2019.
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本当に一週間雨が降り続いたな、と。

これだけ降るとかなり地盤も弱ってそうなので、土砂崩れなどの危険性がある斜面には、できるだけ近づかないようにせねばなりません。 と、ふと私が先日まで掘っていたあの土砂崩れの場所はどうなっているのだろうかと、気になります。
さてさて天気ですらこれだけ律儀に予報通り雨を降らすのに、(近い方の)隣国の大統領は、合意も条約も一回やったくらいでは無効だと言い出す始末で、もう、本当にごめんなさい。あなた頭おかしいんじゃないですか、というかよくそれで国のトップが張れますね、というか、よくそれで国民がついてきているなぁ、と私などは思う訳で。
このところは日韓関係ネタは視聴率が稼げる優良コンテンツですから、大統領がつぎに何を言うかには絶賛大注目中で、マスコミとしては毎日が面白くて仕方がないと思います。ですんで当然、国民の関心を引くような意図的な報道もされているだろうことは勘案せねばなりません。
ただ、かといって、件の問題に関して私が何も言うことはないかというとそんなことはなく――
大統領の支持率が未だ五割を切ったところ、とか言ってる時点で本当に調べたのかと思いますが、もしもその支持率が本当なら、私は韓国国民の感覚を疑いますし、いくら「日本人が憎いのではない」と言われても、そうですかと韓国旅行に行く気にはなれません。 そもそも韓国国民が安倍首相や日本政府を敵視している理由が、韓国政府に歪曲された情報が元になっているという時点で歪さは否めない。
今般においては、どこをどのように切り取っても、(我々日本人が日本政府に騙されていない限り)日本は何も悪いことをしていないし憎まれる筋合いはないと思われる故、日本人の多くは現況日本政府の対応を支持していると思う。仮に韓国政府と日本政府どちらを支持するかと問われても、多くの善良な日本人は日本を支持すると言うでしょう。
ですんで、韓国国民は、韓国政府にだいぶ騙されているんじゃないのかなと。
ま、歴史からしても嘘つきまくりですから、教育段階からダメなんですけど。
ですから「日本人が憎い訳じゃないよ!」と言う韓国人と、膝をつき合わせて現状を語り合えば即座に殴り合い、罵り合いに発展するんじゃないのかなと。
普通に考えたら、もう韓国でクーデターが起きていてもおかしくない状態なんですけど。
それも起きない、一部では反日デモ。大統領支持率高いし、なのに市民レベルでは歓迎ムード。
めっちゃこわい。
めっちゃこわいよ、そんな国。
だって思考してないもん。
っていうか、日本も韓国も、「別に個人にとって国の事なんてどうでもいい」という国民気質は同じなのかもしれません。
特に、自分の生活に直結している訳でもない、むしろ政府は国民個人に政治が直結することを嫌っているだろうから、目くらましをさせられることには慣れている、という部分では、日本人のほうが従順で隷属的なんだろうと思います。
あんな大規模なデモ、起こすほど日本人は情熱的じゃないですし。そんな暇があったら仕事しますし。
近くて最も遠い国、それが韓国という国だと今でも私は思っています。
ま、海外旅行しない私が言うのもなんですが。
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主に京都府、兵庫県北部を中心とした日本海沿岸部で販売されている、「よーふる」、というヒラヤ乳業のヨーグルトドリンクを知っているだろうか。
これが、いままで私が飲んだどんなヨーグルトドリンクよりも美味しいのであり、あちらに行くと必ず買い求めるのだけど、最近はそのおいしさが知れ渡りつつあるのか、売り切れになっていることが多いように思う。
で、それとはまるで関係ないのだけど、秋雨前線に起因するこの長雨。
よく降る。
そう、「よーふる」は飲む前によく振るのです。

さらに関係ないですが、これは「ハコ」という生き物です。

で、こちらが「ネコ」ですね。

まあ、暑くなくていいんですけど、湿度はすごいね。白い車だらけ!
そして私は今密かに、口蓋垂が腫れている。すごく気持ち悪い。ずっと飲み込めない何かが喉の奥に残っている感じ。
ああ、口蓋垂(こうがいすい)ってのは、別名のどちんこです。本家のちんこは私、よく腫らしてますが、のどちんこはなかなか腫れませんから憂鬱です。
しかし、喉ちんこってのは、喉チンポでもいいんでしょうか? かわいく、喉ちんちんってのはどうでしょうか。
そもそもこんなに「ちんこ」を公然と連呼してもいいんでしょうか?
しかも病院でなんて。
ドS美人女医さんに舌圧子で口の中をまさぐられながら「仕方ないわね、こんなにちんこ腫らして……」などと執拗に責められるシチュエーションを思い浮かべてしまうではないですか。
ですからお医者さんに向かって、「のどちんこが腫れている」なんて恥ずかしくて言えません。
かといって「口蓋垂が腫れている」と言うのも、素人の謙虚さが感じられず、医者に嫌な顔をされそうな気がする。
さらに「のどのぶらぶらが腫れてるんです」ってのも、頭悪そうに聞こえる。
何か「ちんこ」を口外せずに伝えるいい方法がないものか。
ええ。
これを読んだあなたも、明日からは「喉ちんこ」という名称に卑猥な響きを感じ、使用をためらうようになることでしょう。
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しばしば空冷ワーゲン界には、部品のようなゴミが紛れていることがあります。

見た目はそんなに悪くないですが、成形段階で失敗していると思われ、非常に嵌まりが悪い。
強引にいくと、バックランプセクションが剥離した。
それでもスクリューで締めればなんとかなろうと、締めるもスクリューが入らない。

おお、スクリュー穴が貫通していないから入らないのだ。
トンネルは開通してこそトンネルと呼ぶのです。ドリルで穴を開けます。
メードインブラジルかなぁ。製品の顔した素材感が出てます。
でも、これで文句なくつくでしょうよ、っとバキッと嵌めこむと。

割れた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

我思う。
ゴミにはゴミに相応しい、収まるべき場所があろう、と。
三ヶ月に一度ほど強烈に人と会いたくない衝動に駆られる時があります。
2019.
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25

一日早いんじゃないかと言うなかれ、これは仕事でござるよ。
朝一でお客さんから、近所の林道で立ち往生しているとの報せ。
幸い私の家から30分の距離の場所です(私の家は山の手なので林道が極近いんです)
明日は我が身と、何があっても良いように用意してきた引き上げ道具を携え、いざ林道へ進入!
これは、仕事です!

