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27
久しぶりにコロナの話題が持ち上がってきましたが、「オミクロン」って新しい株が第六波として懸念しているそうな。ちなみにオミクロンってのはギリシア文字のOにあたり、15番目にくるので、もう随分と変異株が増えたな、と。それでもなお強力になってゆくってのは、まるで少年漫画の悪役みたいなパワーインフレぶり。
ちなみにその直前に「ニュー」と「クサイ」ってのがあったのですが、これはネーミングライツを外されておりまして、その理由として、ニューは英語のNewと混同するから。クサイは「ある特定の地域に汚名を着せないため」とかなんとかで避けたそうな。
具体的になんなのかというと、クサイは英語でXiと書くそうです。このXi、中国の習近平の「習」を英語表記すると「Xi」になるから、「WHOがまた、中国に気を遣ったのだろう」などとまことしやかに囁かれていたりします。
――が、日本の尾身会長には、まったく気を遣ってくれなかったのだな、ということがよくわかります。
隣の家の壁に這うキヅタ。
なんか、「こんな写真でも額に入れるとアート感でまくるよねぇ」、という話を以前友人としていたのだけど、要するにアートなんてのは、「視点の思想化」なんだろうな、と。
だから新しい角度からものを見たら、あるいは見ることができたら、それは既にアートだと。
そういうことを意識できるかどうかが、作家と凡人の間にある、マリアナ海溝に隔てられた違いなんだろうな、と。
車運転しながら見た、素晴らしいジェイコブスラダー。
もうこのまま天に召されたい気分でした。事故ったら召されますけど。
とりあえず今月は芳しくないのだけど、仕事はまあまあやってます。
そんな我が社とは裏腹に世間では「ブラックフライデー」なるものが開催されておりますが、こちらはアメリカやカナダで11月の第4木曜日が「感謝祭」(あるいは収穫祭)とされており、その翌日がブラックフライデーとなるそうです。これは1975年頃からフィラデルフィアで呼ばれ出したものが浸透していったそうですが、何の事かというと、感謝祭で売れ残った在庫を各小売店が激安で処分をはじめたため、人が群がり道にあふれ、市警はそれらの対応に追われることとなったといいます。
で、現場の警察官の一人が「オーマイガッ、最悪だ、今年も真っ黒な金曜日だぜ」と言ったのが始まりだそうな。
でもここのところ邪推すると、フィラデルフィアって黒人割合が半分くらいだから、その警察官は若干の差別意識を込めて「黒人で真っ黒な金曜日」と悪態をついたのかもしれないなぁ、というかおそらくそっちの「ブラック」だろうなと。
ただ、それはあくまで語源であり、後に後付けの「黒字になる」という意味合いが込められて今に至るそうな。同じブラックでも「マンデー」は最悪ですけどねぇ。
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26
最近電話の向こう側は女性な事が多い。別に嬉しいわけではありません。
それだけ女性が社会進出しているということでもあるのだろうか。
等と書いている時点で、我ながら前時代的な人間性だなとは思う。
今時、仕事のことで、男とか女とか、若いとか老いてるとか、そういうことに言及してはいけない事は重々承知なのだけど、仕事の程度如何でどうしてもバイアスをかけてしまうことがあります。
さあみなさん、ここまで読んだだけでも、私が女性蔑視者だと断定したくてうずうずでしょう。
別に私は、相手が女だからといって横柄にでたり、イヤラシイ口調で舐め回したり、ママンな甘え上手になったりはしません。あくまで理路整然と要件のみを的確に伝えて、よろしくお願いしますと、街の車屋らしく、慇懃になりすぎないよう心がけているつもりです。
ところがところが、相手さんがあまりに「足らない」となると、叱責のひとつもしてみたくなるくらいには、お節介な大人心を持ち合わせています。
営業電話なんかでも、電話口でのマナーがなっていないと、あやしい会社だと思われてしまいがちです。
この前かかってきたのは、NTTだったんですけど、テレアポのお姉ちゃんの語りからして「どうせまた、例のNTT騙りだろう」と高をくくっていました。ですが、どうやら話を聴いてると本物のNTT直下の部署だという。「皆様にNTTのサービスに対してのご意見やご不満をお聞きしています」と――もちろんこの後に営業があるのですが。
それにしては、社員かバイトか知らんが、お粗末な奴を雇っているな、と。
まず、まともに敬語が使えない。丁寧語もあやしい。文法もなってない。語彙力が乏しすぎる。自分の携わっている仕事への知識がなさ過ぎる。何を教えられてその電話口に就いているのか。
