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2021年最後のぼやき

2021. . 29
新年明けましておめでとうございます。本年もヘルムともに、当ブログをよろしくお願い致します。さて、最初にお詫び申し上げたい。
毎年、末末の30日か31日に更新する一年の総決算とでも言うべき「年末ぼやき」ですが、FC2のログイン認証仕様がクソ過ぎて、あわやブログが消滅するかという危機に陥り、今の今まで触れなかったという。

なので年は明けてしまいましたが、せっかくなので、年末書きかけていた分をば。

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なんとなく一昨年の、恒例年末ぼやきを読んでみたのだけど、素晴らしいこと書いているな、と。
自分が書いたようには思えないというのが正直な感想で、書いていた内容なんてすっかり忘れてました。

まあ、一事が万事、人間などそんなものだと言ってしまえばそれまでですが、何度か同じ事をいっているうちに身になるというか、嘘も百回言えば真実になるっていうのと同じだと思いますから、皆さんも素敵な言葉は揚々と口に出す方がよろしいかと思います。

そんなわけで2021年最後のぼやきですが、さて振り返ってみれば、あっという間の一年でした。
今年はなんでしょう、そうそうワクチン接種ですねぇ。
「ワクチン打った?」が挨拶代わりとなるほどに、ワクチン打つことが当たり前の日常であった一年でした。それについて様々な異論反論拒絶反駁と、まあ~ありましたありました。私も色々書きましたけど、ワクチン脅威論は主な検索エンジンでは、閲覧できなくなるという検閲まで入りましたから、そのあたりで、もう人類の未来なんて、どうでもいいやって気にはなりましたね。

私は元々厭世的ではありましたけど、自分は自分なりに生きてゆけばいいし、みんなもそれぞれに生きてゆけばいいんじゃないかなって、そう思います。当たり前のことなんですけど、人の生き方も考え方も変える事なんて出来ないので、生まれたときからそのように生きるようにセッティングされているのだから、せいぜいそんな自分を楽しんで生きることが肝要なのではと。

だからワクチン打ってない人や打てない人を狙い撃ちして、あたかもテロリストのような扱いをするのは何様のつもりかと思います。そもそも、ワクチン打っても感染するのだから(というのは世界が証明しているでしょうが)感染を広げているのはワクチン未接種者ではないです。
また「ワクチンに予防効果も確認されつつある」的な記事を見たこともありますが、それどうやってデータとってるんですか、ってな話。

株も変われば、地域、人種、性別、年齢、環境、その他諸々条件が刻々と変わる中、こんな短期間で、そんなデータとれるかよって。いや、とれるのかも知れませんけど、製薬会社にとって都合のいい言い分なので私は信用してませんし、じゃあなんで今世界では感染爆発してるんですか? って話です。
そもそも、ことあるごとに引き合いに出される“接種証明”って何を担保してるのかさっぱりわかりません。“善良で、従順な国民証明”でしょうか。

ま、現時点でもそういうこと言ってる私の事は推して知るべし。無論コロナに罹るとどのくらいしんどくて死にかけになるか、もしくは死ぬって事は訊いて知っていますけど、後遺症ってのも殆ど治ってるみたいですね。

この一年、コロナに端を発したお家時間が長く、他にやることがないせいでストレス、あるいは内在的な鬱憤を晴らす機会がなく、世間全体がイライラしているようには思えました。
そのせいか、最近誰も彼もが他者を排撃することが多くなったようには思います。社会にとって不必要、あるいは不要、不都合、迷惑、はもちろん、身勝手さや無自覚、無知、無神経さに対しても。もしくは高慢や自慢、侮蔑や睥睨といった、ある者が他者に対して向ける嘲りに類する行為に対しても、批判炎上します。

いわゆるタレントなどという立場の者は、普段からよほど言葉に気を付けなければいけないのですが、今はあげ足をとるどころか、あげてもいない足をつかんで転ばせる様な行為が横行しているようには思います。
無論タレントも皆が皆利発なわけではなく、正直アホもいるのでその点は大目に見てやってはどうかと思いますが、一般人も自由に発信できるからといって、タレント自身が思わず「自分のアホさを証明するような発言」をしてしまうのは、いささか職業倫理観が乏しいといわざるを得ません。

とはいえ、タレントとて一人の人間で、タレントに対しては何を言っても構わないということではありませんし、どんな罵声を浴びせてもいい訳ではありません。そして加速度的にあらゆる分野に波及してゆくハラスメント課題は、着地点が見えない有様で、一体誰がどのように収拾を付けるつもりなのかと思う次第です。

そもそも人類が未だ平和を見いだせずにいるのは論外ですが、なにより他者承認をもっとも不得意としている時点で、「ハラスメント」を論じるのは一旦やめにした方が良いのでは、と。まあ、そんな段階に至っていない、と私は思います。
ハラスメントというのは倫理観の欠如から起こるものですが、その倫理観は人同士である以上、ある程度の域までは話し合いで理解、共有可能なことが多いです。その話し合いが為されないまま、あるいは人間関係が崩壊した状態で、ハラスメント告発をしたとて、単なるリンチ状態にしかならないことは明々白々。しかし、それで世の中はまわってしまっているし、人格否定から人生崩壊までの一部始終をショー化し放映しまくるマスコミのせいで、一人の人間の人生が台無しになる。

無論自ら台無しになりにゆくような、迂闊な人がいることはいうまでもありませんが、今のように一般人でいても、いつ自分が魔女裁判にかけられるかビクビクしながら過ごす毎日が健全とは思いません。

そういうハラスメントの一部で、見た目に関する話。
割と旧い言葉なんですが、あまり一般的にはなっていない“ルッキズム”という言葉があります。
昨年一杯はそのような案件が多かったせいか、ちらほらと聞かれるようにもなりましたし「見た目いじり」「容姿いじり」なんて言葉も飛び交いました。

そのせいで、特にお笑いの分野では見た目をネタにするのは良くない的な、従来のネタを完全否定する流れが出来てしまいました。また同時に、人が嫌がる姿、痛がる姿を笑いにするような番組も自粛(というか廃止)の方向に向けられています。
これらの流れは一方では「イジメの抑制」には随分と貢献すると思います。ただ、芸人やタレントらのそれらを観て笑っていた、一般の人々の冷酷な感情が何処にゆくのか、何に転嫁されるのか、と考えると恐ろしくも感じます。

ルッキズムとは、「見た目至上主義」と訳されることが多いようで、以下面倒なので例によりwiki
より抜粋

ルッキズム[1]Lookism)とは、「Looks(外見・容姿)+ism(主義)」から産まれた外見至上主義を意味する[2]。高身長(男性)、痩せた体型、脱毛していること、肌荒れが無いこと、二重まぶたであることが好まれ、「容姿の良い者を高く評価する」「容姿が魅力的でないと判断した人々を雑に扱うこと」を指す。イケメンや可愛い人を優遇したり、顔採用なども行われている[3][4][5][6]。外見至上主義は批判されるが、現実には研究によると、外見が仕事や学業への評価を左右すると示されている。欧州経営大学院の教授らの論文(2020年)によれば、「非常に魅力的」な外見の人は「平均的」な人より収入が2割高く、昇進のチャンスも多い。別の論文では、外見が魅力的な人が書いた学術論文はそうではない人の論文よりも高く評価される傾向があった[5]

