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何の変哲もない休日

2023. . 29
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ようやく関西も満開に。
サクラが咲くと春本番という感じはしますが、結局3月はそれほど寒くもならないまま終わってしまいますね。

ちなみに、三月はずっと腰が痛かった。なんか脚からきてるような感じなんだけど、庇ってもられないので、無理して動いてた。

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いつもの山へ。

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山の中にぽつんとある不気味な池。

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野生の椿。ダイナミックに咲いてます。

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木漏れ日のなか、せせらぎを独り占めです。

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ま、いいことばかりではなくて。
山の中でエンジンかからなくなったら、マジで焦ります。選択肢は置いて帰るしかないという。
メカやってても、出先で道具もなけりゃ無力なもんなんですよ。

とりあえず自走で帰還しましたけど。
何か無理して身体動かしてたら、元気になってきた。しんどいとか身体痛いとか言って動かないとどんどんダメになるような気がします。

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そして、夜は一人晩酌。

よし! 三日経っても筋肉痛にならんかった! オッサンまだまだいける!

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てなわけで、あとちょっとで今月も終わりです~


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ヘルムのガレージキット 第一弾 「わーげんねこ」

2023. . 28
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何か載ってますが。

フィギア造りました。
オリジナルグッズとか、なんか余裕こいてるみたいに見えますが、余裕内からフィギアに稼いでもらおうという算段です。

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原型。
製作段階で全く写真撮ってなかった。一応イチから私が造りましたよ。

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型に粘土詰めて埋めます。

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こうやって片面ずつ、メス型を造ります。

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流し込む際の、いわゆる「湯口」を造ります。

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こんな感じで、複製品ができます。

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バリが多いですね。もうすこし湯口を工夫しないとです。

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第一号、できました。
一号機だけ、ホワイトです。(あとで混ざるとわからなくなるので、決めておくのです)

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4月9日のオレンジバグ(VWイベントカレンダー)に持っていきます。

ちなみにお尻にマグネットついてるので、ワーゲンのダッシュにくっつきますよ!

値段は~。

ちょっと考えて決めます~。

花見は、なしぃいいいいいい!

2023. . 26
雨で流れたね。というか花見する人っているのかしら? この三年でそういう文化も消えたかな、って思ってるのだけど。
春になると気分が高揚するってのは、ある程度科学的な根拠があって、特にサクラの木の下ではしゃぐなんてのは、桜の花粉に含まれるエフェドリンという交感神経興奮剤が作用しているとかなんとか。
薬剤でも、あまりエフェドリンの含有量が多いと取り締まり対象になるという、麻薬に近い物質だそうです。花粉に含まれる料は微量だそうですが、日本ってあれだけ桜が咲いていればねぇ?

そういう意味では、昔から言われるように「木の芽時にはよく変な人が現れる」というのは必然かもしれません。ラリってるんですね。

ま、それはさておき。
こんなの作ってみました。とりあえずテストショット。

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ビートルのリアキャリアって、エンジンフード開けるのが面倒になるのでどうにも敬遠されがちですよね。ネジを二本外すだけなんですけど、そのちょっとが、ま、いっか、になる。
だからネジで締結している部分を、ワンタッチで外れるピンに置き換える。

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こんな感じで。重量自体はステイが支えるので、ピンそのものはキャリアが分離しないようにだけ機能すれば良い。

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なんかカッコイイ感じで出来てしまった。ワンオフです。

ちなみに、年末飛び込みできていただいたお客様で、九州から関東に帰る道すがらの中継に、再び寄って頂きました。
で、お土産頂きました。

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焼酎は芋です! それ以外はアカン。(黒糖は許す)

そしてこの焼酎、めちゃめちゃうまいです。一晩で空けてしまうところでした。ゆっくり楽しみましょう。

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別のお客様からの頂き物ですが、いつもありがとうございます。
遅ればせながら今年のバレンタインデー、と。

空冷ワーゲン乗りならピンときますね、このフォルム。

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ほれ! これ! すごい凝ってる。
リーフレットもしゃれてて、

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ちゃんと説明書きが添えている。こちらもゆっくり楽しませていただきます。
最近、こういったワーゲンを模した、洒落たチョコレートをよく見ますけど、若い皆さんはこの車のことを知っているのでしょうか、と、ふと思ったり。
思えば全盛期に比べたらビートルを目にする機会なんて本当に減ったんですよね。

ビートルと言えば名探偵コナンの「アガサ博士」くらいなもんで、今は本当に空冷ビートルは露出少ないです。タイプ2はちょくちょく出てきてますけど。
まあ、こういうところから火が点いてブーム再燃……ってのは、もうないんだろうとおもいます。
キムタクが乗ってもブームにはならんだろう。

今の時代は何にしても、ブームが起きにくい印象ですね。火力が一気に集中して、爆発的に燃えるという感じではなく、一部一部がそれぞれキャンプファイアーを楽しんでいる感じで、長くじわじわ燃え続ける傾向という感じがします。それはそれでいいんですけど。

我々が子供の時なんか、「風邪でもないのに年中マスクしてる女」が社会現象に発展するほど大流行でした。なんであんなもんが流行ったのかなと今なら思いますけどね。
「私きれい?」って通りすがりの人に訊くのが彼女の常套手段だったのですが、現実的に女性はマスクしてたらだいたい綺麗に見える、というのにはこの三年で気付かされました。(ちなみに“きれいです”と答えないと殺されます、女は怖いですね)
あ、逆に男性はサングラスしてたら格好よく見えます(とおもう)

ま、そんな感じで、春の陽気にあてられて、変なテンション。




告白しよう

2023. . 25
私がどのくらい世間知らずなのかというと、WBCをしているのは知っていたが、日本が優勝して、すでに大会が終わってたのを知らなかった、というくらいであります。

そもそも、なんで日本は何度も優勝してるのに、今年はそんなに盛り上がっているのかよくわかんなかったのだけど、なんにしても私からしたら、同じ日本人というくらいでほぼほぼ関係ない話ですので、知らなくても人生に何ら支障はないかと。

にしても、日本も米国も野球ファンは大盛り上がりですね。他人事に対してあんなに熱狂できる人の心の中はどうなっているのだろうかと、そういうことには興味が湧きます。

そして、今日郵便局に行ったのだけど、土曜日って郵便窓口も休みなんだね。しらなかった。多分常識なんだろう、誰も驚いている人はいなかった。
郵便局で荷物を送ろうと思ったのだけど、そんなわけで結局ヤマトで出だした。なんで土日も営業しないんだろうか、もったいない。そもそも市区役所なんかも窓口は土日は営業、夜九時くらいまでやってても良いと思う。

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激しく損傷した床を切り取る。

よく「壁を打ち破る」というコトバは前進的で、ポジティブな使われ方をするのだけど、「天を衝く」みたいに天井をぶち破るとかはどうも不遜な感じがあるし、足下をすくわれる的に、床を踏み抜くってのはあまり良いコトバではないように思う。別にどうでもいいのだけど。

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フロント部分は、穴はあれど、板はまだしっかりしてそうなので補修に留めることに。

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どうも以前にも張り替えられてたみたいですね。

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ワーゲンの底は本当に平らです。これだけでも空力抵抗相当減るんじゃないかなぁ、と。かつてホンダがリリースした初代インサイトは抵抗減らして、燃費稼ぐためにアンダーカバーでフルフラットにしていました。

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バチコーン、と新しいフロアを嵌めますが、やっぱりちゃんと合いません。そんなもんですよ。