あまりに、あまりにひどいので、
「ねえ、おねえちゃん。あなたの上司に代わってくれるかな?」と。
「へっ!?」
「うん~、いいから代わってくれるかなぁ~? 保留にしても待っててあげるから」
そうして代わるまで数分。上席の男性社員は女性スタッフではわからないことを答えるための要員でもあるらしい。だから、
「どういったご質問でしょうか……」と。
「あのね……」
そこから数十分間説教です。
私は他人様に説教するほどエラくもなんともないですけど、そんな私が説教してもいいよね、答えは聞いてない、と言わせんがごとき、御社の社員教育がなってないので、もうそれは仕方のないことだと諦めていただきたい。
私は、営業の電話をかけてくるなといっているのではありません。
つまらない、不快な思いをさせるような電話なら、かけてくるなと言っているのであり、楽しく心が豊かになるような会話が出来るなら、営業さんだろうと詐欺師だろうと、電話でお話しするのはやぶさかではない。
最近の若者がー、とか言いたいわけではないのだが、敬語や丁寧語というのは使わないと覚えられない。つまるところ、そういったシーンに現実でぶち当たらなくてはいけないのだけど、携帯電話が普及してからこっち、極端に相手の家族などと会話する機会が減った、メールやラインなどで用件を済ませるため口語での表現域が育たない、という事はあるだろうと思う。
時代の流れが確実に、礼節や言葉や文化を破壊していっているように思います。
そのような古くさいイデオロギーにこだわっていると、きまって左派リベラル共が、多様性を認め、格差を無くそうと声高に攻めてくる。
いうは耳障りも口当たりもいい結構な文言ではあろうが、私が思うに、それを口に出来るのは、多様性の意味や格差の意味を重々承知し、現実に依然それらがあることを受け止め、実感でき、問題視し普遍化しうる者だけであり、自身の日常に転がる些細な格差や差別などから感じ取って不快だったので、多様性と格差、差別がない世界を目指します、今の世界は歪んでいます、などと簡単に口にするなと言いたい。
はっきり言って差別も格差もある。必要な場合もある。多様性を認めてはいけないシーンもある。そのすりあわせが出来ないまま、いつだってコトバだけが先回りしてストップ映画泥棒である。
仮に文言通りに差別をなくし多様性を認める、を地で行ったら、明らかに男性の姿をしているのに「心は女ですっ!」といって女湯に入る事を看過しかねないのであり、そんな世界がまともかどうか、よくよく考えてみれば解ろうものです。
数日後、お客さんの自動車事故の話で、大手保険会社とやりとりするシーンがあったのだけど、話したのがそこの(おそらく若い)女性社員なのだが、(重ねて言うが、別に最近の若者に限ったことではないのだが)これが何週間も経っているのに一向に連絡を寄越さない。どういうことなのか、どうなっているのか、とこちらから電話をしました。
ミスを指摘すると「自分は悪くない、こうこうこういった理由があって、それで出来なかったのだ、だから私にあるのは最低限この部分のミスだけである、遅くなったことはすみません」と、そのような言い方をするのです。
責任を矮小化したいのはわかる。誰だってそうなのだから、それについては何も言わん。アホとかボケとか死ねとか、私はそういう無駄な事は言わん。だけれども、そこまで状況把握が出来ているのに、なぜ今この事態になるまでに軌道修正や、危機の管理が出来なかったのかその部分を見直さなければいけないのではないかと問いつめる。
なのにこの説明がわからない。
説教されている意味が解らないから、その後に、こちらが要求していることの意味も解らない。
理解を求めても、そういう人間は必ず、オウム返しで返答してくる。
なぜならこちらが言っていることが理解できないから、否定も肯定も下手に出来ない、してはいけない、と「かんがえて」いるから。そしてこの難解な話を終わらせようと画策してくる。
何も私はそいつを貶め懲らしめてやろうなんて魂胆はないのに。
私はそうやって責めたてられたら、逃げに走る女性就業者をたくさん観てきました(というか電話で話してきました)もしくは相当強く言われないと動かないひとも。もちろん全てではありません。しかし男性にはそういう人はほとんどいません。ゼロといってもいいです。
だから、電話口の女性に対しては偏見があります。自動的に格下に観ています。
無論、その話しぶりや、論理展開の仕方によってはいくらでも見方を是正しますし、こちらが平伏することだって憚りません。私のことを女性蔑視者と罵っていただいても構いませんが、ジェンダーバイアスと同時に取り上げられるアンコンシャスバイアスというものをご存じでしょうか。
