幼稚園児に真っ向から勝負して自己弁護する

2017. . 11
このバスはどちらに走るでしょう?

という問題。 幼稚園のお受験に出る問題で、三歳児は即答するらしい。
そして大人はウンウン悩むらしい。

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これをして、よく「大人は物事を考えすぎる」「子供の素直な思考は素晴らしいね」的に自戒及び賞賛するのが毎度のパターンですが、今日は真っ向から幼稚園児と勝負しようと思う。

まずこの画像。圧倒的に情報量が足りない。
この情報量では右でも左でも正解になる。


少し考えてみてください。
どーですか? わかりますか?
一応日本の話とします。





これは左走行車線の国の話なのか、右走行車線の国の話なのかを絶対に前提しなければなりません。
なので、国によっては正答が真逆になるんです。
仮に日本だと画面向かって右方向に進むのが正解で、アメリカだと左。

なぜか? ボディ側面に乗降口がないからであります。つまり日本を走るバスは必ず左側に乗降口があるからで、それがないボディ側面は右側面ということになり右方向に動くということになる。


これは卑怯ではないかと。

乗降口がないから右側面であると判断するのはいいとしても、それはリアルなバスを見てそうだと捉えられることのほうが大事なはずであります。こんなバスは存在しないのだから、これを正答できたところで何の意味もない。だって乗降口も省略されてるかもしれないじゃないですか。

そんなデティールの話をするなら、なぜフロントガラスとリアガラスを同じ大きさにするのか? ヘッドライトとテールライトくらい描けよ、とか、エンジンの吸気口がないぞ、とかエンジンスペースがねぇよ、とかそもそも運転手が乗ってないんだから進まねぇよ、とか大人げない私は思うのであります。

少ない情報量で判断できる力は必要です。
ですがそれは、多分とか、可能性の問題です。
数えるくらいの線と単調な色使いから、精緻性のレベルを推察しない限りは答えの正当性を得られません。
これが出来たからと言って頭がいいとはとてもではないが思えません。
逆にこの問題に迷いなく「ドアがないから右に走るよー!」とか無邪気に答える子供は意外にバカなんじゃないかと思います。

どちらとも言えない、わからないと答える子供は普通で、その理由を考えることがむしろ重要な事ではないだろうかと思います。
つまり結局どれも正解で、「どのように考えてそう答えたか」、というのが本当の知恵というものではないかと思います。

歩道から見てる自分の経験則から、バスは左に進む、という答えをしても間違いではないし、画面上のバスの位置がやや右に偏っているから右に進んでいる、と答えるもよし、後ろの木は中央分離帯に植樹されたものだから左、見ている位置からして道路の面積が手前に広いので対向車線にあると考えて右、私が答えたようにそもそも人が乗っていないから動かないとか、これはバスなどではないと、真っ向から否定するのもありだと思います。

もちろんジブリの『ネコバス』をみて正解を間違う子供はちょっと困った子だと思います。

子供は限られた条件内で答えを見つけ出すのは得意かもしれません。
しかし、様々な状況に鑑みて、答えを保留し可能性を勘案する必要があるのが大人です。それが出来ない大人はバカだと言われます。

ですから、大人は悩んで当たり前なのです。

出来なくてもがっかりする必要はありません! それはあなたが大人であるという証拠なのです!

この問題を我が子にさせて『ドアがないから右に進むよ』と答えたなら、ぜひ大人の思考を叩き込んで混乱させましょう。

くそっ、どーだ、幼稚園児め!





――え? 


てんちょ、解けなかったんだろうって?




ま、まあな――私は車屋だからな、そこはうるさいんだよ。


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水道橋重工のクラタス

2017. . 24
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我々の業界でもそうですが、しばしばクソ真面目にいい大人が馬鹿なことに大金を注ぎ込んで、多大なリソースを消費することがあります。

そういう行動って、無駄とかもったいないとか、意味ないとか、その手のことに理解がない人や、外部からはやいやい言われることが多いですが、それなら私はスポーツでも音楽でも芸術でも、あんなもん全部ムダじゃねーか、と言いたい。
世の中の娯楽はスポンサーがいて、観客がいて、お金が動かなきゃ成り立たないものなのか。そしてそれはお金儲けの手段でしかないのか?


