2016.
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はい、これで終わりにします。
前項で説明したように、自動運転というのは、社会全体が自動運転に包括的に則していなければなりませんし、その中で完全なアナクロマニュアル車などが走っていると、この自動運転社会を乱して、結果的に自動運転車オーナーは自車の持つメリットを享受できなくなる可能性が出てきてしまいます。
それに序章『機械は間違わない』でもちらと触れましたが、自動運転車が航行する道路は整然と交通が流れているため、人もまた整然とした動きを要求されることになります。
別に人は今まで通りでもいいんじゃね? と思われるかもしれませんが、先にも述べた通り、自動運転車両が運行できる社会というのはそれだけ統制されなければ不可能だという前提があります。
人もまた機械に準じて判断して、心をコントロールするようになります。
これ、端的にいうと、人間は機械に寄り添うように生きることになります。人間が機械のために用意されたフォーマットに取り込まれてゆくことになるのです。今現在でもネット社会により、そういった状況は出来つつあります。
確実に言えるのは、人類は人間の尊厳を失います。というか知らない間に放棄してしまいます。
こういった未来を誰が望んだのか? と退廃的な未来社会が出来上がったあとで嘆いたところで、もはや遅いのです。
機械に人類が支配されるとは言いませんが、人類は自ら望んで機械化してゆくのは自明かと。
アニメやSF映画の観すぎだと思われるかもしれませんが、私が子供のころに観てきた未来のいくつかは現実になっていますし、予見されていた問題の湧出もやはり現実になっていますから、その積み上げでより正確な予測が今後もなされてゆくでしょう。
そもそも普通、出来るだろう、これだけの利点があるだろう、というポジティブな予測は飛躍しがちですが、出来ないだろう、問題があるだろうというネガティブな予測はかなり現実的に提示されますので、私はこういう書き方になります。
自動運転車が出来るだけでしょ、何を大袈裟な、とおっしゃるかもしれませんが、私は人間は「そんなに利口じゃないし、強くもないし、器用でもない」と思ってますので、恐ろしいなと感じています。
まあ、ロボットカーに乗るような未来の世代の人は、その世界に何の疑問も持たずに適応してゆくとは思いますが、その時私のような空冷式キャブレターマニュアルミッション車に乗っていた老人は、彼らと意思疎通そのものが出来なくなっていると思います。
んなわけなんで、自動運転自動車には全く興味ありませんし、実現はかなり難しいでしょう。
もちろんそんな世の中で車を運転するほど馬鹿でもありませんから、せいぜい自動運転社会が出来上がるまで、生きている間に自分の好きな車には乗ります。
というスタンスで、車とバイクをこよなく愛する皆様のために、今後もやってまいります。
おわり
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2016.
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さて続きで、デメリットの話です。
トラブルへの懸念と起こった場合の対処(2016年時点)
1 ソフトウェアの信頼性
2 車間通信によって車載コンピュータに不正アクセスされる可能性。
3 マニュアル運転が必要になるケースでのドライバーの運転技術・経験不足。
4 衝突不可避の状況で、自動運転車のソフトウェアが複数の事故コースのどれを選択するのか、トロッコ問題に類似する道徳的問題。
制度上の問題
1 損害賠償責任
2 自動運転車の法的枠組みと政府規制の確立
技術的限界
1 天候の影響を受けやすいナビゲーションシステム(2014年のグーグルのプロトタイプ車は雪や豪雨で走行できない)
2 自動運転車には高精度の特殊な地図が必要になるかもしれない。地図が古くなった場合、合理的な挙動にフォールバック(退3 縮運転)できる必要がある。
4 警察や歩行者などのジェスチャーや合図に自動運転車が適切に対応できない。
5 自動車の無線通信に使用する周波数帯域の確保の問題
6 その他、天候・路面状況による不作動・誤作動
社会への影響
危険物・爆発物を積んで自動運転車が爆弾化(武器化)される可能性
最後の、危険物を積んで云々は物騒な可能性ですが、まあテロリストは有人車でも同じ事やりますから、今更なんですけど。
この中で「 トラブルへの懸念と起こった場合の対処(2016年時点)」の4で言及されている「トロッコ問題」というのは、トロリー問題とも言われておりまして、、「ある人を助けるために他の人を犠牲にするのは許されるか?」という思考実験に起因する、「人間がどのように道徳的ジレンマを解決するか」という、道徳心理学、神経倫理学において重要な論題。(ウィキより抜粋)
要するに、あっちを立てればこっちが立たず、という問題に機械がどう判断を下すか、という事です。これは「制度上の問題」1の損害賠償責任にも関わってきます。これは自律式の人型のロボットが実用化された際にも同様の問題が発生します。
また、人と機械の間で運転をやり取りする場合、急にコントロール変更があると、挙動の変化が起こり、周囲の自動運転自動車に多大な影響を与える恐れがある。それに、「ユー・ハブ・コントロール」で咄嗟にマニュアル運転を渡されたとしても、人間が早々すぐに「アイ・ハブ」と対処できない可能性が大です。そういう意味では、マニュアル運転というのは無粋な行為とされる恐れがある上に最も危険な行為となる可能性が大です。
さらに人自身も、リスクを恐れてマニュアルモードに切り替えることを躊躇するでしょう。
要するに、人の力や能力など不要、むしろ邪魔で余計なものとなるのです。
レベル4の自動運転が確立した暁には、人は運転に関して考えることをやめるでしょうし、制度の中でロボット自動車同士が起こした事故についての、責任追及は行わなくなります(システムが正常であれば、現行自動車の扱いと同じように)メーカーには責任がないと結論されますし、ドライバーの手でどうにかなった問題でもないという事で、ドライバーは、責任を逃れるために絶対にマニュアルモードには移管しませんし、互いに不幸な事故だったと居直ることでしょう。
責任の所在を問うというより、責任が消失します。
司法の仕事はずいぶんと減るかもしれませんね
またまた続きます。
2016.
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受けるネタだと思ったんだがなぁ……

