちがうだろうか、と。
浮世絵を持ち出すまでもなく、日本の仏画とか宗教画とかってのはわりと漫画的な表現が多くみられる。仏像の多彩さにしてもこれってフィギアかもなぁ、とか思ったり。もしかして日本人って、千年くらいサブカルチャー育ててきた、根っからのオタク国民なんじゃないかと。 

建仁寺の境内には「東陽坊」という、歴史的に名席と称えられるお茶室があるんですが、一応ここも覗いてきました。

茶室というのは、そのたたずまいもさることながら、至る庭まで懲りに凝ったつくりをしており、訪れるものを一種の異空間へ誘うかのような趣向を凝らしています。場合によっては無駄、無意味と思える飛び石の並びや、植栽。坊にいたっては、腰を屈めて這い入るにじり口と呼ばれるものが有名ですが、入ってもそこは二畳か三畳といったまるで狭い空間であり、とてものんびり出来るといった感覚ではありません。

茶道の発祥は、ご存じの通り、男性です。いまの茶道の源流は有名な千利休ですね。
ですからもともとありゃあ女性のものではないんですよ。(ちなみに本当のお茶席というのは、茶も飲みますが、酒を飲んでわいわい騒ぐものです)

男って、狭いところが好きなんですよ。自分の世界を作るのが好きなんですよ。自分の好きなものを自慢するのが好きなんですよ。互いに解り合えるもの同士で語り合うのが大好きなんですよ。自分たちだけが解っている、他の奴らには解るまいとほくそ笑んでいるのが好きなんですよ。どれだけ凝っているのか、どれだけ苦労したのか、それに対して理屈をこね回すのが好きなんです。

女子(おなご)らにはわかるめぇ、と。 

そして改めて、茶室を一通り眺めて思うのですよ。 直感的にですが、――――これ、男のロマンじゃあねえのか? 単なる秘密基地じゃないか、と。

そして実は利休って、オタクの開祖なんじゃないかと。原罪的な中二病罹患者だったんじゃないのかと。

「なんとなくいいよね」、という無意味なものに意味を持たせて追求し続けた結果、そこに何かが見えるような気がして、どこかと接続するような感覚に陥り、特殊な情感が脳内を迸る状態が「萌え」であり「燃え」であるとするなら、よく茶道で言われるワビサビの趣ってのはまさに萌えなのではないかと。言葉にすると「たっ、たまらんっ!」というあの感じ。

(エイジングや廃墟ってのはまさしくワビサビの世界観そのままなのだけど、ボロけりゃいいってのとは違うところが文化的とされる。いずれも人工的に「美意識」を励起させる作意が伴った行動という点には注目すべきだろう。この件に関してはまた追ってゆきたいと思う)

意外に戦国武将といえど、精神性は今の我々男子とさほど変わらなかったのではないだろうか、とも思うんですよ。茶室に籠もる武将は、リビングを女子供に占拠された男性諸氏が書斎にこもったり、ガレージに籠もったりする姿に重なります。

この当時には車もバイクも萌えフィギュアも萌えイラストも、アニメもボカロもコスプレも、そういう一切合切がなかったので、男のロマンは茶の湯一極に集中し、一大ブームと化したとは言えますまいか。(ちなみに当時の男性も女性も異性に対して、性欲処理と子作り以外さほどに興味がなかっただろう事は推察できます。恋愛も文化ですから、文化的余裕のないところに恋愛は生まれません)

茶碗を愛でてるのって、有名原型氏による限定フィギュアに萌えてる姿に重なりますし、掛け軸について論じるのも、萌えイラストに鼻を伸ばしてるのとそう変わらないように思います。


戦国武将とはこのオタク文化にあてられた筆頭ロマンチストであり、秀吉にいたっては、国を挙げてオタ道を推進したとも言える酔狂ぶりだとすれば、金の茶室もかなり滑稽に思える。

でも、ひときわクールだった家康はオタクにならず(茶の湯は好まなかったそうです)、実学をとったので、最終勝利者となり天下統一を成し得たのではないかと。

ま、家康台頭までどのくらいの武将が私利のため、秀吉のオタ道に半笑いでついていっていたのかは、関ヶ原の合戦ではっきりするところ。
しかし、最後の最後まで豊臣方を貫いた違いが分かる男、石田三成その亡き後もオタ文化はクールジャパンとして日本人の精神性を支えている訳であり…………。

てなことを考えた休日でありました。


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