おお、あれだー!
と、ここは以前私が立ち往生したまさにその場所ではありますまいか。
完璧にスタックしておりました。

山中、一人で立ち往生する侘しさ。
痛いほど解ります。
林道は一人で行って、こうなることが怖いんです。

近くの木を使って、ロープと、ロープホイストという道具で地道に引き上げてゆきます。

ロープホイストは滑車の原理で四分の一の力で引くことが出来るため、重いバイクでも一人で引き上げることが出来ます。(実際はバイクが倒れないように支えなければいけないので、二名必要ですが)

そんな我々を横目に、ガマガエル。
何年くらい生きているのでしょうか。この縮んだ状態で二十センチくらいですから、かなりデカい個体だと思います。

救出完了して一服していると、別のライダーが訪れて「通れますか?」とお約束の挨拶。
もちろん今蟻地獄から脱出してきたばかりですので、引き返すことをお勧めしましたが、この道、つい行ってしまうんですよ。何も知らなければ。
新たな犠牲者が増えることを阻止できました。

山はこんなに美しいのに、油断すればすぐに食い殺しにきます。

帰りのガレ坂でコケまして、私も手押し状態に。

結局先ほどであった御仁らと協力して、セクションクリア。
いつも一人で走っている私にとって、三人もの同輩がいることは大変心強いものです。
しかし不整地でバイクを押すってのは本当に疲れます。
こんなにしんどいことは、そうそうないんじゃないかと思います。
この歳になると、特に。
体力つけなきゃいけませんね、と山の中でおっさん四人は笑い合うのでした。
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男にとって原因不明ほど恐ろしいモノはない。
それは男性が、原因と結果を重視する生き物だからだ。
とはよく言われます。
ですんで、家に帰ったら何故か妻の機嫌が悪い、などという状況はとてつもなく恐ろしいものなのです。
何故かを訊くのはもちろん、その先の闇にぽっかり開いているであろう龍の口をのぞきこむのも憚られ。
男は黙って沈黙に耐えるというのが常套手段と言えましょうか。
ただ、私も男ですが、涙を呑んで原因と対峙しなくてはならない時があります。

かすかな異音。
走っていると、コロコロ、カラカラと異音がする。感覚的にはダッシュの裏あたりから。
重い音ではないので、トランク内で何かが遊んでいる、外れかけている、そんな感じの音です。
走らないと鳴らない。
しかも一定速度以上でないと鳴らない。
ギャップを踏むとなりやすい。
しかしブレーキを踏むと消える。
これは非常に難問です。
まず、走行に支障はない。各種ベアリングにガタはなし。
そこで似たような音がする部分を探る。
当然とランクルーム内ではないかと当たりを付けてるので、そこから攻めるが、該当箇所はなし。
速度を上げれば鳴るので、スピードメーターケーブルかと思ったが、抜いても変化なし。
ブレーキ踏んだら消えるなら、ブレーキ系統じゃないかと点検して見るも異常なし。
現象から原因を追及してみるも袋小路に陥る。
ではローラー作戦しかありません。
あらゆる箇所を触って揺すって、叩いて、似た音が鳴るところを探します。

で、見つけたのが、ステアリングダンパーの樹脂製のダストカバー。
これがコロコロと遊んで動いているからではないかと。
速度にもブレーキにも関係ないが、似た音が出ているので容疑者の一人として執行します。

カバーを取り去った。
別にカバーはなくても大丈夫です。
しかし、音は消えない。えん罪であった。
フロント足回りを隅から隅までゴムハンマーで叩く。
どこかにビビりがあるのではないかと。共鳴振動していると考える。ブレーキを踏んだら止むのは、共鳴波がローターからタイヤ、路面に伝わって打ち消されるからではないかと予測する。
一箇所だけ音が違う。すごく微妙だけど。