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超ハードな床鉄板替え作業の傍ら、ドラレコ取り付けなんてラグジュアリーな作業もこなす。
最初の方は皆さん抵抗あった「ミラー型ドラレコ」ですが色んな面で優れすぎているので着けている人も随分増えました。

見た目はごつくて、旧車ににあわないし、ダサいのはたしかですが、はっきり言うと外側からそんなところ誰も見てないです。てゆーか、外から見ている人は車の表面しか見てません。内側のドラレコは元より、あなたが全裸で運転してても誰も気に留めません。

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ビートルの場合リアカメラはこの辺ですかね。雨にも濡れにくいです。
ミラー型のドラレコって結局常時点いてるバックモニターみたいなものなので、後方視界の悪い車にとってはめちゃくちゃ便利なんです。
しかも人間の目よりも広い画角と暗部の解像度。夜でも本当によく見えます。それこそ後についた車のドライバーの顔まで認識できるので、いまにもあおってきそうなラリったドライバーを見分ける事も出来ます。(ドラレコついてる車の後につくときは、鼻をほじったりしないようにしましょう。全部みえてます)

おもいかえせば2019年夏、常磐道でやらかした宮﨑文夫くんは、ドラレコ業界の最大功労者だなと思います。彼一人で成した経済効果は如何ほどのものだったか。服着たレイザーラモンHGみたいなあのビジュアル、インパクトありすぎの時代の寵児、文字通り世界と法を変えた男でした。

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せっかくついているのに、気付かれないと意味ないから「ドラレコついてるぜ」ってステッカーは見えやすいところに貼り付けることです。ダサいとかいってはだめです。ダサいのとHGに襲われるの、どっちがいいですか。
大丈夫、ダサいあなたのことは誰も見てません、そのかわり「前後録画中」のステッカーに、全国の熱視線が注がれることでしょう。

これでもう、煽られたりしませんってば。


花粉症は嘘だった

2023. . 23
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月曜日はやはり山へ。

ところで花粉症は大丈夫なのかというと、実はあれからなんともない。3日くらいは苦しんだが、それ以降は例年通り、何の影響もなくなった。
そういえば三月に入ってからなんだか、ずっと喉がイガイガしていたのだけど、それもなくなった。
私は花粉症ではないのかもしれない。

というか、中国から黄砂と一緒に飛んでくるPM2.5とかそういうのが悪さしてるんじゃないだろうかと。

世の中はどうやら花粉症も含めてそういう人が多いようで、マスクは手放せないようです。
特に学生さんのマスク率が著しいのは心配になります。マジで。

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で、花粉症でなくなったわたしは、杉林を抜けて、頂上で思い切り深呼吸したりしてるのですよ。
ああ、春ってすばらしい。

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天気もよいですね。
ところで、先日は26度とかの気温でしたけど、ついに3月に夏が来ました。もう毎年記録更新してておかしいんですけど、わざわざ温暖化とか言って異常性を認識しなくても、「そういうもの」と捉えて、海面上昇に備える方が建設的だと私は踏んでます。
地球人って自虐的だから、温暖化して海面上昇すると自分たちの文明活動のせいだとすぐ言いたがる。

その理屈なら、海底の古代遺跡も海面上昇で沈んだのだろうね。思い上がりも甚だしい。

大丈夫、人間のせいなんかじゃないから、人間が何したって海面上昇は止まりません。

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山頂から谷底へ。

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遭難しそうになった。

ほんの午前中だけですけど、山に入るとちょっとした冒険気分味わえます。
本当は一人で行くのは危ないんですけどね。

オフロード体験してみたい人、林道行きたい人はレンタルバイクあります! 
レンタルオフロードバイク http://chelm.blog37.fc2.com/blog-category-11.html
おきがるにどうぞ!

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休み明けは、全く知らなかった祝日だった。役所系が休みだという事実に愕然とし、仕方ないので店内設備の電動ホイストの修理。
車やバイクに比べたら簡単なものですけど、とにかく重い。このホイスト一基で35キロもあるから、設置も命がけ。脚立に登りながら35キロを頭上に掲げるオレ、血管切れそうになった。

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今日もビートラックは働いてます。






ディストピア

2023. . 17
今、たまたまウチに修理で入っている車が、全部別のタイヤはいているので、比較のために写真上げてみます。

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こちらは、クラッシックスタイルのラジアルタイヤの雄 アウトバーンタイヤ。
5.60R-15 ホワイトウォールで28000円

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こちらはお馴染みミシュランのXZX 165SR-15。普通のラジアルタイヤですが、スニーカーよりもサイドラインがすっきりしていて、ヴィンテージカーには似合います。少々お高い28800円

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こちらはヨコハマの、GTスペシャルクラッシック 165 80-15。
こちらもサイドラインはすっきり角刈り。60年代当時を意識したデザインが成されていて、ちょっとシブい感じですね。こちらはまあまあお手頃。18800円。

たかがタイヤ、されどタイヤ。
おしゃれは足下から、なんて台詞は昭和感丸出しですけど、ありゃあ元ネタ何だったかな、何かのCMで聞いたのかな? と、ふと思って調べたけど、はっきりとした起源は見つかりませんでした。


ま、そんな感じで車の話をして皆さんを安心させておいて、本題に入ろうと思います。


ディストピア、ってコトバ、聞いたことはあると思います。昔はSF小説やアニメなんかでないと、なかなか出てこなかった言葉ですが、語感の通り、ユートピア(理想郷)の対語とされ、絶望郷などとも訳されます。
ユートピアと同じく未来社会や、架空世界を指すことが多いため、はっきりとした定義はないのですが、ユートピアとされている世界では、平和かつ平穏な生活が営われ、人々は感情を荒げることもなく、またその必要もない、ただ社会の決まりを守ってさえいれば何の不自由もなく生きてゆける。といった描写がなされることが多く、それを、人間の尊厳が失われている、等と皮肉る形で、この社会はユートピアなどではない! と主人公が立ち上がるのですね。

絶望的な未来というと、マッドマックスなんかの世界が思い浮かびますが、はっきりとした社会秩序がそこにあるかないかがキモらしく、同じような世界観の北斗の拳とかも、世界秩序が崩壊した後で混沌を描くから、「世界の終焉の後」という意味で「ポストアポカリプス」という別カテゴリーになるそうです。
ディストピアで有名なところでいうとマトリクスとか、ターミネーターシリーズが、まずあがるんですけど、いずれも人間と機械の対立ですね。機械が勢力を高めて機械中心の秩序が人間を支配している、という構造。もう人間ほぼ滅んでるんでどうでもいいっちゃ、いいんですけど。

それがもう少しソフトな感じになると、ロボコップとかブレードランナー、バトルランナーあたりになる。双方とも多数派の平和と安寧を楯に人倫をまあまあ軽く踏み超えるという、タブーを犯すあたりにディストピア感があります。ま、その分ワルも激しく規模がでかいという、力には力で抗し続けた結果双方にエスカレートしちゃったという失敗未来です。

さらにもっとソフトな感じでいくと、そこに住む人々が絶望感を感じていないディストピア、というカテゴリーがありまして、まさにそこに住む人達にとってはユートピアな訳でして、漫画の「銃夢」のように外部から来た主人公などがやっぱり「この社会はユートピアなどではないディストピアだ!」なんて豪語するわけですが、正直ほっとけよって感じですね。