自動運転自動車の雄といえばナイト財団が開発した「KITT」こと『ナイト2000』ですが、こちらは自動運転どころか喋りまくりの、ロボットカーです。他にもビートルベースなら『ハービー』で、こちらは喋りませんが、まあまあ表現力もあり、高度なAIを搭載しているのだろうなとは思います。
究極はこれらのレベルの自動運転自動車を目ざすことになるのだと思います。
要するに自動車が自動で動くというより、自動車型のロボット、という概念で開発する方が近道のような気もします。
さて、そんなロボット自動車が実用化された暁に、利点として考えられることは無数にあります。
以下お馴染みのウィキからの抜粋ですが。
1 交通事故の減少。
2 人間のとっさの状況判断には限界があるが、自動運転車は種々のセンサー(可視光や赤外線、音響、超音波)や、パッシブ、アクティブ両方のレーザーやLIDARによる360度視界により、危険性を素早く察知し、回避行動が可能。反応速度も人間を上回る。
3 人間ドライバーによる車間距離の詰め過ぎ、わき見運転(事故見物)、ながら運転、乱暴運転による事故の回避。
4 車間距離短縮による、道路容量の増加と、より優れた交通流量の制御。
5 乗員の運転や道案内からの解放。
6 最高速度規制の緩和。
7 乗員に制約がなくなる(子供や老人、無免許、全盲などの障害者、酔っぱらいなどでも乗れる)。
8 駐車場不足の緩和(乗員が降りたあと、無人で遠くはなれた駐車場への駐車が可能、必要なとき呼び戻せる。)
9 カーシェアリングによる自動車総数の削減。乗客を目的地まで運んだあと、別の乗客を乗せて別の場所へ行くことが可能。
10 自動駐車による物理的駐車スペースの削減。
11 送迎や車を修理に出す場合に無人運転が可能で無駄な乗員を無くせる。
12 自動車保険や交通警察の必要性が減る。
13 物理的な道路標識の削減。自動運転車は電子的に必要な情報を受け取れる。
14 乗り心地の向上。
15 車両の認識能力向上による車両盗難の減少。
16 ステアリングやその他の運転装置をなくすことで、キャビンが広くなる。乗員を進行方向に座らせる必要もなくなる。
17 過疎地のバス交通において、乗務員を乗せる必要がなくなるため、人件費による赤字や、慢性的なバス運転手の不足が解消される。
えー皆さんはこれを見て、どう思うでしょうか。
これらが実現できるのは前項で述べた「レベル4」以降の世代にあたる車で、ほとんどが無人航行できることが前提となっていると思います。要するにナイト2000、すなわちKITTくらいの性能です。
呼んだら飛んでくるんですよ、迎えに来て待っててくれるんですよ。飲酒でグダグダなっててもお持ち帰りしてくれるんですよ。
なーんて便利なんでしょう。
ほとんどが人間側の怠慢によるところ、まあ無駄な時間や手間が技術によってなくせるという事ですが、まあ体の不自由な方や、お年寄りには話し相手としてもいいでしょうね。
人工知能を持ったとて車のなりなら、反乱起こされても大したことできませんし。
それに対してデメリット、というか危険性も指摘されてるのですが。
あまりに長いのでまた次回。
2016.
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自動運転の定義というものがあります(以下お馴染みのウィキより抜粋、読みやすく編集してます)
日本政府や米国運輸省道路交通安全局 (NHTSA) では自動化のレベルを以下のように定義している。
レベル0
ドライバーが常にすべての主制御系統(加速・操舵・制動)の操作を行う。前方衝突警告などの運転支援システムもレベル0に含む。
レベル1
加速・操舵・制動の
「いずれか一つ」をシステムが行う状態。自動ブレーキなどの安全運転支援システムによる。
レベル2
加速・操舵・制動のうち
「複数」の操作をシステムが行う状態。アダプティブクルーズコントロール(ステアリングアシスト付き)等がこれに該当する。
この際、ドライバーは常時、運転状況を監視操作する必要がある。
レベル3
加速・操舵・制動を
「全て」システムが行い、システムが要請したときはドライバーが対応する状態。
加速・操舵・制動を全て自動的に行うシステム。通常時はドライバーは運転から解放されるが、緊急時やシステムの限界時には、システムからの運転操作切り替え要請にドライバーは適切に応じる必要がある。事故時の責任はドライバーとなる。
レベル4
完全自動運転。加速・操舵・制動を
「全てドライバー以外が行い、ドライバーが全く関与しない」状態。安全に関わる運転操作と周辺監視をすべてシステムや外部に委ねる。有人、無人両方がある。
現況もっとも熱く研究されているのがレベル3というところで、自動車専用道路のみの運航が可能、という枠組みで、この数年以内に市販化される可能性は大です。
日本政府はレベル4の自動運転の実現は2020年代後半を目指すとしていましたが、特定のルートを走る無人タクシー、バスという形で海外でレベル4の自動運転車の実用化が具体的になってきたこともあり、日本においても東京オリンピックが行われる2020年にレベル3の自動運転車の実現と平行して、レベル4の無人タクシーの運用開始を目標とする事を発表しています。
レベル4の実用化が先に公共交通であるのは路線が決定しているのと、管理の問題からでしょう。
みなさんあまり意識していないかと思われますが、自動運転車両というのは日本でも30年以上前に実現しています。
AGTと呼ばれる、自動案内軌条式旅客輸送システムで、小型軽量車両が自動運転により専用軌道上の案内軌条に従ってゴムタイヤで走行する中量軌道輸送システム。
なんですかそれ? と言ったあなたも一度くらいは乗ってるはずです。いわゆる第三セクターなどに敷設された、新交通システムのことです。台場のゆりかもめとか神戸のポートライナーとか、日暮里・舎人ライナーとか、南港ニュートラムとかがそれです。
彼らはすべて無人で、軌道上を走行しています。
まあこの、軌道上かそうでないかという部分が一番の難題であることが分かるかと思います。
まだ続く?
2016.
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予告通り、自動運転車の話をします。全五回でお送りします。

さて前回に引き続き、自動運転自動車の概要はこんな感じです。
自動運転車はレーダー、LIDAR、GPS、カメラで周囲の環境を認識して、行き先を指定するだけで自律的に走行する。現在では基本的に車のセンサー主体で自動運転できる自動運転車開発が中心となっている。(ウィキペディアより抜粋)
過去には道路にマーカーを敷設してそれに沿わせて運行させるという案もあったそうですが、コストがかかるので没に。
で、その自動車の『目』ともいうべき搭載センサーについてですが
「レーダー」というのは電索とか言われるように、電波探知機。もともとは軍隊で敵機を有視界より早く発見するために開発された技術で、索敵機能そのものを指してレーダーという場合が多いです。めっちゃ簡単に説明すると、電波をこちらから照射してその反射波を受けて距離とか規模とか測るわけです。ステルス戦闘機ってのはこの電波を吸収してしまう(もしくは受けない)ので、見えない戦闘機などといわれます。宇宙世紀になるとこの電波を完全にかく乱して遮断してしまうミノフスキー粒子というものが開発されるのでレーダーはお役御免となります。
で、LIDARですが初耳ですね。「ライダー」といいます。これもめっちゃ簡単に説明すると、媒体が電波でなく光で、レーダーみたいなことをします。主に紫外線、可視光線、赤外線といった波長の短い電磁波を用います。自動運転車においては、このライダーが前方向の景色情況を画像変換して立体的に読んでいます。つまり景色を見ているわけです。
で、お馴染みのGPSは、地球上で自車位置がどこにあるのかを確定する唯一の手段で、グローバル・ポジショニング・システムといいます。これはアメリカが打ち上げたGPS衛星と信号をやり取りすることで位置を検出しています。ほぼ世界中がこのシステムに頼っているため、実質世界の誘導弾やミサイルの行方はアメリカが握っているといってもよい状況です。ですが、有事だからといって完全に無効にはできないのは、このGPSシステムで動いているものが多すぎるので、仮にアメリカ軍が自前のコードを持つGPS機器以外は受け付けないというシステムを搭載している場合、アメリカの誘導ミサイルだけが有効という事もできます。そんな卑怯なことは「しない」とは言ってますが、できるしやるでしょう。
蛇足ですが、このGPSが使用できない状況、例えば現代のイージス艦が太平洋戦争に参戦しても、ミサイルの座標を決めてもそこへは飛んでいきません。こういった場合、レーザー照射という方法でポインターのようなもので座標を指定し割り出します。かわぐちかいじの「ジパング」でやってましたね。
あとは同じミサイル誘導や航空機の航行に使用される『INS』という慣性航法装置というもので、これはGPSなどによる外部情報に頼らず、自前のジャイロやセンサーなどで位置や速度を検出するシステムで、起点を決めて使います。
で、カメラという実に広義な言葉ですが、これはいわゆるイメージセンサを指します「CCD」や「CMOS」などというのが一般的で、固体撮像素子といいます。デジタルカメラ(スチル、ムービー)に普通に使われている技術です。現在常に我々が見ているテレビ画像や写真などの媒体はすべてこのイメージセンサーが捉えたもので、そこからもわかるように、一応機械の目でも人間の目かそれ以上の画像認識精度があります。これを人間の側から言うと『描写力』などといいます。
ま、そんな感じで自動運転自動車にはあらゆる『目』が搭載されて、それらを統合して位置や状況の情報を収集してるわけです。
はい、おもいきり長くなってしまいました。
また次回に続く―
2016.
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何をしているのかって?
電気工事だよっ! 店の電灯だよっ! ヘルムは伝統的に自分で電気工事も水道工事もしなきゃいけないんだよっ!