暗くてわかりにくいけど、ディーラー使用にだけ装備されているトーションビームサポートバーの、トーションバー側クランプの緩み。
ほとんど緩んでないけど微妙な緩み。
ここの目に見えないほどのガタが原因です。ついに突き止めました!
じゃあ、何故ブレーキを踏むと消えるのか? それはこの足回りの構造を知っていれば自ずと解ります。
同時に、このサポートバーってものすごく重要な役割してるじゃん、と今更私気づきました。
あるのと無いのとでは、絶対走り変わるよなぁ、と。
今日で終われて良かった。すっきりしました。
2019.
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さて、夏の風物詩、高校野球が終わりました。
若人らによる爽やかな一夏の熱闘、という側面は相変わらずですが、昨今ではアンチ高校野球なる側面も垣間見られる次第。
言わずもがな、投球数制限を設けない高野連はクレイジーだ、虐待だとかいうアレに端を発し、熱中症に命の警告が発される世情に反して、真夏の炎天下での試合。時代錯誤な同調意識、根性論、恣意的感動の押し売り、そこから飛び火して応援団がうるさいだの。(いくつかは甲子園やめてドーム球場でやれば解決するような問題なんですが。)
まあ、言い出せばでるわでるわ。
というか、こういう声は別に以前からあったのだろうけど、表出しなかっただけで、新聞やテレビなどという巨大なメディアの「大きな声」が多数意見、多数感想であるとされていたからに過ぎませんで、常に少数派の意見は顧みられることが無かった訳です。
少数意見が通らないのは、今に始まったことではなく、古今東西いつだって同じです。
ただ、今は、たった一人の個人の呟きですら、ネットの海では平等に扱われてしまう、というだけです。
私は高校野球は嫌いではありません。
みていてドキドキもしますし、感動もします。
これを、趣味の悪いエンターテイメントだと揶揄する人もいます。
つまり、高校球児が苦しんでいる姿を、無関係で無責任な大人達が、冷房の効いた部屋でビールを飲みながら喜んでみていると。虐待じみた映像をニヤニヤと眺める変態ドS趣味であると。
まあ捉え方は色々ですけど、歪んでるよなぁ、とは思います。
なにがって、頑張っている人をみて、苦しい辛い、割に合わない、凋落する恐怖、負傷する危険性、権力の犠牲者、社会のさらし者、金儲けの道具、としてしか見えてないことがです。
でも、スポーツってそういうもんじゃないですか? スポーツだけに限らず見る側と見られる側は違うでしょう。
やっている本人と、観戦している人のあいだには相容れない溝がある。
そこのところに気づかないで、高校野球のあり方を批判する人々がいかに多いことか。
まず、スポーツを通じてお金儲けをするシステムは確立されています。
もしも高校野球がなければ、プロ野球の発展は著しく後退するでしょう。
プロ野球が得ている収益はどれほどのものかを考えても、野球業界が存在する意義は大きい訳です。
人の純粋な思いや行為を、金に換えるシステムが、この社会では成り立っています。
別に綺麗なモノばかりではなく、時には汚らしい暴言が金を生むこともあります。
そういう世界で皆さんは生きている。
スポーツ選手達が金メダルや優勝を狙うのは何故でしょうか?
それは自分がやってきたことへの正当な評価を得る手段が、そこにしかないからです。
ライバルを蹴落として、頂点という高みに立つことでしか自らを認めることが出来ないからです。
そのために全身全霊をかけることは、常に推奨され称賛されています。
ちなみにスポーツの頂点の最たるといって過言ではない、オリンピックの参加年齢に制限は基本設けられてはいません。
小学生だろうと中学生だろうと、競技が許すならでることが出来ます。
じゃあそのために、頑張って努力しているうら若き選手達を指して、「オリンピック出場を餌にした虐待じゃないか」と言うでしょうか。
まあ言う人がいるかもしれませんけど、もはや変態ですね。
しかし、オリンピック出場で身体を故障して選手生命を絶つ人だっています。
足を引きずったり負傷しながらも試合に出たりする選手もいます。だってもう四年後はでられないかもしれないから、と。
それに対して、世間一般的には「負傷していたのにも関わらず、圧倒的な勝利! 痛みに耐え勝ち取った栄誉!」そう称える。実際にそう称えたし、程なくして選手は引退したし、そこに付随する物語も構築した。
誰も、ストップをかけなかった。それでも勝って欲しいと、テレビにかぶりつき見守った。自国のプライドを満たして欲しいとね。
昔々の話ですけども、今だってそうは変わっていないんじゃないでしょうか?
投球制限は勝敗の分水嶺になることはあります。特に高校野球ではありがちでしょう。
天才エース一人に支えられている状態がいびつだとしても、仕方がありません。だって彼らはタダ野球が好きで集まった野球少年達なのですから。プロのような精鋭集団ではありません。
その彼らが、少しでも一歩でも前に出ようとすれば、無理を承知でもやるしかないでしょう。
そこからしか切り開けないものがあるかもしれないと考えるのは当然のことではないでしょうか。
もう彼らには、次がないのですから。プロを見据えているならなおさら、パフォーマンスを示すのに絶好の機会になるのです。そこで温存するなんて考えられる訳がないでしょう。
昨今は小学生でも夜中まで塾に通い、中学高校大学ととにかく高みを目指して勉強漬けの毎日です。その結果学校で受ける授業の意味を喪失するなんてことも当たり前になってきています。
ではそんな彼らが、就職をする際にわがの学歴だけに胡座をかいてパフォーマンスを示さないなんてことがあるでしょうか?
精一杯やることが出来なければ、一生後悔の念は残るんではないでしょうか。
もう一球投げていれば、打ち取られなかったのに。
そんな瞬間だってあるかもしれません。
それも含めて精一杯と思えるならそれでもいいでしょう。
結果論的に、肘を壊さず障害を抱えずにすんで良かったね、そのように言うこともできますが、あそこで頑張れていればプロになれたかもしれない、そんな可能性は競技における高みを志してきた者なら誰もが考えるはずです。
選手自身らは消耗するモノだと自覚している。自らは消費財であると。それがいつまで保つのかは、それぞれでしょう。
プロになっても、戦力外通告をいつ受けるか、戦々恐々とした日々を送る。何がきっかけで選手生命を絶つような怪我に陥るかも解らないリスクを背負い続ける。
役立たずにならないために、あらゆる手段を講じて、身体に負荷をかけて、命を削り、ポテンシャルを維持し高めようと努力する。
「それは仕方ないではないか、だって彼らはプロだから」
そう言われるかもしれない。
ですが、では、プロフェッショナルとは一体何であるか?
プロとは、現在持つ自らの能力や体力、精神力を極限まで引き出し、最高のパフォーマンスを示そうとする人のことではないでしょうか。自分のためにチームのために、あるいは観客のために。
対価として得るものの有無ではない。
そこは将来性を論じるシーンではない。
選手にとってその一時、その一瞬は、たった一度限りなのだから、燃え尽きさせてやってもいいと私は思う。
投球制限をしろと言っている部外の人間、あるいは良識ばった業界人の言葉は、はたして現場であえぐ選手達にとってありがたいものだろうか?
選手生命云々といっている者こそ、選手を消費財だと言っているようなものではないでしょうか。
極論すれば、スポーツを観戦する我々は、誰がどれだけ活躍しようがどうだっていいのです。だって感動と昂奮が出来ればそれでいいのだから。そのために応援して、お金を投入しているのですから。
現にそれは今までのあらゆる業界の歴史が証明しているのです。本当に、誰だっていいんです。自分たちを気持ちよくさせてくれる存在ならどこ出身の何歳の誰であっても構わないんですよ。
甲子園で大注目されて、プロ選手になって、成績振るわず第一線から退いて忘れ去られた選手が今までにどれほどいるでしょうか?
業界では彼らの凋落に心を痛める間もなく、既にその時には新たなヒーローが新たな感動と昂奮を運んできてくれている。
業界にとって選手など所詮は使い捨てなのです。動けなくなれば棄てられる。成績が出せねば棄てられる。
そういうものでしょう。一般企業のほうがよほど人道的ですよ。
結果的にスーパーヒーローが生まれれば、稀代の英雄であると、その行為の偉大さを称える。
そこに至るまでに死ぬような努力があったとて、誰も非難はしない。
選手は、周囲の観客やファンと心を同じにする事は出来ないし、共感も共鳴も出来ないでしょう。
思考の次元は全く違うところにあると、私は思う。
外から、過剰な努力をするな、限界まで頑張るなと言われて、はいそうですかと言いなりになって自分の価値も方向性も能力も制限されることがどれほどの屈辱か、と私が選手当事者なら思います。
私が選手当事者なら、ですよ。
ですけども残念ながら私は嫌らしい人間だから、もっともっとスポーツで悲喜こもごものドラマを生み出してみせて欲しいと思う。
自分はスポーツそのものには興味ないし、やる気など毛頭無いけど、家でビールをちびちびやりながら、テレビに愚痴ったり、感動してみたり昂奮してみたり、自由闊達に好き勝手なことを言いたいと思う。
だから間接的とはいえ、そういう私の歪んだ楽しみを提供してくれている選手諸君、大手メディアの皆様には感謝する。
全ての試合は見ていませんが、今回も感動をありがとう、良い高校野球でした。
ちなみに投球制限をしても私らには所詮解らないことですから、勝手にやればいいと思います。わたしらはタダ観戦しているだけですから。
ただ、
高校球児は皆頑張ったんだから、全員優勝です! とかいって閉会式に皆で手をつないでバンザイ、とかいう時代が来ないことを祈るばかりです。
2019.
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22
暑いなぁ、とか思ってTシャツをめくり、お腹を出す。
なんか丸くね?
こんなんだっけか?
試しに腹筋に力を入れてみる。
フン!
ふ、腹直筋すら存在感を示さない。
前まではあったはず、かすかにだが。
これはもしかして煙草をやめた弊害だろうか……
試しに体重計に乗ってみる。
…………っおおおおお!
夏場にこの体重とはあり得ない。去年より五キロも太っているではないか!