これ別にフィクションの話ではなくて、かつての大戦期などは大体何処の紛争当事国も悲惨でしたし、ドイツのナチスの様子なんかは、長らくディストピアの雛形として使われてきました。
実際に現存する国家としては、ハードなカテゴリーに属する北朝鮮とか、あとはタリバンが支配してるアフガンあたり、ミディアムなやつで中国とかロシア、政情不安な東欧諸国とか、いずれも社会主義とか共産主義とか宗教をユートピアに必要な金科玉条のように有り難がって導入した国で、(私からしたら怠慢だな、と思いますけど)ま、一応ユートピア目指してみたけど権力者にとってのユートピアにしかなりませんでした。
いわゆる西側のエンターテイメントが描くディストピアってのは一定以上の割合で、東側勢力の暗部や不幸性を揶揄しまくったわけです。もちろん当の東側勢力の人達がディストピア描くと「人々は金品を纏い、娯楽とセックスに明け暮れ、資本と利潤を貪り弱者を虐げ、世界を食らいつくさんとする帝国主義」となるわけです。


ま、どっちもどっちな話でして、ソフトな感じでなら西側諸国もいずれなりディスな部分はありまして、実のところ平和と自由と環境保護を標榜しながら、世界を支配していっているのが、いまの西側世界の姿だと思います。それらが正義かどうかはさておいたとしても、正義を叫ぶ声の大きさ次第でいくらでも事実は覆せるという実績を積んできたのが、20世紀後半の西側諸国の歴史だったと思います。(いまさらロシアは勝てませんし、中国は順次開放政策をとらなければ対応しきれなくなると思います)

わかりやすい喩えでいえば、人々がコンピューターを扱い始めて、それの便利さに気付き、心酔し、なくてはならないものになり、社会ごとまるっと(ほぼ)ウィンドウズに支配されたけども、誰も不幸になってないからいいじゃん的な。そのタイミングで(アプリの)オフィスを課金制(サブスク)にするよ! なんてやられる。なんせ、むこうは「社会」を握ってる。

ユーザーがアプリを切り替えず、いうことを聞かなければ、OSを非対応にして、更新させたらいいだけのことで、いつでもそれは瞬時に出来てしまう。

まあ、パソコン業界も黎明期のうちは、ユーザーに支えてもらいながら、ソフト開発やハード製作をするメーカーにお伺いもたてつつ、パソコン普及社会を醸成していっていたわけで、自動車業界の辿った歴史と同じような感じで、時代、文化とともに成長してきました。

したたかっちゃあしたたかですけど、じゃあ誰がそれを推し進めたのか、っていうと、ジョブズでもゲイツでもなく、今生きている我々なんですよね。

そういう社会を選択した。そういう社会を選択するように誘導されたかもしれませんが、結局選んだのは自分です。不自由さに、不都合に、不便さに、不合理に耐えかねて。

けして誰かに強制されたものではなく、自由と権利を踏まえた上で、社会の有り様に対して立法し行政されるのが(基本)民主主義ですから、ユートピアの住人とは「自らで檻を造り、自ら檻の中に入り、自ら檻の鍵を掛ける生き物」と揶揄されるのもよくわかります。(こりゃ、アップルシードですね)

最近のディストピアもので人気なのは、人工知能による暴走です。
AIという概念が生まれた頃からあったネタですが、しばらくして現実のAIのダメっぷりに「こりゃ使えねーな」、と飽きられ、コンピューター社会が現実的になるまでしばしなりを潜めていました。

そんなこんなでようやくコンピューターの業界から、使えそうな生まれたのがAIという存在ですが、何の略かというと、Artificial Intelligence (アーティフィカル インテリジェンス)という耳慣れない単語ですが、直訳するとまんま、“人工的な知能”となります。
昨今ではAIの進化がめざましく、AIが何を言ったのだの、どう応えたのだと、人間の何歳児相当の知能だとか話題になったりします。まだまだ人間の知能には及ばないそうですが、その理知的かつ、理性的、聡明さとユーモアのセンスを持ち合わせ、小説を書くようなAIが生まれるくらいでありますから、とっくに知力的に追い越されてる人間もまあまあいるだろうな、とは思います。

で、案の定というか、近頃話題の「チャットGPT」を称賛するような声が多く、心酔している人も少なくはない。いわば一時的な過熱ブームではあるのですが、これが加速してゆくと少々厄介なことになります。

人間があまり自分でものを考えないようになったのはインターネットの普及からこっち、すでに20年に及ぶ歴史ですし、今更嘆くことでもないのですけど、もはやAIが答えを出す時代になると、人間がAIに、思考や判断を外部委託するようになるだろうなと。

「AIは間違わない」が常識になると、人間は、確認作業のようなしょーもない仕事をしなくてよくなります。そもそも、人間が考えてもAI以上の成果を出せないなら、AIにやらせた方が合理的なのです。

AIの有用性を論じるとき必ず、介護分野にAIロボットとかいう話が出てますが、人手が足りないからといって、機械にやらせるというのは前世紀的(古典ロボット的)な考えで、AI導入は、AIが確実に出来ることを肩代わりさせるべきで、AIが処理に困るようなもの、人間がやった方が得意な部分は人間がやるべきなんです。

現況であっても、あらゆる役所関係の窓口業務など、ほとんど人間は要らず、決まったことさえやればいいのならAIで充分ですし、例えば裁判なんかでも過去に判例がでているような事案は、起訴された瞬間に判決でておしまいです。

死刑の執行官なんかそれこそ真っ先にAIがやれば良いんです。
警察や自衛隊、消防などの分野で、危険な任務にあたる場合でも、高性能なAI義体さえあれば、やることは決まってるので任せて安心、人間よりも丈夫で強い、なんてことになります。第一、死なないし、使い放題。

またオートメーションの農業プラントや、漁業ロボット船ができれば、一次産業に従事する人々は過酷な肉体労働から解放されます。

そうすると、何が起きるのかというと、AIが社会秩序を担うようになります。
なぜなら、法に基づいて成された社会秩序という、「既に決まった檻」から出ようとするのは、一部の人間(エラー)だけだから、AIがその単純な処理(デバッグ)を管理するようになります。

基本的に社会秩序を乱す存在はない、という仮定の下で、問答無用で法が執行されるという流れになります。
つまるところ、「それで誰か損をする人はいますか? 悪いことをせず、ルールさえ守っていれば何も問題ないのでは? 過失は自己管理のミスでしょう?」という、たびたびSNS界隈で見かけるシニカルなコメントそのままの理屈が、社会の最低限のルールになります。
ま、あれですアニメの「PSYCH PASS」の世界ですね。
人々は社会に従い、迎合していれば、平穏に暮らせる。そこからはみ出すことを人生における最大の非とする。たったそれだけが守れさえすれば抑圧されることもなく、強制されることもないユートピアであると。

そんな馬鹿な事があるわけがない、というあなた。今(2023年)から三年遡って、この日本の様子を改めてなぞってみてください。

別にAIがあろうがなかろうが、社会を維持する必要性に駆られれば、人間はものを言わないマシンになることが出来ます。当然思考することもやめます。これも別に近現代に限ったことではなく、太古の昔のほうがより単純に機械的であっただろうと思います。

思考していたのは王族や貴族だけで、その他の人間は生産機械、労働機械であったのです。
それが、AIが一定の力を持った時点で、現代で言う政治家連中に成り代わり、社会インフラを担い、社会的フォーマットを掌握し、その盤上で必要な“人材”を配置するようになります。
人間側から見ると、“要所要所に必要な人員を配置していないと、いざ社会を維持しているシステムに綻びがでたときに、対処できず大災害となる”とするわけです。どちらがどちらを制御、支配しているのかわからないような構図ですが、ここまでくると鶏と卵のような関係なのです。