蛍光灯が点かなくなる原因の多くはトランスにあります。トランスっていうとトランスフォーマーでおなじみ。
変圧器でございますな。つまりトランスフォーマーってのは、トランス・フォームする人、「形を変える人」という意味です。あれですね、不定形生物みたいな奴のことですね。

これが忌々しいトランスの類。不点灯の原因の4つがトランスの故障。蛍光灯そのものが1つ。
まあ、最近はLEDなんかが普及していってるんで、こういうトラブルも懐かしい思い出になってゆくんでしょうけどね。
さすがに5つも電灯修理すると数時間はかかります。また壊れるのは目に見えてるんですが、中古品なのでしゃーないです。
そんなこと言っている間に、ほーら、直ったぜよ。
2016.
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ぬったった。

ここまで塗るなら全身塗れよって感じですが、そうそう長くもブースに入れてられないので。
さて、表題の『機械は間違わない』ですが、これはとある企業のインターンシップで行われたグループワーク内での、現役大学生による発言。
「人間は確認が必要だし、間違いも起こす、機械の方が完璧なので管理を機械で行う方がいい」という文脈です。
私はこれを、友人から聞いたのですが、第一声は、
「SFか!」でした。
こんなセリフ、SF作品で、機械文明を信奉するマッドなサイエンティストか、未来の統制社会ですっかり飼いならされた豚市民のセリフでしか聞いたことがありません。
確かに機械は限られた条件下ではほぼ確実な仕事をします。ことアプリケーションソフトなどになれば、対応したOS上で、確実な入力を行えば確実な答えを出しますが、今のところ出来てるのは所詮その程度で、複雑な計算機といった体がせいぜいなところでありまして、なにも機械が人間の代行をして何かをやってくれるわけではございません。
逆に言いますと、機械自身が考えて何かをやるなんてことがあってはいけないわけで、考えるのは常に人間でなくてはいけません。
また、人間のように考えられる機械なんてのはもってのほかで、そんな危険で意味のないものを作るくらいなら、従業員の給料上げろやボゲェ、となります。
機械が確実にダメなところは、心を持たないところにあります。心というと哲学的で難しいかもしれませんがこう考えるととっても簡単です。
たとえば、今話題の自動運転の技術。
これ、機械のセンサーが進行道路を読みながら、前方障害物を検知して衝突を防ぐわけですが、すべて機械の目で見ています。とにかく、のべつ幕なし安全第一に運行します。安全が確保されない場合はおそらく動かないでしょう。
人間の場合道路も障害物も、人も見ています、ここまでは機械と同じですが、人間の場合危険度の判断をします。
例えば、車を運転していて前方で五歳くらいのガキがわちゃわちゃしていたら、あぶないなぁ、スピードを緩めよう、もしくは止まろうと考えるでしょう。しかしそれがもし中高生や大人なら問答無用でクラクションを鳴らします。もしくは罵声を浴びせます。
また、子供が男の子か女の子でも対応は変わります。男子のガキはアホなので、平気で人をつき飛ばしたりします。
また、ボールを抱えていたりしたら要注意です。理由はわかりますよね。
人間の目はまず、対象の挙動を見ます、観察します、そして自己のもつ経験や情報に照らして対象の動作予測を行い、自身の行動を決めます。これをほんの一瞬で行います。
こういうことが自動運転の車にはできない。
また、信号のない交差点で、出会いがしらで譲り合う場合など、必ず相手ドライバーとアイコンタクトをとっているはずです。そして何らかの方法で、「どうぞ」という合図を送ります。
このとき、アイコンタクトをとらないで「あんたがモタモタして行かないなら俺っちが行くぜ!」などといって、おらおらでアクセルオンすると、だいたいぶつかります。
これ、機械の目で出来ますか? アイコンタクト取れんでしょう?
パッシング(ハイビーム照射)やハザードの点滅、クラクション、これらの車を運転する際によく使われる、外部コミュニケーション手段は、本来使うべき場所や状況が限られています。むやみに使ってはいけません。
自動運転自動車は道路交通法に基づいて動くので、道路標識に従いますし、交通違反も絶対起こしません。
ですが、挨拶も、礼儀も知りません。
だから、機械という存在はただひたすら、人の世界の外側に居続けるのです。人とは交わりませんし、コミュニケーションも取りません。とる必要もありません。
ですから、機械が人の世界に干渉してくる場合、人も何も考えずに機械のようにルールを守ってゆくことになります。それで世は事なし、太平であります。(この点に関しては後述します)
ですんで現在、嬉々としてコミュニケーションをとってくるような、ペッパー君はなんのために存在しているのか、私にはいまだに理解不能です。
わあ、また書いちゃった!
でも自動運転についてはまた詳しく書きます、たぶん。
2016.
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22
というわけで続き。
マルニ、マルサンとセットで忌避され続けてきたVWタイプ1 1302と1303ですが、1303についてはまたいつぞやの機会にお話ししたいと思います。
でそれとは逆にここでは、前回まででいかに1302がよい車なのかという事をお話ししました。

