2019.
.
30
いやあ、ろくでもない月だと言っていたのが、ついこの間のような気がします。
さすがに今月はネタが少なく、記事も少ないですね。サボりすぎました。
しばらく梅雨も続くと思いますが、そんなときは家でコソコソ内職するってのもどうでしょうか、的な。

これ見てください、お客さんの手作りマッドフラップ。皮で作っています。技術的にはプロ並みですね!
ここまでやった人は今まで知りません。

そしておなじ車両のルームミラーですが、これも革細工。
鏡面の額縁カバーなのかなと思いきや!

この仕上げ! ミラーのシェルに沿って延ばして型をつけて縫製してるんです。
これはすごいわ。
私も革細工は何度かチャレンジしましたが、なかなかに根気のいる作業で、情熱というか、作りたいという気持ちがすごく問われる作業だなと思います。ま、何でもそうですが。
何より作ることを楽しめなくてはいけないでしょうね。 世の中にないけど、欲しい。だから自分で作る。
そういうの本当に大事。

ま、そんな記事のあとで恐縮ですけど。
今日は蜂退治。
店の軒下およびビートルのフェンダー裏、合計四つも巣がありました。
もうしわけないけど、すべて取り去ってしまいました。
蜂退治をお考えの方は、まず巣を煙でいぶすのです。周囲の環境が許すなら、すごい煙が出るものを燃やすとよいです。
虫の類は大体煙が嫌いなので、それで逃げてゆきます。場合によっては煙だけでも死にます。
それで兵隊がいなくなった巣を棒で突いて落として完了。簡単です。
蜂の巣駆除はまあまあお金かかりますからねぇ。DIYでやってみる人はどうぞご参考に。
スポンサーサイト
2019.
.
28
今週頭、散々今週は梅雨入り。梅雨らしい天気が続きます。
あら、ずっと曇りか雨マーク。
って、どこがやねん! めちゃめちゃ天気エエやんか。

なんか、河口湖も干上がってるらしいし。
水不足が懸念されるところ。

にしても、G20の影響で、ものすごく道が空いています。
どうやら皆が、渋滞するだろうと踏んで、自粛した結果、誰も出歩かない状態になった、という感じっぽいですね。
会社休みになった人は地方に出かけてエンジョイしてくればいいのに。
最近遊んでばかりいる私なんですが、正直遊べるだけ遊ばないとダメだなと思います。
仕事しすぎで死ぬ人いますけど、遊びすぎて死ぬ人いません。
実は遊びすぎで死んだっていいんじゃないだろうか、とは思います。
「○○しすぎで死んだ」でも、いいんじゃないかと。
でもやっぱりそういう人いないんですよ。
それは、人間好きなこととか楽しいことやってたら、若返ってしまうから。健康になっちゃうんです。
逆に、嫌なことばかりやってると、老けます。衰えます。病気になります。当然ですよね。
我々には選択できる人生がある。
ってのは何度かお話ししてます。
別に結婚なんてしなくてもいいし、子供も産まなくてもいい。食えるなら働かなくてもいい。それをしなくても一個の人間として成立できる世界に生きてます。
なにより、結婚しないんですか? とか、子供産まないんですか? とか、そんな質問したらハラスメントです。人によってヘイトスピーチってとりますよ。
我々日本人というのは、無用なイデオロギーから解放されつつある人種だと思います。
要するに本当の意味で、個人の身に自由が許される時代が来ている。
なんなら、警察官をブッ刺して、拳銃奪って撃ってみたいって願望でも自由として認められてる訳だ。(法としては裁かれるから、今後彼に自由はなくなるけどな)
YouTubeなど各種動画サイトでは、表現の自由、正当な論理を振りかざし、既存の価値を壊そう、打開しようと躍起です。
ネットの海には様々な価値観の意見や感想、または罵詈雑言がひしめいている。もはやその声を無視することは出来ない。
だからこそ、個人のあり方は問われる。
どう生きるのか、どう考えるのか。
それが急激に要求されてきている。
あなたはこの世界で生き残れるのか? 生きるだけの権利があるのか? 生きるだけの価値があるのか?
私は今の時代、そのように問われているような気がしてならんのですよ。
2019.
.
27
ええと、各国から二十人の爺さんが大阪に来ているだけで、大混乱に陥るという大阪は、超脆弱都市である。
こんなものは小笠原諸島ででもやればよかったのである。もしくは太平洋上の豪華客船でも良かろう。
いや、竹島でやるというのはどうか。尖閣でも、北方領土でもいいぞ!
大阪を見て! 最先端を誇示する経済と若者文化と、最下層の労働者とヤクザと娼婦しかいないが街が渾然一体となった恥ずかしい都市を見て! 雑然とした街並みに、常に異臭を放つ路地裏、魑魅魍魎が跋扈するがごとき奇々怪々ななにわの住人達を見てあげて! ここで万博するのよ! ここにカジノつくるのよ! 世界の皆様! これが大阪! なにわの街なのですよ!
という目論見の元、爺様達は大阪へとまんまと誘われてきた訳です。
まあええんですけど。経済効果がた落ちですわ。