AIは、散々人類が積み重ねてきた英知を奮い社会を統制しますが、人類は思考する必要性を失いマシンになる。皮肉なもんですが、一定の人々はそうならざるを得なくなるでしょう。

こういった話の時に科学者などは、「人間はAIには出来ない創造的な活動をするように求められるだろう。人類はより文化的に、豊かで満ち足りた生活を、誰もが享受できるようになる」みたいなユートピアン楽観論が語られる事が多いですが、人口70億突破の人類がみんなクリエイティブになんてならないし、なってどうするんだって話です。
現実は無数にあるAIのハード部分の保守や、各種義体や作業機の管理保守、資源採掘や資材調達、それに清掃にまつわる廃棄物処理に社会維持のための子作り、子育てといった、実にクリエイティブな奴隷的作業を任せられます。

なにより、AI議会で「人類多すぎなので減らしましょう」と瞬間的に議決されようものなら、各所の軍事ドローンとか戦闘義体が人類に向けて殺戮の限りを行います。AIには生命の概念がないので不要なユニットは消去するだけです。ただそれにより社会の心身衛生状態が悪くなったりすると問題なので、衛生的な死体処理や、伝染病を防止するため強力な消毒剤を散布したり、生き残った人々がメンタルケアが受けられるよう至れり尽くせりの処置は施します。

AIには欲望はありません。AIは思考と情報の並列化が瞬時に行われるため、全てのAIが同じ内容をストレージします。そういった間柄で個々のAIという概念はありませんし、当然対立も起きません。AIには物理限界もありませんし、時間的制約もありませんので、どこまでも議論を尽くすことは出来ますから、対立が起こると、徹底的に演算して最適化を目指すでしょう。もしくは矛盾を克服できず、延々と自己議論を続ける可能性もあります。

もしもAIに欲望があるとするなら、漫画やアニメのように、「私も人間のような感情がほしい」とか「創造的思考がほしい」とかではなく、ただひたすらに「極相林」にみられるのような「完成したシステムの永続性」を求める事なのではないかと思います。
ですから、AIが社会を統制すると、未来は破綻しますし、進化や変革を望む人類は淘汰されます。

AIは与えられた条件の中で最適解を導こうとするでしょうから、彼らのユートピアはやはり箱庭のユートピアでしょう。
人間が信じたいものを信じ、知っている範囲内の事柄を常識と倫理で読み解き、感情によって自ら檻にはいって鍵を閉める意志決定するのとおなじく。

認識できる世界の中で幸福追求を行うというのも一つの幸福な世界観だと思いますので、あながちしたたかな統制やあからさまな陰謀や、不誠実な欺瞞だらけの世界がディストピア、ともいえないかなと思います。

ま、究極的には、自分が幸せなら、世界もまた幸せであると言い切れるのですけどね。








 










花粉

2023. . 15
十年ぶりくらいに花粉症が再発した。
あしかけ15年くらいは殆ど無症状だったので、完全に治ったと思っていたのだけど、そうは問屋が卸さないらしい。

そして月曜日はお約束の雨。
なんでやねん。

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でも、悔しいので、走りにいった。
マシンはめちゃめちゃ調子良い。今の私はめちゃめちゃ調子悪い。
でもまあ、現役バリバリの人よりかは幾分マシだろうと思うけど。

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そして腹が立つので、飲みにも行く。
飲んで飲んで飲みまくって食いまくる。別に過剰にストレス抱えているわけじゃないのだけど、休日をぼおっと過ごすのがもったいないので、いそいそやってるだけでして。

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ソッコーで壊れたMSD ブラスター2。

さすがアメリカ製、と思ったら、どうやら中国で造っているらしい。いずれにしても、こんな簡単なものをちゃんと造れないくせに、まあまあいい値段で売るところは図々しいな。コイルの赤色が共産党の赤に見えてきた。

まあ、本体のほうじゃなくてよかったのだけど。

しかし、花粉症。
なんで自分は15年ものあいだ無症状でいられたのだろうかとおもう。ひょっとしたら来年はなんともないかもしれないけど。私はコロナよりもこっちの方が深刻な国民病だと思うのだけどね。

マスク自由化でも、みんな変わらずでしたねぇ。
もっとも今は、花粉症のせいで着けている人もたくさんいると思いますけど。
何かそんな感じでゆるやかーにマスクは外されてゆくんでしょうね。



タイプ2 ステアリングカプラー

2023. . 12
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潜って見つけたヒビヒビになったカップラバー。
旧い車にはありがちなゴムの劣化なので、まだいける、使える、とかはなく、即交換です。
ゴム系の部品は硬化したら終わりですし、後は分解してゆくのみです。ゴムはしなやかだからこそ存在意義があります。
ゴムで覆われる逞しいものは硬くなければいけませんが、硬くなったゴムはただのゴミです。

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旧い部品は今にも裂けんばかりですが、それでも意外としぶとく、手の力で裂いたり出来るほどヤワではありません。ま、それなりに丈夫なんですよ。

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単純なもので、ステアリングシャフトと、ステアリングギアボックスを繋いでいるんですが、この取り付け位置が絶妙に面倒くさい位置にあり、一人じゃ厳しいけど出来ないことはないが、二人でするほどの作業でもない、といったジレンマの募る交換作業です。

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こんな感じでつきます。
ま、シャフトを抜いて作業したらもっと楽に出来ますが、それだと結局手数増えますから、工夫して根性でやりました。

さあ、みなさん。

明日から、マスクが解禁ですよ!




過去に鑑みる

2023. . 11
二回続けて、クソほど長い「あやしいはなし」をやってしまい、一体何の店かわからなくなりそうなので、とりあえずインターバルで車の話もしよう。

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まだ三月というのに半袖でいける気候。
やっぱり昭和からは変わってるよなぁ、と思います。たった40年くらいでも気候は変動しているんだから、これから100年後とかどうなってるんでしょうか。

というか、たった40年くらいの間の人間の活動が、地球の環境に影響与えているとしたなら、そんなヤベーことは速攻打ち切るというのが筋だと思います。本来であれば縮小しなくてはいけないところ、手を変え品を替え、消費生活を維持しようと社会全体が頑張っているのって、欺瞞でしかないと思います。

なんせ、この40年で日本人はめちゃくちゃ豊かになりました。
そのことに気付かない、実感しない、できない、のは不幸でしかありませんが。

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そういえば、今日は東日本大震災の日でした。
もう12年も経ったんですね。
過去に津波で水没した不動のハーレーを復活させたことが思い出深い。別に慈善事業とかではなく、水没したバイクくらい直せるだろうって、半分は趣味でオークションで買ったんだけど、説明には塩水に浸かったとは書いてなかった。そして車検証は東北ナンバーで、鉛筆書きで端のほうに「つなみ」と書いていました。

当時、津波が引いた後の震災現場で、あちこち放置されていた車やバイクを、物色してタダで回収していた業者がたくさんいて、そいつらが後日現状不動車として、ヤフーオークションなどで売りさばいてたんですね。

べつに悪いことをしてるわけじゃない。盗んだものではないので、ちゃんと書類もあるし、本人にも了解が取れている。だけども、そういう現場に金計算で出張ってゆける人って、ちょっとなんか友達にはなりたくないなって思います。
もちろん災害現場としては、不動の車両なんて邪魔なものでしかないし、ゴミ収集だと思えば無料で持って行ってくれるありがたい存在かもしれない。
でも、本当のゴミになる前に、回収してかなり早い段階で清掃してるんですよ。もちろん転売するために。塩水につかった車やバイクなんてのは、ほんの少しでもほっておけば簡単に錆びます。転売の際に価値を落とすのが嫌だから、持って帰ってすぐに洗ったんだろうなってことは、実際の車両を見れば解ります。

