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ずっとおもってた

2019. . 29
ずっと思っていた片付けを、この大掃除の機にやってしまおうとやり出したら案の定、一日で終わらんかった。

こういう時、一人は大変。

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サンドブラストがめちゃめちゃ重いよ。コンプレッサーも死ぬほど重いよ。
他にも棚を動かしたり、荷物を移動させたり、なんでうちはこんなにモノが多いのか。
かといって不必要なモノはたぶんないはず。

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今日はほぼ電話もなく、来客もなくで静かです。
ま、普段こんな時間絶対とれないから、いい機会なんですけど。
積年のホコリを掃除しようと、店に転がっていたダイソン掃除機を引っ張り出してきた。

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「吸引力が落ちない」が売りのダイソンですけど、ムカつくのは、少しでも吸気抵抗があると自動停止する。いやいや、オマエ勝手に判断して止まるなよ。フィルターすぐ目詰まりするし。
それに、構造的なモノなのか吸引力にムラがある。吸引力が落ちないのはいいんだよ、だけど強い時と弱い時があるのはダメじゃね? 

毎度毎度思いますが、舶来モノの家電でよかったモノなんて殆どないんじゃないかなぁ。
家電って、確実に動いて欲しいじゃない?
なんでかっていうと、人間の仕事の補佐をする機械だから。
だから、家電って合理性しか求められてないんです。多少デザインとかブランドとか選択する要素はありますが、主には完全にスペックです。そして信頼性。

車ってのは20世紀まではまだその領域に入っていなかったのですが、人々がミニバンを選び出した時点から家電化したのだろうと思います。スペックっていうか、純然たる乗り物、運搬機としての合理性を求めたのね。

で、21世紀はいよいよ電気自動車が躍進するでしょうから、まさに車が家電になりますねぇ。

えー、本日で今年の営業は終了します。
新年は1月5日より営業開始します。

ヘルムは本年も、お客様、業者様、ならびに各関係者様に支えられ、無事に年末を迎えることが出来ました。
心より感謝申し上げます。

私は何かと余裕のない毎日をまた繰り返すかもしれませんが、来年も何卒、よろしくお願い致します。

それから全国にいらっしゃるブログの読者さんにも、大変お力をいただいております。読んでくださっているという実感が書き続ける原動力になっています。

不埒なことを書くのは芸風ですので、どうぞ笑って許してください。来年も思わず読みたくなるような話題をがんばって執筆します。

休み期間中、緊急事態などありましたら、下記までご連絡ください。
おそらく正月中は酒漬けなので駆けつけることは出来ませんが、話くらいは聴きますw

そんな感じで、今年は終了します。

たぶん。
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ゲリラ除夜の鐘

2019. . 28
各地で除夜の鐘へのクレームが頻発してるようですが、これ、不思議なんですよねぇ。

なんでクレーム入ったらやめるんだろうか? 私、屋外で火を炊いててもクレームいわれたことないですよ。

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じゃあさあ、寺は無駄に敷地広いくせに税金も払ってないんだから、廃寺にしろっていわれたら、検討でもするのかねぇ?
それとも、法を盾に拒否りますかねぇ?

昨日は全面的にクレーマーの頭がおかしい、って事を書いた(ようなきがしますけど)、今日は寺の方。

いわれて簡単にやめるな。
そんな根性のなさで、矜持が保てるか。
匿名のクレームが入っただけでやめるような行事ごとなら、最初からするな&、寺なんかやめちまえ。宗教者としての資格、資質を疑う。

ま、いうだけなら簡単と言われるかもしれませんが、こういう時に宗教者はがんばらなアカンのですよ。

そもそもクレーム入れてるのだって、共産系の活動家か某国の工作員かもしれないのに。

というのも。



歴史・文化・伝統は国力です。
その礎たる民族意識を分断するのは初歩的な国家破壊戦略です。
要するに、家族なり地域で行われていた祭事や、地域社会のローカルルールを禁止、廃止させることで、家族や地域の意味を無くす事がいとも簡単にできます。そういうのを、歴史では「近代化」として称賛してきたのです。

日本においては江戸時代まで全ての藩が別の国だったのを、一つにするため天皇を頂点とした国家神道を作る必要がありました。これは欧米列強と対峙するために、日本を一つにして強くする必要があったためです。

その際に地域の祭神がことごとく破壊され、村落や集落で維持していた社会が破壊されました。地域社会では神社の体を成しておらずとも、古より信仰を集めていた地の神、山の神、などといった神がおわし、常にコミュニティの中心が神の社であったのです。
しかし、神社合祀政策というものが明治政府の手により施行され、祠や塚は破壊され魂を移され、一定のフォーマットに置き換えられて、いわゆる稲八金天(稲荷、八幡、金比羅、天満宮)に合祀されて今に至るのです。

結果として小さな村落は、大きな町村、あるいは郡や市へと吸収されてゆき、各々の文化は衰退してゆきました。せめてもの過去のコミュニティの名残があるとすれば、方言に残っているといった程度でしょうか。
いずれにしても日本はそのようにして民俗文化を破壊し近代化してきたのです。

今世界でもてはやされているグローバリズムという、地球標準フォーマッティングは、まさに国家、民俗を破壊し、富を持つ数%の支配層が頂点に座すピラミッド構造に、全世界の人類を吸収する動きです。有り難くもなんともないです。

ま、少し話が逸れましたけど、地域から文化が消滅するというのは、そういうことの先駆けだと気づくべきなんです。
地域文化を意図的に壊そうとしている奴がいる(政治がらみだと考えれば容易に理解できるはずです)と、少しくらい疑いの目を向けてもいいんですよ。 「頭のおかしい奴が除夜の鐘にクレーム入れてる」って、せせら笑っている場合ではありません。

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5分で出来るタイヤ交換が、ホイールがシャフトから抜けずに一時間以上かかるとか、そういう思いがけないこともあるのですから。

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辛口で世界を覗きましょう。 世界はそんなに平和じゃない。

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だから、クレーム入った寺の坊さん。
あんたらが本当に信仰心を携え、世界の平和と人々の幸福を望んでいるのなら、31日の当日に、

「ゲリラ除夜の鐘」を撞け。


どうってことない

2019. . 28
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年末に思いっきり夏空の写真をあげてみる。

一月とか二月のクソ寒い月のカレンダーは、こういう画像を使うべきだと思います。
なんでシロクマとかペンギンの画像にするのだろうか。

ふと一年を振り返って、今年はなんかいい事あったかなぁ、とか考えてたら、割といい事あったよなぁと。
悪いことといえば、手首捻挫したとかくらいじゃないだろうか、と。他にもあるかもしれないけどパッと思いつかないくらいだから、大したことないんだろうと思う。

あ、今年度頭から始めた禁煙、まだ続いてます。
でも、いつでも喫煙者に戻れる気がしますし、どうしても接客の中でタバコの煙を吸うことはありますから、結局これって吸ってるんだろうなぁ、とは思うんです。

私なんかの場合、喫煙経験があるから、吸っている時と吸っていない時の気持ちとか、気分の違いが分かる訳で、今更他人の煙が気になるなんて事はないんで、自分的にはどっちも経験できたことはラッキーだなって思ってます。

これ、よく例える話ですけど、あなたはどれだけの便所で用がたせるか、って話。

洋式便所、和式便所、ボットン便所、溝が掘ってる個室、そもそも個室ですらない野外。種類をあげればいくらでもありますが、どこまでが出来てどこからは無理なのかで、人間の器が決定します。一部ですけどね。