たとえば、こんな人達。

THE GIANT ROBOT DUEL  ←これ。



知ってる人はしってると思うけど、クラタスって巨大ロボとアメリカのロボが戦うってイベントです。先日の18日に行われた決闘です。もっと話題になってもいいような話なんですが、マスコミ入れてないんですよね。
双方で一年以上前から計画していて、やっとこ今回実現しました。

日本側のロボ『クラタス』を作ったのが倉田光吾郎さんという『人が乗れるロボットを作ってデュエルをやりたい!』という一心で本当に作っちゃった人です。本業は鍛冶屋と造形作家。すんげえ技術とアイディアを持ってる作家さんです。
クラタス制作当初からずっとブログなどで追ってきた私としては、「本当にロボ同士で殴ってるよ、すげー!」と感無量。

映像上多少なりの演出はあるかもですが、ほんとうにロボットで殴り合いする時代が来たのかと思うと、正直驚きました。(各種のトレーラー映像も作り込みがヲタっぽくて、相手のアメリカ人もステレオタイプでめちゃ面白い)
倉田さんはお金儲けでやっているのではなく、本当に趣味と情熱だけです。(多分お金をいくらでもかけられるなら、もっとすごいことができるんだろうけど)個人が考えていたことが形になって実現するさまを、我々は間接的ではあるけど目にすることが出来ているのだなと。

現在もロボコン、などのロボットコンテストがありますが、ロボ対戦リーグなどが出来たら、企業が参戦してくる可能性もあり、もっと面白いものができることでしょう。同時に安全性が問題になってくるかもですが・・・

こんなすごいことなのに、まだまだ知名度が低いので、ぜひ皆さんにも見ていただきたいと思って紹介いたしました。
世界初ですよ。搭乗型のロボットで戦うのって。新たな歴史を刻みましたね。

そしてここまで本気でバカをやると、馬鹿なことも実現するといういい見本かと。
思えば実現する。そのエネルギーは情熱とアイデアだな。

クラタス スターターキット

ちなみにアマゾンで買えます。1億2千万円ですけど。

夜中の0時にハーゲンダッツを買いに行くという話

2017. . 15
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夜中の0時にハーゲンダッツを買いにいけるほど、我々は贅沢なんです。

なに? 意味がわからない?

では、少し説明しましょう。

食後にまったりテレビ見てると、「あ、アイス食べたいなぁ」と思い立つ。
やっぱハーゲンダッツだよね、と、近くのコンビニにあるよね。近くっていっても500m位離れてるけど。
雨降ってるけど食べたいし、まあ車で行けばすぐだし。
ついでに雑誌でも買って帰る。
ああ、家でまったり漫画読みながら食べるアイスは美味しいなぁ。

こういう経験ないですか?

つまり、我々日本人というのは思い立って5分ないし、10分後くらいには、思ったことが実現しているのです。

無論、ハーゲンダッツのケースにおいては、です。
その他、コンビニに売っていない商品になるとこうはいかないかもしれませんが、明日、ないし通販を利用して明後日くらいには間違いなく手元に届いていることでしょう。これがどれだけ贅沢なことか。

そして得難いことか。

そんなの当たり前じゃん、って思います?
例えばこんな話。




アフリカ大陸において最貧国と言われる某国に住む少女マンサは、僅かな賃金を得るガイドの仕事の途中で、海外旅行者の話に耳を傾けていた。その何気ない会話の中で、それの存在を知った。
ハーゲンダッツという世にも美味なアイスがあるらしいことを。
なんとそれは、たった一つが自分たちの3日分の給料に相当する値段なのだ、と。

アフリカにアイスクリームがないわけではない。マンサも食べたことはある。だがそう気軽に買えるものではない。
アイスを食べるためには電力供給が安定している町にまでゆかねばならないし、店まで行っても冷蔵庫が常に動いているとは限らないから、いつでもあるわけではない。何より食費と別にそれを購入すること自体が贅沢だ。

だが、3日間働いたお金を貯めれば、そのめくるめく夢のような、世界のセレブが口にするアイスクリームが食べられるのだ。
マンサは頑張った。しかしたった3日分の給金、アイスに充てるためのお金を貯めるまでに三ヶ月を要した。
お金を握りしめたマンサは、アイスクリームが売っているという、この近くで一番大きな街へと三時間歩いてたどり着いた。

「え、ハーゲンダッツ? なんだいそりゃ」
店主が困ったような顔をしてマンサを見ていた。なんとこの店主はハーゲンダッツというアイスがあることすら知らないのだ。
もっと大きな街に行けば売ってるかもしれない。だがそれには交通費が必要だ。そこにもなければ国境を越えてアフリカでさらに大きな街に――いや、いっそヨーロッパまで飛べば……。

だめだ、とてもじゃないけど、そんな旅費は出せない。もはや交通費だけでハーゲンダッツを買う金額などゆうに越えてしまうし、それだけのお金を貯めるのに一体何十年かかるかわからない。