女性だから、それだけで格下に観られる。
そういう理不尽なバイアスかけられるってのが差別ですよ。その憤りはわかります。
でもね。
男性なんてひどいもんです。
男性というだけで、痴漢の予備軍ですからね。
そういうバイアスかかってるんですよ、世間ではね。無意識にそういう見方をしても良いと、そういうい見られ方をしても仕方がないと、双方が納得してしまっている。これが無意識の偏見(アンコンシャスバイアス)です。
そんなわけで、どういった経緯かわかりませんが大手の保険会社に就職できても、そんな体たらくなのは本当に残念です。何が残念って、そいつの代わりにもっとマシな人間いたかもしれないじゃないか? というのをいつでも思うのですよ、他人の会社の事ながら。
いい加減話疲れてきて、その女性社員に辟易してきたので、
「上司に代わって」
「いえ、あ……」
「いいから代わって」
「いえしか……」
「かわって」
「おまたせしました。私、上席の――」
「はあっ? また、女かっ!」
すみません、この時ばかりは最高にエキサイトして唾棄してしまいました。同時に笑いました。
てっきり男性がでてくるものだと思った。もちろん偏見です。
無論この上司、年の功もあっての事でしょうが、それなりに経験も積んできているだけのことはある。普通に話せる。納得もさせてくれる。誤解も解いてくれる。
ちゃんと仕事が出来るかっこええ女性も知ってます。尊敬するような女性だっています。
女性だからといって、誰でも彼でも認めないとか、そんなスタンスではないのですよ、私は。
女性のことが憎いわけでも嫌いなわけでもありません、むしろ好きです。
そうでなければ、女性と恋愛なんてしません。
ここまで書いておいて今更なんですが、今日は別に電話口のねーちゃんをDISる話が書きたかったわけではありません。
この件の後日談を話しておきますと、どうもこのところの保険業界は、事故車の立ち会い、現認をし、自動車修理店と保険金折衝をする「アジャスター」という専門の部門があるのですが、そこをすっ飛ばして効率化しようとしているのか、折衝も何もなく、いきなり金の話と過失割合の話をし出す。これがその大手保険会社の出来ないねーちゃんの話です。問題の発生もアジャスターとの連携が出来ていない事に端を発しています。
アジャスターというのは文字どおり調整する仕事であり、保険会社と修理工場との間を取り持つ役目をするしごとで、それには自動車修理の知識や事故時の想像力が必須になります。そうでなければ車屋に言いくるめられるからです。車がどのような挙動で動くのか、どのように反応するのか、どのように当たればこういう壊れ方をするのか、そこに双方の言い分の矛盾が生じないか、など。客観的な視点をもって話を構築できなければ、誰も納得などさせることは出来ないのです。
当然だけど、デスクに張り付いているだけの女性社員が事故のことなど解るはずもなく、見積もりの内容を見たところで理解も出来ないでしょう。そのための専門の人間を配置しているのに、そこを省こうという流れになってきているそうです。(アジャスター談)
私が思うに、要するに修理金額で揉めて解決が遅れて人件費が嵩むくらいなら、本社の女性社員でも出来る金の話にさっさと持ち込んで示談させてしまおう、という流れなのではと思います。
それでいいケースもあるだろうけど、「結果」と「納得」は常にセットではないということは覚えておいたほうがいい。「結果」は事実を積み上げれば自ずと導き出されるものだけど、「納得」は人の心情に依存するのであり、必ずしも結果が出れば納得するものではない。
納得するのが人間なら、納得させるのは人間でなくてはいけない。それが自分自身であっても他者によるものであったとしても、どっちでもいい。
ずっとモヤモヤしていた事だったのだけど、結果ばかりが重視されて人の気持ちがなおざりにされつつある、そのように世間が推移していっているように思えるのです。
事の発生と経過と結果という事実だけに目を向けて、それらを根拠に法を動員し、権利や保障、賠償や訴訟、非難や批判、情報の操作から誘導まで、そこに人の意識が介在していないようにすら思えます。要するに、機械でも判断できるような話にすり替わる。
何いっているのかわかんないかもしれませんけど、人間がアホになってきているのかもしれないなと。本来持ち得た思想を失っていって、楽な方に流れている様な気もします。
今回だけではまとまりそうにない話なので、またいずれの機会にお話しするかもしれませんが、そのうち忘れてるかもしれませんので、その時はあしからず。
2021.