今日は最高湿度98パーセント、何もしてないのに紙がふやけるレベル。
この湿度ってのは、100になると飽和して結露、つまり水滴になるそうです。別に詳しく知ってても仕方ないのでどうでもいいですが。

ビートラックをちょいと艤装してます。
面倒な作業です。あまり乗り気がしません。

時計。一ヶ月で5分遅れる。まだ問題ありです。
なんでかわかりません。
が、なんで爺さん達が二十人集まって会議しているのかもよく判りません。
こういうのこそ、全世界テレビ中継すればいいのにね?
秘密会議したいのなら、南極ででもやればいいんじゃないのかね。
ほれ、あそこは誰のものでもないからさ、しがらみもないじゃろうに。
とりあえず!
迷惑だ。
2019.
.
25
さて、梅雨の中日というか、梅雨に突入する直前の休日。
今回は同級生の友人と連れ立って行ってまいりました、恒例の林道。

もう夏空のごとくですが、これから梅雨なんですよねぇ。

ここに来た時点で正午、朝9時から走り始めて、すでに5本目。
お互い元気です。寝不足&二日酔いバリバリで、頭痛いですが。

きょう初のメシ。普通じゃ絶対立ち寄らないド田舎の定食屋。十割そば、意外にうまかったっす。

前から行きたかった、ハードな林道。シイタケ林道とか呼ばれてるらしいですが、正式には林道 其ヶ谷線。
はっきり言って廃道寸前です。道と呼ばれるものは川のない渓流です。
ただ、そういうセクションだと思えば楽しめます。

これは頂上まで登った後の画像ですね。この時点でまだ笑ってます。

この林道の延長に、自然の森オートキャンプ場があります。
まあまあしっかりしたキャンプ施設なのですが、自然の森ってなんぞや? 人工の森とか言うならわかるんだが。森は自然だろうが! と、つっこみながら引き返して、次の林道へ。
ここめっちゃ面白いけど何度か崖に落ちそうになりました。
次は野所長谷林道と裏山林道。こちらもジムニーとオフロードバイクにレイプされまくった、ガレガレ林道です。
でも素敵です。危険な香りがします。コケたら岩にヒットして骨折しそうです。
と、おもったら。

マフラーが脱落しました。 ハードプレイ過ぎて、ステイが折れました。

携帯していた針金で吊り、なんとかリカバリー。 オフローダーは針金を装備しています。

ちなみに先は派手な崩落現場。 どのくらい派手かっていうと、

いいですね、スリリングです。

更にハードな裏山林道。ええと、もう単なる岩の道です。トライアルの人は楽しいでしょう。

これでもまあまあましな道に見えるところ撮影しましたです。

何かの目印なのか、まるで来るものを威嚇する生贄のような、不気味な廃自転車のオブジェ。
えー。
このあと、タイヤの幅しかない片側崖の道を通り、なんとか生還。滑ったら絶対落ちるような場所だったけど、二人いるから余裕でアタックできます。
ざんねんながらそこまで余裕なくて画像はありません。

下山すると、美麗な景色が広がっていました。
棚田のある里山として有名な長谷(ながたに)という地域だそうです。
ここでタイムアップ。体力的にも家に帰るだけの余力を残して5時上がり。
まだまだ日が長いです。
日本の里山は美しいですなぁ。
2019.
.
23
板金という作業は、折れたり曲がったりしたものを、元の形に戻す作業、といってしまえばそれまでです。
ひしゃげた鉄のボディを元に戻すなんて、想像がつかないかもしれませんが、くしゃくしゃに丸めた紙を、延ばしてアイロン掛けて元通り平らな一枚の紙に戻す、というのと々であると考えて頂いて結構です。
ただ、紙もそうですが一度折れ曲がったところは繊維がほどけて(というか分子結合が崩れて)伸びるので、確実に元通りの平らには戻りません。そこを戻ったようにみせるのが板金塗装の技術と言えましょうか。

とりあえず鉄を柔らかくするために火で炙りますので、燃料タンクは外します。
引火したら、ビックリしますからね。

歪むのでフロントのエプロンは最後まで外したくなかったんですが、さすがに堅いのでパネルごとに分解します。

右側のほうが深刻な潰れかたしてますが、とりあえず左右それぞれに考えながら出してゆきます。
先走っては失敗します。

右側に対して左は、かなり形出てきました。まあ、こっからが長い道のりです。
このクランプでボディパネルを引っ張ってます。
今回見た目からはかなりのダメージでしたが、助かったのはやはりスペアタイヤがあったのとタンク(とタンク周辺のパネル)が潰れていなかったというのが大きかったですね。
ハードな板金作業はそれほど多くありません。
そんなわけでー。
2019.
.
22

自堕落なうちの生き物です。
なんであんなに寝てばっかりいられるのだろうか?