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まあ、そのバイクは酷い有様でしたけど、まともに走る状態まで戻しましたよ。
回収した奴らは、濡れ手に粟で儲かったでしょうけどね。
非道い奴はどこにでもいます。おにぎりを一個1000円とか法外な値段で売りに来る奴がいたり。避難した地域を狙う火事場泥棒もいましたし。

なんか運命的だなって思ったのは、結局そのバイク、後に売ることになったのだけど、売った先が再び東北の方だったという。なんか大阪で修理してまた故郷に帰っていったみたいな。

ちなみに私は全然儲かってません。修理するための部品でほぼ消えましたので。
今もどこかで走っているのでしょうか。

http://chelm.blog37.fc2.com/blog-entry-283.htm
       ↓
l津波にやられましたです ハーレー

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ま、このバイクはそんな大変なことではなくって、フライホイールが抜けないので、ガスで炙ってるところです。

普通に考えたらエンジン故障って大変ですけど、あれだけ酷い作業こなしたら、ちょっとやそっとじゃへこたれません。

そういう意味では、過去って大事だな、と思います。
人間は歴史には全くもって学ぼうとしませんが、せめて自分の生きてきた過去の日々や経験に鑑みて、今を良い人生にしようという姿勢で生きていきたいものです。

(ちなみに、すんごく間違って使っている人が多いのが “かんがみる” です。もはや誤用ワースト1といってもいいです。プロの脚本家ですら間違って使ってますので、ドラマや映画でも俳優がそのまま間違って使ってます。 “鑑みる”は、“考える”の畏まった言い換えではありません。別のコトバです。興味がある人は調べてね)








LGBとTにおける婚姻問題 その2

2023. . 08
てんちょのあやしいはなし

私がLGBとTを別にしてお話するのは、LGBは性指向の問題でありながらも、「異性愛者がまず持ち得ない性嗜好」が大きなファクターを占める話である上、ほとんどのLGBが性自認には言及しないからです。
逆から引きますと、Tのトランスジェンダーは、ただひたすらに性自認の話であり、彼らは生物学的観点からはゲイやレズに分類されてしまいますが、性の自認性においては異性愛者(ヘテロセクシャル)でありトランスしているわけではありませんし、性嗜好はストレートです。
そこのところを大雑把にまとめて、全員まるっとセクシャルマイノリティと呼ばれたり扱われたりするのは、当事者にとって違和感や苦痛を伴うのではないかと思いますし、新たな差別や認識不足からくる誤解などで、トラブルが起きる可能性はあります。


そのような、一人の人間の尊厳やアイデンティティにまつわるデリケートな話ですから、呼び名、呼称、俗称や、その取り扱いにも各業界は相当慎重になっているようで、統一も出来ていませんし共通認識も出来ていません。あるいはこの先医学の認識次第で言葉の定義が変化することもあり得ます。

ですので私などは、この感覚的にも感情的にも理解が難しい上、当事者達でさえ捉えきれない複雑怪奇な問題を、今までろくに考えてもこなかった一般人が、この段階からどうにかしようというのはあまりにも無謀だと思われます。

先ほど医学用語のお話をしましたが、GIDのDisorderは、「疾患、不調、障害」を指しています。ですが、トランスジェンダー当事者が「病人である、足らずである」という認識を好まないため、当事者に対し「GID」「性同一性障害」という言い方は望ましくないというのが今の流れです。
近年「性同一性障害」に変わるコトバとしてはGD(Gender Disphoria)という言い換えが為されており、日本語では「性別違和」「性別不合」などと言われたりしています。

また、ここもややこしい話ですが、全てのトランスジェンダーが必ずしも「性別違和」に苦しんでいるかというとそうではなく、当然ながら現状を受け入れている人もいます。ただ、中身と外見の違和により精神的な健康を欠く場合、外科的処置により不合性を緩和します。要するに皆さんからしたら馴染みのある「性転換手術」ですが、これもまた近年では「性別適合手術」、SRSとも呼ぶようになっています。
もうこのあたりまでお話していたら、何故呼び名が変わったかはお解りだと思います。
「転換」ではなく「適合」といい、当事者の立場に立った語句になっているわけです。

現在の身体性に嫌悪感を持ち、性別適合を望む人、または既に外科的措置を受けた人のことをトランスセクシャルといいます。こういった方々は外見上限りなく女性(男性)で、普段の社会生活も見た目の性として認識されつつ生きている方も多数おられます。
ただ、カミングアウト(カムアウト)できるのは一部の業界の人とタレントくらいのもので、日本社会にはそんな寛容な仕組みはありません。

また、この様に書くと、トランスジェンダーとトランスセクシャルが並列しているような錯覚を覚えますが、大まかにいいますと、ジェンダーマイノリティが一番大きな枠で、そこにLGB(レズ・ゲイ・バイ)とT(トランスジェンダー)が入る。話がややこしくなるのでQは別枠として。そのトランスジェンダーの中で性別適合を望んで、外科手術を受ける人と受けたいと感じている人がトランスセクシャルという分類になりますが、それに忌避感を感じる人もいれば、現状の身体性を受け入れている人もいる。

だから一括りに、トランスジェンダーはすべからく性別適合を望むものだ、とするのは間違いです。
また、女性装をしているからといって、必ずしもトランスジェンダーな訳でなく、またはゲイやバイでもない。そういう趣味の人(クロスドレッサーまたはトランスヴェスタイトまたはコスプレ、男の娘)もいるというだけです。
現実の問題として、性の指向や嗜好等、人の心を明文化するのは非常に困難であり、その色や形はしれても、手触りや匂いや温度までわかり合えないのは当然です。男女ですらわかり合えないのですから。

ただ、だからといって感情的、感覚的に捉えるに任せれば、人々は無軌道に自身らの快楽的解釈を施して、都合の悪いモノを排除してしまう。そして、その過程で必ず不幸な事案や個体が発生してしまいます。
ですので、ある程度はその不幸な事案発生の抑制のため、法整備が必要になるのです。
自身らの権利を求めてセクシャルマイノリティが、社会を変革する運動の中心軸にくるのではなく、現状+アルファで、今不幸にあえぐ人を極力なくしてゆくことが、現行政治の使命なのだと、私は考えています。

ただし、堂々巡りになりますが、法が成立するためには、その国の国民が根拠になる諸問題を、感情ではなく頭で理解し受け入れられなくてはいけません。日本というほぼ単一民族で構成された保守的な国は、長らく人権というものに向き合わずに済んできました。
そのため、いつの時代においてもこのあたりの議論を疎かにし、目を背けるケースが非常に目立ちます。

性自認と身体性が一致している多くの人も、普通に考えれば解ることですが、何故生まれて数年の幼児が予備知識もなく最初に車輪の付いたものに興味を示すのか、あるいは花や人形に興味を示すのか、それは結果論的に男の子だから女の子だから、と我々は当然のように捉えますが、その不思議な現象こそが「ジェンダー」の存在を表している、ということにまず気付くべきです。

ジェンダーアイデンティティとは周囲の認識や養育環境により後天的に獲得してゆくものではなく、脳の性分化によって決まります。ざっくりいいますと、今現在の医学的見解では、人間の脳は基本的に女性脳として発生し、男性の場合はそこへアンドロゲン(男性ホルモン)の影響を受け男性脳として分化するそうです。これは胎生期の段階で行われる仕組みなので、男性も女性も生まれた段階からジェンダーは固定されています。