私基本的には生活変わっていないはずなんですよ。
今まで何食べてもどんな食べ方しても、体重の増減はなく、体型も変化しなかった。
なのに今年になってこれとは、もう原因は煙草やめたからとしか思えない。
むう……ついに私も体重管理などということを意識せねばならなくなったのか。
散々人の腹肉掴んできたが、自分のが掴めることがとても恨めしい。

と、おもいつつ、車検帰りの昼ご飯はこれ。
……おかしい、……何かがおかしい。
何故それなのに私は、ラーメン唐揚げ餃子定食などという、素敵ランチを食しているのか!
今夜は走ってきます。
2019.
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20
壊れたままなのは私の右手首。
もう一ヶ月も経つのに治ってない。まあ、使っているからでしょうけど。
大抵数ヶ月はかかると言われている損傷なのですが、私的には、もうパーツがあるなら交換して直したい。
人間の身体ってめんどくさいわぁ。 もうちょっと丈夫にならんもんかな。

しかし開通作業は続けてる。
バイク乗るのはきついんだけど、クワとか扱うのは角度的に全然平気だったりする。
先日の台風で倒木が道を塞いでる。

当然伐採。

今回も機嫌良く掘っていたら、オフ乗りの方が来られまして「通れますかー?」と。

ピンチになったら助けますからどうぞ行ってくださいと。

結局何の助けもいらずあっさりクリアされましたので、この場はもう開通と言っていいかなと。三度にわたり開通作業をしてきましたが、これにて完遂ということで、ここの作業は終了しようかと思っています。

我ながら美しい道を造りました。
さて、この数日間マスコミの餌になっている「アオリ男」ですが。
いやすごいっすね。すごいフラストレーション溜まってるんだろうなぁ、と。
とにかく相手は誰でも良くて、文句言いたいだけ、殴れるなら殴りたい。
ただし弱い相手に限る。
これで宮崎某は社会的に抹殺される訳ですけど、裁判になったら結局頭のおかしい奴って事で結審しそうだから嫌なんだよなぁ。
こういう頭のおかしい奴って、社会の中で生かしておいても更生しないから、終身刑にした方が良いと思うんだけどな。というか、別に生きて無くてもいいか、餌代もったいないし。
こいつの弁護士って、どこを弁護するつもりだろう。
弁護士もさ、弁護するところないならそう言わないと、人格違われるぜ?
あー40ン歳とか、50ン歳とかになって、公然とテレビの前で痴態晒して、同じ大人として恥ずかしい。
本当に恥ずかしい。
だから、若い奴らから馬鹿にされるんだよ。
2019.
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18
はい、東京レポート二日目です。
オリンピックの開会式って夜なのね、と今更知る。どうでもいいけど。

聖地巡礼しようと思っていた新宿御苑。 なんと振替休で休園とな!
なんの聖地か。
「君の名は。」で一躍脚光を浴びた新海誠監督の短編作品。
言の葉の庭これ、めっちゃいいんですよ。そして何より大江千里の「Rain」を主題歌に持ってきてくれたところ、おっさん心にジーンと染み入ります。
門の前で途方に暮れてたら、同じような方が何名かいらしました。ううむ残念。
この聖地巡礼ってのは、多くの日本人にとって無関係なものと思われるかもしれませんが、サブカル界においては今や常識的な行為であります。簡単に説明しますと、ゲームやアニメ、あるいは造形物や乗り物など主にサブカル分野に属する趣向媒体の製造販売元などをメッカと呼びリスペクトを込めて訪問することを聖地巡礼などと言いました。それの延長で、京都アニメーションなどを筆頭に特定の地域を舞台(あるいはモデル)にしたアニメ作品などの精緻な背景画が描かれるようになると、描かれた場所を聖地などと呼ぶに至り、昨今のようなご当地アニメに繋がってゆきました。またこのファンによるご当地訪問が、当の地域に奇跡的な経済効果を生み出すこともままあり、一部ではアニメ人気を自ら積極的に取り込んで共に発展しようという自治体もあります。
観光立国として政府が叫ぶクールジャパンの中には、日本が生み出したサブカルが深く入り込んでおりまして、(実際海外にもアニメファンはアホほどいます)日本のオタク文化ってのは世界中が羨望の眼差しを向けていることは確かなようです。

べ、別に来るつもりなんて無かったけどな、近くまで来たからついでに墓参りしてやったぜ。 先祖代々の墓。

そして私にとって、ラーメン界の聖地巡礼。わざわざ練馬区の石神井町までゆきました。
井の庄そう、あの毎年冬限定で発売される寿がき屋のカップ麺、「辛々魚」を監修したお店。本物です。

間違いない美味さです! カップ麺の再現度はすごいけど、当然だけどカップ麺より美味い。もう何言ってるのか解りません。
こういうのって、二次元でみていた物の実物に遭遇する気分に似てますね。(って何の喩えか)

そして池袋に戻り、山手線で秋葉原に向かう。
アキバの駅構内ではこんな風景が。
レトゲーまつり。おお、クールジャパン。

はっきり言いますと、この東京で最も賑わっていたのは秋葉原でしょう。外人の数は表参道を超えていたかもしれません。
そしてアキバワールドの玄関口とも言えるラジオ会館前および内はカオスです。あれほどの数のオタク達に囲まれたのは初めてです。ふーふー言いながら薄い本買うために行列を成している様は異様の一言。
もう二度と中に入りませんごめんなさいゆるしてください。

メードが立ってますね。
もちろんこのメード文化ってのも日本発祥のクールジャパン。メード・イン・ジャパンです。
街頭に立っている彼女たちはカフェの店員でして、冷静にみたら単なるポン引きなんですけどね。気の弱そうな奴はかなり執拗につきまとわれます。嬉しはずかしですね!
私は「もえもえキューン」とか言われてクソ高いカフェ代金払う気にはなりません故、行きませんでしたけど。勇気を出して社会見学すべきだったか。
しかし、基本私の頭の中に萌えなど無いんですよ。あるのはエロだけ。

この後、すぐ隣が神田明神だったんでついでに寄りまして、ならばと、徒歩で丸の内サディスティック。19万も持っていない御茶ノ水~。
オフィス街に埋まってしまいそうな平将門公の首塚へお参り。
写真はないんですけど、見上げれば周囲は高層ビル群。そのビルとビルの隙間のひっそりとした一角が首塚。
平将門というと、朝廷の支配から関東地方の独立を主導し、皇家に反駁した武人です。
しかし、孤立無援、勇猛果敢に戦いながらも、残念ながら独立の夢は果たせないまま討たれてしまいます。
伝承では、討たれた首は一度京都へ送られ、さらし首にされたにもかかわらず、一向に朽ちることがなくそればかりか、毎夜恨み節をがなり立てたという。そしてある夜首はひとりでに空を飛び東へ向かって飛んでいった。その落着地点がこの大手町の首塚とも言われております。
ちなみに過去、この塚を取り壊したり移転したりする計画が持ち上がる度に、事故が起きるという、まあ相当な忌み場ともなってしまったようでして、このビルの隙間の一等地に鎮座することとなったそうです。
ただ、将門公というのは朝敵とされながらも、関東人にとっては英雄であり、「帝都物語」という文献においては、首都東京を守護しているという逸話もあり、地元の人々からは大変慕われております。
たぶん格好からして地元の方でしょう、私がここに居た5分足らずの間にも入れ替わり立ち替わり、三名ほどの方がお参りに来ておりました。
しかし、そんなかつての仇敵が通り一つ挟んだ向こう側にお住まいになるとは、将門公も予想だにしなかったことでしょう。
そろそろ私の旅も終わりです。皇居外苑を走るランナー達を横目に東京駅を目指します。