さて、ワーゲン乗りの方にはおなじみなパーツですが、今回はこれを利用してちょっとしたサポート器具を作ります。

オープンプライマリーにした、ロイヤルエンフィールドのプライマリチェンがバタバタ暴れるので、アイドラプーリーとして装備します。

こうやってバネで引っ張ってテンションかけておけば、もう暴れない。安全、そしてチェーンも長持ちするはず。
このロイヤルエンフィールド。ブリットという車種が最も有名ですが、その中でもアイアンと呼ばれている車種は特に構造が古く、50年代から構造を変えていないという、まさに生きた化石なのですね。
それでも昨今まで部品の供給は問題なかったのですが、今回の修理で行き詰まったのが部品の欠品。
部品がなくては治せるものも治せない、というのがこの世界の常でして努力と根性だけではどうしようもないことはあります。
次つぶれたら終わりだよ、というのは非常に心苦しいのですが、では終わりが来ないよう、部品をストックして災難に備えておくというのも旧車オーナーの責務とは言えましょう。
壊れなきゃ、いいんですけど……まあ壊れますからねぇ。
2019.
.
20

事故でございます。 ビートルの全長が短くなるほどの衝突だったので、これは相手さん無事ではないだろうなと思いきや、打撲程度で済んだとのこと。よかったよかった。
といいますのも、ビートルのバンパーはものすごく硬いです。堅牢です。
今どきの車はバンパー部分に相当するボディパーツのことをバンパーカバーと呼んでおりまして、本来のバンパーパーツは、カバーの中に収納されています。
ただ、昨今の衝突学的には、強いバンパーで車体を守るのではなく、衝突の運動エネルギーを、車体を潰すことで吸収するという、いわゆるクラッシャブルボディといいますが、そのような考え方で同時に衝突対象物や対象者の破壊を回避しようとしています。
そういう意味ではビートルなんて、70年代位の車なんで、バンパーガッチガチなんでしょと、そう思われるかもしれません。
確かにバンパーは硬いです。ただ、マウント部分はさほどに強くないです。トラックのようにシャーシには接続しておらず、ボディにマウントされています。
硬いバンパーごとボディを押される、というのがビートルの衝突プロセスです。

これはタイヤが食い込んで回らなかったので、ジャッキで広げてます。

おお、痛々しいです。
ですがこれだけ押されたぶん、衝撃を吸収したとも言えるのです。

さらに、フロント部分に入れたスペアタイヤがクッションの役割をしてくれます。
スペアタイヤがない人はここ、ぺちゃんこになりますからね。
この後ろにあるガソリンタンクは前から押された場合、マウントが外れ、上側へ逃げるようになっているそうです。
フロントにエンジンがないビートルは、バンパーとボディの間、スペアタイヤ、タンク設置スペースと三段階のクラッシャブルゾーンを確保しているんですね。

ラジコンビートルも直しましたよ。

店の前で試運転。
おおっと! 操作ミスして車道に飛び出しかけたぜ! あぶねぇ!
この形式のプロポって慣れが必要でして。
老人がパニクってアクセルとブレーキ踏み間違える気分ちょっとわかったわ。
もうやめとこう。事故ったら洒落ならん。
2019.
.
18