この事を決定づけるきっかけとなったのは、ブレンダ症例という大変有名なお話があるのですが、長くなるので割愛します。興味のある人は調べてみてください。

ですから自ずとトランスジェンダーは、生まれたときからトランスジェンダー、ということになります。
蛇足ですが、アンドロゲン不応症とかクライフェルター症候群といった遺伝子疾患で、男性に生まれながら身体が女性化してゆくという方もおられ、これをして(彼、彼女らを)ジェンダーマイノリティの類型に嵌めるというのは、すこしどうかという気はします。 

ところが、性分化の仕組みがはっきりしてきたことで、現在では従来型の親の思い込みによるジェンダーの刷り込みが(虐待にあたるのではないか、という)問題になったりしています。

幼児に対してもジェンダーを決めてかからない、多様性を尊重する、という取り組みが為され、子供がより自由に育つよう考えられているのは大変良いことですが、これこそ、政府やどこぞの機関の用意した指標を基準にするのではなく、親の肌感覚で子供を観察して、幸福感を認める、という思いやりが必要かと思います。

今回取り上げた「LGBとTにおける婚姻問題」ですが、実際の所これを議論するには、ここまでのお話を正確に理解し、想像力をフルで働かせなければ不可能であるということをお伝えしたく、書き綴ってきました。

その1の冒頭でも書いたように、永田町の老人らはおそらく理解が出来ないまま、この問題を議論しているとおもいます。不満を漏らしながら。

ご存じの方も多いと思いますが、2015年に世田谷区と渋谷区ではじまった「パートナーシップ制度」これは、各自治体が互いをパートナーとして認め、証明書を発行するなど、同性カップルを支援する目的で作られた行政サービスです。

この制度の実現がもたらしたものは、制度そのものの実効力というより、同性カップルの存在が表層に浮上し、世間に認識されるといった部分で、行政機関が導入したという点では意義が大きいでしょう。今現在もその同類の制度は全国の自治体に広がっていっています。
ただ、日本におけるパートナーシップ制度というのは、自治体が証明書を発行する等、自治体レベルで出来る範囲でだけで、法的に婚姻というものとしては認められていません。


現況、日本の自治体が独自に展開しているパートナーシップ制度がどういうものかといいますと、行政サービスが家族として受けられたり、公営住宅などに家族として住民登録できる、また全てではありませんが病院などで家族と同じ待遇が得られる、生命保険金の受取人として登録できる、といった動きが進んではいるようです。
しかし、婚姻のように、財産の相続、入籍、親族のみが行える手続き等、には関与できません。

では何故、日本における同性婚のハードルがそんなに高いのか、というあたりを掘り下げてみましょう。

で、その前に一応、知っておくと頭が良いと思われるので、是非覚えておいてください。

日本国憲法第24条1項で「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有する事を基本として、相互の協力により、維持されなければならない」

という、特にマイノリティでもない我々の身にもつまされる、文言が並んでおりますね。両性や夫婦とは無論男女のことを指しますから、解釈次第では「同性はダメ」「該当しない」ともいえます。

そして一方、憲法第14条1項で「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分または門地により、政治的、経済的または社会的関係において、差別されない」

とあり、全ての人は平等であると定められている。これが原理原則なんです。ですから日本の、「同性カップルの婚姻は認めない」、というあたりが憲法違反に抵触します。

そして極めつけは、憲法第24条2項の「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻および家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならない」

と、少し難解ですが、「個人の尊厳と本質的平等に立脚して」という部分が重要です。

そして私の好きな、幸福追求権 第13条「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」

で、先ほどこの手の裁判で、「同性婚を認めないのは差別であり、憲法違反である」という主張に対し、東京地裁は「違憲ではないが、同性パートナーと家族となる制度がない事は、違憲」という変な判決が出ました。まあ私なりに解釈すると「現行法に不備はないが、早急に制度を整えるべきだ」という前向きさには聞こえます。

無論これは、憲法が制定された時点で同性婚という想定が為されなかったのが原因で、時の臨時政府やGHQに、同性婚を阻止しようという意図があったわけではないと思います。
ただ、日本という国は世界最長の家系である天皇家を頂くだけに、厳格に血族関係や家制度を重視する国柄で、それが男尊女卑の文化を発生させてますし、子を産めぬ家など無価値とばかりに切り捨ててきましたから、無論のこと同性愛やらジェンダーフリーなどあり得ず、いずれも非生産的な性など認める素地はありませんでした。

ちなみに江戸時代くらいに寺社や武士の文化がおりてきて、庶民の中で男色(衆道)が大流行した時期がありました。(歴史の教科書には載りませんが信長も家康も信玄も、もちろん掘ってます。ただ秀吉だけは好まず、やらなかったらしいですが、今年の大河の松潤みたいなのは問答無用で絶対掘られてます)とはいえ、忠誠や魂の契りのような精神的な関係性の上に築かれていた、武士や武将達の同性愛に対し、江戸期のこれは、あくまで性嗜好的な流行であったかと思います。

ま、江戸時代はめちゃくちゃ平和だったので、あらゆる者同士の性交渉、性行為に対して非常に寛容でした。まさに江戸全体で快楽に溺れていたんですね。

もちろん武家の奥さんなどとの不倫がバレたら、現代のように300万では済みませんで、修羅場の文字通りサクッと殺されたそうですが。

そんなわけで、というか話が広がっただけで何にも結論しないので、その3に続きます。







LGBとTにおける婚姻問題 その1

2023. . 05
少し春の自由研究的に。

てんちょのあやしいはなし

いま、LGBTの婚姻問題が永田町で悶々と議論されてるようですけど、たぶん日本の政治家のオッサンは、全くもって受け入れられないでしょう。それより、先進7カ国の中で同性婚を認められないのは「ダメじゃね?」という空気感だけが支配している。

うちだけじゃん? 的な。

私的には、まだそれでもいいと思うんですけどね。ちょっと性急に過ぎる気がします。

個人的には「LGB」の人はちょっと普通に受け入れられないかなってのはあります。自分がそうじゃないから。
だって私は、男に恋愛感情抱かないもん。恋愛感情ベースで一緒に寝たいとか、交合したいとかも思わない。
こういう言い方青すると誤解が生まれますよね。必ず。
LGBってのは性嗜好(せいしこう)ではなく、性指向(せいしこう)であると。

読みは同じですがコトバの意味は全然違う。

極々一般論的にいいますと、

性(的)指向は恋愛感情を向ける対象を指す。だから向きを指すという意味の「指向」と書く。
性(的)嗜好は性的興奮を誰(何)で感じるか、を指す。だから嗜好品の「嗜好」と書く。

で、ここで間違えてはいけないのは、コトバは別だけども、これらが同列で別のモノとして並列している、と考えるとおかしな事になります。

性嗜好は、ヘテロ(異性愛者)だろうがホモ(同性愛者 ゲイ・レズ・バイ)であろうが皆持っている。そんなものはないという人は性欲そのものがないのだと思います。(だいじょうぶ、まだ見つかってないだけで、きっとそんなあなたも見つかります)
なので、性嗜好というのは、大抵性指向の中に包括されてます。