出来ることが多いと選択肢が増える。
嫌いだ、嫌だ、無理だということが少ない人ほどリスクを回避できる。

野外フェスなんかでトイレ行列になったとき、脂汗を額に浮かべながら、永遠とも思えるような苦悶の時を過ごすより、一人そこらの茂みにランナウェイして、大自然の中で清々しく用を足すって素晴らしいじゃないですか。
ま、皆がそれをやるとそこら中の茂みがアレな事になりますけど。

ストレス感じそうになった時は、こう思いましょう

「どうってことない」

最近巷ではこれが言えない空気が蔓延しているような気がします。

なんで除夜の鐘がうるさい、騒音、迷惑だ、なんて思う人がいるのか不思議でなりませんが、確かに除夜の鐘の行事そのものなんてどうだっていいことですしおそらくは中国発祥とか言われている程度のことで誰も正確には起源を知らないような、日本ローカルの行事だそうです(仏教と関係あるかどうかすら解らない)

そう考えると確かに、なんの脈絡もなく夜中に鐘なんか撞きやがって! という憤るのも解ります。
これってオウム真理教がサリン蒔くのは、人類救済のためにポアしてあげるためだからねー、っていってるのと変わらないからだと思います。
実際に裁判では、騒音として認定されてしまいました。
全面的に寺側が敗訴で、除夜の鐘撞きたけりゃ、防音パネルを張り巡らせなさい、と。

でも、私なりに解釈するところ、法的には宗教的行事としている側面はあったとしても、かのNHKが「ゆくとし来る年」という年末の番組内で除夜の鐘を放映してる訳ですよ。あれらが宗教行事なのだとしたら、色々アウトなはずなんです。だけど視聴者はそういうこと言わない。殆どの日本人は、除夜の鐘を聞いて年が暮れるのを実感する。

そういうのって、青葉に蝉の声、青空に白い雲で「夏」だと連想するのと同じで、風土に極近いものだと思います。
日本人が神社に初詣にゆくのも、前日に除夜の鐘を撞くのも、そのほんの一週間前にクリスマスを祝うのも、その一ヶ月前にハロウィーンを楽しむのも、もはや、日本の風土に根ざした文化でしょう。

そういうのを、自身に害を為すものとしてしか受け止められない者は、自分のことしか見えない、本当に器が小さい人間なのだなと、思います。人間の価値は、器がどれだけ満たされているかではなく、どのくらいの器量を持っているかであると、私は思います。

ですから、死ぬまでにその自身の用意した器量が満たされるよう、精進せぇと。

合掌。





おかま現金

2019. . 26
車検も終わりました。久しぶりにハードなガス検査で、一回戦は敗退しました。車検には私が自ら受けに行くんで、滅多に落ちることはないんですが、でもたまにはあります。いつまで経ってもままならんもんです。

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で、今朝トラックの後ろを走っていたら、気になるステッカーが。

「おかま現金」

と、赤字で。

トラックに「おかま」「現金」???

パーキングで寂しい夜を過ごすトラックの運ちゃんが、現金くれるならケツ貸すよ、って意味だろうか、と猥雑な想像をしてしまいました。本気で。

もちろんちがいます。朝起きてすぐなので頭寝てました。
「おかま」ってのは皆さんご存じの通り追突です。「オカマを掘る」とかいう使い方をします。
ですんで、「おかま現金」は、「追突しても保険とか処理面倒だから、その場で現金で払わすぞゴルァ!」 って意味でしょうね。

まあ、特に広がる話題でもなく。

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本年最後になりそうな仕事は、原付の興し。
「オコシ」っていいます。不動の車両を復活させる作業ですね。
今年は車もバイクもよく触ったなぁ、という気がしてます。ワーゲンばっかり触っている訳じゃないってのは、ワーゲン屋さんとしてどうなん? って思われるかもしれませんが、そこ、めっちゃ大事なところではないですよね。

いろんな事が出来て、いろんな人が来て、いろんな話が出来たらいいと思います。
そこから垣根を越えて交流が始まることもあるでしょうし。

そういうのが、面白いって思ってもらえたらいいなって思います。
来年はどんな年になるでしょうか。

あと三日、頑張りましょう。



聖☆おじいさん

2019. . 24
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今日はクリスマスイブですね。朝起きたら、ビートラックがバイクを運んできていました。私のクリスマスプレゼントです。

今日、取引業者さんと「今日はクリスマスだねぇ」なんて話をしていたら、「イブってなんぞや」な話になったんです。

イブは、イブニングの意味ですから、クリスマスイブは「クリスマスの夜」という意味になります。
ここ間違えがちなんですが、日本人の多くはクリスマスイブを「クリスマスの前日」と解釈しているので、前日の前日で「クリスマスイブイブ」なんて言葉が生まれたりしますが、もちろん間違いです。

さらに突っ込むと、「クリスマスの夜」であって「クリスマスの前夜」ではありません。
24日も25日もクリスマスで、24日の夜を「クリスマスイブ」と呼びます。

じゃあ、クリスマスってそもそもなんなのよ? っていうと、キリスト降誕祭(キリスト・ミサ)ということだそうです。
ここ、私も誤解してましたが、ジーザスの誕生日ではなく「誕生を祝う日」だそうです。実際の誕生日は史実というか、聖書の記述によれば、全然この時期じゃないってのが有力な説でして、まあ少なくとも雪の降るような時期ではなかったそうです。

じゃあ、なんで降誕祭(クリスマス)が12月25日になったのかっていう話になって、おおよそまたキリスト教がどこかの宗教の記念日を上書きした結果なんじゃないでしょうかねぇ? なんて答えたんですが、私、忘れてました。

2011年のブログ 「クリスマス イブ」で、ばっちり書いてました。書いたこと忘れてましたよ(にわか知識なので忘れる)

例によって時の権力者によって上書きされた記念日でした。

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で、仕事の話そっちのけで、まだ続くんですが、「そういや、クリスマスとサンタクロースって関係あるのかな?」なんて話になりまして、じゃあ、ってことで今日のブログネタ指定にされました。この取引業者さん私のブログの読者でした。

それで調べてたんですが、お馴染みのトリビア、「サンタの衣装が赤くなったのはコカコーラの仕業」、というのはもう結構有名な話ですが、じつはこれ、間違いです。

米国コカ・コーラの広告にサンタクロースが初めて採用されたのは1931年。
サンタの爺さんが赤い服を着ているという記述は、日本では1907年の朝日新聞に「身に赤衣を纏ひ」などとサンタクロースを紹介しているそうです。
とはいえ、赤くなったのは朝日新聞の仕業ではなく、欧米においても19世紀には既に赤い服を着たサンタクロースが主流になっているそうです。

更にサンタクロースのモデルであるシンタクラースは赤い衣装を身に着けているそうですから、要は最初からなんですね。

じゃあ、なんでコカコーラが、なんて話になったのかというと、コカコーラ社が、広告業界やメディアを使って自身らの影響力を示す為に流したデマだそうです。実に破廉恥ですね。

で、先に出たシンタクラースってのは誰なんだという話。

元は「聖ニコラウス」。宗教に興味ない人でも聞いたことくらいありますね。東ローマ帝国の司教です。セイントニコラウスと読みます。
これをオランダ語にすると、シンタクラース。そのオランダ人がアメリカに渡ってサンタクロースと呼ばれるようになったのだそうです。なので実はヨーロッパ圏では夜中にプレゼントを配る謎の老人=必ずしもサンタクロースとは呼ばれていない、のだそうで、現在我々が想像している「煙突から侵入して、靴下にプレゼントを無理矢理突っ込んでいずこに去ってゆく、赤い服を着たポップな白鬚の老人というイメージは、イギリス、アメリカを通じて輸入・拡散されたものといえそうです。