最近、オフロードにはまっているような私ですが、今更というわけではありません。ちょっと本格的に走りに行っているだけです。今までに比べたら、ですが。
正直なところ、今まで乗っててよかったなぁ、と思います。
今まで乗っててひどい目に合わなかったからそんなこと言えるんだろうと、言われるとまあその通りです。
運が良かったです。
別にバイクじゃなくても音楽でも、創作活動でも、スポーツでも、なんだっていいと思うんです。
私は90年代前半からバイクに乗っているので、いわゆる全盛期時代というものを見ています。リアルに乗っていなかったとしても80年代くらいもかすっています。まあ、たくさんの若者がバイクに乗っていましたし、16になったらみなこぞって原付免許をとったものです。
なので、というかそういうのが当たり前であったから、18になると自動的に車の免許を取る人も割りといたわけです。
もちろん取ったらとったでそのまま、ペーパーゴールドになった人も多いでしょうけど。
そんな数十年前と今を比べると、若者の車バイク離れが顕著だと、そんな声を聞きます。
私が商売していて、実際肌感覚としても感じるので、おそらく間違いではないのでしょう。
バイク雑誌の内容を見ても若者向きではない、そこに原因があるのではないか、とおっしゃる方もいます。
メディア側は若者の乗り物離れを報道しているつもりで、結局衰退のマイナスイメージを喧伝していることになっているのではないかと。
つまるところ、我々専門的な人間が、業界をよく知る人間が、問題について語ることをすれば、自ずとマイナスのイメージとして伝わり易くなってしまうのではないか、と。まさにミイラ取りがミイラ的な。自身で提議した問題に取り込まれるといった感じでしょうか。
実際どうなのか?
私が乗っているバイクにしてもじゃあ、本当に衰退しているのか?
最近チョロチョロとバイクのカタログを見物に行きました。とりあえず国内四大メーカー。
とても魅力的なバイクがラインナップされています。我々が若い頃に比べると数は圧倒的に減っています。
これを見て、衰退傾向にあると分析してしまうのは、まあ有り得る話でしょうね。
ただ、我々が若い頃というのは、各メーカーがイケイケだった時代なんです。だから、異常に活況だった。
メーカーやスポンサーも金を持っているから、レースにも力を入れていた。
だからメディアにも影響したし、おのずとブームにもなった。
毎年マイナーチェンジする勢いがあったんですよ。だから今、30年もたった今でも国内にこれほどのバイクの中古車市場ができているのです。
発信源が「売れていた」ではなく、「買わせるだけの力があった」というふうに解釈をすれば、単に企業規模の経済問題なんじゃないかと。若者がバイクに乗らなくなったのではなく、メディアが若者に乗らせるだけの動機づけを担保する努力を怠った、と言えるのではないでしょうか。
そして過去と現在、圧倒的に違うのは価格帯です。
大型バイクなら200万くらい平気でします。400クラスでも100万に届きそうなくらい。250クラスでも50万オーバーです。これでも手加減して言っているくらいです。
はっきり言って高いです。賃金が上がっているとはいえ、(我々の頃時給1000円とかいうのは、超絶きつい仕事かやばい仕事しかなかった)学生さんが100万近くの買い物なんておいそれとできません。
車やバイクは、若者にとって、コスパの悪い趣味にカテゴライズされたというのも、実はバイクや車が悪いというより周囲の環境の影響でしょう。他の分野の趣味嗜好品があまりに安くなったのです。(中古バイク業界は特に値段が下がりません)
更にカタログを見ると。
いわゆる大型クラスのラインナップが相対的に多く、400ccクラスはやはり人気が薄く数は少ない。このあたりは大型免許が教習で取れる前の時代とは逆転しています。ですが、250ccのラインナップも全然貧相ではありません。
この250クラス。実は若者が支えている層だといえます。
我々のような90年代おっさんは、贅沢で高性能な四発250ccを知っているので、今どきのFIパラツインのスポーツ250なんか、メーカーが言い訳のために出してるような単車だろう、本当に力を入れていたのは90年台の単車だろう、と高をくくってしまっているので、いまさらミドルクラスなんてのには乗りません。
乗るなら大型に行きます。自分は永年バイクに乗ってきたという自負もあるから、うまいとか乗れるとか別にして、プライドと潤沢な資金が、大型バイクや、高級バイクを買わせるのです。それだけです。
実際私もそういう波に乗ってきた人間ですからわかります。
ただ、私のように一人で走ることがメインで、共有感のない人間は自ずとインに入ります。
乗れている感を楽しむようになります。乗っていることが楽しいと思える乗り物を愛でるようになります。
そこで落ち着いたのが今のエボハーレーとビューエルXB9Sと、スズキのSXです。
バブルのときは人もモノも、スペックとステータスとスペシャリティの3Sだったのではないかと。
3Sがなければ価値がない、金を出す価値などない。人に見せる価値がない。そういう時代だったのではないか。
ある意味ではオーバースペックだった。そうも思えます。
オーバースペックでなければならないと思いこんでいた。
個性が認められるようになって、自慢しなくてもいい時代になった、誇示しなくてもいい時代になった。
世代によってはそれが消極的に見えることもあるだろうけども、自分の身の丈にあったものを自由に選べるようになった時代でもあるのかもしれません。
バイクに乗るなら大型でなくては、本物ではない。
そんなルールはどこにもない。
だが、
バイクに乗るならワクワクしなくてはいけない。
これはルールにしてもいいと思う。
私は、ただ、楽しいから、いま林道を走っている。
それを見て、みなさんが少しでも楽しそうだと感じてもらえれば、私は嬉しい。
2019.
.
16
なぜか早起きした。
もう、長い時間寝られないのかもしれない。私、そろそろ死ぬかもしれません。

バイクに乗るにはいい季節でございます。
雨に遭ったりはするかもしれませんが、爽やかで気持ちがいいです。
そうそう、、まあなんですか私、大体の天候とか気候とかに悪態つきますけど、それと同じくらい褒めてもいます。
日本は多彩な気候が入り交じっている国なので(定置にいても季節を感じられる)季節ごとに何でも楽しまなきゃあ損ですわ、と。

そんな折、メキシコビートルのコンプレッサー交換。
夏も近づくや、エアコンの必要性を感じる訳です。

コンプレッサー交換なんてちょちょいのちょいだろう、と思うなかれ。
メキビーの標準取り付けは前側ナット。
つまりコンプレッサー取り付けボルトを後ろに引き抜く感じになるのですが、ファンシュラウドが邪魔して抜けない。
ちょちょいのちょいではいかんのですよ。

結局台座ごと外して、ずらして抜くことになります。これだけでもまあまあ大変ですよ。

なので取り付ける際は、ボルトをこのように加工して、前から差し込み、裏でナットで止めます。

はい、真空引きして~
ガス入れて~
クーラー始動~
あ、低圧側が真空になるよ!
ダメだ、コンプレッサー意外も壊れてんぞ!