自分が知っているこの世界は、ほんの小さな世界だ。おそらくは、この国から出ることなど多分一生かなわない。
おそらく、一生、ハーゲンダッツを食べることはできない。
彼女は肩を落として、稼いだお金を大切にバッグへとしまい、家路へと歩いた。





レートなどはでたらめですが、だいたい言いたいことはわかってもらえると思います。
我々は、アフリカの小女マンサが一生かかっても(おそらく)食べることができないハーゲンダッツを、ものの数分で攻略できてしまうという格差が明らかに存在するということです。

仮に「アフリカの某国にハーゲンダッツを流通させ、24時間購入できるようにする」と考えてみましょう。
しかし、すぐに無理だと結論できます。

アイスを売るということは、冷凍設備の完備、すなわち電力供給が欠かせません。まず、ろくに電気が供給されていない地域がアフリカだけでなく、世界中にはあちこちあります。電気だけでなくガス、水道、道路、線路、ネットはもちろん、あらゆるインフラが整っていません。

さらに、夜中は物騒で、女性が一人で暗がりを出歩くなどもっての外です。
当然ですがそんな深夜に機嫌よく商売してる店なんかもありません。
それに、商売にならない地域に企業は店舗展開もしないですし、情勢不安な土地に商品を卸すということには、メリットどころかデメリットしかありません。

お金はあっても買えないんです。

規律正しい社会環境というものが伴って、初めてお金は本来の価値としてバランスが取れた状態で使えます。


我々の側の話に少し戻します。
まずハーゲンダッツというアイスクリーム会社。
創業は1961年アメリカ。日本では1984年から2013年まで実店舗が存在したのですが、今はコンビニやスーパーなどで、パッケージ商品としての販売方法がメインです。
日本でも少し前、今から二十数年ほど遡りましょうか。その頃はさほどにハーゲンダッツがメジャーではありませんでした。なにせ実店舗までいかなくては食べられませんでしたから、食べたことがないという人も、その存在を知らないという人もかなり多かったのです。

マンサほどではなくとも、隣町、あるいは都市部まで越境しなければ食べられないという環境であり、アイスクリーム一つに交通費を重ねなければいけない、一食数万円かかる食べ物でもあったわけです。(おそらく実際に、アイス好きの人はそのくらい払ってハーゲンダッツを食べに遠征した人もいるでしょう)これも贅沢な話ですが、逆に言えばお金さえあればなんとかなったんです。新幹線があります、高速道路もあります。

今のようにコンビニが各地、各地域、各自治体、各町レベルに一軒あるような時代になりますと、自転車でも歩きでも買いにゆくことができます。しかも24時間いつでも。
真夜中にコンビニまで買い物に歩いて行けるというのが、どれほどまでに贅沢なことか。

ある意味で我々は全体でこの社会構造を分け分けしながら維持しています。原付きに乗れるということも含めて、我々は働いたお金の幾分かを税金として収め、道路を作ったり街を作ったり、外灯を立てたり、治安維持の人員(警察消防)を雇ったりしています。

そしてコンビニという年中無休の店舗を、商品価格の一部に混ぜることにより、間接的に店舗維持に貢献しています。
皆が少しずつ身を削り、企業との利害が一致した結果、我々は望んだ大抵のものを数分のうちに手に入れることができるようになりました。

これが社会における豊かさというものです。

欲望がすぐに希望に移り変わり、実行の末、満足を得る。この時点における対価(金銭や燃料費、道中のリスク)というものをどれほど勘案しているかというと、ほとんどしていないでしょう。
むしろ我々は、コンビニに行ってハーゲンダッツが売り切れて、なかったということに喪失感を覚えるのではないでしょうか。
それは望んだものが当然手に入ると考えていたからです。

我々は、現在そのような社会の上に生きています。
この世界から見ればごくごく一部の、相当裕福な国に成立している社会です。
この小さな社会の中では、この実現力の凄さがわかりにくいかもしれません。
だから自分たちはそれほど豊かではないと感じるのかもしれません。

でも違います。

むっちゃくちゃ豊かです。むっちゃくちゃ恵まれてます。
物質的には地球上で最も豊かで恵まれている国といって間違いないでしょう。
ほぼすべての国民が、(極端なものを除き)望んだものを手に入れられる国です。
少なくとも、多くの国民が希望をもって努力をする意味がある世界です。人類史に記されている限りで、こんな社会を作ることができた国は古今東西どこにもありません。

行きたいところに行けて、欲しいものが得られて、美味しいものが食べられて、明日が間違いなく来ると確信できるのは、自分たちが資産を持っているからというだけではないのです。

下を向いて歩けというお話ではなく、今自分が歩いている足元の道路のことも考えてみよう、という話です。

ま、選挙もありますし、ちょっと考える切っ掛けがあったものでして、そんなこと少し考えてみたんですよ。

ガラにもなく。








写真を撮る!

