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電話の向こうのあなたに

2021. . 26
てんちょのあやしいはなし

最近電話の向こう側は女性な事が多い。別に嬉しいわけではありません。

それだけ女性が社会進出しているということでもあるのだろうか。

等と書いている時点で、我ながら前時代的な人間性だなとは思う。
今時、仕事のことで、男とか女とか、若いとか老いてるとか、そういうことに言及してはいけない事は重々承知なのだけど、仕事の程度如何でどうしてもバイアスをかけてしまうことがあります。
さあみなさん、ここまで読んだだけでも、私が女性蔑視者だと断定したくてうずうずでしょう。

別に私は、相手が女だからといって横柄にでたり、イヤラシイ口調で舐め回したり、ママンな甘え上手になったりはしません。あくまで理路整然と要件のみを的確に伝えて、よろしくお願いしますと、街の車屋らしく、慇懃になりすぎないよう心がけているつもりです。

ところがところが、相手さんがあまりに「足らない」となると、叱責のひとつもしてみたくなるくらいには、お節介な大人心を持ち合わせています。

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営業電話なんかでも、電話口でのマナーがなっていないと、あやしい会社だと思われてしまいがちです。
この前かかってきたのは、NTTだったんですけど、テレアポのお姉ちゃんの語りからして「どうせまた、例のNTT騙りだろう」と高をくくっていました。ですが、どうやら話を聴いてると本物のNTT直下の部署だという。「皆様にNTTのサービスに対してのご意見やご不満をお聞きしています」と――もちろんこの後に営業があるのですが。

それにしては、社員かバイトか知らんが、お粗末な奴を雇っているな、と。
まず、まともに敬語が使えない。丁寧語もあやしい。文法もなってない。語彙力が乏しすぎる。自分の携わっている仕事への知識がなさ過ぎる。何を教えられてその電話口に就いているのか。

あまりに、あまりにひどいので、
「ねえ、おねえちゃん。あなたの上司に代わってくれるかな?」と。
「へっ!?」
「うん~、いいから代わってくれるかなぁ~? 保留にしても待っててあげるから」
そうして代わるまで数分。上席の男性社員は女性スタッフではわからないことを答えるための要員でもあるらしい。だから、
「どういったご質問でしょうか……」と。
「あのね……」
そこから数十分間説教です。
私は他人様に説教するほどエラくもなんともないですけど、そんな私が説教してもいいよね、答えは聞いてない、と言わせんがごとき、御社の社員教育がなってないので、もうそれは仕方のないことだと諦めていただきたい。

私は、営業の電話をかけてくるなといっているのではありません。
つまらない、不快な思いをさせるような電話なら、かけてくるなと言っているのであり、楽しく心が豊かになるような会話が出来るなら、営業さんだろうと詐欺師だろうと、電話でお話しするのはやぶさかではない。

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最近の若者がー、とか言いたいわけではないのだが、敬語や丁寧語というのは使わないと覚えられない。つまるところ、そういったシーンに現実でぶち当たらなくてはいけないのだけど、携帯電話が普及してからこっち、極端に相手の家族などと会話する機会が減った、メールやラインなどで用件を済ませるため口語での表現域が育たない、という事はあるだろうと思う。
時代の流れが確実に、礼節や言葉や文化を破壊していっているように思います。

そのような古くさいイデオロギーにこだわっていると、きまって左派リベラル共が、多様性を認め、格差を無くそうと声高に攻めてくる。
いうは耳障りも口当たりもいい結構な文言ではあろうが、私が思うに、それを口に出来るのは、多様性の意味や格差の意味を重々承知し、現実に依然それらがあることを受け止め、実感でき、問題視し普遍化しうる者だけであり、自身の日常に転がる些細な格差や差別などから感じ取って不快だったので、多様性と格差、差別がない世界を目指します、今の世界は歪んでいます、などと簡単に口にするなと言いたい。

はっきり言って差別も格差もある。必要な場合もある。多様性を認めてはいけないシーンもある。そのすりあわせが出来ないまま、いつだってコトバだけが先回りしてストップ映画泥棒である。

仮に文言通りに差別をなくし多様性を認める、を地で行ったら、明らかに男性の姿をしているのに「心は女ですっ!」といって女湯に入る事を看過しかねないのであり、そんな世界がまともかどうか、よくよく考えてみれば解ろうものです。