で、長くなりますが、サンタクロース=くつしたプレゼント、という定形にもちゃんと理由がありまして、その昔々、ある家族が貧困の余り、三人の娘を身売りに出さねばならないという噂を、聖☆おじいさんは小耳に挟み、「それはいけない!」 と、夜な夜なその家族の家の煙突から金貨を投げ込むという行為を行いました。暖炉に金貨が落ちていたら見つけられなかったかもしれませんが、金貨はなんと暖炉の前で干していた靴下の中に入ったといいますから、なかなかのご都合展開です。
それでめでたく娘達は身売りを逃れてめでたしめでたし。

そんな訳で「聖☆おじいさん」こと、聖ニコラウスは聖人列伝のなかでも大変人気のある御方であり、彼の命日12月6日は聖名祝日として記されています。貧しい人々に施しを行っていた聖ニコラウスの功績を称えて、彼の命日である12月6日は、ものを贈る、贈りあう、という風習になったと言われます。

あれ? ですよねぇ。
仮にユリウス暦換算しても、12月19日ですので、おしくもない。(そもそもユリウス暦は13日ズレます)

先に書いたように、25日はローマ皇帝コンスタンティヌスが無理矢理上書きしたものですし、もうすでに「クリスマスの夜にサンタクロース(または家族や恋人同士)がプレゼントを配る」なんて風習は破綻しているというか、日本を含む極々一部の地域約にだけでしか行われていないといえます。(これは主に、イギリスとアメリカです)

が、実際はクリスマス=プレゼント、はまあまあ定着してるとおもいます。全世界的に。
時期は多少ずれますが、ヨーロッパ各国でもそれぞれの風習下において、12月24日(降誕祭)から1月6日(神現祭)にかけてをクリスマスとしての行事と捉えるそうで、大抵の地域でこの間にプレゼントなり、贈る贈られる、といった風習が根付いています。

かつてサンタクロースが商業的だと批判を受けたこともあったそうですが、やはり経済的に突出したイギリスやアメリカという、先進国が大々的にインフォメーションをした結果、日本のような先進無宗教圏のような国は、こぞって商売に利用していったというのが経緯ではないかと思われます。いうまでもなく日本においてはバレンタインデイは、二月という寒い時期の最大の稼ぎ頭ですから。

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そんなクリスマスの贈り物。
最初は、言葉や仕草や、カードや手紙といったささやかなものだったかもしれません。
それは大切な人を思いやる心を形に表したものでしょう。
プレゼントとは、心です。

もらう側の人が、欲しいものをねだるのはプレゼントではありません。
まあ、堅いことを言ってスミマセン。

ですが、ちょっとだけ言いたい。

あなたがある人に、どんなものを贈ろうかと考えることこそが、その人のことを大切にしている。
あなたのことを考えてプレゼントを贈ってくれた人は、あなたのことを大切にしてくれている。

互いに人と人が思い合うこと、互いのことを考えること、普段は忘れがちな事ですが、クリスマスがそのきっかけとなるならば、商業的だろうと全然構わないと思ってます。

メリ-クリスマス。






コカコーラのヴィンテージベンチ

2019. . 22
はい、お久しぶり。

皆さんの“あの時は良かった”的な、きらきらした思い出の中にある、あのアイテムを提供する掘り出し物夜市です。

今夜ご紹介するのは、コカコーラの純正ベンチ。クリスマスなので、それっぽくコカコーラです。
オールスチール製で、結構なやれ具合です。

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数十年前のものです。
一度は皆が座ったことのあるあの、コカコーラベンチ。この座面の微妙なカーブラインが他にはない座り心地です。
ひとたび座れば、あの眩しかった季節の思い出が蘇ることでしょう。


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鮮烈なコカコーラレッドは色飛びしてピンクに近いです。時代の流れを感じてください。

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鉄製で、現在あるような簡易な組み立て式ではなく、部材を溶接して作られた一体型の、堅牢なベンチです。そのため分解して小さく梱包することは出来ませんので、直接取りに来ていただくか、配送をご自分で手配できる方に限ります。(大型物を個人宅に運ぶのは運送屋が嫌がるので)

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接地部分は錆びてますが、さすがに丈夫に作っているだけに、こんな状態でも普通に座る分には問題ないです。

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幅150 高さ77 奥行き49 おおよその寸法です。
ハッチバックの軽自動車に無理矢理なら積めます。

 思いでのヴィンテージコカコーラベンチ! 今回はクリスマスセールとして、10000円(税別)にてご提供します

DEATH日

2019. . 21
エンジン不調で入庫

この二日前にも始動不能で入庫してきた車両だったんですが、またもや始動困難。全くかからないのではないので、少し状況が違うみたいです。

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最初のトラブルは、ポイントの固定ネジがバカになった事による、点火不良でしたので、マウントプレートを交換して修理完了。めちゃめちゃ快調になりました。どうも以前からあんまり良くなかったみたいです。

で、それで直った直ったと安心してたら二日後に電話。似たような状況で止まった、とのこと。
修理ってのは原因を追及して故障箇所を取り除くことで、それが出来ているから直るんです。
それが同じようなことになるということは、もう一度同じ箇所が壊れたか、そもそも見当違いの場所を直したか、全く関係なかったか。

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もちろん各部チェックの上ですが、やはり怪しきはディストリビューター。
中古のデスビをならべてチェックしているのは、何か機械的な異常がないかを見てます。
軸がぶれてる、ガタがあるなんてのは論外ですが、ちゃんとした動きをするかどうかの判断はまともなものを知らないと解りません。

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機械的に異常のないものを挿したり、色々コンバートしてみるんですが、どうにも調子が悪い。いや、むしろどんどん悪くなるような気がする。アフターファイヤでまくり、アイドリングもバラバラ。
絶対点火ミスしてるって解ってるんだけど、原因が……?

もちろんプラグなんて初歩でつまずくはずがない

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一回目の修理の時、デスビ内のベースプレートを交換

直った

二日後突然不調

二回目修理。ベースプレートに異常なし。あえて言うならちょっとガタあり。

中古デスビをベースにコンバートするも、調子悪し、どんどんダメになってゆく

仕方がないのでコンバートを諦めて、アッセンブリの中古デスビを挿してみる

調子いい

つまり、わざわざ元々付いていた部品をコンバートしていたことが原因と解る

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この新品同様なコンデンサを使い回していたことが原因。(一度目は関係ない)
一回目の修理の時から付いていたからすっかり信じてた。これは異常ないだろうって。

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完全な、思い込みです。
いや、願望と言ってもいい。
新品に裏切られたくない! っていう……

でも、容赦ないです。信じた私がバカです。
「命が惜しけりゃ、会う者全てを疑ってかかれ」ってのはよく聞きますけど、空冷ワーゲンの修理も同じです。
そして「捜査に行き詰まったらスタート地点に戻れ」もまた真なり。

幸福な娘

2019. . 19
てんちょのあやしいはなし


その昔。

当時雇っていた年下の従業員と、仕事上のことで話がこじれた時、「今までだってそうやってきたんやし、問題なかったし――」という私に対し、「そんなやり方承服できません、俺もこの職場にいる限り、俺の将来がかかっているんですよっ!」と年下の従業員が激昂してました。