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24
10件も記事書いてなかったです。
正直なところ、忙しかったんですよ。やることはたくさんある。
でも、ここ二週間くらい、人の出入りは少ないなぁ、って思います。わりと世間様はそのような感じらしく、コロナで自粛してるときの方が、人は来ていたような印象ですね。
めちゃめちゃ久しぶりにバーに行った。
写真は残っているけど、この時既に記憶はない。
なんで撮ったのかも覚えてないし、何を飲んだのかも覚えていない。
こ わ す ぎ る
それはいいとして、アソビで忙しいのではない、という写真もあげとかなくてはいけない。
こういうワンオフはね、やたらと時間かかるんですよ。
本来付かないものを付くようにする、ってのは想像以上に頭と技術が要るんです。想像するだけなら楽しいですけど、実際やるとなると大変。
でも、お客さんは、楽しい想像の部分だけをしていたらいいんです。
我々はそれを実現するのが仕事で、対価を貰っていますから。
思い切って、オリジナルのシートレールは切除しました。半端に残すと後で収まりで苦しむことになるので。
このあたりの割り切り方ってののも経験ですよねぇ。そういう意味では先読みとも言うんでしょうけど、もっと熟練したら、直感で出来るようになるかもしれません。
その傍らで、ブレーキマスターシリンダーの交換してたんですが、踏んだらどんどん圧が抜けるから何かなと思ったら、ブレーキパイプが錆びて穴が空いてました。
メインのパイプです。これ交換するの大変なんですよ。
寝転んで潜って腕を伸ばして、指先で作業。
このところは年に一度あるかないかくらいの頻度になってきましたけど、何度やっても好きになれません。
というかこの作業が好きな人なんかいないよな。
あっというまに月末だ。
もう、時間たつの早すぎる。
とりあえず、外国人観光客も海外渡航も、来年いっぱいはナシにしようぜ。
2021.
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17
今日は秋らしく、穏やかな気持ちで、さわやかな風景を眺めてみましょう。
このところ小生が社会生活の中で世間様を垣間見て思う事ですが――――
Amazonから今日届くはずの品物がいつになっても届かない。
不在票も入っていない。
なのでサイトで配送状況確認したら、始業時間前に配達にきてそのまま、宅配ボックスにも入れずに持ち帰っている。
これは腹が立つ。
なぜ、そういうことがちゃんと出来ないのだろうか。
今までも、ウチの営業時間を知ってるくせに、確認もせず、不在票だけをいれて持ち去る配達員はようけいた。アホなんやろ、とおもっていたから、一昨年から宅配ボックスをわざわざものすごくわかりやすい場所に設置して、なおかつ電話番号まで書いた。でも、それなのに、持ち帰る。
このアホンダラへの憤りを、Amazonにぶつけてやりたいが、そういう窓口はない。
クレーマー対策のために、電話や直メという手段で連絡は取れないようになっている。
21世紀の先進企業というのは、顧客は企業の存在を意識しないでもよいということなのだろう。顧客は企業の提供するサービスを利用して満足していさえすれば良く、不手際があった場合、顧客感情ではなく企業倫理ベースで対応するということが当たり前になりつつある。いわば顧客はビジネスモデルの一環にあり、そのルールの中で顧客として振る舞うことを要求されている。
もはや顧客のニーズで企業が育つ時代は終わったのだろうなと。
というのも、全てがスタイル(あるいはスタンス、ポジション)ありきなのだなということを感じる。
ついさっきも金融関係の営業から、「マネーロンダリング抑止のため、、テロ支援国家に属する国籍並びに反社会的団体党への関与の有無、取引等の聞き取り調査を口頭にて行っております」 という前振りがあって、私に対し「日本人かどうか、北朝鮮等の国と関わっていないか、暴力団構成員ではないか」などと問うてくる。
それはまあ、金融庁からのお達しで、取引の顧客にそのような聞き取りを行えと。
もう、そんな質問馬鹿らしくて答えるのが嫌です。
「自分は北朝鮮と取引があって、暴力団員と親交が篤く、悪の枢軸国を股にかける国際テロリストだ!」なんて告白する奴がどこに居るのか。しかも質問の前に「該当するなら取引停止」って説明しちゃってるし。そもそも嘘ついてもわかんないし、調べる術も、証明する義務もない。
コンプライアンスというコトバが氾濫しだしてから、何か都合良く倫理観が操作されているように思えて仕方がない。
今日も今日とて、保険屋は連絡してこないまま。火曜日の時点で「今日、書類が届いたんですよ~」と。あの、事故車の現車確認来てから二週間経っているんですけど? おたくはうっかり者の蕎麦屋か。
そもそも
在宅勤務だから電話が出来なかったとか理由がわからん。個人情報の持ち出しが出来ないからだとかなんとか。じゃあ、会社にいる連中に引き継げよ。よくそれで勤務してるとか言うな。
案件抱えながら、連絡も引き継ぎもしないで一週間休みとってるとか、(コロナ感染でもしたのかもしれんが)いえよ。連絡しろよ!