久しぶりに日の光を浴びたビートラック。
これで秋のイベントには間に合うか……も!
2019.
.
15
今年は梅雨らしく、素直に雨が降る感じですよね。
私、普段から雨になると悪態ついていますが、雨そのものは嫌いではありません。
特に部屋の中に引きこもって聞いている雨音というのは良いものでして。
そうそう、五月雨(さみだれ)という風流な言葉がありますが、こちらはもちろん旧暦から来た言葉ですので、ちょうど梅雨時の雨、ダラダラと降る雨、といった意味合いになります。
それで、あまり使いませんが、断続的にだらだらと続く様子を「五月雨式」などとも言うそうです。へー、ビジネス用語なんですね。

しかし、こちらも五月雨式にて、ダラダラと作業が終わらないまま継続しています。

ちょっとずつは進んでるんですよ。
部品が来たり、来なかったりで、止まり。
雨が降ったりやんだりで、止まり。
書類が揃わなかったり、取りに来る都合がつかなかったり。
まあ、うまくはいかないものです。
ところで、えらそうに日本語入力はATOKだろうって、わざわざ一太郎買ってまで使ってたけど、なにげにフリーのGoogle日本語入力のほうが賢い。
なんなんだ……。
2019.
.
14
しばらくぶりに、ビートラック。

少々重複しますが。 色塗りました。結構板金に時間かかってたんですよ。


綺麗すぎ。もとからこんな車だったのかと錯覚しそうなくらい。

ちょっともったいない気もするんですが、ナンバープレートはこの位置です。ナンバー灯のハウジングは、カルマン用を使っています。

ランプ類の配線をコソコソ引き回します。地味に時間かかる。

アオリの中に配線通さなきゃいけませんから、メンテナンスハッチ作っといて大正解です。われながらまあまあうまく設計できたと思います。

こんな感じでどうでしょう? ねえ。
2019.
.
12

はいどうも。
全く生きることに危機感を持ってない動物です。

そろそろ蜂が巣作りを始めてまして。
さて、私が見つけてしまったからには駆除対象です。
努力が灰燼に帰すあの虚しさ。
そして同胞を殺された悲しみ、怒り、そして憎しみ。
また私は攻撃されるやもしれません。

タイプ3、配線ぐちゃぐちゃ。
ヒューズがないと思ったら、

トランクルームのほうに最新式のブレードヒューズが!
素敵な試みですが、これ作った人しか解らないという……。

なんとか収まりをみせました。
2019.
.
11
道とは、進むことにあり。
誰もいなくとも、たった一人でも、ただそこに道があるならば進まねばならない。
なぜならもう後戻りが出来ないからだ。
えー今回はひどい目に遭いました。ゲロ吐きそうでした。

これ、道ですか?
そう思ったときには遅かった。
いわゆるガレ過ぎ。
タダの岩っぱりなら滑るだけだけど、こちらは赤ん坊の頭くらいの石がごろごろしていて、そいつらがいちいち転げる。当然足場は安定しない。車体の取り付く足場がない感じ。
ここ、名もなき林道なんですが、通称「ぴょんぴょん林道」とかいう名前で呼ばれている。走るとぴょんぴょん跳ねるからだそうな。
今回初めて入った。近くに住んでて全然知らなかった。
というか、走るってレベルじゃなくて、既に登れませんが?

さすがに下車して、前方を確認。
おお、あと十メートルほど登ればマシな道じゃねーの。
もうチョイ頑張ろうと。

騙された。
ちょっとマシな区間がちょっとあっただけだ。
さすがに帰ろうかとも思ったが、敗走したなどとあっては、ネタにすらならん。
とりあえずこの際ポリシーは棄てて、道を無視して登ることにする。
だって、道じゃないところの方が登れるもん。これ徒歩のにとでもこっち歩くよ絶対。
その途上、樹に挟まって自立状態。

ようやく峠的なところまで登り切りました。この後は比較的フラットな林道でしたので悠々下ったのですが。
あとでいろんな人の記事とか動画とか見てたら、私が入ったところって、どっちかっていうと出口で、逆走してるじゃん。
皆下りでアレを経験してるのであって、ここ登ってる奴なんていないじゃんかよ!
ともあれ、杉に代表される針葉樹の根がどれだけ浅いのかというのがよく判る画像です。
これくらい太い木でもこの程度の根っこしか持ってないんですよ。そりゃあ杉林は土砂流出しますわ。
(なんか針葉樹は周囲の樹と支え合っている的なことは聞いたことあります。樹の中に主みたいなのがいて、森を統べてるとかなんとか)