まあ、彼の主張を端から否定するものではないですから、私も一応上司として話は聴きます。

そもそも彼がそんなことを叫ばざるを得なかったのは、私が今までやってきた方針や、方法論や、経営観念といったものが、彼の目から見ると悠長で、時に雑で、時にデリカシーに欠け、時に不誠実に映るという労働方針、あるいは印象の齟齬があったためです。

私は一人でやっている時間が長いものですから、人から見てどうこうだというのは気づきにくいものですから、ある程度は聞き入れなきゃなとも感じましたし、参考にもしますし、時に意見を全面的に取り入れ改善改革もします。そのくらいの心の余裕はあったと思います。

ただ、別々の人間が一つの仕事に共に取り組む時に、二通りのやり方が生じてしまうことはあります。そして、ここは譲れん、それは違う、という部分も生じます。そういった場合すりあわせが出来ればいいのですが、互いにひかない場合は喧嘩になりますし、業務が滞ります。

ただ、立場や年齢に上下関係や、経験値の多い少ないがあれば、多くの場合上位者の意見が通るものです。
当然です。
責任をとる者の方が意見が強くなりますから。

そんなことを思い出したんですよね。

グレタ・トゥンベリさん(16)の一連の発言をみていて。

グレタ・トゥンベリさんについて今更詳しく説明するまでもないと思うので、知らない人はウィキでも読んでください。今や時の人ですから、ネットでひけばいくらでも情報は出てきます。
ちなみに皆さんはよく「グレタさん」と呼んでますが、ありゃあファーストネームですから、ちょっと馴れ馴れしいのかなと、思うところありますんで、フルネーム表記してます。

彼女が有名になったのは環境活動家として、非常に若いというのもあるのですが、インパクトがあったのはその強い言葉遣いでした。まさに大人を責め立てる言葉の応酬。それもとりわけ、立場の強い、いってみれば一国の代表レベルの大人達を非難する言葉の数々と歪めた憎悪の表情に、少なからず社会は衝撃を受けました。

大人は我々子供達の未来を奪おうとしている。今環境問題の改善に取り組まないなどあり得ないではないか、もしも問題を把握し理解していながら行動を起こしていないのだとすれば、大人達は邪悪である――とまで。

これら言動に関して嫌悪感を示す大人はとても多く、論調としては「子供らしくない」 「何者かに操られている」 「そんなことより学校行って勉強しろ」 といったスピーチ内容を余所に、端から取り合う姿勢を見せていませんでしたし、「まずはあなたの未来を考えたらどうか」など、かのアメ帝の大統領ですら、というかあの人だからだろうけど「彼女はとても幸福な娘だ」と皮肉を込めたツィートをしていた。

ほかにも有名著名人が彼女を揶揄するような発言をしていたように思いますが、まあこれに関しては大人げないの一言でしょう。
匿名でなくとも、拒否派の多くは彼女に比べればかなり安全な場所から、無難で否定的な意見をさもエラそうに、正しいかのように、大人の代表かのように意見を述べていました。

まあ、彼女も飛行機で移動することを拒み、そのかわりヨットで移動するとかめちゃめちゃ非難されそうなことしてるし、いかにも苦労人っぽい自己演出が逆にツッコミを煽ったりしているわけで、そのあたり思慮が浅いというか、プロデューサーの役割をしてる人間はいるんだろうなぁ、と勘ぐる材料にもなった訳ですから、そのあたりはちょっと考えて行動すべきでしょう。

ですから、何らかの組織の傀儡であるという可能性は棄てきれません。自ら環境問題について提言を始めたとしても、我のあずかり知らぬところで上手く利用されている節は否めないだろうし、その尻尾は既に掴まれてしまっているかもしれない。

だが、彼女が主張する言葉には意味があります。
経済ベースではなく、生存ベースとして地球環境を考えねば、人類の未来がなくなる可能性はある。
それはそうだと思う。

彼女のことをメディアなどを通じて知る人は、彼女が学校に行っていないという、この部分に眉をひそめる。
子供は勉強するものだ、と。
彼女はまだ子供だから、色々なことがよく判っていないんだ、稚拙な正義感で地球環境の危機を訴えているだけだ。
大人の立場をいたずらに脅かすものではない。
なんて子供だ、いやらしい。

ですが、私は思うに、興味のあることに若いうちから一生懸命に夢中になって取り組むのはいい事じゃないかと思います。
そういう意味では、彼女のご両親(共に有名人ですが)は非常に勇気のある決断をされたと思いますし、何かあったらケツ拭く覚悟で送り出したんでしょう。彼女もそんな懐の深い両親の元に生まれてきて幸福であると思います。皮肉ではなく。

そもそも子供に満遍なくあらゆる教科を勉強させるのは、将来の選択肢を増やすためであり、また自身の可能性の追求を容易にするためであり、用意されたカリキュラムをこなし達成度を測ることで社会生活に必要な一部の能力の優劣を見極めるためでしょう。
ですから、もうすでに自分のやるべき事が決まっているような人には、無駄な勉強は必要ないんじゃないかと思います。そんなことをしている暇があるなら、自分にとって必要な学問をだけを取り込みたいでしょう。

だいたい、良い学校を出たからといって聖人君子になれる訳でなし。
せいぜい、給料を多くもらえる会社に入るのが関の山でしょう。

そう。

現在の多くの大人が考える人間の価値とは、経済力です。

すなわち労働に勤しむこと、それにより飢えないこと、それにより場を乱さないこと、そして、それらにより平和を維持できること。

これが、大人に求められているものです。
正しいように聞こえますよね。確かに正しいと思います。
平和というのは、何も起こらないこと、です。何も起こさないことです。
昨日と同じ日が今日も続き、明日も続くと信じられることが平和です。

そういう意味で我々日本人は、日々概ね平和だと感じると思いますが、それはただ、自分の周り以外をみていないからです。自分たちは平和に過ごせているから、周囲を見渡す必要がないのです。

気づかない、見ていない、関心がない、それは罪でないのか。

そういうことをグレタ・トゥンベリさんは言っている。

ただそれだけですが。

実際の所、本当に温暖化が人為的な原因によって生み出されたのか、という議論はつきません。いわゆる温暖化懐疑派というやつですね。これは原発などの利権に絡めて言われることもありますし、産油業界をはじめとしたあらゆる組織や業界の利権が関係していることなので、それだけ否定派や反対意見も頻出します。
こればかりはグレタ・トゥンベリさんが十六のピチピチ小娘だろうと、萌え要素だけで乗り切れる問題ではございません。

グレタ・トゥンベリさんは、このままゆくと社会にまともな形で参画することは叶わず、一般的な相応の年齢の少年や少女と触れあい普遍的な会話をするに至らないことは容易に想像できますから、「一般的な大人の視点」を得ることが出来ないというハンデを被る事になります。(そもそも彼女は幼少期にアスペルガー症候群という診断も受けていますが)

下手をすれば恋もしなければ家族も作らないかもしれません。洋服や宝石を買ったり、車を所有したり転がしたりする喜びも得ないままかもしれません。
そういったストイックな修行僧のような生き方をしている人の言葉が、一体どれだけ我々に響くのか? という事はよく考えます。
それはそれで歪な人生になると思います。

私なら、そんな人の話の大部分を信用しませんし参考にもしません。

言っていることは正しくとも。
大人達よりも意味のある、意義深い提言をしていたとしても。
もし、温暖化が別の要因によって引き起こされていたものだと後年になって判明したとしたら、その時世界の中に彼女の居場所はあるのだろうか、と少しだけ大人として心配になります。

彼女が環境問題そのものを、「自身の存在意義である」などと捉えることがないよう、我々は我々で少しずつでも、今そこにある危機の片鱗に目を向けることは非常に重要だと思います。