こちとら、週六日働いて労働基準法違反しまくって、そろそろ腰が動かなくなりそうなんだが。
最近にわかに叫ばれるフードロスってってコトバもなんか胡散臭い、環境保護団体の言説に似ている空気感があるのだけど、我々にロスをなくしましょうっていうのはお門違いもいいところだと思うのですよ。
ロスを無くそうというなら、収穫量や生産量を調整すればいい。それをやめないからロスになる。
農家はたくさん売らなければ金にならないから、どんどん作る。そうやって単価が下がる。でもあまりにも作りすぎたら自ら潰す。漁業だって同じ。第一次産業の分野で既に材料が飽和しているのに、それを使う側でどうにかしろとか、舐めてんのか。
完全に今が飽食状態なのに、それを当然の状態として、行為行動を改めようなんて頭おかしくなる。
フードロスを無くすために、どんどん買って消費しましょうとか、何いってんの?
今あるものを長く大事に扱うことすら出来ないくせに、環境問題とか掲げて、しょうもないスタイルに巻き込まないで欲しい。カーボンニュートラルとかひたすら欺瞞的。ようするにどんだけ二酸化炭素出しても、その分吸収させる措置さえとれば実質ゼロになるって事。
まるでスマホプランの売り文句。
だいたい温暖化のグラフって、1900年くらいからしかないんですよ。産業革命以降。
気温が測れるようになったのがその頃だし、本格的に機械産業が始まったから、という話。
100年で1.5度上昇しているから、現代だと先30年くらいで2度は上昇するとか、そういう予測立ててるんだけど、じゃあ、1700年とか1800年とかどうだったのか。もしかしたらずっと地球の気温って上がり続けてるかもしれねぇのに。
――――以上、爽やかな秋晴れの紅葉と共に、実に嫋(たお)やかに心況の報告が出来ましたこと、喜び申し上げます。
2021.
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14
前回の続き。
とりあえず注文してたペダルが来たので、スリーブが本当にいけるのか位置確認のために仮組み。
もう気分はワンオフのカスタムカーですよ。あと、ロメオの本革シート付けてくれとか。
前側はこの位置でオッケーでした。目安になる切り欠きがあって良かった。いちから位置合わせしなきゃならんのとは大違い。切開したトンネルはもちろん溶接して元通りに戻しました。
これでやっとミッションが積めます。
やっと前に進めます。まだ先は長いけど。

秋はなぜだかもの悲しい。切ない。寂しい。何かあったわけじゃないけど。
そういえば彼女との別れは、いつも秋だったなぁ、と。
2021.