この1302、当時最新式のテクノロジーを投入されたにもかかわらず、それまでのスタンダードビートルの内外装の体裁を踏襲していたあたりで、先進性を望むビートルファンとしては物足りないものに映ったのではないかと思われます。
といいますのは、画像の通り、従来のビートルの内装なのですね、ダッシュはスチール、ハンドルもハーフムーン、スイッチ類ですらそのまま。当時のスタンダード(トーションバー)1971年式ビートルとなんら変わりません。窓もフラットです。
ちゅーと半ぱやなぁ、と言われたかどうかは知りませんが、足回り性能とは裏腹に、見た目があんまり変わっておらず、むしろかっこ悪くなってしまったのでした。そのため1302は1971年から1973年までという短命で、その後の1303へと系譜のバトンを渡すことになります。
ある意味希少車です。
蛇足なんですが、私が最初に手に入れたビートルが1302でした。
その当時はビートルの知識が全くなく、買うならアイロンテールのモデルがいいな、とくらいにしか認識しておらず、個人売買で手に入れた時ですら、それが1302であることをわかっていませんでした。
ところが別のビートルと比べるとなんか顔が違う。
これに気づくのにしばらくかかりました。で、トーションバー式のスタンダードビートルで出来ることがこちらではできないという事が徐々にわかってきて、限界を感じて手放すことになります。まあその時は若かったですから色々やりたいこともあったんですよ。
今思えば、乗りやすくていい車だったと思います。
DIYで修理して、まともに乗れるようになるまで半年かかりましたが、楽しかったなぁ、と。
お金を貯めて部品を買って、つけて、どんどん自分の車がよくなってゆくのが面白かった。
そんな時代があって、今の私がいるわけです。
今こうしてワーゲン屋の立場になると、個人的なノスタルジーも感じていますが、古い中に新しい技術を詰め込んだ、「ちょっと頑張っちゃった、テヘペロ」 という、過渡期ならではの企業努力、迷走感がたまらん味を醸し出しているなと。
まあ、いい車ですよ。ほんとに。
2016.
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21
ハイ続きです

この1302という車には「1302」と「1302S」というのがありまして、無印は1300cc、S付きが1600ccとなります。
写真の車体は1302Sですね。
そんなわけでビートルの走行性能を上げようと躍起になった結果生まれたのがこの1302Sなんですが、いかんせん不評であったという事実が横たわっておりまして。それは何故かと申しますと、決定的に違うのが、フロントサスペンションに装着したストラットコイルのため、フェイスラインが大きく変わってしまったところにあります。
ここのところパッと見た感じではどこがどう違うのかが分からないかもしれませんが、全体的にもっこりしています。
フェンダーは別物、フロントフードも専用で、それによりトランク形状も、タンクも大きく変わりました。
ただこの恩恵を受けたのはトランクの容量で、スタンダードビートルよりも80パーセントほど増えたそうです。まあ、見た感じからして広くなってますけどね。
で、リア周りは大きくは変わっておらず、後ろから見るとエンブレム以外ではほとんど見分けがつきません。
これを性能向上のための革新だと捉えるか、デザインを無視した愚かな選択だと捉えるかは人それぞれといったところで、まあ当時も賛否両論はあったかと。
その後はご存知の通り、不人気街道をまっしぐら、あわやビートルの仲間に入れてもらえないなどの不遇もあったのですが、ここ最近では見直されつつはあります。
次回は(まだつづくのかよ) そういった話も交えながら・・・
2016.
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20
今日は少し1302という車について。
1302とは1300(スタンダードビートル)の発展形として2型の名を与えられた進化したビートルです。
さらにこの後継が1303となる訳で、じゃあ1301ってのはなかったのだろうかとふと考えると思いますが、当時他社に1301というのがあったので、それを避けたそうです。ポルシェとプジョーもなんかそういつことありましたね。

スペックとか概要はこの際書きません、めんどくさいので。
スタンダードと大きく変わったのが足回りで、これはフロントとリアともに全面改装されています。
これは長い長いビートルの歴史の中で快挙だったんですが、当時を知らない人は、単なる不人気者としての認識の方が強いようです。
少し言いますと、フロントはマクファーソンストラット、リアはダイアゴナルアームつきのトレーリングアーム式リアサスペンションと、ダブルジョイント式ドライブシャフト。これ当時のポルシェと同じなんですよね。
でも所詮ビートルじゃん、っていうかもしれませんが、その頃の車のサスペンションというのは一進一退の模索を続けていたころで、おそらく特許関係もあって、そうそう真似もできなかったんだろうと思うんですが、実際のレースシーンでもドライバーの技量とか構成されてる素材だとかの関係で、なかなかうまいものが作れず、迷走に続く迷走を延々とやっていた時代だと思います。
実際信じられないような数の機構の足回りがこの黎明期に出ては消えていったのです。
これは今の時代では考えられないことだと思います。車体の構成がほぼ確定している現代はある意味テンプレート化しているので、いちいち車を開発するときにサスペンションで悩んだりはしません。理論もできてますし社会も安定してますから。
そういう背景から、当時でもスポーツカーとして名をはせていた、ポルシェと同じ足回りを採用したVW社の1302に対する意気込みが見て取れます。
なんか長くなったので、また明日にします。
おなかが減りました。
2016.
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19
車屋には『試走』という仕事があります。

出来の調子を診るんですな。故障なら治ったかどうかってことも。
この試走の時というのは実はめちゃビビってます。この音なんだろうとか、変な挙動があるなとか。もしかしてなんか壊れてる? 直したとこが治ってない? リアルに冷や汗と脂汗が出ます。
本来あってはいけないのですが、自分のことは100パーセント信じられません。どこまで行っても99パーセントです。残りの1パーセントは結果が出るまではやはり不安です。
そんな不安を払しょくするための試走。
吹田、茨木、箕面界隈の車屋さんはご用達、ラウンドコースといえば万博外周コース。ほぼ信号に引っかからず延々と走り続けられる、試走にはもってこいのコースでございます。ま、制限速度はありますが。
で、高速テストしたい場合は、名神茨木インター⇔吹田インターの超短距離区間を使います。 もしくは府道二号線と新御堂。
山岳コースなら、茨木亀岡線 ちょっと距離はありますが。
ただ、この試走してる間の自分ってたまに怖いと思う。車の音とか状態ばかり気にしてて、ほとんど周り視てないような気がするから。(たぶん本能的には視てるんでしょうけど)
もちろん試走してダメだったら出戻り修理になります。
直したところとはまた別に問題がある、っつーことです。
また、新たな問題が見つかる場合もあります。
そんなこんなで、わたしゃ夜の街を走るのですよ。
2016.
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18
このたび、うちの熱式物質分解炉が使命を果たし切り、ご臨終と相成りました。

とりあえず廃炉処理を行わなければならなくなりましたが、どこかの原子炉も廃炉処理には手間がかかるようでして、高エネルギー炉というのはどこも廃炉処理が大変なのです。
高熱処理にて物質を分解するこの熱式物質分解炉を私が完成させてから二年がたち、ついに寿命を迎えたのですが、炉本体がもはや元の物質から変質して靭性と剛性を失った結果、自重で崩れ落ちたのです。
熱式物質分解炉は、内部熱により物質を分解しますが、本体そのものも、徐々にではありますが物質変を起こしており、このような顛末をたどるのです。

廃炉処理の様子

廃炉された後は、モニュメントとして使用されます。
欲しい人はご連絡ください。

ほーら、人類の愚かなる創造と破壊の様子がうまくコントラストされています。
深いですね。
2016.
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16