要するにこの世の中は、ある程度社会が用意した共通認識の雛形に、個人がどれだけ則しているかが、容姿の可否を決めているとも言えます。ですが、このルッキズムを否定するということは、「彼女は太っている、と言う」ことを否定するのみならず、「彼女は美人だ、と言うこと」もまた否定される、いわば多様性の容認という部分に繋がってゆくことになります。

ですから、今非常に注目されており、そういった流れが加速していっているといえます。

たしかに生まれた時点の遺伝子で差別されたのでは、たまったものではないのですが、残念ながらテレビドラマや映画にしても容姿端麗な俳優が主役を張るのはほぼ当たり前であり、化粧品のCMもまた同じく、ファッション誌、アイドルグループ、出来ることなら結婚相手にもひとまず標準以上の美が備わっていれば、自身が評価するに値すると考えるのは仕方がないと思います。

ルッキズムはある程度時代により変化はしますが、人が美しいモノを求める以上消しされない感情だと思いますし、その対極にある醜きモノを平等に愛せというのは無理のある話だと思います。
無論美醜から生まれる悲劇に、枚挙の暇もないことは歴史が証明しています。

大昔に大ヒットした文学作品で「愛と死を見つめて」(1964年)という悲恋物語があり、これは映画やドラマにもなっているのでとても有名ですが、いわば「死に別れストーリー」の金字塔で、当時恋愛ドラマではそういった終焉は珍しく、多くの人の感動を誘ったそうで、実際に書籍は当時で160万部という快挙を成し遂げました。
また、この作品がことさら注目されたのは、著者の実体験に基づいたものであったこと、そして、ヒロインは美しく死んでゆくのではなく、軟骨肉腫という難病のため、末期は顔の半分を失ってしまうという、女性としての悲劇を描いた部分でしょうか。
愛する人が心身共に大変ショックな状態であり、それにもかかわらず愛を貫く主人公の彼、自身の境遇を嘆きながらも、周囲の人に優しく出来る彼女の異性間の強靱な愛の結びつきと、人間としての愛情が物語の終焉に収斂されてゆくという、今風にいえば純愛、世界系というか、いわゆる近年の大ヒット「世界の中心で愛を叫ぶ」の原型とも言われる作品です。

女性が顔を失う、という非日常性が作品の悲恋感を後押ししていることは間違いありませんし、当時の主人公の彼女を演じたのは、若かりし頃の吉永小百合であり、その美しい顔が崩れる様を相対的に想像して、人々は胸の内で悲劇感を増幅させたことだと思います。
それは、ルッキズム(という言葉は、この時点では生まれていないはずですが)が機能していたということです。

逆に言いますと、見た目を利用した笑いをとるな、ということであれば、見た目で意図的に悲壮感を誘うのもまたNGであるということになります。
これは男女の関係性でも言えることですが、男は男で男の生き方があり、女は女で女の生き方があるからこそ、男と女の間で激しく共感し、あるいは激しく拒否することを経て、理解を得て互いに最小公倍数か最大公約数たる、“愛”みたいな何かを感じ取ってゆくプロセスが物語として成立するのであり、平坦な人間関係や、多様性過ぎる世の中からは何も生まれてこないと思います。

これは体温の差や、気温の差があるからこそ、冷たい寒いと感じるのと同じ事だと思います。
それを、どちらも常温であり、「どちらの方が心地よいか?」を論じてはいけない、ような世の中にはなって欲しくはないと思います。

無論私のような綺麗事を言っていたら、いつまで経っても容姿の美醜で差別がなくならないし、イジメもなくならない、とおっしゃるかも知れません。

しかしそれは違うと思うのですよ。

我々の古い時代の頃をお話しすると、人を揶揄して笑ったり、暴力的、性的に不道徳、教育的に不適当な事実や番組というのは「保護者として子供に観せるべきではない」と、多くの親がそのように考えていました。それは成長過程の何でも吸収してしまう時期に、悪い大人の見本を見たり、テレビの番組の演出に触れたり、タレントや芸人の言動を観聴きすることで、それらを真似、そのままトレースしたりすることで周囲に与える深刻な問題に、あるいは事件、事故となることを恐れたためです。

それでもそういった、きわどい番組とは、返せば人気番組であり、大人も子供も観て笑っていたのは事実です。何より番組を作っていたのは大の大人なのですから。
だがあくまで、親は子に「これはあくまでテレビの中でのお話であり、嘘なのである」と「だから真似をしてはいけないし、彼らは特殊な芸を身につけた人間である」と、そのように諭さねばならなかった。ですがマスメディアの進化により、演出が次々とアップデートされ、真実と虚構の境界線をあえて曖昧にするような手法がとられてゆく。
それは全て番組を面白くさせる演出と考えてのことだとは思いますが、私からしてみれば、もはや巧みすぎるとおもいます。いい画作りが出来ているとおもいます。

そして報道番組の顔をしたバラエティ番組(もちろん報道番組ですらあやしいのですけど)でも、同じような演出がまかり通ってしまっています。それは事件をより事件たらしめるため、また出演者の存在肯定のため、限りなく嘘に近い誇張はスルーされています。そして真実に繋がる大切な部分には言及しない。なぜなら誇張のトリックがバレるからです。

テレビを観るな、とは言いませんが、こんな時代です、大の大人も一緒になってバカみたいに笑っているようでは少し危ないだろうという気はします。自分が何から情報を得て、何に欺されて何に操作されているのか、疑ってかかりながら、自身の脇でソファに座って笑って観ている子供のことを、心配せねばならないのではないかと思います。

もちろんテレビだけが悪いわけでもなく、雑誌の記事や情報、ネットの動画や情報もまた大手のマスメディアの影響を受けずに成就できるわけはありませんから、やはり基本的にはネットだから信用できるなどというのは戯れ事に変わりありません。

今という時代はあまりに、世の真理と理を見ず、法と決めごとに執心して、自身らの思考を望んで失っていつているように思えます。本当に智恵も勇気も努力も必要なく、頭も身体も使わなくても生きてゆける、サスティナブルな世界になっていっているのだなと、そう思います。

新年早々に説教臭い話になりましたが、昨年中は本当に、テレビは嘘ばかりを言う箱だな、と痛感した次第、昨年の漢字一文字は「金」でしたが、私には五輪の金(きん)や金字塔の金(きん)や給付金の金(きん)より、残念ながら「金儲け」の金(かね)にしか見えませんでした。

私は昨年全然儲かってませんけどね。

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毎年必死で、夜中に干支イラストひり出して、描いてます。
もうね、頑張ってるんですよ。
でもね、これですよ

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2002になっとるぅ~!