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13
結果が見通せない状況で、運を天に任せて選択行動する、という意味の「一か八か」
コレなんで1か8なのか? 大抵こういうのは博打の世界からきた言葉だろうなと、ぼんやり考えてたんですが、ま、その通りでした。ただ、語源的にははっきりしないようで、「一か罰か」とか「丁か絆か」などともいわれているようですが、どっちだっていいです。
そんな一か八かをやらねばならないシーン、というのはしばしばあります。
整備や加工の際、事前に情報が得られないときなどは、あらゆる創造力を駆使して、準備を整えて、ブラックボックスを貫くような、一か八かの作業をします。
それがこちら
カルマンのスポルト車をマニュアル化。そのためにクラッチワイヤーのスリーブをいれなければなりません。
そのための穴を開けるわけですけど、スポルト車は元々スリーブの設定がないので、マニュアル車のクラッチスリーブの出るところ(左)に、アクセルのスリーブがあり、仕方ないので左右逆の配置になります。この時点でもうどうなるか解りません。
ホームセンターで買ってきた鉄パイプをぶっ刺します。
近い径のものを選んだけど、実は若干大きい。
いわゆる外径12ミリのパイプと呼ばれているモノの多くは、「呼び径」といって通称12ミリであって、実際の寸法は12.7ミリという、いわゆる50口径と呼ばれるサイズで、インチ換算1/2ってやつになります。なんでアメリカ単位準拠なのかよく判りませんけど、こういう系の製品はインチ規格が多いです。この点、ボーデンの入口が約12ミリで少し小さいので、加工を考えなくてはいけませんが、今はそんなこといってる場合ではありません。
右側に通っているのがアクセルスリーブ。本来マニュアル車ではここにクラッチのスリーブが通っています。なので左側にクラッチスリーブが通ります。上手く前までいくか?
何度か試みるも、なかなか上手い場所に通らない。設定されてないものだから仕方ないのだけど。
ペダル部分です。やむなくさらに大きく切開しました。なんとかいい位置に来たかと思います。後はペダルと位置関係を合わせて溶接します。やれやれ、です。
この記事っていつか誰かの役に立つかもしれないけど、実際、単純にコンバート作業としてやったらとんでもなくお金かかると思います。私の場合は半完成状態からの作業だったので、アレですけど。
って、アレってなんだよ。
2021.
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11
11月11日なので、いいいい。
11月は11なので、なんだって「いい~の日」などとこじつけられるのだが、だからなんだというのかと。
昨日はクビコリすぎて、ひどい頭痛でダウンした。そんなこんなしてるウチに明日はもう金曜だという。
実は世の中時間が過ぎるのが早くなっている。私は特異点なので、時間のスピードが速くなっていることに気づくことができます。ここ最近は如実に一週間が短く感じるのです。凡人の皆さんはそんなこと気づきもしないでしょうけど、時間は着実に早まっているんですよ。
そのせいか、最近よく失敗する。
仕事ではなく、買い物でよく間違えて買う、またはあまり調べないで見切りで買ってしまう。
商品見てから、なんでもっと慎重に買わないのかと後悔することしばしば。
そのひとつ
インスタントコーヒー安い! って思って買ったら、レギュラーコーヒーだった。
でも、どうしても飲みたかったので、
広告の紙とティッシュペーパーで。まあこれでも事足りるんです。
ティッシュペーパーをトイレに流すな、というのはこういうコトなんですよ。水に溶けないの。

別に間違ったわけじゃないのだけど、一応仕事している。
タイプ2レイトのスライドレール部分。
この車って、なんか全体的に砂っぽいんだけど、なんかすごい赤い砂なんですよね。
もともと何処にあったんだろう?
当然綺麗に掃除して修理です。
これ、くたくたになったスライドピース。こんなちっぽけな部品ひとつが欠けても、スライドドアはスムーズに開いてくれません。
仕事は間違えないけどプライベートで間違う、最もたるがこれ。
そもそも程度の悪い車体を高くで買いすぎて直すのも金かかるし、かといってこのまま再販するにはプライドが許さず、にっちもさっちもいかなくなったところ、もういっそ魔改造してしまおうかと、あれこれ手を加えだして、そこで部品選定を間違え続けてさらに損失を増やしている。
そういう失敗も趣味のウチだと割りきればいいのだけど、まあまあお金つぎ込んでるからもう後に引けない。そのうち「魔改造セロー」として記事にするけど。