うぉい! 日曜日だというのに誰も来んかったー!
というわけで、日々在庫の作業をちまちまとやっておるわけですが、当てのない作業というのはつらいもんです。
やることは山ほどありますが、そこはそれモチベーションとは別でございます。
くそーFBとかみたら、なんかみんな楽しそうだぞ! うきうき行楽してるじゃねーかよぉお!
と、そんな愚痴はもう二十年近くまともに日曜日を休んでない私からは出ません。
いいんです。みんなのブルーマンデーに私は休んでますから!
しかも明日雨だし!
それも慣れてるし!
月曜日って雨多いんだぜ。 根拠はないけどな。
2016.
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15
ま、一応今日は満月でございます。そのはずです。
で、なんで、十五夜なんて言うのかと言いますとですね。別に十五日だからじゃありません。
新月(月が出てない日)を一とした時から十五日目が満月になる、というのが由来だそうですが、「十五夜」という言葉自体は満月を指すのではなく、『八月十五日』を十五夜と呼ぶのが正しいそうです。

これ、旧暦の八月十五日にあたるのが「十五夜」すなわち『中秋の名月』と呼ぶのだそうです。
八月ですよ、奥さん。
といっても旧暦ですから新暦では、今年は九月十五日なんですが、実際満月に達するのは十七日だとも。
もう、なんかどうでもいいような気がします。丸くて明るくてきれいに見えるなら、だいたい満月でいいんじゃねぇのかと。
暦のことを考えてると訳が分からなくなってくるので、あんまり話したくありません。
で、まあ、中秋の名月ってのはとりあえず九月下旬から十月上旬ごろの満月ならそう呼んでも間違いないということです。
ンで、月というと月の裏側には異星人の都市があるとか言われてまして、画像検索するとあれこれ出てくるわけでして、わたしゃそっちの方がロマンがあって好きなんですが、死ぬまでにバニーさん月星人に会いたいなとは思うんですけど、どうでしょう。
2016.
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14
今日はカルマンギアの床をちょいちょいと内装張り込みの準備をばと。

ビートルの床と言えば抜けるという話がよくあります。
他の車ではあまり聞かない話なんですが、なぜワーゲンにだけそのような話が付きまとうのかと申しますと、ビートルはバッテリーが室内にあり、それが床面に直置きだったことに由来します。
この因果関係が分からない方がほとんどかと思われますが、まあ現代じゃ特に考えられないでしょうし、今現在ビートルに乗っておられる方も気にしなくてもよいことです。
といいますのも、昔々のバッテリーというのは開放型と申しまして、中のセルと外が小さな穴で通通になっており、絶えず呼吸をしていたんですな。そのため過充電状態や温度差などにより内圧が変化すると、中に入っている液体、希硫酸があふれて出てしまうことがよくありました。
自動車の歴史とバッテリーというのは、密接にかかわっておりまして、自動車の仕組みというのは100年くらい前からほとんど変化していないにもかかわらず、大きく進化して信頼性向上に大きく貢献したのがバッテリーを含む電気的制御でありまして、自動車の進化とはすなわちソフト面の進化と言っても過言ではないかと。
まそんな中でのバッテリーですが、当然ながら希硫酸があふれだすと、床にこぼれる。床面はただの鉄板ですので、腐食する、錆びて穴が開く、ひどくなると床が抜ける、ということになります。ここのところワーゲン社も考えて塗装をしたり、マットを敷いたりとあったようですが、完全解決には、密閉型バッテリーの登場を待つしかなかったのです。
現在バッテリーとよばれるもののほとんどは、この密閉型(MF式ともいいます)で、書いて字の如く、もう漏らさない! と相成ったわけです。なので夜も安心です。
で、写真のカルマンは、と申しますと、バッテリーはビートルとは違いエンジンルームにありまして床ぬけとは無縁なのですが、ことカルマンギアコンバーチブルになると、車体そのものが開放型なので、やはり雨の進入を許してしまいがちですし、湿気がたまりやすいという難点は宿命です。

ですから、コンバーチブルの床は抜けてるものだと思ってもらっても、ほぼ間違いありません。
抜けていて、何らかの方法で修理されているのであれば、御の字であると、そのくらい気持ちの余裕をもって屋根を開いて乗ることをお勧めします。
まあ、ほんと、今くらいの時期はコンバーチブルが最高なんですけど、最近は減りました。
オープンカーの解放感は、窓開けたり、天窓開いたりする比じゃありません。これを体験できないなんてもったいない! と言わしめるほどの魅力はあります。
床のこと気にして下ばかり向いてるんじゃない、見上げてみろ、お前の空は無限だ!
と、昔はどこかの熱血先生が生徒の肩を抱きながら涙して言ってたかもしれませんが、青春熱血がタブーとされる世の中では、私のような不届き者がこんな言葉を口にするのです。
世も末ですなぁ。
2016.
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12