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あと5日

2021. . 26
クリスマスを基準に追い込み感を捉え、仕舞いのスケジュールを立てます。
今年はあと5日ですが、営業日は29日までとなりますので、実質あと二日しかありません。

雪が降るくらい寒いのも久しぶりですが、まあたまには良いかな――などと暢気でいられません

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夜になったらガンガン降り出した。

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めんどくせー。

しかも作業に予想外の展開が

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スポルトマチックのエンジンをマニュアルミッションに載せようと、クランクシールを打ち替え、フライホイールを準備して、さあクラッチキットを組むぞ、とその時!

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そうだっけか? と。
クランクの芯に穴が空いていない。要するにドライブシャフトがつかないわけですから、このまま載せることが出来ません。
スポルトのエンジンは、オイルポンプとATFのポンプを兼任しているというのは認識してたので、それは組み替えればいいだろうと思ってましたが、クランクまで違うとは。全バラですやん。

というかこの事って、知ってたけど忘れてたんだと思います。
実際めちゃめちゃ予定狂うんですけど、憤り感が半端ないんですが、ゆーてもしゃーないので、新年から粛々と組み替え作業を開始します。

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そんな中、ニューMINIが舞い込んできます。
私は、ニューMINIはカッコいいなって思います、デザインも素敵だし、こういう開口部のギミックもエキセントリックで、それこそトランクなんて使い勝手悪いのに下側ヒンジで、わざわざ旧MINIを意識して踏襲している。
出もエンジンのギチギチ感まで真似なくてもいいんだけどね。

ただ、レイアウトの悪さというか、行き当たりばったりで基本設計にどんどん加算していった感のある造りはなんだかなぁ、と思わないでもないです。あえて言うならカスタムカービルダーが作ったような感じで、それはそこに配置しちゃ面倒だろ! 的な部分が多いし、最初からなんで考えておかないんだよ、的なのも。

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エンジンのレイアウトとして、エキマニを後ろの配置するのは別に珍しいことじゃないですけど、そこ、熱が、すげえんですよ。なのに熱の影響受ける樹脂タンクとか、パワステのホースとか、なんで近くに通しちゃうかね? 遮熱はしてるつもりなんだろうけど、それでも劣化は進むよ。

こういうところがダメなんですよね。BMWが作っているはずですけど、BMWっぽくないというか、どちらかというと大英帝国が誇るクラフトマンシップの臭いがします。もちろんダメな意味の。

とりあえず、あと二日のウチに二台出して、すっきり新年からの作業を始めたいところ。
そんなこと考えてると何故か、急な仕事が舞い込んできてにっちもさっちもいかなくなったりするんだけど、まあ、年末あるあるですね。





やっぱりチキンだろ

2021. . 25
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串に刺さってるけどな。

そうそう、欧米で「チキン」もしくは「チキン野郎」というスラングがありますが、あれはそのまま、ビビったときに鳥肌が立つ様子や、鶏のせわしなく落ち着きがない様を形容して、侮蔑的な言葉として定着したものです。日本じゃ何の事やらわからないかもですが、同じような言葉で「腰抜け」とか「へたれ」「弱虫」「不甲斐ない」「小胆」などなど、弱者を詰る言葉というのは実にたくさんありまして、これは日本に限ることなのかも知れませんが、その中に「女々しい」などという言葉があるように、これらの言葉は主に男性に向けて放たれる言葉ばかりなんですね。

というのは、男性は強く賢く堂々たれ、といったジェンダーバイアスが昔からあったからです。無論それは今でも継続していて、男性が弱くて、ケツを攻められても構わない、という世界は一部の腐った業界では通用しますが、基本的に男性は外圧をはねのけ、なんなら返り討ちにして、相手方を支配するくらいの勢いが求められています。基本的に。

ですが、本来男性の本分は強さではなく、優しさであり、優しさを行使するためには強くあらねばならない、という不文律が横たわっています。
そんなわけないだろう、いつも男性は戦いを好む、戦争をするのは男性ばかりでその陰で泣くのはいつも女性だ、と。そうおっしゃりたい気持ちもわかります。

ところが、か弱く平和を好む心優しい女性が、同性しかいないコミュニティで諍いを起こさないかというと、そんなことはありません。むしろ男性がいないときの方が激化します。ただ身体的に適していないから、腕力を駆使した暴力を行わない、というだけで、強いか強くないかで言うと明らかに女性の方が強いし冷徹だと思いますし、相手を徹底的に蹂躙する冷酷さはまさしく鳥肌ものです。(すみません女性の皆さん、私はもう欺されません)
つまり女性は女性の恐ろしさを知っているから、出る杭になることを警戒し、牽制しつつも横並びの同調に甘んじているわけです。

それに対し、実は男性が協調と調和を好みます。世界をはじめとし、他者を含めた、コミュニティ全体を守ろうとする守護者たらんと、理想を掲げます。だから世界平和だとか、人類の進歩だとか、自分と関わる全ての人を幸せにしたいなどと言って、妾を何人も囲ったりするわけです。そういう都合の良い部分もありますが、できれば誰とも争いたくないチキン野郎なんです、男性という生き物は。

そんな奔放で無軌道な男性に比べると、女性の平和志向は自分発信で、自己を中心としたコミュニティの保全を第一義として、絶対防衛圏を築く事を旨としています。ですから、基本自分と自分の血縁以外はほぼ興味を示しませんし、自身にとって有益な人材は登用しますが、無益なものに施しを与えるほど博愛的ではありません。
女性は自身の大切だと思うそれらを守る為ならば、全てをなげうつ強さがあり、男性のそれとは比べものになりません。

だから母親は男の子に向かって「強くなりなさい(私のように)」と言い、女の子に向かっては「優しく振る舞いなさい(強いことがバレないように)」と育てるのです。

男性は優しくしていれば、女性から噛みつかれることはありません。
ですが、男性が持つ固有能力の強権と腕力を用いると、女性はその本来の強さを発揮して、修羅場となります故、男性は女性のわがままを可愛さだと解釈して、財布の中身に絶望しながら心をグッと鎮めて、作り笑顔も上手くなるほどに我慢する強さを蓄えるべきかな、と。

この世界の全ての人達へ、メリークリスマス。

チキンと呼ばれてもいい、戦争は今日でやめにしよう。






煽るの好きだな

2021. . 23
先週から入院患者が倍増している。

と聞くと、すごく増えたように聞こえます。

あ、コロナの話な。

入院患者が増えたんだって。倍増。80人から155人になったそうな。
なあ、入院患者って内訳どうなってるン? 軽症なん? 重症なん? 数値的に少なすぎるから、母数の多いところから数値引っ張ってるだけじゃろ。

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タレントの神田沙也加の死の件で、両親である神田正輝と松田聖子に対して「今のお気持ちは?」などとインタビューすることを非常識で、気が知れない、などと批判が巻き起こっているけど、今更かよ~って思うわな。
愛娘の自殺なんてショッキングだろうけども、マスコミは今までも散々やってきたことだし、庶民はその声を聞きたがっているのが現実なんですわ。

なんで未だに、何十年にも渡って下衆なゴシップ誌が売れ続けて、存続しているのか? その間に廃刊や休刊に追い込まれた雑誌なんて無数にあるのに、こいつらだけは残るわけ。

なんでか?