まあ、こうして振り返ってみれば日本ってのは歴史の「聖地」だらけでありまして、伝説、伝承というフィクションを象った遺跡や史跡、歴史的文化財、建物、風景がどこにでもあります。そういう意味では日本はサブカルだらけの生粋のオタク国であり、物語の上に現在の日本国が成立していると言っても過言ではないでしょう。
めまぐるしい経済発展を遂げたにもかかわらず、その底流に連綿と流れる日本の風土や風俗は、たしかに外国人の目には奇異で神秘的、かつ不可思議で魅力的に映るかもしれません。
オリンピック目前の東京を振り返りながら私は思うのですよ。
日本はオタクの国であり、日本人は皆オタクである、ということをもっと自覚すべきではないかと。
自覚…………あ、俺のことか。
2019.
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17
東京行ってました。一泊二日のぶらり一人旅。

まずは築地で海鮮ドーン! ま、ね。お高いですけど。記念です。

ずっと行こうと思っていた、寄生虫博物館。
寄生虫専門の博物館は、世界でここだけです。
というのも、医師の亀谷了というセンセイが私財を投じて1953年に創設した、寄生虫学専門の私立博物館だそうで、意外なことに入場は無料だったりします。(そのかわり募金箱あります)
展示物が展示物だけに、施設もこじんまりしてますが、内容は濃いです。
この日も多くの家族連れやカップルで賑わっていましたよ。

で、目黒といやぁフラット4さんが近くにあるではないですか、と。同じ通りなのでとぼとぼ歩いてたどり着いてみたものの、盆休み~。

お世話になっております。特に感慨深いモノはないんですがw

そんなことしてるバヤイではなく、急いで渋谷に戻る。もうね、東京も無茶苦茶暑かったんですよ。歩いてるだけでシャツが濡れる。これじゃあ仕事の時となんも変わらん。

青山の岡本太郎記念館についにきました。万博の太陽の塔を見上げながら育った私にとっては、こちらの方が感慨深かったりします。

お、おお……、ふと見上げれば、見下ろされている。

往事の巨匠の仕事ぶりの断片を垣間見れて良かったです。
時間の無い私は青山から表参道、そのまま新宿へと向かいます。
その前に一杯飲んでおこう。

普通の何でもない、地元の居酒屋。
東京の接客って、大阪のヒトからしたらあっさりに感じるんですよ。
たぶん、それは大阪人がオチを付けて話を締めようとする癖があるからで、会話のキャッチボールの終わりがけの「フリ」が無いからではないだろうか、と。勝手ながら江戸っ子らしい老店主と話しながら思っていた。

急げよ新宿。なんで俺はこんなに歩いているのか。この日の歩数33000歩(iPhone調べ)

新宿二丁目についたぜ。 またぶらっとたまたま入った居酒屋で土手焼き(土手煮とも)的なメニューを頼んだのだが、すごく違っていて、正直なところ美味くなくてですね。ううむ、と。
そのあとシメに入ったラーメン屋も、ううむ、な感想でして。
なんか不完全燃焼感を抱えながら、ネカフェへ。

宿泊に特化した、完全個室のネカフェ。表向きはネットカフェを標榜しているが、もはやこれは簡易宿泊所であります。
一室が約三畳にパソコンとディスプレイがあり、床には簡素なマットが敷いている。レンタルの漫画などは一切ありません。
そして廊下の幅は一メートルもなく、外からの見た目は完全にロッカールームです。
寝ることしか考えてなかったんで、別にどうでも良かったですけど。
まあ、数千円で野宿しなくても良いというのはいいですね。
ちなみに、本場のニューハーフパブには行きそびれました。もう少し下調べしてから行くべきでしたね。
ええと、明日に続きます。
2019.
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11
さて、お盆でございます。
今では8月15日を軸にしたお盆という風習も、かろうじて地方で維持されているに過ぎず、お盆の本来の姿や意味などは世代を継ぐ度に失念されていっているのが現状でしょう。 かくいう私も墓参りなどは往きません故。そもそもお盆に死者が帰ってくるなどとはにわかに信じられませんので、お盆はいかにも現生人のエゴイズムだなと思う次第。
あ、でも普通の風習しきたりを守るという、オトナとしての見解は理解しておりますよ。

毎年長期休暇に東京から訪れる常連さんの車を整備していた灼熱の昼下がり。
突然の黄色い声に振り返ると、そこには長野から来たという高校二年生のチャリダー。
パンクしたので修理する場所を貸して欲しいとのこと。
この少年、なんと今日は福井県の敦賀から自転車で走ってここまで来たそうで、距離にするとざっと120キロくらいあるはず。
たぶん車でも高速乗って二時間以上かかる。
早朝から走ったとしても、自転車って正午くらいまでの間にそんなに距離はしれるのだろうか??
詳細はあんま訊くことしなかったけど、祖母が茨木市にいるそうな。
陸上部に入りながら登山部にも入っているらしく、すごいがんばるよなぁ、と。会話をしながらも淡々とタイヤチューブを交換して、礼を告げて去ってゆく少年。
おっさん二人(私とお客)はわがの息子と言ってもいいような年齢の少年のきらきら具合に、目を細め見送るのでした。
親心とはこういう感じだろうか、と。

そんなんやりながらもちゃんとこちらは仕事してましたけどね。
エアコンプーリーの回り止めの爪を再生。クランクプーリーも裂けかけてたので溶接修理。

もう、な。
辛いのよ。
嫌いじゃないけど。
明日12日は定休日です。
夏期休暇13日から16日までいただきます。
その間の諸所の対応は難しいかもしれませんが、電話は極力とれるようにしておきます。
ではでは、皆様、スァマーヴァケェイションをお楽しみください。
台風だけどなっ!
2019.
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10
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今日はお盆前ラストの陸運局で、昨日と同じく高校野球が流れておりましたので、待ち時間の間観てました。
9回表で同点延長、10回で逆転劇を繰り広げた習志野×沖縄尚学戦の、まさにクライマックスの時に見てました。
いいっすね。この最後まで諦めない感じと、何が起きるか解らない不透明感。

そういや、甲子園って熱中症で担ぎ込まれる奴そんなにいないのだろうか? あれだけ人がいたら倒れる人も多かろうと思うのだけど。大阪のあの時間の暑さは半端ないです。
ええ、もう今年からは暑くないとかいうのはやめようかと。
もう暑いです、倒れても仕方ないと思います! ちきゅうはおんだんかしているんですよー!
はい。