快走ルート。
いやあ、身体の水分のほとんどを奪われ、ゲロ吐きそうになった事も忘れて、あちこち探索します。

こんな所もありました。スキー場みたいに見えますが、ちがいます。亀岡ですんで。
走り放題です。

今回からテールバッグを装備してるんですが、背中に担ぐと重いのでイヤだったのでこうしたんですが、中身はロープホイストという遭難救助用具です。崖に落ちても一人で車両を引っ張り上げられます。他にノコギリ、ナタ、空気入れ、ロープ、工具、その他。
職質受けたら確実帰らせてくれないパターンです。
でもこういうシチュエーションあったら、誰だってノコギリ欲しいと思うでしょう?
人は道具を扱って、未来という道を切り開いたのですよ。
道具というのは偉大なものなのです。
ですから

私のような者が出刃包丁なんぞを手に入れたら……
……お魚を、捌きます。
2019.
.
09
えー皆様。普段お世話させて頂いております、その御礼というか、袖の下といいますか、ご厚意といいますか。
色々といただきます。ありがとうございます。ほんとうに。

新玉。
あざっす!

コーヒーギフト。
あざっす!
その下にさりげなくシルバー色の憎い奴。アサヒなスーパードライが。
あざっす!

えー。店の作業のほうも落ち着きました。
やっとで工具が片付いて、初期状態に戻りました。 私の場合、作業始めると工具は出しっぱなしになるんです。
たぶんこういうのは作業者的にダメなんですが、他に誰もいないんだから、同じ事だと思うんですよね。
ただ、若い子はこういうの真似しちゃダメだぞ。出したら片付ける!

ビートラック塗りあがりました。 いや、本職さんに任せたら、綺麗になりすぎました。

あのへっぽこな溶接と、モリモリパテが、こんなに滑らかに。

これは……うむむ。 綺麗すぎ。
あ、綺麗といえば。
タイ。
なかなか立派。
これもいただきました。
あざっす!

キス釣り行ってて、タイがつれたんやけど、わし捌けへんからー、あんた出来るやろ。
ということで、私にくれたそうです、が!
天然物なんて捌いたことないっすよ。出刃包丁も、うろこ取りもないのに。
釣った人がそんな具合なので、当然活け締めもしてないわけで。
あーこりゃあ、焼くか煮るかした方が無難かなと。

きっちり三等分にしてやった。(けして三枚におろしたといってはいけない)
魚捌くの上手になりたい。
やっぱり包丁ですかね?
2019.
.
07
えてして好みの動画に出会うと、よく抜けると言いますが。
こちらはこちらで、よく抜けます。駐車場の車止めなんかに引っかかって。

エンジンケースの位置よりも低い、クワイエットマフラーなんかを装備しているとよく起きますが、これは車をバックから挿れたりするからなるんです。
つまり車をバックで進ませると、後軸荷重が抜けて、お尻があがります。駐車するときはなんなく車止めを回避してしまったりして、無意識に車止めをマフラーが越えてしまっているんですね。
で、出庫するとき、つまり前進するときは逆に、前軸荷重が抜けて、後軸が下がりますので、マフラー位置も下がって車止めに引っかかる、勢いのまますすんで、マフラーがずっぽ抜ける、という寸法なのです。
これを回避したければ、もう、愚息を前から挿れる正常位スタイルで、毎回決めてやることでしょう。
が、しかし

ヒートエクスチェンジャーのクランプ部分は、外側から挟んで締めているだけという、実に頼りないものだったりしますし、ヒーター側のパイプが腐食してたら、いくら締めてもちゃんと密閉してくれないので、排気漏れしちまいます。
さらに一度抜けたエキパイは曲がってしまうので、どうしても密閉性は望めなくなる。
もうある程度は仕方ないんですけど、ただ、かといって策を講じないのもアレなんで。

格好悪いけど、こういうふうにしちゃったらどうでしょうか。
思い切り差し込んだ状態で、二点をボルト止め。
特に加工は必要ありません。ホームセンターで売ってる、ステイを挟んだだけです。
これで滅多なことでは抜けない、と思う。
2019.
.
06
めっちゃ忙しい訳ではないんですが、なんとなくタイミングというか、チャンスというか、そういうののズレが出てまして。
私のバイオリズムが変なんだと思います。
ちょっと待って1 エンフィールド、ようやく終了できそうです。

ちょっと待って2 ビートルのキャリアとか色々。タイミング見計らって連絡します。

ちょっと待って3 カルマンギア お待ちです。出来ました。予想外のオイル漏れで急遽やり直してました。

ちょっと待って4 CB72 冬から預かり走りの季節が来てしまいました。夏までにはなんとか!