みんな人の不幸が大好きだから。

でも、怒りの矛先が違うんじゃないか、ってのはよく思うよ。

マスコミは市井のニーズに応えているだけ。庶民の期待に応えているだけ。
もしも、本当に「人の不幸を記事にしてお金儲けをすることが非人道的で許されざるべき事だ」と、世間が捉えているなら、そんな雑誌は誰も買わない。

マスコミは売れるから「やる」わけよ。

嘘も誇張も、非常識も不道徳も、みんなが求めていることだから。みんなが知りたくても知れないこと、やりたくても出来ない事をマスコミってのはやってるわけですよ。

そういうフラストレーションが、タレントや有名人を標的にして、心をむしばんで、挙げ句不幸を醸成し、あるいは誰かを死に追いやっている。それがまたお金になる。そして人々は喜ぶ。

私ね、せっかくなので、これは大切なことだからいいますけど、
人って何歳になっても、自分の立ち位置たる土台が不安定なままだと、心は安定しないし、本来の力も出せないんですよ。土台ってのは自分が生まれ育った環境です。
別に片親がダメとか、両親が絶対にいなきゃいけないって訳じゃないです、足りない部分は親や親族や、血族や兄弟が埋めてくれたり、友達や仲間や養護施設の職員でも、保育士でも学校の先生でも、地域のコミュニティでも、それこそ親切な赤の他人であっても、それらが支えてくれたりして、上手くやれている人はいくらでもいます。そうやって堅い丈夫な土台の上から、やっと人は元気に憂うことなく生き進んでゆける。安心していきてゆける。自信を持って生きていける。強く生きていける。
人様の家庭のことはわかりませんけども、大人になったから誰もが強くいられるわけじゃないですし、勝手に強くなるわけじゃないです。根っこが弱かったら、どれだけ綺麗な花を咲かせても弱いんですよ、その花は。頑張っても一人で強くなるのには限界があるんです。

いい加減、そのあたりの話ができなきゃ、人類なんて生きている価値ないなぁ、って思います。




サヨナラクリスマス

2021. . 22
てんちょのあやしいはなし

明後日だね。クリスマスイブ。

このブログでクリスマスを検索すると、かなりの数の記事を書いている事に気づかされる。
それだけ思うところが多いというか、なにかと関わることが多いって事なんでしょうね。

クリスチャンでもないけど、ってのは日本人ならだいたいそうだし、そもそも敬虔なクリスチャンってクリスマスに恋人といちゃついたりしないで、家族と静かに過ごすって言うし、お祭りみたいにやってたり、ラブホが満室になってたりする我々が随分おかしいのかもしれません。

で、最近思うのは、クリスマスだからと言って、それほどクリスマスしていないなぁ、ということ。
これは二年にわたるコロナ禍の影響もあるかもしれませんけど、街はLEDの普及もあるでしょうけど、気軽にイルミネーションが出来るようになり、各地で割と活況です。でもクリスマスって感じの演出がそれほど多いようにも思えません。

まあ、それ以前から山下達郎はほぼ流れなくなったしWAM!もほぼ流れない、マライアキャリーでさえも――(っていうか全部曲が旧いよな)そもそも20年以上前の曲が今も流れているという方がおかしかったのだけど、クリスマスムードをグッと引き上げるのはこういった定番の楽曲だったわけです。

じゃあ、新たなクリスマスソングってのに更新されて置き換わっているのかっていうとそういう感じもしない。

もしかして今の若者は、クリスマスに恋人同士、連れ立って街を歩くなんて事を想定していないのか? という疑義が沸き起こります。
そこで知り合いの職場のバイトの大学生に訊いてみると、「なんでクリスマスだったらデートしなきゃいけないんですか?」という驚愕の応えが返ってくる。

なぜ、であります。WHYですわ。

そう言われてみればたしかにそうです。
なんでクリスマスだからといって、恋人と過ごさなきゃいけないのか?

ここで私は重大なことに気づいてしまいました。
若い頃、意味もなく、クリスマスまでに彼女を作らねばならないという強迫観念に迫られていたことを。そう、クリスマスがまるでゴールのように、12月24日の時点で彼女がいるかどうかが、輝かしき青春の分水嶺であったかのように、主に昭和生まれの男子も女子も(現在おっさんとおばはん)心の中ではクリスマスにデートできるという事実は羨望であり、それを果たした人物達を成功者のような眼差しで見つめていました。

たしかにこれはものすごく変なことです。
誰に教わるでもなく、自然に、ほどよい年齢になるとクリスマスは恋人と過ごす事が望ましい、などと。

そう、洗脳されていたのです。

私達は散々この時期になると、クリスマスをゴールにした恋愛ドラマや、映画を観させられ、音楽はクリスマスと恋慕をからめた歌詞が、キャッチーなメロディと共に耳に囁きかけられ、プレゼントは思い合う二人が互いの心を確かめ合うアイテムだと吹聴され、雨は夜更け過ぎに雪へとかわるものだと信じられていた。

では何故今の若者がそのような影響を受けにくいのか、もしくは全く受けないのか、といいますと、これはひとえに、情報量の多さによるものかと思います。
我々の時代というのは圧倒的に情報が少なく、誰もが同じ方向に向きやすかった。逆を返せば余所を向くほど何かがあったわけではないから、興味があろうがなかろうが、一応そっちの方を観る、というのが常識的な行動だったわけです。

それが今になれば、様々な価値観が認められ、多種多様な行為行動が許される世の中になり、人の心を一所に集まるような巨大なムーブメントは生まれにくくなった。要するに興味のない人は「それには興味がない」と素直に発言できる時代になったということです。

そしてもう一点は、今の若者のテレビ離れというものが挙げられますが、前述したようにそれ以前からメディア上でもクリスマス的な演出が減っている事を考えると、テレビドラマや番組を作る脚本家や演出家が、従来のクリスマスをゴールとするストーリーラインに辟易して、「つまんねぇ」と感じてきているからではないかと思います。

また、同じく彼らが生み出す脚本演出にしても、従来のものというのは「表現が古い」となりがちで、あえていうなら時代が下ればかつての最先端も「ダサい」と断じられることから、それを極度に避ける傾向は生まれる。
一時話題になった登美丘高校ダンス部の「バブリーダンス」がパロディ仕立てになっている(ダンス自体はものすごいクオリティです)時点で、90年代あたりに流行ったトレンディドラマみたいな演出を今やったらお笑いにしかならない、ということは想像できるかと思います。

昭和から平成の、バブル覚めやらぬ時代に青春時代を過ごした我々というのは、あまりに斬新で鮮烈な体験とまばゆい時代を目にした影響から、感覚があの時代で停滞している事を認めなくてはいけないでしょう。その後の失われた20年だか、30ねんだか、あれほど攻撃的な時代はあそこで終わってしまったから、我々は極度に肉食系なのだと思います。

これは実際にバブルの世の中に身を投じて恩恵を受けていたかが問題ではなく、その時代に影響を受けやすい多感な年齢――(中高生あたり)であったかどうかが鍵です。というのも彼らは同じ時代を生きてもバブルという時代の断片化されたごく一部の側面しか観ないし、感じ取ることが出来ないから、よけいにバイアスがかかり、イマジネーションが肥大しやすくなります。

だから未だにクリスマスに恋人と過ごすのが良いよね、などと言い張り、ホテルの窓際のディナーのあとによろしくプレイするための、最上階スィートをとってしまったりするのです。

そんなバブル残りカスの中年は、意識して積極的に感覚を更新してゆかなければ、この先ダセぇ爺婆と呼ばれること請け合い。そうしていずれ「老害」などと呼ばれてしまうわけです。

さあ、いまこそ我々はクリスマスの呪縛から解かれなければいけません。
クリスマスに恋人がいなくても、もう嘆くことのない時代が来たのですよ。

家族がいなくたって、独身貴族を貫いていたって、ツリーは思い思いの飾り付けをして一人の部屋を彩り、綺麗にラッピングされたプレゼントは自分のために買って、蝋燭立てたホールケーキは独り占めです!