でも断じて、ざる蕎麦とか冷麺とか、ざるうどんとかは食べないのです。
麺屋に入ってああいう冷たい麺を食べることはほとんどないです。なんでかわかりませんけど。冷たい食べ物が好きじゃないのかもしれません。

タイプ3のフューエルメーター兼インジケーターの裏は、このようにまとめてソケットになってまして、合理的です。ちまちま配線外さなくても、がばって一気に外れるんですよ。

さてー。
今日は皆さん何の日かご存じか?
ナガサキの日です。先日の広島に同じく
現在の人類が今のところ最後に人間に対して原子爆弾を使用し、無差別大量殺戮を行った日であり、世界初のプルトニウムを使用した原爆が爆発した日であり、その貴重なデータを採取するための科学実験が行われた日でもあります。
ええと、実はこのナガサキに投下されたプルトニウムを使った「ファットマン」は、ヒロシマに使ったウラン型原爆の五割増しの威力を持っていたと言われています。
当初は九州の小倉にターゲッティングされていたようですが、天候や地表状況が悪く、投下を思いとどまり第二目標である長崎へと移動したそうです。しかしそれでも雲が多く、投下は難航を極めたそうで上空の米国側B29らにも色々悶着はあったそうです。
この原爆、目視にて有視界下でなければ投下してはいけなくて、不可能な場合は帰投し、洋上で破棄せよ、という厳命があったそうな。 ただ都市に打撃を与える目的であれば最大効力を発揮する位置にレーダーで照準できたはずです。それこそ小倉にも落とせたはずなんです。
何故しなかったか?
これは原爆投下が戦略的な側面以上に、大切な科学実験であることを顕しています。
記録映像を切に欲していたのですね。
現に原爆によるキノコ雲は、当時の荒削りなカラーフィルムに残酷なほど鮮明に映し出されております。
ナガサキは地形的に被害を拡大せずに済んだ側面はありますが、目視投下にこだわりやむを得ず投下地点はミスっても、それでも市の人口の三分の一である、7万人あまりの命を奪いました。
核が戦略的に、純粋に兵器として使用されれば、どうなるか。
いうまでもなく、目標を確実に砕くでしょう。そして民間人だろうがその地区にいた人々を死に至らしめるでしょう。確実に。
私思うんですよ。愛知の芸術祭で問題になった作品を取り沙汰して、やけに日本国民が侮辱されている、的な民族主義みたいなの振りかざしてる人いますけど、なんでそこばっかりなのか? と思います。天皇陛下が~とか言いますけど、意識的に封殺してきたのは戦後の日本国民なんですけどね。
それまで日本国旗燃やされても、首相の写真燃やされても、教科書にでたらめ書かれて、それを我が子が信じたりしてても、まあまあって事なかれにしてきたのは日本人でしたよ。 アメリカに対して苦言すら吐かない日本人ですよ。
それがまあ、性急な民族主義振りかざしちゃって、らしくないったらありゃしない。
私思うんですよ。世界はグローバリズムを羨望している。
でも、人々は、民族は、未だナショナリズムから脱却できていないんですよ。宗教からはとりもなおさず、経済という呪縛からも脱却できていない。
このダブルスタンダードが私たちを悩ませている。正しいモノはなんとなく見えているのにそこへ向かうことが出来ない。地球人になるべきなのに、一国人から脱却できないジレンマ。
何故なのか。それは今人々の口から謳われているグローバリズムには真理が伴っていないからです。人間の良心が備わっていない、と言っても良いだろう。 まだまだダメです。
日本が良い例だと思います。
これほどまでに豊かな国になっていても、満たされていない。簡単にナショナリズムに転落する。不満と不安でいつも一杯。
はっきりいって、哀れですよ。
未だに多くの人々が、勉強していい会社に入って、金持ちになることにしか興味がない。思考回路が基本的に貧乏人なんですよ。
そういう反動が、裏に回ってネット右翼を形成している。
普段は大人しい国民が、ひとたび事が起これば形骸的な民族主義に染まってゆくのは、情操的な教育が足りていないからではないでしょうかと、私は思います。
だから、再び戦争が起きたら、我々日本人は同じように玉砕への道をつきすすむと思います。
70数年前の日本人も、我々と思想や思考回路はさほど違わないと思います。
なぜなら、教育が同じだからです。オトナ達がやはりクソ過ぎるからです。
大変皮肉なことに件の作品展示を皮切りに炎上した「あいちトリエンナーレ」で掲げられた「情の時代」というコンセプトが、ネトウヨ達の手により、いまの日本社会に表出していると思います。主催の津田氏が問題発覚、炎上、社会問題化まで予見予測できたほど狡猾で知略に長けているとは思えませんが、謀らずとも自身が人柱となって壮大な芸術作品を世に放ったと見るべきだろうか。
そうなると、彼は一世一代の問題作を投じた、世紀の芸術家とも言えます。無論、そんなモノをみせられている我々は、彼の鏡写しであると自覚せねばなりませぬが、まあ誰も受け取ってないのでこのまま闇に葬られるだけですね。
またいずれかの議論の場を待ちましょう。それまで世界が幸福ならば、ですが。
もう語らんって言ったけど、語ってしまったわ。いやあ、このことはもう忘れましょう!
2019.
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08
本日のように気温が体温を追い越すと、如実に玉袋、すなわち陰嚢は身体から隔離されぶらんぶらん状態になり、製造工場である睾丸の気温を一定に保つ努力をする。その温度は34から35度と体温よりも少し低い。
なので、ボクサーパンツや、ブリーフやビキニのように玉袋を身体にぴったり付けていると、体温が睾丸の精巣機能を奪ってしまうことになりかねないので、夏はトランクスでぶらんぶらんにしておくのが理想と言えるのである。
であるからして、昨今は夏に妊娠しづらくなっているかもしれないと思うのは私だけだろうか。

観て、この快晴! 日差しが半端ない。
こんな中で高校球児は野球してる訳よ。まあ鍛えてると大丈夫っていうか、いやいやスタンドで応援してる子達も大概丈夫だなと思います。

