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ナオミよ~

2019. . 30
てんちょのあやしいはなし

「今の心境を日本語でおねがいします」
 昨今、こういったインタビューのやりとりが、大坂なおみ選手を取り巻いている事をご存じでしょうか。本人がこれに困っているかどうかはわからんのですが、言語を切り替えるのは煩わしいだろうなぁ、と勝手に思ったので、ちょっと書きます。

大坂なおみ選手の外見は、こう言ってはなんだが少々日本人離れをしている。ともすれば父親方のネグロイド系の血が濃いように感じられ、さらに普段の会話は英語。だから、国籍が日本であっても、名前が日本名であっても、なかなか胴長短足、日本語以外喋れない日本人からみれば、同じ日本人と認識しにくい。

若い人はしらんだろうが、その昔、TBC(東京ビューティーセンター)のCMで、「ナオミよ~」というのが流行りました。
CMのあらましをいうと、娘のナオミが両親に向かって「私、エステに行く」と言う。(ちなみにこの娘役の女優さん、昨年大ヒットを飛ばした“カメラを止めるな”に主演してたそうです)
母親も父親もエステに関しては無知で、そんなもので綺麗になるものかと、訝りながら娘を引き留めようとするが、ナオミはそれを振り切ってTBCへ。
次の場面で両親の待つ家に、知らないモデル級の外国人が「ただいま」とドアを開けて帰ってくる。
両親は「は? どなたですか?」と。
そこで女性は「ナオミよ」と応える。

という、エステで劇的変化!? をコミカルに描いたCF作品なのだけど、この後者の変身したナオミを演じているのが、当時黒人のスーパーモデルとして活躍していたナオミ・キャンベルです。
これによりナオミという日本名のような響きを持つ名の彼女は、日本中で認知され、一躍有名になりました。また、久保田利伸とコラボした事でも有名。
 ちなみに、ナオミ・キャンベルの“ナオミ”は日本人とは全く関係がなく、聖書の一節に登場する女性の名前だそうで、出自もアフリカ系アメリカ人の母親と、中国系ジャマイカ人の父親とのハーフであるとされております。
ある意味、東洋人にはやや近いとは言えるのですが、“ナオミ”という響きを風刺的に描いて十五秒のCMとして成立させたのは、日本人の異民族に対する一方的な片思いが功を奏したからでしょうな。
 これがアメリカ本土であれば受ける印象はまるで違っていたと思われます。

このCMは異民族を起用し、その差異をダシにしているとはいえ、けして民族差別的ではないのですが、あえて“ハマり”のスーパーモデルの黒人女性を起用し、エステで劇的に変化する、というコンセプトを斜め上の方向で表現できた事は、歓喜の極みであったのではないでしょうか。
それが、日本人の根底に流れている異民族との区別意識は確実にあることを証明しているとも思います。
これは、おおよそ日本は単一言語で、単一民族として長い歴史を刻んできていたためであり、あきらかに外国人に対して対等に、普遍的に付き合えていないという現実があるためでしょう。

たとえコーカソイド系の白人が隣の家に越してきたとしても、やはり違和感は感じる。肌の色も瞳の色も骨格も違えば、まず“同じ人間”という意識よりも“異民族、外国人”というお客様意識ないし、別種の者という意識が先立ちます。しかし、これが東洋系で日本人に近しい外見をしていれば、そういったハードルが下がる事は想像に難くありません。

記者が大坂なおみ選手に日本語で話をして欲しいのは、名実ともに世界ランクナンバーワンになったシンデレラガールを、やはり我が国固有の財産としたいという民族根性が根底に流れているのではないでしょうか。
別にマスコミだけではなく、それを観る視聴者、観客も、どこかで強く「大坂なおみは日本人である」と認識したがっている。

 大坂なおみ選手の競技国籍はいまのところ日本ではありますが、実は個人の国籍は日米の二重国籍だったりします。普段の話し言葉は英語が主体で、繊細な表現はやはり英語で話す方がしっくりくるはず。本人曰くは、ゆかりのある父方の出身地ハイチ、育ったアメリカ、母方の故郷の日本を代表しているという気概があるといっており、けして血統主義でも出生地主義でも、ましてや民族主義でもなく、テニスプレーヤーとして主体的に自身を捉えているという事がうかがい知れます。

 国籍問題に関しては、国ごとに法律が変化するため一律には言えないのですが、日本に於いては多重国籍を認めていないため、22歳に達するまでの間に国籍を選択しなければいけないことになっている(現在彼女は21歳)、のですが、実際の所は政治家でもない限り、さほどに目くじらを立てる問題ではないようで強制力はないに等しいらしいです。

 でも、彼女のような金の珠であれば、おそらくはこの問題を取り沙汰す事はあるでしょう。大坂なおみが、日本か米国か、どちらの国籍を選択するのか? その事でマスコミが騒ぎ立て、無用な民族意識による軋轢を彼女は受けることにならないか、今から心配になります。

 近頃中国で物議を醸している、ゴール直前の必死でスパートしてるマラソンランナーに国旗を手渡す慣例もそうですが、どうにもスポーツ選手というのは、一般庶民にとって愛国の雄のような捉えられ方をしており、それをもって「我々同国民は優れている、勝っている」と喧伝したい感情があるように思います。