メリークリスマス

ボクちゃん、金曜日はブログ更新してる暇ないので、お先にドロンします、ヨロシク~




やばい、時間経つの早すぎる

2021. . 21
なんかもう、あと10日しかないんだぜ。

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正直なところ、ヤバいと思う。

こんな格好でお店に入っても咎められない世の中が。

ふと立ち寄ったドラッグストア。
何気に買い物を済ませて、店のウィンドーに映る我がの姿をみてヤバい奴だと思った。ほぼ強盗のスタイルやん。というか今なら、目出し帽で銀行に入っても止められないかもしれないね。

米国の空港では「変態仮面」よろしく、Tバック下着を顔に被って「これはマスクだ! 役目は果たしている!」と一悶着あったそうな。どう被っていたのかという説明も画像もないのだが、まあ、Tの側が頭になってたのだろうから、口と鼻は隠れるかなぁ、とは思います。

この彼、飲食店ではマスクを外して飲食可能なのに、航空機内ではマスクを強制される馬鹿らしさを提起するために、この様な行為に至ったのだそうだけど、手段として恥ずかしいとは思わなかったのでしょうか。いや、もしくはそのインパクトを狙ったのか。

着用しているマスクが、本来の用途のものではない、という機能上の疑問から搭乗をご遠慮いただく、という事なのだそうですが、(もっともこのケースは機内で無用な混乱を避けるため)そもそも、ウィルスに対してはいかなる市販マスクも無効であることは皆さんご存じのところだと思います。ではそれを逆手にとって、61gujiiD.jpg

BC戦用の防毒マスクとか被ってたらどうなのかと。
個人がウィルス曝露からの防護のために最良と思われる選択の結果がこれであった場合、それを咎めることが出来るのか、とは思います。

ま、私もたまにやりますが、今の季節であればネックウォーマーを口元まで引き上げてマスク代わりにする、というのも別に構わないとは思います。それとTバックの間に本質的な差はありませんが、恥ずかしくないのはネックウォーマーのほうでしょう。

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フロントクラッシュなワゴンR
エアコンのコンデンサが完全に潰れてます。

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空冷VWのセルモーター、社外品二種類。
左の方が安いですが、造りは旧式です。右側の黒い方が小型化されていて、現行のボッシュ製に近いですね。別のところでも書くつもりだったんですが、最近はアジア製だからといってそこまで悪いものがない、というのが印象です。
まあAmazonなんかで買い物をしている限り、見える範囲で感じるだけですが、工作精度や製造販売への倫理観や責任感の上昇から、製品の質が向上し、一定のレベルまで追いついてきているようには思います。

無論これは、日本をはじめとする先進国が後進国に工作機械や設備を持ち込んで、先進国向け製品を作らせてきた経緯から生じた事なので、当然といえば当然です。
それらが、経緯はそれぞれあれども、自国や自社のため、これまで培った人員や技術を用いて、情報を更新して、新たに世の中に、先進諸国に対してマーケティング展開をしたならば、どうなるかは自明でしょう。

ないのは、実績から培われてきた「ブランド力」だけ。ということになります。

ですが、品質を担保するブランドが、今の時代何処まで重要視されるでしょうか。
長く使える丈夫さ、メンテナンス性、所有欲を満たす品質、承認欲を満たす知名度、経済力を暗に示すネームバリュー。そんなモノが、今の庶民感覚としてさほど支持されるものだろうかとは思います。長く使えずとも、そこそこのものを新しく買い直せばよいのでは? という考えに至ろうとしているのではないでしょうか。

使い捨て、大量消費の時代は終わってなどいません。むしろ90年代よりも加速度的に増大していると思います。
自身の消費行動だけみても、物質的な購買量の多さは目を見張るものがあります。

断捨離などという言葉がすっかり定着していますが、簡単に言えば「新たに手に入れない・不要なものは捨てる・モノへの執着から離れる」となります。

この時期になると特に「無駄なモノが多すぎるから、整理したい、大掃除と同時に断捨離している」などという使い方をしますが、そもそも、その無駄なモノを買い集めたのはどこのどいつだという話で、まず考え方を改めなくては、いつまで経っても断捨離を言い続けなくてはいけないでしょう。

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多くの嗜好品に中毒性があるのは、快感が伴うからですし、深く嵌まればそれは必ず魔力として当人に災厄を引き起こすことになります。

現代は、消費するということでも、庶民が一定の快感が得られるようになったのだろうなという気はします。かつてそういう快感は湯水のように金を使える一部の人々だけの特権だったのですが、今は我々の様な庶民でも、わずかな金額でたんまり買い物が出来るようになった。

もちろんその魔力に魅入られると、気づいたときには散財しまくって無一文、なんていうことにもなりかねないので、お気を付けましょう。




スタッド修正

2021. . 17
コルセット巻きつつ、ふふふーんとエンジン組んでたら、あらやだ、スタッドボルトがいくら締めても回り続けるじゃありませんか、ていうか、これ、抜けてきてない?

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とりあえず行きつけの整骨院行って日常生活送れるくらいまでにして貰いました。
三ヶ月に一度くらい壊すので、定期的にお世話になっているんですが、いつもすごいなぁ、と思うのは、ダメだったものをなんとかして帰してくれる。

私はちょっとのことでは病院なんかには世話にならんのですが、物理身体異常だけは動きに支障があるので、諦めてマイスターにお願いします。施術そのものはゴキッとかバキッとかやらないので、何をやっているのかさっぱりわかりませんが、来たときと帰るときでは明らかに違っているわけでして、痛いところを揉んだり温めたり湿布を貼ったりするくらいしか出来ない我々と、その道のプロはもう全然違うなぁ、と。

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あ、スタッドの話でした。

エンジンケースなど(母材)から生えているボルトをスタッドボルトといいます。基本的に母材側が締結ボルトよりも柔らかい、もしくは脆い素材(アルミ合金、マグネシウム合金など)の場合、本体に雌ネジを切るのではなく、雌ネジにスタッドボルトをいれて、上からナットで締結するという方法で、母材の方の損傷を防ぐようになっています(他にも理由はありますが)そのためアルミ合金で作られている多くのエンジンのシリンダーやヘッドの締結などは殆どこの方法です。