プロ野球は観ないけど、高校野球は観ます。
サッカーは観ないけど、野球は観ます。
これ、わたしが物語好きだからです。スポーツが好きな訳じゃないです。
高校野球は一過性だからいい。一回しかないからいい。儚くていい。張本のジジイは好きじゃないけど、無理して投げて肩壊して野球人生終わらせても良いと思う。
なにもプロ野球選手になるだけが道じゃないと思うのです。そりゃあなれたら良いかもしんないけど、高校野球がプロ野球選手になるための見本市みたいになってるから、ついつい、高校球児はこの先も野球を続ける! みたいな印象を受けるけど、ほとんどの球児は普通の社会人になる訳ですよ。
プロになってから潰されて、路頭に迷う人だっているんですから、何もプロデビューが成功とはいえない。
だから高校最後の、そのひと夏にかけたって良いと思う。燃え尽きても良いと思うの。
男子校とかだとさ、チア部とか吹奏楽部なくてさ、隣の女子校から来てもらったりしてさ、そういうのいいじゃないですか。
別にさ、応援する義理なんて地元ッてだけなのに、灼熱地獄の中、声張り上げて汗かいて応援してくれる訳ッすよ。
「試合終わったら、おれ、あの子に告白するんだ……」なんて胸に秘めながら、芝から望むアルプススタンド。
高校球児って、ほとんど童貞なんだろうなぁ、と私はクーラーガンガンの室内でぼんやり見てた訳です。

みて!
この未知との遭遇みたいな光景。
太陽が俺を襲う! 絶妙な角度で送られる熱死線!
もうクーラーとかあっても無意味だぜ。 直接熱線が飛び込んできてるんだから。
諦めろ。もう人類は夏の昼間に活動することは許されぬのだ。

ぐおお、次は正面から攻撃だ。
ちゃんと洗ってない窓は視界を奪われる!

今年も恒例の茨木市が誇る、弁天花火大会。
ちらっと店を抜け出して、写真だけ撮ってきました。
着実に夏が終わろうとしている。まだ俺、夏っぽいこと何もやってないんですけど。
あ、来週からお盆休みに入ります。
月曜定休なので、12日から16日までお休みさせていただきます。
2019.
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06
なんだか風化しかけている様な気すらするのは私だけか。
今日は現在の人類が史上初、原子爆弾を使用した日です。
あえて言いましょう。アメリカという国が条約違反を犯し、数十万人の民間人を虐殺した日でもあります。
そして同時に、後にも先にもまず得られない原子力爆弾による貴重な人体実験データがとれた瞬間でもありました。
原子爆弾という概念は割と知られていたようで、日本でも研究されていたそうです。ただ、まだまだ近未来兵器という側面が大きく、当時で言うならSF的であったそうです。ですから、まあ、下手をすると日本が原爆つくっていずこかに落としていた可能性だってある訳です。 ま、戦争ですから。

正直なところ、あの時は世界中が狂っていた、といってもよいでしょう。
その尾端が今の世界です。70年を超えてもまだ、我々は答えを出せないでいる。
多くの人がまともに考えようとしなかったからだし、教えようともしなかったからですけど。
だからもう、手遅れなような気はしてます。

こちらはなんとか間に合った。夏のクーラー修理。

どうやらさっき羽化したようですね。いやほんと、この幼虫から成虫に変態するプロセスってすごいと思います。一瞬で身体の構造変わるんですよ? もうなんか訳わかんないです。
あ、あいちトリエンナーレ。件の展示、中止になったそうですね。
根性なしだなぁ。やりきれよ。
まあ、さ。続けてたら本当にテロ起きてたかもしれないけどさ。それは勘弁だけど。
なんかさぁ。津田という芸術監督からも、作家からも、何の声も聞こえてこなくて、周囲の(私も含む)無関係な人間が喧々囂々と言い合っている泥試合に思えてきたので、一昨日の自分が馬鹿馬鹿しくなった。
美術家の人間は声上げるところじゃねぇのかなぁ。なんで連名で無難な抗議してんのよ。
何が問題で、自分はどう考えていて、どうあるべきだと思うのか、を何故自分の口で言わないのか、声を上げないのか。
作品を展示する手段を持ちながら、表現手段を持ちながら。
私は、なんで「表現の不自由展」をやろうとしたのか、そのことをじっくり芸術に理解のない人達にも納得のゆくように、説明できれば良かったんだと思うよ。 そういうことが出来てないから、津田は反日感情で動いている、朝日がバックについてる、だとか言われんだよ。
津田大介って芸術家でも何でもなくて、経歴観たら左向きの政治活動家っぽいな。興味失せた、もうこの話はしない。
2019.
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03