関係ないけど、最近というか、この20年くらいの間、「死刑になりたいから殺した、殺すのは誰でもよかった」系の奴って増えたよなぁ、と思います。じゃあ、一人で死ねよ、って誰もが思うことなんですけど、そういう奴って、結局一人で死ぬのが怖いだけだし、誰かに認められたい思いで一杯なんだよね。
生育環境のせいか、自身の未熟さによるものかは判らないけど、今まで彼らは世の中に「認めてもらえなかった」し、自分で「認められなかった」から、最後の最後にスパースターになってやろうって意識が、大量虐殺なんだろうと思います。
誰が悪いのかといえば、無自覚に大人になって、自由に自分の動機や行動を決定づける事が出来る程まで成長し、被害者意識全開で自己肯定する本人が、一番悪い。
その彼を認めてやらなかった、彼を取り巻く社会もあっただろうとは思うけど、社会はそんなに人に優しくはない。
だから、彼らは社会に恨みをもつ。自分を排斥した世界が震撼するのをほくそ笑みたい。自分が抗えない、ことはもうすでにわかりきっているから。
だから彼らが狙うのはいつだって、自分より弱い立場の人間で、抵抗できない人間ばかり。そうして社会の弱点を突く。
「死にたいから、人を殺した」というなら、手っ取り早くヤクザの組事務所にでも殴り込みにいけば良いのに、そんな事した奴はいない。
自分を認める気概も、自浄する謙虚さもなく、自死する勇気すらない奴が、他者の人生を巻き込んで台無しにした挙げ句、なおかつ自らは塀の中で何年何年も、他人の稼いだ糧で非生産的に生を貪り、人知れずただ死んでゆく。
あるいは裁判の結果如何によっては、無罪放免で世に放たれる。
このところ、私は「人の社会には法が必要」だとは思いますが、「教」すなわち「宗教思想」というものこそ、これからの世界に必要とされるものではないかと思います。
人類史とは、「法」作り、得るところからはじまり、それを維持、改良してゆくことに心血を注いできた歴史なのではないかと思います。かつては「宗教」もその一翼を担っていたことはあるでしょうけど、近代化と共に乖離して、宗教が人の生活に密接しない言説になったのではないでしょうか。
その結果、法には「決まり」と「理屈」だけが残った。人は諸手を挙げて自分たちが作り上げた「法」を全力で崇めている。その「法」の「根源、根拠」がなんなのかを考えない。なにが発生源だったのかをもはや忘れてしまっている。
そういうことが、今の世の中の最大の問題だと、私は思っています。
なんとなく、秋の夜長にふと思い、つらつら書き綴ってしまいました。
11月11日は「いい、ひとびとの日」ってことにしましょう。
2021.
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07

はい、マスターシリンダー外しました。
フルードで濡れ濡れですけど、これだけではギルティ認定できません。
日々、密かにフルードをかすめ取っていた犯人が、これから解ります。
核心の、マスターバック内に調査のメスが入ります。
シリンジを突っ込んで吸ってみれば、ホーレこの通り。
ちょうどマスターシリンダーの取り付け部ギリギリまでフルードが満ちていました。
これ、どういうことかといいますと、少しずつマスターシリンダーのシール部分から、マスターバック内にフルードが漏れ出していたんですね。でもマスターの正圧側のカップが抜けているわけではないのでブレーキは効く。なので、なかなかマスターシリンダーに異常があるとは気づけないわけですけど、何処にも漏れていないのに、リザーブタンクのフルードが異常に減るという現象から、バック内に漏れ出しているという結論に至るわけです。
文字で書いてもさっぱり解りませんね。
でもう一つ、スライドドアの動きが非常に悪いので、スライドピースという樹脂パーツを交換します。指先ほどの小さな部品ですけど、良い仕事してますので、重要なパーツです。
ですがこのスライド機構を露出させるまでがまた苦労する。
こんな部分滅多に開けない、というより新車から数えて開けたのは私が最初の人間ではないかなと、思わないでもないです。スライドレールのカバーを外すには四箇所ネジを緩めなければいけないのですが、その際二箇所ねじ切りました。奥まった場所でガッチガチに固着していて、どうしようもなかったです。
(まあ、今回の場合、折れてくれて助かったんですけどね。折れずにナメるが最悪)
そんな感じで、旧車の修理ってのは個体によりけりです。大変なものもあれば楽なのもある。
ネジ一本を外す行程で工賃が変動するくらいですから。
で、ついでに気になってたバンパーの付け直し
実はこれが一番苦労するような気がしますが・・・・・・、まあ機会があれば記事にします。
2021.