そのボルトが抜けるというのは何事かというと、要するに、ケースに挿入したボルトが母材の雌ネジごと抜けてくるわけです。雌ネジが抜けるというのは要するにケースの一部がが割れたのですな。
こうなると、再びスタッドを挿入しようにも、ズボズボガバガバなので、オーバーサイズのスリーブをいれて修正することになります。

このスリーブを「ケースセーバー」といいまして、12ミリのオーバーサイズの穴をケースに掘り、14ミリのタップで雌ネジを作ります。

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クランクも組んでる状態なので、とりあえず養生して、キリコが中に入らないように慎重に穴あけ&タップ加工です。んで、またこの14ミリのタップ、店にあるはずだと探したのだけどどうにも見つからない、探してる暇があれば買いにいったほうがいいかと、ホームセンター行ってみるけど、その辺じゃこんなサイズ売ってないんですよ。

なので、潔く10キロ先のプロ仕様の工具店に。
もちろんありました。
こういう時も、プロ用の機材扱っている店ってのは心強いです。

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ま、文字ではなにいっているのかわかんないでしょうし、わかんなくてもいいですけど、エンジン組んでるとたまにこういう面倒くさいことが掟、せっかく組んだシリンダーヘッドからピストンまで全部やり直しなんて事になるんです。(実際スタッドの不良はヘッド締め付け時にトルクをかけてみないと解らないので)こういう時、黙々と一人で憤って、見なかったことにしようかと葛藤していたりするんです。

ちなみにこの作業、ヘッドまで組んだこの後に、もう一回やりました。(要するに二本ダメだった)

もう、今年は半月もない。

なんか、時間の流れ方がおかしいとおもわないか?







腰痛めました

2021. . 15
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最近実作業と関係のない画像ばかりですが、とりあえず余裕がないので。

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12月は何処でもそうでしょうけど、忙しいです。
というのも結局それは「年の瀬」などという概念があるからであって、ひとつの節目を目前に、何かを終わらせてしまおうと、ほぼ無意味に考えるからであり、実は何もない。

昔聞いた話だけど、一年の節目は正月じゃなくて、それぞれの人の誕生日にすればいいのだと、そう言っていた方がいた。一方ではなるほどと思わないでもないです。

年末に限らず、特に日本は季節が移り変わるので年中節目だらけで、そのたびにお祭りみたいなことをしてきたので日本はお祭りだらけの国になったのだけど、お祭りをするには人を集めてやらなくてはいけない。
それは返していえ、ばお祭りがあるからその日はそこにいなくてはいけない、などという暗黙の強制力があり、それがコミュニティの仕来りだとか掟になって、個人を拘束するといったことになっていきました。

おそらくは日本人の同調意識というのは、こういった各地のコミュニティが連綿と紡いできた、強制参加型イベントにより培われ、民族性として定着していったのではないだろうかと。

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ま、そんなことはどうでもいいんですが、年末だから新年だから、とことさら騒ぎ立てなくてもいいではないか、と私は若い頃から言い続けてきた側の人間ですが、今となってはそうでもしないと、一年が経ったのかどうか認識できないのでないよりはあった方がいいなと、そういう気はしています。

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そして私は、本日腰いわせました。
エンジン抱えたからではなくて、ビートルのトランク内の配線作業をしていて、突然腰に来ました。
トラブルはなんということのないタイミングで訪れるものです。

それでも頑張ってエンジンをハンガーに載せましたが。

この年末にやっちまった。
さあどうなるのか! またもやコルセット生活です。


地球は丸い

2021. . 11
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先日ZOZOタウンの創業者、前澤友作氏が宇宙へと旅だった。
その渡航費用はマネージャーの分を合わせて100億円をくだらないという、巷では贅沢なレジャーは億万長者だからこそ出来るのだと、揶揄されたり、金さえ出せば誰にでも出来ることだ、などとやっかまれたりしていました。

たしかに金は必要ですが、その100億を使ってまで、宇宙に行きたいなんて情熱、普通の人は持てないと思います。無論前澤氏はこの地上の贅沢を全てやり尽くすことは出来た後でしょうし、その後に残った時間と金と機会は、彼の叶えられる最大の夢へと目を向けられたわけです。

彼は、本当に幸福な男だなと思います。そしてかっこいい。

さて、皆さんは今回のニュースで、彼はいわゆる「日本の民間人で宇宙に行った初めての人」、という誤解をしていないでしょうか?

実は、日本人で初めて宇宙に行ったのは民間人、しかもサラリーマンです。
名目は会社の出張という理由で、夢もロマンもなかった。

そう振り返るのは、秋山豊寛氏。1989年、平成一発目の日本史的快挙でした。(ちなみにこの年、昭和天皇の崩御、ベルリンの壁が崩壊、冷戦構造の終結、天安門事件、ソ連のアフガン撤退、地球周回軌道へGPS衛星の投入、在任二ヶ月あまりの宇野内閣、と混迷盛りだくさんな一年でした)
しかも彼が、他の国をさしおいて、世界で初めて宇宙に行った「民間人」で、「ジャーナリスト」となりました。

これ、TBSの企画で、日本人を宇宙に送ろうという話から始まったんですね。もちろん会社の金を使ってですが。細かい経緯は省きますが、今では「日本で最初の宇宙飛行士」である毛利衛氏がすぐこの後に続くのですが、本来予定では毛利氏の方が日本初になる予定でした。それが後ろ倒しになったのは、丁度チャレンジャー号の発射爆破事故が起きた後だったので、NASAから発つ予定であった毛利氏を含むクルー達は足止めを食らっていたわけです。

そこで、事故とは特に関係のないロシアのロスコスモスと契約していたTBSの社員である秋山氏は、予定通り打ち上げ、結果的に「日本人サラリーマンが宇宙に行った最初の民間人」という、当時はまあバブルの影響もありましたから、そりゃあ金にものを言わせたでしょうけど、実に日本人らしい第一歩が宇宙開発事業の歴史を刻んだわけです。

ですから、ZOZO前澤氏は初めて宇宙に行った民間人ではなく、「初めて国際宇宙ステーションに行った日本の民間人」ということになるのです。

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で、今日はそんな話ではなくて、前澤氏が宇宙について言っていたことが印象的だったので紹介したいと思ったのと、あとちょっと与太話。

前澤氏は宇宙に着くや、興奮とともに、「宇宙本当にあった! ISSもちゃんとある!」と。
これね、一部ではISSが存在しないんじゃないかって話へのアンサーだったのかな、と。同時に宇宙もないとか、地球は丸くない、平面だとか、そういった主張が一部でまかり通るようになってきていることへのアンチテーゼと言いましょうか、そんな風に聞こえました。もっともこれ(地球平面説)には様々な陰謀論がからんでおり、あらゆる世の中の疑惑が真実を歪めるに足るほど蓄積された結果なのだろうと思いますし、人類史がそれら疑惑を積み重ねた事は本当に罪なことだと思っています。