ですが、

自己反省するなら、我々は生活に忙殺され、今この瞬間だけを維持する事を何より優先していますし、それ以上の余裕は殆どありません。
自己弁護をするなら、環境保護のお題目として掲げられる脱炭素社会は、自身の食い扶持を脅かすことになるため、肯定しきれないという現実はあります。

私はその程度ですが、明日、あるいは次の食事がままならない人間にとっては、地球の未来など知った事ではないでしょう。
食事ならまだしも、命の保証すらない人間だっています。
それも彼女よりも年若い子供が爆弾を腹に巻いている世界も、地球の一部ですしその戦争で開発された、ロケットをはじめとする莫大なエネルギーによって得られた宇宙観測データが、地球という惑星の謎の解明に貢献してきた事も事実です。

そういう意味では、彼女はやはり幸せな娘だといわれても仕方がありません。
出来ることなら、彼女も今の世界の現実を見て欲しいなと思います。せっかく世界に出てきたのだから。
そのような世界に触れさせるのも、周囲の大人の役割ではないかと思います。

この先、彼女のような若者達が古い世代の築き上げた悪しき伝統や慣習や因習を駆逐してゆくのか、それとも人類はそのままでも生存維持を続けてゆくのか、それはいずれにしても、人々の総意としての「ただしさ」という船がすすむ行き先なのだと信じたいものです。



ぷらっちっく

2019. . 18
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最近、一人鍋、一人アマゾンプライムにハマってる。
食べる時は大体こういう風景です。

15年前の自分だったら、こんなん絶対許されへんかった。食卓に猫が座ってるとか。変われば変わるモノです。

と、そうそう15年前といえば、ニュービートル全盛期でありました。
何度も言いますが、ニュービートル自体は自動車業界的にかなりトライアルな車体で、プラスティック素材をボディに多用したという点ではパイオニアでして、それまで車は鉄板じゃなきゃダメみたいな空気を一掃したものでした。
また同時に、その極端に曲面を多用したボディ構成も後の小型車のデザインにセンセーショナルな影響を与えたといっていいでしょう。

ただ、プラスティック部分が多すぎて安っぽい、という印象は拭えなかったようで、そのあたりは後のモデルにまで随分影響したなというところですし、樹脂素材の悪さから各パーツが折れる、外れる、割れる、剥がれる、溶けるといった、もう本当に目を覆いたくなるようなマイナートラブルが「ザ・ビートル」に引き継がれるまでは頻出しており、オーナーさんは辟易しておったという歴史があります。

その頃の車体ですが。
お客さんから「インナドアハンドルがぱこぱこするんです」と。

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何か外れてるのかなぁ? と調べてみると

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ばっちり折れてます。
こういうハンドルって、ドア自体を押したり引いたりするんで相応の力がかかるんですよね。一応内部構造にトラス組んでますけど、大事なのそこじゃなくて、マウント部分のほうね? 補強が入っていない部分のほうが力かかるから。
どんな自信があって、ここをプラスティックだけで作ろうと思ったのか解りませんけど、設計甘過ぎ。

しかもインナーパネルと一体化してるので、交換とかもう現実的じゃなさ過ぎて、見積もりすらしてない。
以前にグローブボックスのロック破損した時も、アッセンブリで7万円とかふざけた値段してたから。

なので

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エポキシ接着剤と、タッピングビスで留めちまいます。

プラで出来てる世紀の名車のリバイバルカー。ニュービートル自体殆どみなくなりましたけど、鉄で出来た空冷の方は未だ元気に走っておりますよ。

最近は16の小娘が声を荒げて環境問題を叫んでおりますが、マイクロプラスティックというのが只今海洋汚染で問題になっているそうです。このマイクロプラスティック、何かといいますと、5ミリから1ミリ以下の大きさの、実質分解しかかったプラスチックのクズなんですが、世界中の海洋や大気中に蔓延しとるそうな。
原因は、樹脂製品(プラスティック製品)の過剰な製造と廃棄による。

で、そういうのものを動物が体内に取り込んでしまったり、人間も知らず口にしていたりと、いまとところどういった影響があるのかまでは解っていないそうですが、人工的に合成した物質が自然界に流れ出しているということ自体が問題である、という認識でしょうか。

で、いつもの事ながら性急な人々は、即樹脂製品の使用をやめるべきだという論調で、ペットボトルをリターナブル瓶に替えるべきだとか言い出すんですが、それはそれで瓶の輸送コストは現在よりも格段に跳ね上がったりするので、環境問題全体を見回すと何をしてるか解らんと言う話になる訳です。

いつでも思うことですが、主に白人が主導する先進国というのは、自分たちが散々荒らしまくって資源搾取した世界が壊れそうになったら、自分たち都合で併走する先進国や後に控える後進国まで巻き込んで規制規制と、この流れに乗らねば国際社会で村八分にするぞと脅しをかけ言いなりになるように強要する。
EURO5とか、どんどん無茶な環境規制のハードル上げてきて、内燃機の開発陣のやる気を削ぐためにやってるんでしょうか? それともガソリンエンジンをやめさせたいんでしょうか?

結局、環境問題なんてどうでも良くって、植民地時代と何ら変わらない体制を維持したいだけなんじゃないのかねと。
石油批判が集まり、石油関連の事業が縮小すれば、アラブの大富豪も形無しな訳でして、そういう世界を作ろうと画策してる連中がいたって私は全然驚きませんけど。

石油に頼らないでも樹脂製品は、小麦粉やトウモロコシから作れるとかいう様なことを言ってのける方もいますが、その小麦粉やトウモロコシで助かる命が世界中にあるんではないでしょうか、と。

あ、話が長くなるので今日はこのへんで辞めときます。

バンパーステーブラケットサポートツール

2019. . 15
そんな大層なことではないんですが。

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あ、写真の黄色いビートルは関係ないです。映えるのでトップ写真に使いました。

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フロントクラッシュのビートル、バンパーステイブラケットの位置決めをどうしようか迷った挙げ句、調整用専用ツールを作るしかないと思い至り、不要になったバンパーステイをカット。

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へにょへにょに曲がっていたので、プレスで修正かまします。
それにしても、とことんモノ捨てないよなぁ、と自分で思います。
なにかと置いておいて、意外となんかの機会に使うこと多かったりするので、この様な曲がったバンパーステイでも棄てずにのこっていたりします。

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まともな実車のビートルからバンパーステイの取り付け幅を測って、アングル材で両端を溶接。
これにあわせてステイブラケットをボディに付ければ確実にバンパーは取り付けできるという寸法です。
もちろん実際に付けるバンパーそのものを使ってもいいんですが、重くてj作業効率が悪いので一人では不都合多すぎます故。

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こんな感じですね。
高年式が面倒なのは、フェンダーを突き抜けてバンパーステイが生えているため、バンパーのステイ穴を無視する訳にはいかないんですよね。ここ適当にやるとあとで絶対泣きますので、何度も付けて取り外して、溶接してゆきます。

ようやく形になってきました。合間合間にこなしているので年内完成は無理ですが、どうぞ気長に待ってくださいませ。

2019. . 13
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温かい12月が続いておりますが、過ごしやすくて良いですね。
ハッ、と気づけばもう半分しかありません。

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大掃除始めてしまいました。

というのは嘘ですが、急遽体のいいロッカーが手に入った(というか、無理矢理おいていかれた)ので、設置するために一人でレイアウト変更。
こんな事してる場合じゃないのだけど、やらねば場所が圧迫されるから、やるんです。