物議を醸している、あいちトリエンナーレにおける企画展「表現の不自由、その後」
これ、物議を醸しているといっても、「あいちトリエンナーレ」という、巨大な芸術祭の中のほんの片隅の展示スペースにおかれた、企画展の内容が問題になっているだけです。さほどのことはありませんが、デリケートな話題をはらむということもあり、政治運動家きどりの左派右派然り、ネトウヨ民が声を荒げているのが現状で、例によってマスコミは面白いので報道して焚き火を煽って延焼を目論んでいるといったところでしょうか。
この問題を知って少し考えました。久しぶりに開いた思考回路なので上手くまとめられるか解りませんが、これらの問題について少し私の考えを書き留めたいと思います。
たとえどんなに政治的であり、創作者側に悪意、叛意、その他の意図があっても、表現の自由は侵されることはあってはならない。
ただしそれにより他者の精神的、肉体的健康を損なう事や、持ちうる各種の人権を侵すことがあってはならない。
大体表現の自由の大枠はこういう感じです。
ただ、これは綺麗事であり、理想論です。実際は、過去に展示を不許可とされた経緯がある作品群を集めて今回のような企画展が催されたことからしても、表現の自由は保障されていないことにはなる。それは多分に当時の世論や政治情勢、民意や国体が影響しているのであり、現実は「表現の自由がなければならないものであろう」ということであります。
それは、「ヒトは健やかに生きる権利がある」というのと同じです。じゃあ地球上の人類皆がそうであるかというと、そのように生きられているヒトはほんの極々一握りなのであり、現実は理想にほど遠い。「ヒトは健やかに生きられれば良いのになぁ」という呟きに近いステイトメントでしょう。
今回のこの「表現の不自由展、その後」というのは、2015年に行われた「表現の自由展」に端を発しているらしく、今回のが2019年版だから「~その後」と銘打たれている。
私はこの展覧会について詳しくは知らないし、実物も見ていないのでエラそうなことは言えないが、概略としては各種の展覧会で不許可とされ展示を禁じられた作品群を集合させたものであるそうだ。
不許可認定を受けた表現物といえば大抵はエロやグロだが、政治的や犯罪的、または不法行為を助長する恐れのあるものや、法律に抵触するもの、人権を著しく傷つけるもの、他者他国を侮辱する内容を含むものなど、まあ基準はそれぞれで、観る者によっては差別的である、侮辱的であるなどとクレームがつくこともしばしば。
また時代が時代なら、反社会的、反体制的、敵性国家的、国家侮辱的、非国民的、等々社会体制によって理不尽な抑圧が行われ、表現の自由は侵されてきていますから、そういったものを体制崩壊後にあえてクローズアップするムーブメントはどこでもあるようです。
ですから今回の展示でも、主催者側はある程度の批判は覚悟していたようです。
ただ、かなりお門違いの意見が目立ち、アートとは、表現とは、を表面上でしか解さない愚民達によって当の展覧会自体が肉便器に処されたといってもよいでしょう。
各作品がどのような経緯で社会から抹殺の憂き目に遭わされたのかは解りませんが、ただ一つ言えるのは、この愛知県という巨大な自治体を上げて、巨額を投じて興された美術展として、この様な表現物は相応しくはないということであります。
後述しますが、結果的にそうなっているから、もう断言しちゃっても良いでしょう。
だからこれ以上延焼して、マスコミの格好の餌になる前に引き下げた方が良いでしょう。
主催者側が、「ちゃんとした説明」が出来ないのならこんな展覧会封鎖した方が良いです。
とまあ、ここまでは言っておきます。
しかし、私が思うには、「表現の不自由、その後」という企画展として一つのまとまりを得ているのであれば、それら不許可物を包括的に俯瞰することこそが正しい鑑賞スタイルではないかと思います。なぜ展示不可となったのかその経緯や理由も明記されているというのだからそれはそれで興味深いではないですか、そして挑戦的ではないですか。
無論不許可である意味を考える、というのは公権からの抑圧を問題視するという意味だけではなく、倫理的に、公序良俗的に、社会規範的に問題なのではないかという、考察も含まれるべきでしょう。
今回最もクローズアップされたのが、慰安婦像に酷似したオブジェや、昭和天皇らしき人物の写真を焼く、などの展示です。
これらの設置や行為は、実際に一部の政治運動団体、反社会的団体により常套化されたプロパガンダに酷似している。
日本人であれば、これらの作品が巨額の公費を投入した公的な美術祭に展示されているという条件を聞き及べば、同じような感想と感情を惹起させるだろう。
主催者側がそのような社会思想をもって、展示に踏み切っていると捉えられても仕方がない。
そのくらい、一方的な印象で物事を見てしまう。それらの材料だけは我々の周囲に有り余るほどあるからです。
これを発表した創作者自身が、(慰安婦像や天皇陛下を)知ってか知らないでか、オマージュなのかリスペクトなのか、内的批判のメッセージを込めているのか、全く解らないが、少なくとも創作活動を人生の旨とする人物が、さほどの覚悟も意志もなく扱うには軽率だと思われるし、芸術であるからして、あえてタブーに挑戦したのだとしたら、あまりにユーモアに欠けると思うのは私だけでしょうか。
例えるなら、この少女像の隣に、札束を持った女衒のおっさんが座っていたなら捉え方は180度変わっていただろう。
(無論だからといって芸術的だとも、面白いとも一切思わないが)
単体では美術展覧会の現場で存在すら許されないレベルの作品であるから、その「面白みのなさ」故に、展示は不許可となった、批判を浴びた、そのように捉えてみれば、現在起きている騒動は、納得のゆく反応でしょう。
改めて言っておきますが、これは諸所の事情により展覧会からハブられた作品をより集めた、「表現の不自由展」という企画展であり、いわば「表現の権利はあるが、芸術的価値のない作品」をひとまとめに企画として作品レベルにまで引き上げたという解釈をすべきではないでしょうか。またはそのように捉えることも出来るということです。
こんな面白くもなんともないものを集めて美術展に出す意味は、「過去に、これほどまでに趣旨を曲解、あるいは誤解していた作品があります、皆さん観て笑ってやってください」という声も聞こえてくるような気はしませんか?
大事なことなのでもう一度いいますが、表現の自由は侵されてはいけない。
だが、それに対して我々がどのように反応し、表現するかも自由です。
我々は一つの物事に囚われて、一つの考え方しか出来なくなっている。個々人が意見を発表する機会があるせいで、自己を担保されているように錯覚してしまいがちですが、結局は二者択一の世界に引きずり込まれているだけです。
私は、アートに潜む表現はヒトが持つ潜在的な感受性に直接訴えかける手段だと解釈しています。そういう意味ではイデオロギーに依存したこれらの作品はヒトへの訴えかけとしては悪手中の悪手でしょう。
少女像からは「平和を訴えかけたい」というメッセージよりも、政治的メッセージのほうが伝わってきますから。
ヒトは悪いモノではない。
ただ、素直にはなれない。
人それぞれ、様々な事情があるから。
理想の文言を掲げはする。
だがその通りに事が運んだことなど、人類史上皆無である。
だが、理想は語り続けなければならない。理想は叫び続けなければならない。
声に出して憚る時は声を潜めることも必要だろう。口を噤まなければならない時は文書にしたためることも必要だろう。
文字が読めない者や、文化の違いがある同士、感覚器官が不自由であったり、社会基準の相違が著しかったり。
そういった者達が互いにぼんやりと持っている理想を共有するために、芸術という技術は生まれたのではないでしょうか。
そんな芸術における永遠に等しいかと思われるテーゼ、「表現の自由」を謳わなくても良くなった時、我々は初めて表現の自由を得るのだと思います。
2019.
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02
古語では夏と書いてナツと呼んでいたそうだが、夏があまりに暑いため、夏は暑い、暑いのは夏、といった、これらの語句が時代を経るごとに混同されて、二千年代後半頃には夏と書いて、アツと読むようになったと言われている。

参考画像:夏の日差しで加熱され、熱くて触れなくなったハンドル
また近年、慣用句として使用される「ナウい」も、夏の語源であるナツと同じとされており、古代人は夏になると若者がこぞって、海で遊泳、あるいは臨海や林間でのレジャーに興じたとされており、夏(ナツ)にするレジャー行為全般を指し、それすなわち「ナツイ」としたものが訛って「ナウイ」と変化したとされている。
という話を千年後くらいにするんだぜ。
さて。

エンジンをここまで組んで、ふと視線を下に向けると、認めたくない事実を目撃する。

残るシリンダーは一本。ピストン一個、ピストンリング類一セット、ピストンピンクリップが…………3個。
何故三個。

これ、ピストン一個につき二個使うんです。
余ってるってことはさ、組んだ片側のシリンダーのどちらかにクリップが入っていないって事だよね?
そういう可能性が濃厚だよね?
いっ・やっ・すっ・ぎっ・るっ!
見なかったことにしようかと、一分くらい悩みましたが、結局バラして確認しました。
結果ちゃんと入っていました。
じゃあ、最初の入数が一つ多かったって事じゃんかよぉおおおお! (海外の部品なので、こういうことはよくあります)
組む前に部品の数を数えておく。これも作業として大事な工程です。
はい。
2019.
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01
今日はきつかったな。さすがに暑かった。
なんかさ、関節のところから熱が出てるの解るくらい。

そして手汗なのか油なのか、何をするにも手が滑る。
ああ、もうなんか、めんどくせぇぜ。
といっても作業に手を抜いている訳じゃないですので、安心してください。
でも、正直頭がぼおっとしてる時あります。
ミスらないよう気をつけます。

限界が来たら強制空冷です。
そういや一昨年流行った、空調服って、今年はあんまり見ないように思いますけど、皆着てるんですかね?
ああ疲れた。