別に忙しい訳ではないのです。なんとなく澱んでるだけです。
すみません、バリバリやらねばなりませんね!
2019.
.
04
そろそろ、どうなん、と。
企画化しようか?
今週も行って参りました。寂しく一人で林道へ。
いやはやこの時期は、新緑の香がすがすがしく、非常に気分がよいです。

例により機嫌良く杉林を走っていますと、

おっと、倒木。しかし先達が(おそらくチェーンソーなんかで)処理してくれていて、割に通過出来るようになっています。
多くの林道は、林業ではほぼ使われていない、廃道とも呼べる道が多いのですが、抗して放っておくと、誰も通らない、通れないとなり、本当に道そのものが自然の中に埋没してしまうことだってあるのです。

そういう意味では、ある程度人が入る機会、それが林道オフローダーだとしても、自分たちのために倒木や落石を処理しているとしても、道を保全していることにはなるのではないかと思います。

無論人が入れる林というのは、里山といって、古来より人の手で管理されてきた場所ですから、この様な景観が保たれているのです。我々はそこを通行させてもらっているという意識を持たねばならないことは確かで、逆に道にダメージを与えるような走り方や、危険な行為を慎まねばなりません。

こんなタイヤですからある程度は、道を削ってしましますが。急発進や急ブレーキなどは控えてます。

こんな風にリアルに私の目の前で倒木が道を塞いでいることもあり、こういう時こそ私もお役に立とうと、持参のノコギリで木を切ります。本当は勝手に切っちゃダメなんでしょうけど、どうせいずれは誰かがやることですから。
このセクションでは結構木を切りました。ナニやってんだろうと思いつつ。

少し奥に入ると、手つかずの極相林に遭遇します。秩序が保たれている森という感じですね。

これヤバかった。ここ降りてたらまた遭難するところだった。

この日。
朝の11時から走り始めて帰ってきたら6時だった。
その間一切休憩せず、ずっと林道散策。メシも食わず水も飲まず。

何かに取り憑かれたように走っていた。

アドレナリン出まくりのテンションのまま、スーパーに行って二〇キロくらいの買い物をして帰る。
毎度毎度思うんですよ。主婦って、日頃まあまあ重たいもの持ってるよなって。
子育てしてる人なんて、日常的に子供抱えたりしてる訳で。
そりゃあ、上腕二頭筋も育つか。
それが歳とってプルプルになっても、ある意味勲章かもな。このスーパーの買い物の重量感に愛おしさすら感じる。
やっぱり最近、自分おかしいと思う。
2019.
.
02

本日持ち込み修理依頼が……。
ラジコン。たぶん田宮の奴。 どうやら放置していて動かなくなったので、動くようにして欲しいとのこと。
修理というかなんというか、バッテリーあがってるだけじゃねーのか? まあ、そうでなかったとしても直せるとは思いますけど。

今朝、ゴミ捨て場で拾ったエレキギター。
おおう、なんか懐かしいねぇ。無銘だけどまあまあ綺麗だし、インテリアになるかなと。久しぶりに弾いてみようか! えっと――――ん? ンンン?

なんか変だと思ったら、レフティ。左利き用ギターでした。 ま、これはこれでいっか。

ビートラ。自分ではもう触ってる時間ないので、出入りの板金やさんにお任せしてここまで出来ました。サフ吹き。

さすがは本職さん。出来の差が歴然。
いずれフロント側も手を入れなければなりませんよなぁ。
という訳で、今日は帰ります。
2019.
.
01
六月っていうと、祝日が一日もない、クソつまらない梅雨には入るし、蒸し暑いしの碌でもない月でありまして。
えー、六なのに、碌でもない。
はい、お後がよろしいようで。