2017. . 11
今日は在庫車の写真撮影してきました・・・が、写真選びきれんかったのでまた明日にでも。

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少し写真の話。
写真て、撮るのは一瞬なんですが、撮るまではすごい時間をかけます。
例えば風景を撮りたいと思えば、機材を用意して、その場所まで赴き、アングルのセッティング、光の加減など、理想の条件が揃うまで待つ、あるいはその日は撮影を断念する、なんてこともある。

ヌード撮影なんて、まず女の子オトすところから始めなきゃならん。人によってはお金も使うだろうし、時間もかかる。
ま、「女の子脱がせるなんて朝飯前っすよ!」なんて色男もいるかと思いますが。

絵は一瞬では描けないけど、技術さえあれば思い通りに描くことができる。どんな荒唐無稽な絵でも。

写真は、他者に依存してる部分がすごく多い。
ざっくりいうと、それに対しどれだけ依存できるかというのは人や物とのコミュニケーション能力なのだろうと思う。
つまり、くっそ寒い山に登って、一晩中星空にカメラ向けることができる、ってのもコミュニケーション能力の一つなんすな。

私の場合、あくまで商業的な写真なので、その車がよく見え、価値を高めるよう写すのが基本なのですが、実のところあんまりそういう気持ちを持ってません。その車が持つ“良さ”というのを写真に収めようと考えてるだけです。
私がいいなと思っていることが、誰かに通じればいい。
これを欲しいなって思ってくれる人が一人でもいればいい。

どうせ買えるのは一人だけなんですから(笑)

だから、絵や写真、音楽でも小説でも、立体造形でも、料理でもデザイン etcでも、一人でもいいと思う人がいれば価値があるといえるんです。

それがたとえ作った本人一人だけだったとしても。






お、いいこと言った!



ちょっと早いハロウィンな話

2017. . 05
秋っぽく、ビートルもオレンジに色づきましたね。

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いやぁ、秋も真っ盛りでございます。そろそろ肌寒くなってきて冬の予感もいたしますな。
冬の入口というのは、欧米ではちょうどハロウィンにあたります。

そのむかし。
キリスト教とは何ら関係がない異教の祭りであるハロウィンが広く親しまれるようになったのは、祝日を上書きすることに長けては随一のカトリック教会が、クリスマス、バレンタインに続きやらかしたおかげとも言えまして。まあ、そこんとこは今日は詳しくお話しません。

そもそもの興りは古代ケルト人のドルイド信仰におけるサウィン祭に起源があると言われており、これは10月31日を境に旧年が終わり、11月1日から新たに始まる冬の季節、すなわち新年を迎えるための祭りであったといいます。

グレゴリオ暦が採用されるまでは、各国各地域、各民族でそれぞれ新年や一年という概念は様々であったのですな。
古代ケルト人の文化圏では、この時期この世とあの世の門が開くと信じられており、その際に悪い妖精が家に入り込まないようにと、祭りから持ち帰った火を自宅の暖炉へと移し、家族の息災を願ったというのがハロウィンの原型。

で、仮装するってのはお化けが基本で、その悪い妖精を逆にビビらせるため、百鬼夜行の真似事をしたのが現在のコスプレ祭りに通じているんだとか。ですからアニメキャラとかヒーローとか、そういうの本当はナシです。

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ちなみに百鬼夜行ってのは、大昔から日本の階段などで取り上げられる題材で、物語や絵になっております。

もののけが街道を練り歩く様子を描いたものを『百鬼夜行絵巻』と言いまして割に有名な絵巻です。これに似たもので『付喪神絵巻』という百鬼夜行絵巻に似たような構成で描かれた絵巻もありまして、こちらは妖怪や鬼というよりは、人が使っていた道具や食器などが物の怪として変化したもので、生意気にも人間を襲いに来るというお話なのですが、ま、そこは最後は坊さんに退治されちまうのですが。

うちにも出ましたよ。

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まだ履けると思ってたのに、突然化けました。

歩くたびに反抗的な態度をとるので捨ててやりました。

そう、それ以来夜な夜な私の枕元には靴があらわれて――――なんと朝起きたら靴の中にプレゼントが! うっおおラッキィイ!

って、何の話か。

もうすぐクリスマスですね。

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