あと二週間くらいしかないんだなぁ、と思ってたら、今年の一文字が発表されてました。

「令」でしたね。

まあ、それしかないよね。

令和になって一年も経ってませんけど、もう既に「平成」ってのが古く感じるし、「昭和」とかヴィンテージ感漂ってますよね。
ま、令和もおそらくは30年ほど続くと思われますが、そうなると我々もう一時代くらいまたぎそうでして、「おじいちゃん昭和生まれなんですってー!」、と言われるのでしょうね。

でもようく考えたら、ヘルムも昭和創業なんですよね。

多くのワーゲン屋さんがそうですけど、本当に皆さん長く続けてらっしゃいます。そして長く続けられてきたということは企業の努力もさることながら、支えてくださっているワーゲンのお客様のおかげでありまして、我々は自身らが生まれる遙か以前の車によって生かされているということになります。

そう思うとなにか、感慨深いです。



アディオス エアコン

2019. . 12
別に冬だからという訳ではありませんが、メキシコビートルからエアコンを取り外します。
直接的にはツインキャブ化に伴って、って話なんですが、あんまり機会もないのでちょっとレポート。

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写真は全く関係ないです。絵的に地味だったから載せました。
めっちゃ浮かれた人みたいになってますけど、大丈夫でしょうか。この後デートに行ってましたよ。

はい、エアコンの話しにもどります。

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ここ、プラットフォームシャーシの先端部分。トーションビームの間なんですが、メキシコビートルのエアコン配管はフレームトンネル内を通って前に送っています。
これ、すっきりしてて合理的にも思えますけど、管が必要以上に長くなります。
おまけにコンデンサーが強制空冷式のリア積みなんだから、構造的にメリット少ないなって思うんですけどね。

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とりあえずエバポ配管を抜くための、ダッシュ下の穴を塞ぎます。この穴の開け方とかめちゃ適当です。南米のアミーゴの仕事です。

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トンネルのリア側の配管抜き穴も塞ぎます。溶接してもいいんですが、工程処理が大きくなるのでタッピングとシール剤で処理。これで充分です。もちろん前も塞いでます。この穴を塞がないと、風がトンネル内を吹き抜けてものすごく寒いです。

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いつも悩ましいのが、室内のリアラゲッジ部の処理。
本来ここに強制空冷式のコンデンサーボックスが鎮座しているんですが、外すとこんな大穴が空きます。
吸気と排気の穴ですね。
これも塞ぐんですが、塞ぐのは構わないんですが、カーペットだけは元に戻せないんですよ。同じ質のものがあればいいんですけど、そんな都合のいいものはなく、かといってこれだけのためにカーペットキットを張り替えるのもなんだかなー、でして。
ま、いつも、なんかエエ感じで処理してます。

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エンジンの方は仕上がり。
すっきりシンプルなツインキャブ。めっちゃ調子いいっすね。
それに今の時期は空気も乾燥してて、気温も低いので燃焼効率もいい。最も内燃機が調子のいい時期です。

日本海にカニ食いに行きてぇ・・・

忘年会スルー

2019. . 11
ってのが、最近ツイられる事が多く、若者、あるいは若輩社員のかなり多くが職場の忘年会を忌避したがる傾向にある、ような印象を受けます。本当かどうかはともかく否定的に捉えてる人が多いのは事実というか、リアルで言い出せないからコソコソ匿名で不満をネット発信したりしてるだけで、じつはしっかり参加してるのかもしれないけど。

まあ、なんなんでしょうかね。そんなに嫌なんだぁー? と思いますけど。私なんかは飲み会に「呼ばれたら」時間の許す限りどこでも行くような体質ですから、全然気にならないんですが。

だって酒飲んで美味いもん食ってバカな話ししてるだけじゃないですか。
それに、社会人とか、企業人になったら結局大事なのは呑みにケーションでしょう。酒が好きでなくとも付き合えるくらいの飲酒スキルは積んでおかなくちゃいけないと思うし、企業に勤めてて、飲み会は金と時間の無駄、給料に繋がらない対人関係とか無意味、って断じてしまうあたり、本当にそのように考えているのだとしたら、私はすごーくすごーくお子様だなと思います。
だって、会社ってそういうところだもん。人付き合いとか人脈とかで仕事のしやすさが変わるんだもん。合理的に見えて実はとても不合理なの。だって運営してるの普通のおっさん達なんだから。

皆、社長にはペコペコ頭下げるじゃないですか。あれって社長を尊敬してる訳じゃないでしょ。社長っていう立場に対して頭下げてる訳よ。どんな社員でもそういうことは出来るんだから、飲み会に参加するくらいどうって事ないだろうに。

ま、対人スキルと飲酒スキル低いやつにとっては地獄かもしれんケド、それは社会人になるまでに鍛えておかないといけない部分であり、そういうのも含めて高校や大学では身につける訓練をしなきゃいかんと思うよ。勉強さえ出来りゃいいんじゃなくてさ。

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さて、ツインキャブ化ですが。
ツインキャブに伴ってファンシュラウドもラウンドタイプを選択。すっきりする&メンテ姓が高まるのでお勧めです。
まあ、ややヒーターの風量が落ちるのはやむを得ませんけど。

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で、今回使用はCBパフォーマンス製のウェーバーIDF40KITです。
EMPIブランドもありますがどちらがどのように違うのかは調べていません。
ただ、CB製でも、まるっとボルトオン、という訳にはいかないようでして、インテークポートにそのままでは入りません。

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カットです。削ったというより切ったに近いです。
それなりに肉が厚いのでなんてことはありませんが、車載状態で作業してるとめんどくさいよなぁ、と思う次第。
KITというのはこういうコトが起きるので、エンジンを積んでしまう前に完成状態まで組んでしまって、レイアウト決定後にバラしてエンジンを積むのが無難といえます。

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車載してからアレが付かない、これが足りない、とかになると面倒ですしね。
ツイン化すると燃料ホースや配線も、基本決まった取り回しがないのでこういう段階で決めておけば綺麗に仕上がります。

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とまあ、うちは一人なんで忘年会は出来ませんから気楽なもんです。
忘年会なしで、会社から慰労金みたいなの支給される世の中になったら、それこそ組織なんて終わりだろうなって思います。
忘年会は、仲間とか上司がいるってことを再確認して感謝するいい機会だと思うけどなぁ。時給制のバイトにきてるんじゃないんだからさー。


グローブボックス修理

2019. . 08
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先日の続きです。
ここから樹脂を貼り付けてゆくのですが、この樹脂、もう十年越しくらいで持ってるんだけど、どんどん緑色になってくる。
特に問題はないみたいだけど。

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あくまで補修なんで、内側を中心に施工します。
さすがに、あったかいとはいえ冬なの全然反応せず硬化が始まらないので、ヒートガンで強制反応。

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内側、色を塗ってこんなもんでどうでしょう?

修理というのはいつでも悩ましいものでして、修理するより買った方が安いものは無数にあります。
ですので我々は、本来直せないような部分で活躍すべきなんでしょうけども、直せば工賃、買えば部品代。
同じ代金かそれより安く済むなら、我々にとってもお客さんにとってもメリットはある訳です。

ただ審美性を問われるような部分に関しては、もう新品買う方が安いという風になりますよね。
FRP補修なんで、どうしても繊維感は残ってしまいますが、まじめにやってたら、大幅に手間がかかりますので、この辺が妥当なところでしょう。このあたりは、使える状態にまで直す、というのがお客さんの着地点でしたので。

直せるものならなんでも直すよ!