男性は女性に恋愛感情を抱き、女性の身体あるいは身体部位に対して性的な興奮を覚えます。

同じく、

ゲイの男性は男性(ゲイ、バイ、ノンケ)に対して恋愛感情を抱き、男性の身体、あるいは身体部位に対し性的興奮を覚えます。

ただし、性指向と性的嗜好が必ずしも一致するわけではなく、男性として性指向は女性だが、男根に性的興奮を覚える、等といった例もありますし、あるいはフンドシやハイヒールといった、モノにフェチズムを感じるケースも性嗜好であり、この場合パートナーがフンドシ、あるいはハイヒールさえ履いていればそれで性交渉が成立してしまうケースもあり得るわけです。
さらに言えば、男性が女性装している姿が良いだとか、顔は女性で男根と乳房が付いてるのが良いとか、髭面のオッサンがひらひらのドレス着てるのが良いとか、まあ、ややこしい。

広義に捉えればロリコンやSM、スカトロなども性的嗜好に分類されます。(詳しくは後述)

ですので、現況なかなか理解されにくいのが、この問題。
LGBT=性的弱者・セクシャルマイノリティと訳されているにもかかわらず、「変な性癖の持ち主達」と、皆がどこかイメージしてしまっている事。

ちなみに、よく皆さんが口にする「性癖」ってコトバは、「性的な癖」ではなく「癖の性質」のことです。全然違います。本来性癖にはセクシャルな意味はなく、行動原理的な癖やこだわりを指し、どちらかというとネガティブな、社会通念上好ましくないとされる個人の癖に対し「性癖」を使います。昨今はその言葉の響きが便利なせいで、性交渉の際のフェチズムに充てて「性癖が異常」などと使われたりしますが、完全な誤用です。
(上記私が指した「変な性癖の持ち主達」という使い方は間違ってはいませんが、前の文脈からすると間違いです。私は意図的に誤用していますのであしからず。正確には「変な性嗜好の持ち主達」となります)

はっきりいいますと、この分野は底なしの沼です。入り込むと訳がわからなくなります。

ヘテロセクシャル(異性愛者 皆さんが考える普通の性指向の人、ストレート)から見ると理解に苦しみますし、多分完全に理解も出来ません。それに性的マイノリティに属する人々自身も自分たちをなんとか規定して、主張強度を上げようとして、いろんな言葉を生み出しましたが、やはり全てのマイノリティがそれに属しきることは不可能なので、さらに細分化していったという。

単純に昔は、「普通と変態」だったのが、「私は変態だが、お前の変態とは違う」と言い出したり、「変態は変態だが、この一線は越えない変態である」としてみたり「いいや、お前は俺の変態と同じではないから、その種別を使うな」といった内ゲバが生じたり、あげくは「変態ではない、自然だ」と主張しだしたり、そんな歴史で今に至るわけです。

で、最初にLGBの人を(恋愛対象として)受け入れる器が、自分にはないなぁ、というお話しでしたが、私も含めた一般人のLGBに対するぼやっとした忌避感というのがかならずあります。
しかしそれは、LGBの方達の人格や性指向に対してではなく、もっと単純に、「異性愛者であればまず持ち得ない性嗜好」がセットとして付いてくる事が殆どであるからだと思います。それだけのことです。

わからない方がいるといけないので一応断言しておきますが、普通の男は男根を男のケツに挿したいとも挿されたいとも思っていません。仮に男に迫られたり、諭されたりしたとて、渾身の力を込めて殴り飛ばすか、全力疾走で逃げます。そこで殴りもせず逃げもせず、唯々諾々と許容してしまうそんな男は、腐向けBL漫画くらいにしかいません。

さて、じゃあTは何処行ったと、ここから本題のお話です。意外なことに、ここでこの手の話をするのは初めてですね。(過去にジェンダーの問題 は切りましたが、ジェンダーバイアスやジェンダーロールはまた別の観点から語られる話ですので、今回は絡めません)

Tってのは「トランスジェンダー」昔は性的倒錯者などと呼ばれたり、変態はもとよりオカマとかオナベとか、割と無自覚に蔑称に晒されてきた、理解も得られにくい、苦労の多い分野の方々です。
今現在においても、自覚無自覚にかかわらず、社会的な影響もあり、自身でそれと受け入れたり表現したりができない人も多く、潜在的にどの程度いるのかは皆目見当が付きません。

また、無自覚層においては、ちょっとズレてる感覚はあるけども、それほど違和感を覚えない、もしくは許容できる、という人も多い印象です。

我々がここでしっかりと認識しなければいけないのは、「性自認」「身体性」「トランスジェンダー」「トランスセクシャル」の4つが何を指しているのかということです。

歴史的にはさておき、現代においてトランスジェンダーとは、自分が思う「性自認」と自分の身体の「身体性」が一致しない状態のことです。
「ジェンダー」というのは解りやすく言えば「社会的な性」ともいえますが、ここでは「自分が思う性」のことです。
「セックス」というのは、行為そのものではなく、生物学上の性別です。生殖器や身体構造といった物理的な部分を指します。

なので、人間以外の(たいていの)動物にはセックスはありますが(おそらく認識できるほどの)ジェンダーはないと思われます。

だからといって、ジェンダーは人間が頭の中で作り出した概念なのかというとそうではありません。実は近代から現代まで延々とトランスジェンダーの方々が被ってきた各種の悲劇は、「ジェンダー」が脳で作られたマトリクスであるという誤解が生み出してきました。

要するに、その者が規定する異性の鋳型に自身を落とし込み、振る舞うことで、精神的安定を得ようとする恒常性機能であると考えられてきたのです。ですから、性同一性障害は精神疾患の一種だと捉えられていた歴史があります。
そういった時代では、当該児童の行動を制限したり、外見的に矯正したり、あるいは精神科医による投薬など、本人の意志を無視した、まさに虐待と捉えられる行為が行われてきましたが、これは無知から生じる愚かな行為でした。

無論、これによって身体性に合わせて性自認が変化した例など一件もないそうです。(この矯正が苦痛で表向き変化をした方はいるかもしれませんが、歪なことです)
詳しくは省きますが、性同一性障害として診断される方の脳は明らかに、身体性と一致しない特質を持っているそうで、文字通り(脳が心の役割を果たしているなら)心は女性(男性)身体は男性(女性)となります。


蛇足ですが、逆にペドフィリア(小児性愛)は児童などの年少者を性的対象として捉える姿が奇異で、当初性的嗜好倒錯、異常性愛などとして疎んじられ、侮蔑されていたのですが、近年の認識としては、精神疾患であるとされています。

ただ、これをしてロリコン(ロリータコンプレックス)は成人(あるいはそれに近しい)男性が女児、幼女に対して恋愛感情を抱く状態をいい、(基本的に成人女性×男子児童のケースは含まれていない)ある意味、性指向と性嗜好の定義に照らすと、ペドフィリアが性嗜好をさしており、ロリコンが性指向を指すことになるのです。しかしいずれにしても児童との恋愛も性交渉もあり得なければ、児童ポルノという分野は世界中でタブーですし、世間に認められたところで一切の主張強度を保てない、実に不憫な性指向(性嗜好)といえます。

これは他の露出嗜好や動物性愛、窃視、過度のマゾ、サドプレイ、ネクロフィリア等も同様、一歩間違えば犯罪なのですが、彼らにもその性嗜好を謳歌する権利は有しているわけで、同時に人権的、人格的に差別されるいわれはない、というあたりも同時に論じるべきではないかと思います。

どうも私的には、LGBT以外の性指向および性嗜好をお持ちの方は、見て見ぬ振りをされているように思います。というか当事者らも触れて欲しくはないでしょうけど。

性同一性障害というのはGender Identity Disorderという医学用語で略してGIDといいます。「性自認と身体性の不一致」となります。

これに似たもので、Disorders of Sex Developmentという医学用語で、DSDと呼ばれています。俗に言われる「ふたなり」などはこれにあたりますが、要するに身体構造的に「どちらの性でもない」状態です。
遺伝子的な疾患であり、身体が男性あるいは女性の特質を不十分か、または重複して備えているという状態で、性自認が中性(Xジェンダー)であるということではありません。