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06

最近うんざりなのが、現金給付の話。
前のコロナ給付金の時にも一度書いたけど、国民はその10万円なんて望んでいない。
公明党は「未来応援給付金」と称して、18才以下の子供に全員給付することを公約としてあげており、今その流れを猛プッシュの様子。
なんでそんなに金をばらまきたいのかというと、単純な話、ばらまくことが決まってばらまいてしまえば公約を実行した、彼ら風に言うと「公約を実現する党」というお題目を掲げられるからだろう。
それでいて若者の未来を応援、子育て世帯を支援するとなると耳障りも良いし、口当たりも良い。
そもそも、日本国内の18才以下の人口って知ってますでしょうか。
だいたい二千万人弱です。毎年過去最低を記録していっています。
単純に二千万人×十万円だと二兆円ですね。
二兆円を市場にばらまく、という意味合いもあるのかもしれないが、殆どは家庭の財布に入ることになる。というのも10万円が給付されたことを理解できる年齢、もしくはそれを使える年齢、自身のものであると主張できる年齢には下限があり、おおよそ小学生以下はこれに該当する。中学生くらいだといくらか使わせてもらえるかもしれないが、将来のため必要なことに使うのだ、と親に諭されて好きなものを買って良いなどということはないでしょう。
そもそも、子育ての世帯は、コロナ禍で生活費(食費、通信費など)が嵩んでいる、というのが大筋の理由だけど、実際は、この二年コロナで遊びにも行けず、旅行にも行けずだったのだから、そのあたりが相殺されて、大して財布事情は変わっていないのではないかと思います。
この一年で、車や不動産といった大きな買い物が動いたのも、事実です。
それより、コロナ禍でパートや、アルバイト、非正規雇用の収入が減ったあたりにターゲッティングする方が、実効性があると思います。実際困窮しているのは、同じ若者のなかでもとりわけ地方出身の大学生で、下宿費や食費などをアルバイトの賃金で賄っているという学生は非常に多い。
また、パートや非正規は若い独身女性や、独居の熟年女性に多く、基本的に財布事情は常に厳しい傾向にある。
そういった実質的な社会的弱者に目を向けず、単に自分たちが主張してきたことだからと声高に、実現を求めるのは、いささか、あざとさを伴った傲慢に感じます。
しかし、そんな「幸福実現」が欺瞞であることなど、国民はしっかり見抜いているので、誰も公明党になど感謝はしないし、創価学会にも入信はしません。
あ、幸福実現は別の党だっけか? 似たようなもんだけど。
旧車、って感じの下回り。
サビサビのように見えますけど、これ殆ど赤土なんですよね。
おそらく日本の土ではないのだろうけど、所々剥がれているところからオリジナルのシャーシ色が見えているので、相当良い状態。
まあ、マスターはサビサビ。
マスターバックもサビサビですけど、漏れていない。
ただ、どうも、ブレーキフルードが漏れ出しているような雰囲気なので、おそらくマスターシリンダーは交換になるかと。
しかし、10万円とか、我々の世代に配ってくれたら、きっちり10万円使い切ってやるのになぁって思います。それこそ色まで付けて。実際以前の10万円はバイク買う金の足しにしましたからねぇ。
わたしだってしっかり経済に貢献してるんですよ。
政治家が国民の側に立って考えていないのは、前政権からしても同じ、ってのが情けない。
政情で政治が動いている。
我々は、政治家の暇つぶしのために国民をやっているのではないのだけどね。
2021.
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03

ホントはやりたくないけど、シャーシトンネルの一部を切開します。
なんでそんなことするのかっていうと、スポルト仕様の車を、マニュアルミッションに載せ替えるためです。
スポルトからマニュアルミッションも、その逆も、一筋縄では参りません。
スポルトもシャーシは同一のものを流用しているだろう、だから、クラッチケーブルスリーブはあるだろう、と高をくくっていました。
ないです。
しっかりオミットされてます。
別につけておいてくれてもよかったのだけど。
てことは、シャーシ自体の製造ラインが違うんですね。
ATFのタンクも必要ないので、取り外してマウントを切除しました。しんどい、めちゃしんどい。

今まで貸し出していたレンタルバイクは売れてしまったので、また新たなレンタルバイクを作ります。今度のベースはボロいのでまあまあ手がかかりますが、外装もボロいので心置きなくコケてくれて結構です。

初心者向けに、ハンドルは絞り気味にセッティング。
ハンドガードはレバー折れ防止に必須です。
なんとこの車両、こんなにボロくても16000キロしか走ってない優良種。
でもあんまりにも見た目がアレなんで、塗装しちまいましょう。
緑からオレンジ色に。
まあ、特に意味はないです。純正にはない色を塗ってみたかった、という程度のことです。
オフロードバイクレンタル http://chelm.blog37.fc2.com/blog-category-11.html
レンタルバイクすぐ乗り出せます。
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