と、いいたいところですが、別れた彼女との関係とかはたぶん修復できないので、私には頼まないで、新しい出会いを探してください。

爆発だ

2019. . 07
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冬になると焚き火をしたくなりますね。

では、なく。 またマフラー焼いてます。

今時は街中でとんど焼きってのはタブーでして、炎を上げるのは憚るのですが、たまーに環境のこと考えたら、使えるマフラーを棄てるのはダメだよなぁ、焼いたらまた使えるんだから使わなきゃダメよなぁ、しかも燃料になりそうな廃棄するだけの木材あるんだから燃料にしなきゃいけないよなぁ、限りある資源だもんなぁ。

とか、思うんですよ。

悪いか。

環境問題ってのは我々の世界ではタブーというか、鼻で嗤う対象となりまして、えー実際環境問題に取り組んでる空冷ワーゲン乗りの人なんていないと信じています。

というのも、今の環境保護ムーブメントは、環境保護ビジネスとも言い換えることが出来る訳で、省エネ低燃費、環境に優しいものに買い換える、環境負荷が高いものは使わない、などなどとにかく何でも買い直させようとする。
まあ、納得して買う人はいいんですし、いまのところ古い車に乗るなとか強要されてる訳じゃありませんけど、相変わらず温暖化だとかマイクロプラスチックだとか、どっかの誰かが得するためのデータのように思える訳で、信じにくい。

素直に言いますと。
白人主導の欧米社会が、そんな真面目に地球全体の未来のことを考えてるとは思えないんですよ、歴史に鑑みれば。
100年、200年では人は変わらないと思います。1000年くらいで意中の相手にいきなり夜這いとかはしない、くらいに社会規範は変わるかもしれません。

欧米諸国の皆さん、ほんの100年前は、問答無用で殺し合ってたんですよ。白人以外は殺すのに理由すらいらなかった。
鯨だってイルカだって取り放題。食べないけど搾油だけして魚の餌にしてたレベル。

戦争終わったら急に生命だとか環境だとか人権とか倫理だとか言いだして、ちょっと怖いやん。

ま、100年くらい先の人達の世界は、環境問題より発展途上国(主に中国とインド、アフリカ)の人口爆発で食糧エネルギー問題が起きますから、自ずと地獄のような略奪戦争が起きている可能性がありますので、そちらを警戒した方が未来の人々に恨まれなくて済むのでは、と思うんですが。

ん。

ま、いいや。 私そんなに長生きしませんから。

ちなみに、今のまま文明社会が続いて、それなりに全人類が裕福な状態を保つことが出来れば、200年後くらいには今の半分くらいになるそうですよ。

人類史上200年間も平和だったことなんてないけどね。

あ、タイトルですか? 人口爆発の話ですよ。

高年式ビートルに、ビンテージハンドル

2019. . 06
かねがね、74年以降の高年式ビートル乗りの皆さんにとって、ホーンリング付きのビンテージハンドルというのは垂涎のアイテムでありました。
それというのも、ハンドルを手に入れることは出来ても、ハンドルシャフトのスプライン形状の違いから容易に換装することが出来なかったためであり、年式的にそこまでするのもなんだなーという気持ちがブレーキをかけるようでして、私はそれらの実現に至った人を寡聞にして知りません。

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しかしそんな要望が多かったのか、近年(といってもだいぶたちますが)、フラット4さんから、ビンテージハンドルレプリカの、高年式のテーパーシャフトバージョンが発売され、高年式にもボルトオンでビンテージハンドル(レプリカだけど)が付けられる!
と、小躍りしたのもつかの間。

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ワイパースイッチのレバーが当たるじゃん・・・。
こういうところが意地悪なフラット4さん。
ワイパースイッチはダッシュに移設してねと、別売りで低年式タイプのワイパースイッチも用意されてます。

が、しかし、ハンドル買うので一杯一杯の貧乏人はどうすりゃイイのかって、ボルトオンで付くと思ったんだよーって嘆くあなたに、私から、お家で出来るワイパーレバー加工術を伝授しましょう。

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まずワイパーレバーを外します。
簡単ですね!

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どこのご家庭にも転がっているアルミブロックの破片を持ってきて合わせます。

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ガッチリ固定して穴を開けます。

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レバー側には3ミリのタップを切ります。

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3ミリのネジを四本使って固定します。
この時ネジ穴の貫通角度を微妙にずらすのがコツです。正確に開けるとねじり剛性が得られなくなります。
私は適当にやってもちゃんと穴位置をずらすことが出来るので、特に何度とかは決めてません。

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しっかり固定したら、元のレバーがハンドルに当たる部分を、斜めカットです。

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研磨して段差を馴染ませます。

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気休めですが、別にやってもやらなくてもイイですが、「鉄みたいなすごい強度の、金属でもアルミでもくっついちゃうぜ的パテ」で全体を均します。本当に気休めなのでおそらく強度には関係しません。でも「フィジカルで負けててもメンタルでは負けていない」って、スポーツの世界では常套句ですから。雰囲気大事、気持ち大事。信じる気持ちが大事、それが一番大事。

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ちょっと変わった形になったけど、使えればいいんです。この作業のミソは、元のレバーを分断してしまわないところです。

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大体五ミリから三ミリくらいのクリアランスですがなんとか確保できてます。

プロの方はこういう作業の場合、TIGでバチバチッと溶接しちゃえば簡単にできるんでしょうけど、溶接機なんてないよ、というご家庭ではハンドツールだけで出来るこの方法を、是非お試しください。

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出来ました☆

ついでにハンドルカバーも付けていい感じですね!


寒くなってきましたね

2019. . 05
急に寒くなると、作業効率が格段に落ちます。
私のモチベも格段に下がります。
鉄は触ると冷たいので、ソフト系の作業しましょう。

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気温が下がるとビニール系は固くなるのでしんどいです。
シートの張り替えです。

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タイプ1の73年にだけ採用され、殆ど作られなかった通称「オバQシート」。(全国区の呼び名かどうかは知りませんが) この俗称の元となったバックとヘッドレスト一体型の斬新なシートは、案の定不評(だったんでしょう)で一年で終了し、翌年からは再び68~72年で採用されていた「肩付き」のハイバックシートとなり、生産最終年である77年でいきなりヘッドレスト分割式となるという、ワーゲンのシート史は実に謎です。

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本来なら張り替えが妥当ですが、今回は古い皮を被せます。色々と作業が積み重なってますからねー。

で、ソフトもの作業第二弾。

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触れたら崩れるほどデリケートな、純正グローブボックス。
これ元々は紙を固めたもので出来てまして、いわゆる紙の繊維を使った樹脂の一種とも言えるんですが、これ系は経年劣化で結合が分解して素材に戻ろうとします。

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これのリペアを請け負った訳ですが、実際FRPの製品買ったら7000円くらいなんですよね(ただし年式によりちょっと加工が必要な場合もある)わざわざ直す意味あるかというのを私が考えたらダメなんですが、これも勉強だと思ってやりましょう。

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接着剤でボール紙をぐるりと外枠に合わせて貼り付けます。

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こんな感じ。
養生テープは、形が変形しないように補正の役割をしています。

気温が高いウチに作業を進めたいんですが、電話がちらほらかかってきて、例によりまた仕事が詰まってきました。

冬眠したい。

我が所領を得たり

2019. . 03
てんちょのあやしいはなし

「土地、買いませんか?」ってのはバブルの前によく言われたことで、これからは地価がどんどん上がります、といわれた時期と重なります。特に我々の親世代なんかが、生活も安定しだして、今の生活以上を意識しだし、欲に目がくらんでクラスチェンジを目論んだ結果、:田舎のどうしようもない土地をまあまあの値段で買い付けたという過去があります。