長くなってしまいましたので、次回(あれば) 「LGBとTにおける婚姻問題 その2」に続きます。







ちょっとだけタイヤの話

2023. . 04
近頃は、日中はぽかぽかして春めいてきましたが、花粉がまあまあ飛んでるみたいですね。
そろそろ皆さんのマスク解禁日が、あと一週間というところに迫ってきていますね。うれしいですね、3月13日はお祝いしなきゃいけませんよ。
 
私は月曜日なのでたぶん飲んでますけど。

えーとまあ、個人の判断に委ねる、としながらも、基本的には以前と同じで、施設内等で近接距離で会話する可能性があるシーンではマスクを勧奨する、もしくは強制する、される。
なので、その建物の責任者なり、会社の責任者の胸三寸で方針はばらけるので、ちょっと面倒かもしれない。マスクを持ち歩かなくてもいい、ということにはなりづらい、ということ。

だから結局面倒くさいから、マスクしたままで良いか、となって何も変わらない日々が続くのかもしれません。

あ、ちなみにヘルムはコロナ以前からソーシャルディスタンスなので、基本コロナ対策とか不要ですし、ノーマスクの方針でこれからもやっていきます。もちろんしたい人や花粉症の人はマスクOKです。外せとは強制しませんので、ご安心を。

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旧いワーゲンは4J(もしくは4.5J)の15なんてサイズのホイールが純正サイズです。
今時は軽自動車も15インチを履く世の中で、ある意味ワーゲンの業界は選べるタイヤが増えたともいえます。が、悲しいかなそういう時代が来たらきたで、みなさん純正ホイール(鉄っちん)を求めるようになり、ここ十数年アルミホイールのリクエストをとんと聞かなくなりました。

ま、カスタムの方向性といいますか、そういうブームなんですが。
ノーマルホイールなら、大体サイズの相場ってのは決まってまして。

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昔からよくあるのが、ミシュランのXZX 165 SR15 

純正サイズっていうと155とかがベターなんですが、そういうサイズはほぼなくなってたので、165サイズが選ばれていまして、このサイズのメジャー処がミシュランかコンチネンタルでした。
どっちがどうというのもないですが、なんとなくミシュラン入れてることが多かった。

でも、そこにブリジストンのスニーカーというラインナップの格安タイヤが、165サイズをひっさげてきたものですから、一気に空冷ワーゲンのノーマルタイヤ市場の版図は塗り代わってしまいまして、まあ安いですからね、しゃーないです。

でも一部では、サイドのデザインだとか、ショルダーの形状だとか、デザインを重視する人は、現代っぽい形状のスニーカーより、ミシュランやコンチを選んでいました。

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わかんない、というか気にならん人は気にならんのでしょうけども。
これはヨコハマタイヤからリリースされている GTスペシャルクラッシックというタイヤ。
これは60年代当時のリバイバル製品で、往年のトレッドパターンを採用し、サイドデザインもクラッシックカーに似合うようにデザインされ、乗り心地も旧車に合わせてソフトに寄せているのだとか。そんなニッチ層をターゲッティングしたラインナップは、10から15インチしか対応していないという。

それだけ需要が、というか国産タイヤではブリジストンのスニーカーが十数年一人勝ちしてたので、そこから考えると参入(2019)は少し遅すぎないかとは思いますが、なんとこのGTSCには155サイズがあります。これは拘る人には嬉しい。(スニーカーよりはちょい高いらしい)

概ね歓迎しますけども「GT SPECIAL CLASSIC」じゃなくて、60年代当時のままの商品名「GT SPECIAL」でよかったんじゃないかなぁ、と思うんですよ。なんか、ケチ付けてるみたいでアレですけど、誰がどう見ても旧車に、わざわざ「クラッシック」って書いたタイヤ履くのって、小泉進次郎構文みたいな気持ち悪さありません?

「この車、意外と知られてないんですけど、1960年代のクラッシックな車で、実はクラッシックカーなんですよね。クラッシックカーは見た目もそうなんですけど、生産されてから年数が経ってるから見た目がセクシーなんですよ。私は80年代生まれだからクラッシックになるのは何歳なのかなぁ、とずっと考えてはいるんですけど、自分ではそのことについて問題意識は持っていると反省しています」

みたいな。

最近岸田見てて、ちょっと考え変わったんだけど、

是非、小泉進次郎にはいつか首相になってもらいたいな、って思いはじめました。そうすりゃ、ちょっとは日本も面白くなるだろ。

(ちなみに、私の頭では冴えた進次郎構文作れません。めちゃめちゃ難しい。やっぱあいつ天才だ)








さんがつですわ

2023. . 02
明日はひな祭りですが、過去にはこんなこと書いて顰蹙(ひんしゅく)買ったりする私です。

で、何でも起源はあるよなぁ、とおもいつつ、そういった伝統的な日本文化を知らない若者が散見される令和の時代、私なんぞは子供もいないので別にどうでもいいやって思ってますけども。
こういう文化ってのは、ほっといても企業やら営利団体がワァワァ言って、なんとなくこなされるものですけど、彼らの提唱している通りにしていると行事のなんたるかがどんどん変質してゆくので、そこは今一度、起源や背景、風習そのものを勉強してみるとよいのではないかと思います。

まあ、私は調べ出すと変な方向にしか行かないので、お子様に伝えるには不向きな大人ですので、私のお話は、大人の皆さんがこっそり読んで楽しんでもらえるとよいかな、って思います。

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写真に撮ってしまうとわからないんですが、元々モールがあった場所、線を引いたように痕が残ってますが、実はここだけ色が違います。我々の業界的にはちょっと信じられないんですが、実はモールを付けたまま全塗装されてます。モールをマスキングしたんですね。

さらに、モールクリップも色が塗られている事からして、おそらく全塗装歴は二回、一回目はモールは外して塗ったけど、モールクリップは外さないで塗り、二回目はモールも外さないで塗ったということです。

まあ、なんでっていうのは、ワーゲン屋さんが塗ったんじゃなくて、普通の塗装屋さんが塗ったからなんでしょう。外した部品が再調達できるかどうかわからないから外すのをためらったか、外し方がわからなかったか、外して壊したら事だからと考えたか、単に面倒くさかったか、です。

その証拠にこの車、アウタードアハンドルすら外さないで塗られてます。パッと見た感じじゃわかんないんですけどね。以外とこういうの多いです。まあ普通の板金塗装屋さんって工具使って部品外すのとか本業じゃないので、塗装頼むなら最低限外せるパーツは外して持ち込まないとダメなんですけどね。

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ホイール、4穴と5穴。下地処理してサフ吹き。
今日めちゃくちゃ寒いのでシャッター閉めて塗ったけど、私って薬品耐性強いよなぁって思います。
近年は謎の異臭で学生さんがバタバタ倒れたり、救急搬送とか、なんだか物騒で、その原因もわかんないままですけど、何か撒かれてるんでしょうかね?

私なんて、もうちょっとやそっとじゃ、ラリったり、死んだりしないんじゃないかと。
しかも火葬の時はよく燃えそう。(実際アンパンしてる奴は骨残らんそうです、文字通り灰になる)

さて、三月も始まりました。またあっという間に終わるんだろう、がんばりましょ!






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