 中国はそもそもああいう国だから、といってしまうのは簡単ですが、少なからず我々の中にもそれに似た感情はあるんじゃないかと思います。
先日も日清製粉が、錦織圭と大坂なおみをかたどったアニメ動画を公開して直後、大坂なおみの肌が白く描かれていたことで大バッシングを食らったばかりですが、どこかで「世紀のスーパースターは我々と同じ肌の色をしている同じ人種である」というバイアスをかけたい意識が働いたのではないかとおもいます。人類史上最強のスーパーヒーローであるイエス・キリストですら白肌を持つ人として描かれてますしね。

 その証拠というか、日本のアニメーション然り、日本の漫画然り、黒人が登場するシーンは極少なく、褐色の肌を持つ主人公などほぼいないに等しいという現実があります。無論それは日本人がそうではないからでしょう。

 アニメの中では髪色がピンクだろうが紫だろうが、難なく受け入れられるのに、です。

そういう意味では『不思議の海のナディア』で主役のナディアや、『少女革命ウテナ』の主役級キャラクター、姫宮ナンシーはものすごく異例かもしれない。他にも助演女優級で『超時空要塞マクロス』におけるクローディア女史は、典型的な黒人女性の容姿として描かれているあたりはパイオニアだったし、遡れば『サイボーグ009』のピュンマも。(というか、そもそも同作に登場するサイボーグの容姿はかなり偏見に縁取られている)

ただ、その数はあまりにも少ない。なぜか? と問うならば、まず感情移入がしにくいという情緒的な事情や、見慣れないという単一民族故の排他感がありましょう。
しかしそれだけなら、青い肌の異星人達の激闘と恋愛を描いた、スペクタクル超大作の『アバター』はどこの国でも受け入れられない奇作になったはずです。

しかし、そうではなかった。何故か?

 映像業界では被差別者(もしくはそれに近しい人々)を描く際、暗黙のガイドラインがあるらしく、例えば黒人を描くとき、黒人の特徴を著しく表現することは好ましくないとされているのだそうです。
 『ちび黒サンボ』も、『ジャングル黒べえ』も、抱っこちゃん人形同様、差別的だとしてお蔵入りになったのは有名ですが、これは黒人の差別表現に繋がるからだといわれてます。

差別とは「偏見や先入観などをもとに、特定の人々に対して不利益・不平等な扱いをすること。また、その扱い」を指します。黒人なら髪や肌の色、分厚い唇など、すなわちその人種、民族の特徴を色濃く描くことは偏見や先入観にあたるから、というあたりが抵触するようです。

では何故そんなことが起きたのかというと、『ちび黒サンボ』を巡って、差別表現を論じたとある教授が、被差別者を表現した場合において「表現者が差別意識を持って表現、あるいはその主張を持っている」事が差別表現にあたるとし、さらに「当該表現を閲覧した第三者が差別的表現であると感じる」事だとして、差別表現の定義をまとめたことに端を発しています。

この件に関しては、漫画家の小林よしのりが、ゴーマニズム宣言の中で「じゃあ黒人描くときは、全員マイケルジャクソンみたいに描かなきゃいかんのか?」と痛烈な批判をしていたのを思い出しますが、まさにその通りだと思います。第三者がどう判断するかで決められちゃうんですから、表現者側からすればたまったもんではないですよね。
ま、その表現者の一端たるマイケルジャクソンは白人より白くなっちゃいましたけど。

少し脱線しましたが、この様に人種差別問題は飛び火に飛び火を重ねて、解決の糸口をみないし、誰もの心の奥底に差別意識も区別意識もある事は認められると思います。
村社会に限らず地域やコミュニティには必ず“同胞とよそ者”という概念がついて回るし、“自分たちとその他”はどの世界にも存在します。

自らをよりよく見せたいがために、自身の身の回りに優れた物や優位な人を置きたがる意識は誰しもあるだろうし、現実の世の中はそれをもって、個人を評価する側面もあります。
自分の親戚が有名人であるとか、先祖が高名な武将や偉人であった、ということをことさら自慢するのに似ていると思います。

今回の大坂なおみ選手を取り巻く問題に関して、日本人テニスプレイヤーが世界ランキング1位を獲った、という快挙に周囲が歓喜する光景は大変微笑ましいのですが、称えられるべきは大坂なおみ選手であり、日本人そのものではないということは覚えておきたいものです。

逆に、箱根駅伝などで散見される黒人ランナーがいますが、彼らは留学という名目で招聘された“箱根駅伝用走者”のランナーです。無論本人らにとってはウェルカムだろうし、人材発掘という業界的メリットも多分にあるんですが、おそらくは、一般学生は誰も同大学の生徒であるとは認識しないと思います。
それは、大学側が駅伝で勝つということを目的にしているからであり、彼らが大学の知名度を上げる、広告塔の屋台骨の一つとしてしか数えられていないからです。(いや、そんなことはない、彼らは大切な仲間だ! とおっしゃる方がいたらすみません)

勝たねば意味はない。称えられるものも称えられない。
それは勝負の世界では当然の理屈でしょう。
だが、何もしていない外側の第三者が「称えてやるから頑張れ、勝て。さすれば我が同胞として快く迎えてやろう」そのように言っているように聞こえるのは、私だけでしょうかねぇ?

大坂なおみ選手。
今度「日本語で~」とコメントを求められたら、それこそ大阪的に「もぉええっちゅーねん! ありがとございましたー」と記者にツッコんで締めくくれば、万事解決するんじゃないでしょうか。
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