ん、なんか、今日が『コロンブスの新大陸発見の記念日』らしい。あっち時間で10月11日ね。
一応、西洋史では惑星を認識できたのは、ガリレオないしコペルニクスの生きた時代以降、つまり17世紀以降ごろになります。
さらに地球が天体だと認識したのは18から19世紀くらいになります。
ではそれより昔の人々の地球世界観とはどういうものだったかというと。
海路と陸路を駆使して中国まで旅をして帰ってきたのがマルコポーロ。東の果てにはジパングという黄金の国があるという伝聞を広めた。これが13世紀のできごと。
15世紀(1492年)コロンブスが大西洋を渡りアメリカ大陸を発見した。
16世紀のマゼランの艦隊が海路のみで地で世界一周(1519~1522年)をした。
コロンブスは地球が丸いと唱え、西回りでインドに到達できると信じて西回り航路を選択した。ゆえ、コロンブスは常識を打ち破る先駆者の象徴として後世に語り継がれ「コロンブスの卵」などという言葉が生まれたのです。
というのがわりと言われていること。
他方、ヨーロッパ人は地球は盆の上に乗っかっており、天球が空にかぶさっていると。だからそれに異を唱えるとガリレオのように捕らえられ裁判にかけられた、というのも割と信じられています。
だがガリレオや地動説を唱えたコペルニクスが生きた時代はコロンブスよりも100年も後になる。
ここで「?」となるだろうか。
実は、地球が星であるという以前に球体であると認識したのはいつごろだったのだろうかというと、球体説は紀元前六世紀のギリシア哲学まで遡り、地球がお盆の上に乗っているという考え方は、既に紀元前三世紀頃にほぼ駆逐されています。AD世紀以降というのはほぼ地球は丸いと考えられていたそうです。
知っている人はしっている。知らない人はへぇ? という話。
ではなぜ、現在、コロンブスが地球を「球体だと証明した」かのようないわれになっているのかと申しますと。
これには少しばかりややこしい話が有り、かなり後年(20世紀前半)の話なのですが、『地球平面説の神話』というキリスト教の内輪もめによる流言飛語が世界的な誤解として広まっただけなのです。
有名な話ではコロンブスと当時のヨーロッパ人のやり取りを描いたアメリカのワシントン・アーヴィングという作家の書いたコロンブスの伝記として書かれたフィクションが招いたことなのです。
「カソリックのヨーロッパ人は中世においても地球が平面だと信じていた」というネガティブキャンペーンをプロテスタントの連中が行ったとされています。が、当然ながらコロンブスでなくとも15世紀のヨーロッパ人は地球が球体であることは承知しています。
この近年に行われたプロテスタントのキャンペーンのおかげで、中世ヨーロッパ人は愚かだったと今でも世界の多くの人々が信じていることで、英国の歴史学協会は今でもその火消しに追われているのだそうです。
我々の認識に錯誤があるのは、『天動説=地球平面説VS地動説=地球球体説』という構図が割と単純で分かりやすかったせいで、 天動説と地動説の問題は、地球が丸いことを前提として論じられていましたので、けしてヨーロッパ人がアホで間抜けだったわけではございません。
ちなみに、織田信長ですら地球儀持ってましたから。
いわゆる日本人がかなり多く信じている、「コロンブスが蒙昧無知な輩の言説を尻目に、危険な航海を果敢に成し遂げ、地球が丸いことを身を持って証明しようとした先駆者」というアーヴィングの話は荒唐無稽な英雄譚であり、当の欧州の人々からすればいい迷惑だっただろうなと。
ま、いつの時代も小説家は想像を駆使して話を面白くしていた、といういい実例でありますし、アメリカという国を肯定的に捉えるため、という恣意も少なからずあっただろうなとは思います。実際アメリカはコロンブスデーとして祝日の設定をしています。
一応記しておくと、コロンブスはマルコポーロの東方見聞録に影響を受けて、西回りで黄金の国ジパングにたどり着けるものだと信じていた。なぜなら地球は丸いから。これがそもそもの誤解の根拠ではあります。
コロンブスはすでに地球が丸いことを認識しているし、だから西回りでアジアを目指した、ということです。
であるから、アメリカにたどり着いた時アジアに来てしまったと錯覚し、現地民のことを「インディアン」と称してしまったのは有名な話。
そもそも西回りが近いという主張そのものが怪しかったので、船員は不安いっぱいだったのだが、案の定コロンブスは思い込みもあり完全に距離を見誤っており、既にインドまでの距離がわかっている上に、地球の円周距離も遥か昔に算出されていたのだから、これを「間違う」ことができたコロンブスは確かに普通の人ではない能力の持ち主だったといっても良いとは思います。
(ちなみに卵を割って立てる逸話も諸説紛紛というか、他人の話だったりする)
(*コロンブスが根拠としたのはトスカッネリ(1474年)の円周距離で、それよりも4千年も前(紀元前3世紀)現在の円周距離の16パーセントという驚異の誤差で算出していたエラトステネス(紀元前200年くらいのギリシャ人)よりもはるかに小さく見積もられていた。)
無論、そんな彼だったので、アメリカ大陸がなくとも太平洋を渡りきることはできなかっただろうと思われまして、(実際マゼラン艦隊が死ぬ思いでマゼラン海峡を抜けたのは有名な話)アメリカ大陸を発見した偉人どころか、アメリカ大陸に助けられた異人であり、なのに現地人を虐殺し、奴隷にしようなどと図々しいことをさっそく考えたそうです。
ちなみにコロンブスは死ぬまでアメリカをアジアだと強く信じていたそうですが、実はコロンブスが上陸したのは現バハマやキューバ、ドミニカなどの島々で、現アメリカ大陸には一度も上陸を果たせなかったそうな。
ま、そんな小話です。
2016.
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11
さて、空冷ワーゲンにはエンジンカバー、ファンシュラウドというものが存在しまして、空冷エンジンの特徴ともいえる部分なのです。
これをしてワーゲンのエンジンたらしめると言っても過言ではないほどの存在感があります。
ではこのカバー、なぜ水冷車にはないのかと申しますと、必要がないから、という一言に尽きます。
この空冷エンジンの半円形のファンシュラウド内部にはエンジン動力で開店するブロアファンが入っています。
内蔵された回転羽根で発生させた風は発熱するシリンダーの熱をとるという役目があります。
そのためにエンジンカバーは効率よくシリンダー全体に風が回り冷却するようにエンジン全体を覆っています。
一見カバーなんてない方が冷えそうに思えますが、上半身裸で風のある炎天下にいるより、ふわっとした薄手の服を着ている方が涼しく感じるというのに似ていると思っていただいていいでしょう。
今回はそういう大事なカバーをぬりぬりしてみます。

これは元ついていた状態。すでに青色に塗られてましたが、これをはがして塗りなおします。

サンドブラストという機械で、がりがりと塗装も錆びもはがしてしまいます。
この際にしっかり汚れも油も取っておかないと、塗装もできませんので、まあまあ時間かかるお手間な作業です。

で、下地の処理をちゃちゃっとやって、塗り塗り。今回はメタリックな赤をチョイス。ちゃんとクリアを吹かないと汚れが取れなくなって余計汚くなりますので、二度塗り、ツーコートですな。

組み付けるとこーんな感じになります。
これでエンジン各部もきれいに磨くとスペシャル感がぐっと上がります。
こういったことで楽しめるのもワーゲンの魅力ですよね。
みたいな毒のない記事もたまにはいいではないですか。
ねぇ?
2016.
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08
今日は車検に向かう途中でガス欠しました。サイテーです。
ワーゲンのガソリンメーターはえてして正確でないことが多いので、油断は禁物だったのですが、ほかのことに気を取られて完全に忘れていました。

さて、これで終わりにします。
前回からの続きです。
むろん画面で見る限り二次元ですから表向きはゲームをしているにすぎませんが、画面上の人物というのはいずこかのプレイヤーであり、それぞれに個々の人格を持ち携えているという点で、オンラインゲーム上で人間関係が発生したりします。そのため予測不能な従来のゲーム展開となることも往々にしてあります。
詳しく書くと長くなるので割愛しますが、このゲームの延長線上にあるのがSF作品『アヴァロン』や『ソードアートオンライン』などに見られるVRMMO(バーチャルリアリティMMO)という、脳に直接機器が作用して、電気信号で脳をだましてゲーム世界にダイブする、といった設定のゲームになります。ちなみにゲーム世界で死んでも現実には死にません。
これを逆手に取ったのが『マトリクス』の世界になります。(あっちは死にますがね)
この辺になってくると、じゃあ人間が認識しているのはどちらも同じなのだから、どっちが本当なの? どっちでもいいじゃん、という議論も沸き起こってきて、『アバター』なんかではまさしくそういう結論に至ったわけで、ある意味人間の本質的な部分が見えたともいえるわけです。
で、我々(車屋)の分野的に、バーチャル(ネット空間やゲーム)で満足してんじゃねぇよ、というのはよく聞かれる言葉ですが、確かに車を運転するには維持する必要が出てきて、壊れもすれば修理もしなくてはいけない、お金もかかると来たら、運転することだけを楽しみたい人にとってはバーチャルリアリティという技術は、実に合理的なシステムなんですな。
現実にできないことまでできるとなればそりゃもう。
ただ、人の魂を本質としたときに、実はこの世のすべてというのは日本人が想起する、仮想現実とも言い換えることが出来るわけでして、人間の体を持ってこの世界にログインしているだけ、ともいえるのではないかと。
なに、その割に苦労が多い?
いえ、実際のMMORPGなんかをやってみればわかると思いますが、お金もかかりますし、苦労しなければ強くなりませんし、強大な敵を倒して前に進むこともままなりません。
そんなわけで我々は普段からゲームをやってるようなもんなんですから、楽しくいきましょうや、ってスタンスで生きてみるのもよいのではと。
2016.
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08
サフェーサーが入りました。いわゆる下地の最終段階ですな。
このあとに、全体を整えて塗りに入ります。
実際ここまでが長い道のりなんです。塗るのは一瞬。
というかんじで。