無論、その後にバブルが到来したため、本当に土地の値段はウナギ昇りに上がったのですけど、いかんせん一介のサラリーマンがそんなマメに土地値をチェックしているはずもなく、自身も仕事で忙しいこともあり、運用はもとより、土地の売買を積極的に行うなどということは当時ほぼ無く、バブルが終焉を迎え、結局本来の値段かそれ以下の値段あたりに落ち着いた土地値をみて呆然とする、という方が殆どでしょう。

第一、当時のサラリーで買えるほどの土地がどれほどの価値があったのかというと、実はあやしいものでして。土地売買ブームは不動産業界ぐるみの詐欺、とまでは言わないけれど限りなく詐欺に近い行為だったのではないかと思われます。
詐欺でないなら、当て物の一種であると、当時の人は考えなかったですけど、今ならそう捉えられます。

というのも、値段が上がった当時、土地転がし目的だったとしても、そのろくでもない土地を買う人間がいたのかどうかは怪しいところで、結局みかけの相場が上がっていただけとも言える訳で、価値があった訳じゃない。
ですから、よく聞く「あの時売っていれば良かったのになぁ」という嘆きは、諸行無常の響きに似ております。

で、そんなおり、昨日私の元に長年空き地だった隣の土地の所有者さんから「土地を買ってくれまいか?」という話がきた。

内心、やはり来たかと思っていたのですが、はっきり言って破格値です。
小遣いで買えるんじゃないかというレベル。
なんでそんなに安いのか?
というよりも、安くしてでも売りたい、なんならタダでもいいくらい、という意思表示です。

というのも、隣の土地は空き地なので固定資産税がモロにかかるんです。そして敷地面積が300坪あるという。
私の住んでいるあたりは結構路線価低いんですけど、それでもこれだけの面積があると税金は高いです。
土地、建物の所有者というのは、土地や建物を手放さない限り永久に固定資産税を払い続けなければなりません。

まあ、なんにでも税金をかける日本ですが、こればかりは酷いなと思います。

一度買うと、他人に譲渡する以外は、ほぼ所有権から逃れることが出来ません。
利用価値のある土地なら、売却せずとも寄付などを自治体や組織団体が受け入れてくれることがありますが、逆にそんな土地なら寄付しなくても売れるとも言えます。

問題は、利用価値のない土地や、過疎化が進む僻地や、ピークの過ぎ去ったニュータウンの宅地や、老朽化したマンションなどを持っておられる方々です。

なんせ売れない。

なぜなら前述したように、誰もいらないから。

売れない土地ってのはもう、ババ抜きみたいなもんですわ。
最後に持ったやつが負け。そいつが税金払い続けなきゃいけない。
そして私の目の前にはジョーカーのカードだけが一枚差し出されている状態。

もっとも、価値のない土地だと税金もタダみたいなモノになるんですが、そんなタダみたいな土地に限って無駄に広かったりするから、毎年毎年じわじわと税金が吸い取られて、財産が目減りしてゆくんです。

私の家の隣の土地の所有者さんも同じような状態で、いずれは家を建てるつもりだったのだそうですが、忙しくしているウチに時が過ぎて、50年間固定資産税を払い続ける結果となり、ついには「死ぬまでに処分せねば、子々孫々末代までに迷惑がかかる!」となったのだそうです。

まさに負の遺産。

そうそう、これ資産相続する際はもちろんついてきます。
放棄も出来るんですが、一部放棄は出来なくて全部放棄になるので、都合の悪い資産だけを相続しない、なんて事は出来なくなってます。

固定資産税、まさに鬼畜の所業です。

空き家問題というのがここ数年問題になってもいますが、負の遺産として抱えている空き地問題というのも実際の所、先祖代々の土地だったりする場合もえてしてある訳で、故人の怨念かの如く、子孫の経済事情をじわじわと締め付けている訳です。

土地は車のように廃車をしてスクラップをし、所有権を放棄することが出来ないため、必ず譲渡され、所有権が継承されなくてはなりません。いらなくなったからといって、荒れた土地を放棄して無法地帯にされるのは自治体としても負担が増えるので、この制度というのは見直されにくい傾向にあるのでしょうし、庶民感覚として「土地を持っている=金持ち」、と思い込む方が多いため、どうしても問題が顕在化しにくく、墓地継承問題と同じく社会問題に発展しにくいのでしょう。

もちろん私、このルーザーゲームは断りました。

広大な土地を得る快感というか、支配欲と言いましょうか、そういうのは魅力的だったんですけど、はっきり言って高台で接道してはいるものの直接アクセスは出来ず、造成が中途半端でどうにも使いようがない。使えるようにするには相当お金がかかる。ある程度の投資を厭わなければ、数千万単位の商売が出来る可能性もありますけど、私自身がそんなことしてる暇もなければ、お金もない。第一私なんぞに銀行が気前よく融資してくれますか、っての。

しかし、日本ではなんでもデカいものを持つと税金かかりますけど、逆じゃないですかね?
我々は、車や、家を「買ってやっている」、という風に考えられるのではないかと思うんですよ。
金銭を使って経済活動を積極的に行っているのであり、社会に貢献していると考えられると思うのです。

家や車を自分のものとして所有して、自己責任で維持までしてやっているのに、なんでそこに国が介入してきて税金をかけるのか?
むしろ、金銭をできる限り消費せず、借り物や共同使用などで済ませ、動産や不動産といった資産を所有していない人間に対して、「非消費税」をかけるべきではないだろうか。

なんか、頑張ってるやつが損する社会よな。別に余裕がある訳じゃないんだけど、頑張って家買いました、車買いました! ってやってるやつが、全然褒められない社会って虚しいです。
別に強者でもないのに。弱者に転落したくないから頑張っているだけなのに。

おもいません?

はい12月

2019. . 01
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ちょっと懐かしい写真が出てきた。

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まあ別にどうでもいいんですが、割と気に入っている写真です。

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これとか。

で、誰でもあると思うんですが、ふと昔のことを思い出したりします。
そんなときに限って、懐かしい人と再会したりします。
で、数年単位のブランクがあったりすると、その間の状況を知らなくて、その変化に驚いたりするのもよくあることです。
同時に、オトナ、特におっさんになってからの期間にそのような体験をすると、自分もそれだけ歳を食ったのかと思わせられるわけでして。
あの時三十後半だったのが今は四十後半だ、とか。

ま、別にどうでもいいんですけど。
人生色々あるよなぁと思ったり。

ただ、私は、そういう方達にいつも覚えられていて、何かあるとフラッと寄ってくれたり、懐かしいなと思って顔を出してくれたり、車が壊れた困ったぞと飛び込んできてくれたり、お土産くれたり、差し入れ持ってきてくれたり、してる訳です。

たぶんヘルムの店長まだいるだろう、まだやってるだろう

ってかんじで。

わずかでも、皆様の心の支えになっていれば幸いです。
私は自分の商売をそういう風に捉えています。ですから、世の中の車屋さんほど車のことは詳しくありません。
ただ、何かを直したり作ったりすることで必要とされたり、感謝されたりするのが好きだからやってるんだと思います。

――なので。

――12月です。

私が正月に餅が食えるように。

ガンガンお金を落としに来てください。
出来れば早くて高くて簡単な仕事がいいです。

令和元年最後の月を、有終の美で飾ろうではありませんか!



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