これ、ロクね。
よく、「ろくでもねぇ」とか「ロクなもんじゃねぇ」とか言いますが、じゃあロクってなんなんなのか?
私ずっと、ロクのことは「禄」と思っていたんですよ。俸禄のこと。武士の給料ですね。
だから、ロクな事がないとか、ロクでもない、とか言うんだと思ってました。
つまりロクってのは「よいこと」を指すと。
でも違いますんです。
ロクとは、陸。 陸と書いたら「りく」と読みますが、古い読みなどで「ろく」と読むことがあります。
陸とは、そもそもまっすぐ水平、平らである様などを指したようで、今でも大工さんの間では陸(ろく)、矩(かね)、撥(ばち)、などと建物の寸法精度を表す言葉として使われたりするそうです。
ですから、「陸なことない」、「陸でなし」、「陸なもんじゃねぇ」ってのは、「まっすぐ正しくない」転じて「平穏でない、まともではない」などというように使われるようになったのだとか。
ちなみに、しばしば充てられる、碌ってのは当て字です。特に意味はないそうです。
ま、「碌でなし」っていうと、半端なヤクザものだとか、犯罪者だとか、総じて人に迷惑を掛ける連中を指していうようですが。
先日起きた児童殺傷事件の犯人なんてのはまさに碌でなしの極みであり、あえて言いますが。
あんな奴ぁ、一人でこっそり死にやがればよかったんだよ!
と、声を大にしていいたい。日本国中に届けたい。
過去にも何人も、「死刑になりたかった」「死にたかった」という理由で、なんの関係もない、しかも自らよりもあきらかに弱者を狙って無差別殺傷を犯した者達がいたことは、記憶に新しいだろう。
だからまともな気持ちを持っている人間なら誰だって、「お前が死にたいだけなのに、何故他人を巻き込むのか? お前一人が死ねばよかったのに」そう、口に出さない人でもそう思う。私だって思う。遺族は切にそう思うだろう。
しかし昨今、こういう言説を流布すべきではないという意見がある。
それは、「やけくそになる奴らを見放さないために」なんだそうだ。
世間が、「死にたい奴は一人で死ね、勝手に死ね、お前のことなんて関係ない」と声を上げれば上げるほど、追い詰められた彼らは逃げ場をなくし、凶行に臨む可能性を大きくするのだという。
つまりだ。
一人じゃ何も出来ないホーケーチンポのドーテークンは、「それ見ろやっぱり社会は僕たちのことを馬鹿にしているじゃないか!」「僕たちのことを助けてなんてくれないじゃないか!」、「バカにしやがってー! くっそおお、こうなったら社会を恐怖のどん底にたたき落として、死んでやる! みていやがれ!」
と、なるわけだ。いい大人がだよ。
過去に何があったかは知らんけどね。
そもそも、人付き合いすら出来ない人間に、どうやって救いの手を差し伸べることが出来るかね?
君は一人じゃない、頑張れば出来るよ! その言葉を聞き入れない人間と対峙する時間の無駄というのを知ってるんでしょうか。
誰でも恵まれて生きている訳ではありません。皆、何らかの形で頑張って、今の立場や地位を得ています。
クソビッチな両親の元に生まれ、最初のスタート地点が最悪な場合だってあるでしょうが、それでもそういう家庭から育った人間が皆、子供や老人や障害者を巻き添えにして、自殺するような人間になっている訳ではない。
多くの人が、それこそ9割以上の人が、腐らずに頑張って、自分の人生をよりよくしようと生きている。ああはなるまいと。人を妬むまい、羨むまいと、ある能力を使い、ある材を駆使して、一生懸命生きている。
その彼らは必ずしも他人の助けを借りた訳ではない。自力でそうして這い上がった人のほうが多いだろう。
負けてはいけないと念じながら。
私はそういう人を幾人も見てきています。皆さんの周りにだってそういう方々がたくさんいると思います。
私はいつも負けた人間ではなく、勝った人間に視線を向けたいです。
頑張っている人には手を差し伸べますが、頑張る気がない人には目も向けません。
なぜなら、私はそんな暇ではないし、そんな使命もないし、そんな道楽者でもないからです。
社会が、彼ら犯罪予備軍である社会の落伍者に手を差し伸べるべきだ。
なんて私は到底思えません。
そこまで落ちる前に、どうにかならなかったのか? がんばったのお前? お前今までナニやってきたの? 申し開けよ。
そんなどうしようもない人間を、社会が全体で救わねば、人々を恐怖に陥れる悲惨な事件の再発は防げない。
だから皆さんで、哀れな彼らを救わねばならないのです。
おかしくないか?
たしかに、わざわざ、彼らを陥れ蔑むような発言をする意味はない。「死にたいのならお前一人で死ね」これは言葉の暴力だ。
だが、彼らは、いわれても仕方がないのです。
我々は、人間です。
だから悔しさとか、怒りとか、悲しみとか、持ちます。発露します。
彼らが社会に向けて発した怒りや絶望、稚拙な功名心と無軌道な復讐心。それは彼らもまた人であるからに過ぎません。
ただし、我々よりも随分とレベルの低い位置にいますが。
我々は、彼らのことをイヌとでも思えばいいのでしょうか?
我が子を野放しにしたイヌにかみ殺された。
イヌだからねぇ、イヌのやることだからねぇ、仕方ないよねぇ、とそういうことでしょうか?
私はやはり、彼らを同じ人間としては認めたくありません。
もはや人間の感情を失い、憎しみの権化と化してしまった彼らは、現代における「鬼」なのではないでしょうか。
機会と情熱があれば、「鬼」になりそうな人を止めることは出来るかもしれません。
ですが今の社会のシステムでは、一定の割合で必ず落伍する人間が出てきてしまうのは事実なんです。
豊かな世界の中でやむなく生み出されてしまう澱。
我々は、そういう彼らに気づかねばならないのでしょうか?
豊かなのは社会であって、我々の心はけして豊かではないのに。
我々は、他者を助けるほどに豊かな心は持っていないのです。
この世の誰もが、「鬼」になる可能性を秘めているのですから。
そう思います。