バーチャルリアリティ入門続きです。
前回でバーチャルが『実質、本質』を指しているというのはわかったと思います。
ですんで『仮想』というのは日本における誤訳になってしまうのですが、妙にマッチしてるのは、これ意訳だからともいえます。
仮想現実を扱った作品でよく知られているのが『マトリクス』や仮想の電脳世界を使う『攻殻機動隊』『アバター』などが有名なところでしょうか。
現代の我々はバーチャルという言葉を正確につかむより先に、これら作品から受ける影響が多大であったため、あるいは同時期インターネットが普及し、仮想的なメル友や仮想座団室的なチャットルームなど、現実にいるのに、対話会話という実質的な部分にのみ注視したコミュニケーションをとる手段を得ました。
これを、本来に意味のバーチャルととるか、曲解したバーチャル(仮想)とるかはそれぞれ個人で違ったかとは思いますが、多くの日本人が、本来のコミュニケーションではなく『仮の』と据え置いたのは、上記のようなSF作品の影響と密接につながってしまった結果だと思っています。
言葉だけの問題なのでどうでもいいと言えばいいんですが、そういう背景があってバーチャルリアリティは仮想現実と訳されるようになったということです。
ただ、面白いことに、ネットの常時オンライン化が進むと、本来「本質的で実質的」であったバーチャルが逆転現象を起こして、より密接にリアルへとつながってゆこうとするため、バーチャルリアルは本当のリアルへと接近してゆきます。
現況もっともそれに近い現象が起きているのが、MMO(マッシブリー・マルチプレイヤーズ・オンラインゲーム)という大規模多人数同時参加型オンラインゲームという分野で、同時に多人数が同じゲームサーバーにログインし、その場でアバターを操作してゲームプレイするという、まさしく異世界に転移したとでも言えるような遊び方ができるようになりました。
この辺りは『ピーターパン』や『不思議の国のアリス』とか『ナルニア国物語』で現実世界の子供が異世界で活躍する物語に通じます。ま、わくわくしますわね。
という感じでまた長くなったので続く。
2016.
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07
何度目かの顔面修正。
もう地肌が残ってません。さすがに顔の形が変わるほどではありませんが。

ま、それはさておき。
皆さんお待ちかねのバーチャルリアリティ入門です。
バーチャルリアリティの話でした。何のことかわからない人は二回前の記事を読んでください。
バーチャルリアリティの『バーチャル』は日本ではしばしば『仮想』と訳されるのですが、そのおかげで私が仮性包茎の話をせねばならなかったわけですが、実は本来『バーチャル』は『仮想』とは真逆の意味です。
本来のバーチャルは『実質的な』という意味があり、現在使われているような『現実にはない』的な意味ではありません。
これがどのように変質して『仮想』とされたのかと言いますと、英語のバーチャルは「表面上は違うが実質そのものである様子で、実質上」と訳されるのに対し、日本ではこれが「現実そっくりだが仮想の世界である様子」とされてしまったところによります。
はい、全然わかりませんね。
つまり本来の「現実世界の実質的で本質的な部分を提示する」というのがバーチャルのもともとで、
「車を運転する」という本質だけを取り出した状態がバーチャルリアルです。
これでもわからなければ
車を運転する際に発生する振動や、空気の流れおよび風の音、各種のG、エンジン音、流れる景色、運転操作そのものを「現実」から一部またはその全てをピックアップして提示する行為、ということです。
ですからバーチャル体験というのは、外見的にはただ椅子に座っているだけなのに、本人は車を運転しているような体感が得られるわけです。ある意味では人間の五感をだましているだけなのですが、可動筐体式のアーケードゲームやシミュレーターなどはバーチャルリアルに分類してもいいわけです。
もっといえばCDで音楽を聴くのも、実は「音の部分」だけを抽出して、さもアーティストがそこで歌っているかのような体感を得ることが出来るものですから、バーチャルリアルの一種なのです。
というわけでまた次回に続きます。
2016.
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07
さて昨日に引き続き、バーチャルリアリティ入門しようかと思いましたが、一発飛ばします。
毎日こんなことばかり考えているのかと思われるとアレなんで、

ちょっと仕事しているところも見せておこう。
こりゃクラッチですな。クラッチズリズリ。滑ってます。クラッチが滑る要因としては、まずはクラッチ板のヘタリ、摩耗、油回り、クラッチスプリングのヘタリ、あたり面の摩耗、偏接触、フライホイール側のあたり面の摩耗、などになります。
ただ、このあたり難しいのは、クラッチ板とフラホの相性によっては食いつきが悪い場合もあります。原理としてはディスクブレーキと同じなので、ブレーキでもパッドや、ローターの材質などにより効く、効かないというのがありますゆえ、体感できるかどうかは別にしても、良い悪いはあるということです。
これ、クラッチスプリングの方に錆が回ってるので、ローター(フライホイール)側が削られたということを表してるんですね。
これを再使用するかどうかはあたり面を見て決めます。
また、ディスク面に油も載ってるので、油がどこから回ったのかも確認しなければなりません。
こういったこともあるので、クラッチ交換はエンジンおろしてみないと分かんないことが多いです。
2016.
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06
さて、こうして毎日ブログを更新していると、たまにいらない話も書きたくなるものです。
ヴァーチャルリアリティ、という言葉を聞いたことがあると思います。
仮想現実というやつですな。
仮想の現実ですから、現実じゃあないんですが、現実っぽく見える仮想という感じです。

少し脱線しますが、仮性包茎というのは男子のシンボルが皮を被っていることをいうのですが、これが実は欧米では『ナチュラルペニス』と呼ばれておりごく自然な状態だと言われております。
ではナチュラルではないペニスとは何なのかというと、いわゆる『ムケチング』を指しまして、どうやら一部の文化圏で行われる、新生児男子に対する割礼という、皮をちょん切り、頭を出すというヤヴァンな儀式めいた、児童虐待を受けたモノを言うそうです。
であるからして多くの成人男性のお頭がコンニチワしているというのは大いなる誤解であり、自然な状態では皮は被っているものだ、という主張があります。したがって美容整形などで「男の自信を取り戻す」とかそういう根も葉もないスローガンには騙されてはいけないのですよ、と
こういうの言い出す団体ってだいたい知れてるんですが、日本は割礼の習慣はないですし、半分くらいの人はホッカムリしていないんですけど、そのあたりはどう説明をつけるつもりなのか、私にはよくわかりません。というか、世界の何十パーセントの男性が皮をかぶってるかどうかなんて一体どうやって調べたのかそっちの方が興味がありますが。
なので仮性包茎という言葉があるのは日本くらいなものなんだそうです。
というわけだそうです。紳士淑女の皆さん安心してください、正常だそうです。
私は責任持ちませんが。
なんでこんな話してるのかというと、仮想と打とうとして仮性とタイプミスしただけです。
次回はちゃんと仮想現実の話をしましょう。
2016.
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05
さて、今日はビートルのバックランプです。
バックランプ点きません、ということがよくありますが、原因はほとんどヒューズかアース不良か、電球切れか接触不良か。
そんな感じです。