しかし、たしかに、地球が丸いなんて事を外から見て確認した人は、人類史上でもほんの一握りしかいないわけで、「宇宙に行った奴は全員で嘘をついているのだ」、と多数決の論理でねじ伏せてしまえば、「地球は丸くない」という事実が支持されるのは当然と言えます。

ま、昔ならそうだったでしょう。
それが天動説とか地動説とか、平面説だとか、このあたりのことは(詳しくは→こちらhttp://chelm.blog37.fc2.com/blog-entry-407.html)すでに語ったので割愛。

近代から現代においての人類史というのは、自然科学が人々の思い込みを駆逐し、納得させることに成功した時代、いわば魔術や祈祷の論理がなりを潜め、より俗物的になったとも言えますが、物理的に正しいことを選択できるようになった、ということです。

これはわかりにくい話だと思いますが、はっきり言うと、地球が球体でも平面でもどちらでも良くて、例えば冥王星が太陽系の惑星であるかどうかだなんて、地上に住む多くの人にとっては関係ないことだったりします(マジで)というか、地球外はおろか、余所の国の存在とか隣の県の存在とか、隣人の存在とか、そういうのも関係ない人が世の中にいること考えれば、個人が知覚した認識なんてのをエラそうにどうこう言うのはお門違いで、結果的に「知っている者は知らない者よりも、知っている」という事実が横たわっているだけなのだと考えられなくてはいけません。

それが事実かどうかなんて、短い人生の中で殆ど意味を成しませんが、あらゆる事実と可能性を知ること、それを検証し実現できるか、実行できるか、確認しさらに次のステージに登ることが出来るか、実はそれだけが大切なことで、人間にとっての一番の怠慢とは「何もしないで立ち止まり人の話を聴いて列に並んで待っていること」だろうなと、そう思うのです。

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そういう意味で、私は前澤氏は自分の稼いだ金で夢を実現した、という事実も大いに認めるし、夢を諦めなかったというより、「今ならいけるんじゃネェか?」って思って行ってしまったことで、彼は特別な地球人となることが出来た。
色々批判している人もおられるようだけど、もう、いくら金持ちで、彼と肩を並べるほどの実業家であっても、今後はステージが変わるから勝負にならない。

前澤氏も言っていたけど、「自分のやったことは、働いて、お金を貯めて、家や車を買ったことと同じ」なのだと。

私もそう思います。お金で実現できる夢はある。
お金というのはあらゆる事に使える万能エネルギーです。ですがそれを端的に言うと、人間の活動を維持継続、発展させるために必要なものであると捉えることができます。ですからサービスや商品の対価だなんて思っていると、必ず間違った道に進んでしまいます。(そう考えてしまうのは仕方ないんですが)

「人間は必ず死ぬし、その後にはお金が必要なくなる」、という誰もが知る事実だけでも、お金が人生においてさほど大切なものではなく、まして人生を犠牲にするほどの価値のあるものでもなく、それよりもむしろ、自分の人生において制する対象でしかない、ということがわかろうものです。

宇宙から帰還した前澤氏が、今後どのような生き方をするのか、興味深い。





自殺マシン

2021. . 08
海は開放するところで、山は深めるところだといいます。

心を、です。

まあ、どっちでもいいんですけど、たしかにいわれてみればそんな気もしますね。

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ただ、内省ばかりしていても落ち込みそうですから、日々新しい発見をもとめて冒険しなければいけませんね。たまにこうして近くの山を歩いて、探索してます。何があるわけでもない山ですが、何かは見つかる。

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こんな、コカコーラとか。
これ実は未開封です。放っておくと、色が抜けて透明になっちまうんですね。味はどうなのか確かめる勇気は湧きませんけど。

それはそうと、スイスで自殺幇助マシンが合法化されて、販売されるそうです。
「サルコ」と命名されたその棺桶のようなカプセルは、合法的に合理的に安らかな死を迎えられるよう、酸素濃度を自動的に落として眠るように静かに窒息死が出来るというもの。中に入り横たわると、内臓AIがいくつかの質問をし、自殺願望が回避できないとAIが判断したら、殺害を実行するんだそうです。しかもマシンはスタンドアローンなので、好きな場所に持ち運んで中に入ると、その場で死ねるというお手軽さ。

この記事見たときに、遂にここまで来たかとSF漫画「銃夢(ガンム)」に出てきたザレムの「エンドジョイ(最終喜械)」という公衆自殺機械が現実となったか、と思いました。
これ、何の事かといいますと、人類の理想郷たるザレムではあらゆる自由が認められており、死を自ら選ぶ自由もある、という、そしてそれはとても崇高かつ文明的な事であるのだと。

無論、作品の中でのそのような描写は、「皮肉」であり「幸福を求めた先の理想郷が笑って呆れる」という宗教や倫理観を失った究極の自由へのアンチテーゼなのですが、

私、実際の所、このスイスの記事見ても絶望的な気持ちにはならないんですよね。

スイスでは自殺の自由が認められている、というか自殺が認められていない国なんてほぼないのだろうけど、スイスの場合は、死にたい、という人を止めるのではなくサポートする団体が複数存在しており、国民の過半数もこれには賛成の意を示している。

第三者が自殺の幇助をすることが合法とされている。これは自殺が罪でないならそれを助けるのは当然罪ではない、という理屈です。そして国が個人に対し、生きろと強制することは出来ず、人は死を選ぶ権利がある、という。

間違ってはないと思います。

たいていの場合、穏やかな自殺を望む人は、不治の病であったり、闘病の疲れで気力を失ったり、何らかの身体的損傷や経済的困窮で生きる望みを絶たれた人が多い。精神疾患などの場合はまずセラピーに回されるなど、実際に自殺の実施までにはいくつかのスクリー二ングがあり、意外に冷静なシステムとして動いているようにも思える。

だが、スイスの自殺幇助団体は自国民だけでなく、国外からの申し入れも受け付けており、自殺幇助がビジネスとなるかどうかはわからないが、「死にたきゃスイス行け」みたいなことになっているのは、どうだかなぁ、とは、私が国民なら思います。

死ぬのは悪いとは思いませんけど、システムを利用して人生を終わらせるってのは、なんか違うような気がするんですよねぇ。なんかそれって、楽じゃネ?
しかもこの自殺幇助マシン、生分解する素材で作られていて、死亡した人間を取り出すことなくそのまま土に埋めてしまえるという、まさしく自動棺桶。人にも自然にも優しい。

別に根拠は無いですけど、こんな死に方するなら、なんで生まれてきたんでしょうかねぇ? って思うんですよ。病気とか怪我とか事故とか、あるいは寿命とか、そういうのでだいたい人は死ぬと思います。そうなるまで生きればいいのに、せっかちな人達なんだろうね。