ヨーロッパの車というのはたいてい電極端子がむき出しになってます。対して国産車というのは不用意に端子部分に触れないような作りになっているものが多く、ヒューズなんかもガラス管ヒューズが一般的でした。(現在は国産も洋車もブレードヒューズを使用)
そしてヨーロッパ車はむき出しのため、だいたい誤ってボディに触れたりするとショートしてしまう作りが多いです。
さらに無防備なため、端子そのものが錆びやすかったり、劣化しやすく、古くなるとしょっちゅう接触不良を起こします。
我々日本人からすると、いい加減そのあたりを考えないのだろうかと思うのですが。
ショートしてテールランプ基盤が燃えて溶けようと変える気はないみたいです。
ヨーロッパ車は電装が弱いというのは今に始まったことではないのですが、このあたりの意識が関係しているのは確実と言えそうです。今までそれでやってきて、当たり前になってるから改良する意識は持たない、これはどうなんだろうと思います。保守的なのか、怠慢なのか。
一方、突然革新的なこともするから、なんか不思議。車づくりの観点からすると日本の方がよほど保守的なんですけどね。
ま、このへん改善する余地はいくらでもあるんですが。
ヨーロッパ車の電装を日本製に変えたら、日本車は太刀打ちできないほどいい車ができるだろうな、とは一面では思います。
このヨーロッパ人の電気音痴感覚の点で面白い話が見つかったら、また続報します。
2016.
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04
なんか暑いぞ。
残暑というには残りすぎな今日この頃。夜になると涼しいとはいえ、なんかもう、わけわからんわ。
というわけでまだ現時点で、ほぼ夏と変わらない格好をしています。
Tシャツ一枚でうろついていてもいいんですが、なんとなく空気感というか、上に羽織るものを持って行ったりしますが、あんまり活躍しませんねぇ。

最近枕を買いました。
まあまあ高い、良い枕(といわれている)
というのも二年前に寝違えて以来、常に首に違和感が残るようになったんですな。それが歳のせいなのかどうかはわかりませんが、肩こりも併発するようになって、毎朝首痛いわ、腰痛いわで、まあまあつらい朝を迎えてたわけです。
それが枕を変えた次の日にびっくり!
ってほど単純じゃございません。なんかましになったってくらいで、根本的には変わらんような気がします。
医者に行けという話もありますが、そのうち行くかもしれません。
こういう時は何科に行けばいいんでしょうか?
マッサージチェアとかなんでみんな買うんだろうと、昔は不思議に思っていましたが、最近はよくわかります。幸いまだ腰はやっておりませんので、そのあたりはこの業界にいて快挙かもしれません。
というわけでボディの痛みが気になるところ。
あー自分の体とかオーバーホールしたいわぁ。
明日は血沸き肉躍る嵐だそうです。
皆様お気を付けください。
2016.
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02
まあ、上から来たり、後ろからぽっかり来たり、前からずんずん来るのは、何も我々の頭だけではござんせん。
相変わらずビフォーを撮らないのは何故かと、突っ込まれそうですが、忘れてました。

天井というのはもっとも紫外線が降りかかる部分ですので、当然痛みは早いです。
それと男の頭が関係あるのかは知りませんが、紫外線というのは樹脂を分解させます。ご存知のように塗料というのは樹脂(大まかにいえばプラスチックやビニール)を溶剤で溶いたもので、硬化した時点から劣化を始めていきます。
その劣化を速めてしまうのが紫外線という光の波長でありまして、ここのところは屋根付き車庫に入っている入っていないで、ずいぶんともちが違ってきます。
もちろん、天井と同じ角度のボンネットもダメージは同じように食らっています。

家の屋根も、瓦は最強です。ただし隙間だらけで靭性がないため、割れたりずれたり、躯体の変形で崩れたりします。それをよりスマートに、軽量に、デザイン性を豊富にしようと開発された、カラーベストなどというものだと、やはりあまりもちません。
石油的に合成されて作られたものというのは延べて劣化が避けられないようでして。
そう考えると、古代遺跡は石で出来たものしか残らなかった、ともいえるわけで、本当はプラスチックとかもあったのかもしれません。
というあたりで、悪い癖が出そうですので今日はここまで。
2016.
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01
ベルトサンダーが壊れた。
我々の業界ではそれはそれは使用頻度の高い便利工具であります。
おそらく空圧工具の中ではインパクトドライバーの次に使っているかもしれません。
興味のない人には何ら面白くない記事かもしれませんが、最近家電や、これらの修理事情というものにも若干関係してきますので、まあ暇があれば一読を。

この工具のことをつらつらと書いたところで、面白くないので結果から言いますと、一センチ足らずのベアリングがぶっつぶれたのが原因で作動不良を起こしたわけです。
こういった場合、工具メーカーに修理を出すんですが、それだと納期がかかる、お金もかかる、ってわけで自分で治すことを考えるわけですな。
要は該当サイズのベアリングを用意して、圧入しなおせばいいだけなので。

さきほど、普通は工具メーカー(この場合はMAC)に修理を出す、と書きましたが、最近は家電関係にしても、修理となると一律料金制という形をとっているところが多く、一度の修理でたとえば一万円で悪いところをすべて直す、といった旨の修理方法を提示してきます。
ですんで、たとえば部品代が300円で、交換が五分しかかからないような作業でも、修理に出せば一万円です。
ならば部品だけ売ってくれよ、といっても、売ってくれない。
でも直すには修理しかないから結局、一万円以下の商品なら買いなおした方が安いということになるし、微妙な値段帯になると、我慢して使い続けるか、憤慨しながら修理に出すしかないという判断になるわけです。
これ、ある一面では、要するに人件費であるという解釈もできるんです。どれだけ人が動くかの金額が一万円なわけ。
一見正しいようにも聞こえますが、実はすごく変なんです。
なぜなら、部品代はタダと言っているのに等しいからです。
たとえば100が完品状態として10パーセント壊れている商品と60パーセント壊れてる商品の修理代が同じだなんてどう考えたっておかしいんです。差分の50パーセントって、じゃあ人件費から差っ引いてるってことかよと。
トータルで差し引きトントンになればいいと考えられるのは同一の顧客との取引内だけであって、自分たちの事業内でトントンになっているからというのであれば、それは顧客を差別していることにならんかね。
と、この辺りは厳密にいうと商取引法に抵触するんではないかと。
そんなわけで、今回は自分で直せる範囲のことなので、自分で部品探して組み込んで直しました。それでも部品の送料とかで二千円弱はかかってるんだけど。
資源を大切にと言っている割に、物を大事にしないし、大事にできない社会をどんどんメーカーや社会体制が推進してる様は、どうなのかって私は思います。
いや、どうなのか、ではなくダメです。
ですから、社会がそういう欺瞞を行っている限り、私は人類の提唱するエゴロジーには異を唱え続けます。