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2022年には実用化される見込みだそうです。

すごい時代だ。本当に人間は文明的だなぁ。Amazonでも扱うかもな。



じかんよとまれ

2021. . 05
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久しぶりにベスパ。
なんやとても旧い稀少なモデルらしいです。あんまマニアックなことは知りません。
旧いの乗り物の電装ってのは神がかった配線設計をしていて、今では考えられないような変わった工夫が為されていることもしばしば。
というのも今のように電子基板やリレーがなかったってのもあるけど、複雑なことをすればそれだけコストがかかったから、手間はかけてもできるだけ部材を減らして簡略化に努めたりしたわけです。その結果、今では考えられない配線が出来たりします。

なので21世紀に生きる我々も、その時代に思いを馳せ、想像しながら修理に挑まなくてはならないのです。

とはいえ、さっぱりわからん。

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一時諦めて、ビートルに行きましょう。
やっぱりワーゲンはサクサク作業できます。一々考えないで進められるのでどんどん部品を外してゆきます。覚えておく必要ないですからね。

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今夜中にはロングブロック状態にして、月曜いっぱいはオイル抜き。
火曜日からOHはじめます。たぶん。

こんな調子で12月の予定がこなせるのかというと、もう既に雲行きあやしい。

年賀状とかついこの間書いたような気がしてるんだが、何かの間違いだろうか。

そういや最近は、コロナとかワクチンって文言に対して検閲かからなくなったのだろうか?
ある意味特別なものではなくなった、という証拠なのかもしれないけれど、変な二年間ですよねぇ。
たしかに、アフターコロナな世の中です。
コロナ前とコロナ後で生活が一変してしまった人も多いと思いますし、趣味や趣向が変化してしまった人もいるでしょう。あるいは思想とか、お付き合いしている人々とか。そういう変化が全世界で起きているのだから、これは、全人類の人生のシャッフルとも言えるのかもしれません。

まさかね、子供の頃はこんな世の中になるとは思っていなかった。
残念なことだけど、しゃーない。死ぬまでは生きてゆくしかないからねぇ。




忘年会はやるべきだ

2021. . 04
なんだかんだ言って、またオミクロンが流行って、新年から自粛が始まるので、せいぜい12月のウチに飲んで飲んで飲まれて飲んで、飲み会に忘年会やり尽くそう。

ただ、まだオミクロンにかかって死んだ人っていないらしいよ。

めっちゃ強力、とか言われてたけどその割に?? でも三回目ワクチンは全力で推してます。ゴン攻めです。

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最近めっきり通販でものを買う癖が付いてしまい、Amazonは私の友となって久しい。

そんな日常にふと思うことがある。
それは、現代社会は「待つ」ことが極端に少ない世界なのではないだろうか、と。
物質転送とまではいかないので、商品が届くのに待つ時間はある。人気の行列店の食事やアトラクションを堪能するのに並んで待つこともある。
しかし、欲望、欲求の発生、もしくは興味や探究心、考察、閃きなどの情動から、結果にたどり着くまでの経過行為に移るまでがほぼゼロである。

単純な話、美味しいラーメン食べたいと思ったら、即座にネットで調べて、近所の有名店を調べることが出来る。そこに食べに行くかはさておいても、意志決定までが非常に短い。
つまり、「美味しいラーメンが食べたい」と思うだけなら、漠然とした単なる欲望で済んでしまうのだけど、具体的に検索してしまうと「美味しいラーメン」が姿形を得て具現化してしまい、「実際に食べられるラーメン」と化してしまう。
そのため、欲望が消費行動にそのまま直結しやすい。というか必ず繋がってしまう。

要するに「こんなのあったらいいな」が「あるじゃん! なら買おう!」となるわけ。

前時代だったら、待ったり調べているうちに情熱が冷めて頓挫したり、能力の限界や、他への興味が優先されたりして、結局欲望や妄想で留まってしまっていたことが、思うと同時に即座に筋道が見えるので、留まらなくなり、留める必要が無くなり、同時進行であらゆる欲望を達成させる事が出来るようになった。

逆に言うとこれはあらゆる分野で、「出来ること」の可能性が広がるということでもあるのだけど。
やらなくてもいい事までしているような気もする。

11月のAmazonからの請求が恐ろしい。
私は完全なる密林に誘い込まれた、さ迷えるエクスプローラーである。


あれよあれよという間に12月

2021. . 02
結局11月は11記事という最低記録を更新した。
何がいけなかったのかというと、単に敵がいなかったということだろうと思います。
えてして記事などというものは、インポシブルなトラブルや、センセーショナルなインパクトでなければ記事にならないのだから、マスコミの皆さんが日夜事件を誘発したり、ねつ造したり、誇大に報道したり、不安を煽り、危険性を必要以上に喚起し、世を混乱に陥れるプランデミックを計画するのは至極当然のことでありまして、そうなれば世は事なし、我が社は安泰と。

そのように私もありたいものですが、いかんせん情報発信力や、影響力がまだまだ不足しているのだろうなと。

今日は久しぶりの林道ネタです。

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素晴らしい廃車。
林道に置き去りにされたオート三輪です。これも、人が山に入るために作られた林道ならではの風景と言えるでしょう。

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普通にめちゃ山深いので、今は四輪車は入ってこられるような状態ではありません。こういう風景を拝めるのも、オフロードバイクの特権です。

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この日は友人と二人で。
私は林道久しぶりで、一ヶ月ぶりくらいだったかもしれません。しょっちゅう行っていないと勘が鈍りますね。でも楽しいです。

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このくらいの季節になると少し肌寒く、それなりに厚着もするんですが、押したり引いたりしなきゃいけないシーンになるとたちまち汗かきますので、以外と寒さを忘れてたりします。
この季節は走っていると気持ちいいのですが、長時間走行というのは辛いものです。
とくに同じ姿勢で長時間高速走行をするロードバイクは、仕事にたとえると肩こりを慢性化させる事務仕事のようなもの、と言えるでしょう。
対してオフロードバイクは筋肉痛と怪我に苛まれる土方仕事のようなものと言えるかも。

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こんな山の頂上まで来てみたりして、カップラーメン食べます。

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深すぎて、殆ど光が入らない森です。

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これ、昼ですからね。
こうなると、殆ど下草が育たないんですね。

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コケが立派です。

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こんな川に迷い込んだりします。

もちろん山で遊ぶときは、基本的な山のマナーを守りつつ、危険なことをしない、自分の身を守る、他人に迷惑をかけない、など極々簡単なことを意識しています。徒歩であろうが自転車であろうが、バイクであろうが、山に入るときは「入らせて貰っている」という気持ちを忘れてはいけません。
無論林道走行自体に否定的な意見があることも知っています。自然環境破壊、法規違反などの懸念や、地域の住民、地権者とのトラブルなど、問題もあります。

ですが、今現在オフロードを楽しんでいる方、これからオフロードをはじめようという方、共に、林道で触れている自然や環境に対して、自分なりの思想を持ち、行為行動を振り返り、なんらかの答えを見つけて欲しいな、と思うのです。法で縛るのも、チェーンやゲートで封鎖するのは簡単ですが、問題は、直面してみなければ人が意識することは難しいのです。

オフロードバイクレンタル
http://chelm.blog37.fc2.com/blog-category-11.html

ヘルムで受け付けてます。ちょっと興味があるという方は一度お試しに乗ってみてください。



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