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数日後、お客さんの自動車事故の話で、大手保険会社とやりとりするシーンがあったのだけど、話したのがそこの(おそらく若い)女性社員なのだが、(重ねて言うが、別に最近の若者に限ったことではないのだが)これが何週間も経っているのに一向に連絡を寄越さない。どういうことなのか、どうなっているのか、とこちらから電話をしました。

ミスを指摘すると「自分は悪くない、こうこうこういった理由があって、それで出来なかったのだ、だから私にあるのは最低限この部分のミスだけである、遅くなったことはすみません」と、そのような言い方をするのです。

責任を矮小化したいのはわかる。誰だってそうなのだから、それについては何も言わん。アホとかボケとか死ねとか、私はそういう無駄な事は言わん。だけれども、そこまで状況把握が出来ているのに、なぜ今この事態になるまでに軌道修正や、危機の管理が出来なかったのかその部分を見直さなければいけないのではないかと問いつめる。

なのにこの説明がわからない。
説教されている意味が解らないから、その後に、こちらが要求していることの意味も解らない。
理解を求めても、そういう人間は必ず、オウム返しで返答してくる。
なぜならこちらが言っていることが理解できないから、否定も肯定も下手に出来ない、してはいけない、と「かんがえて」いるから。そしてこの難解な話を終わらせようと画策してくる。

何も私はそいつを貶め懲らしめてやろうなんて魂胆はないのに。

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私はそうやって責めたてられたら、逃げに走る女性就業者をたくさん観てきました(というか電話で話してきました)もしくは相当強く言われないと動かないひとも。もちろん全てではありません。しかし男性にはそういう人はほとんどいません。ゼロといってもいいです。
だから、電話口の女性に対しては偏見があります。自動的に格下に観ています。
無論、その話しぶりや、論理展開の仕方によってはいくらでも見方を是正しますし、こちらが平伏することだって憚りません。私のことを女性蔑視者と罵っていただいても構いませんが、ジェンダーバイアスと同時に取り上げられるアンコンシャスバイアスというものをご存じでしょうか。

女性だから、それだけで格下に観られる。
そういう理不尽なバイアスかけられるってのが差別ですよ。その憤りはわかります。
でもね。
男性なんてひどいもんです。
男性というだけで、痴漢の予備軍ですからね。
そういうバイアスかかってるんですよ、世間ではね。無意識にそういう見方をしても良いと、そういうい見られ方をしても仕方がないと、双方が納得してしまっている。これが無意識の偏見(アンコンシャスバイアス)です。

そんなわけで、どういった経緯かわかりませんが大手の保険会社に就職できても、そんな体たらくなのは本当に残念です。何が残念って、そいつの代わりにもっとマシな人間いたかもしれないじゃないか? というのをいつでも思うのですよ、他人の会社の事ながら。

いい加減話疲れてきて、その女性社員に辟易してきたので、
「上司に代わって」
「いえ、あ……」
「いいから代わって」
「いえしか……」
「かわって」

「おまたせしました。私、上席の――」

「はあっ? また、女かっ!」

すみません、この時ばかりは最高にエキサイトして唾棄してしまいました。同時に笑いました。
てっきり男性がでてくるものだと思った。もちろん偏見です。
無論この上司、年の功もあっての事でしょうが、それなりに経験も積んできているだけのことはある。普通に話せる。納得もさせてくれる。誤解も解いてくれる。

ちゃんと仕事が出来るかっこええ女性も知ってます。尊敬するような女性だっています。
女性だからといって、誰でも彼でも認めないとか、そんなスタンスではないのですよ、私は。
女性のことが憎いわけでも嫌いなわけでもありません、むしろ好きです。
そうでなければ、女性と恋愛なんてしません。

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ここまで書いておいて今更なんですが、今日は別に電話口のねーちゃんをDISる話が書きたかったわけではありません。

この件の後日談を話しておきますと、どうもこのところの保険業界は、事故車の立ち会い、現認をし、自動車修理店と保険金折衝をする「アジャスター」という専門の部門があるのですが、そこをすっ飛ばして効率化しようとしているのか、折衝も何もなく、いきなり金の話と過失割合の話をし出す。これがその大手保険会社の出来ないねーちゃんの話です。問題の発生もアジャスターとの連携が出来ていない事に端を発しています。

アジャスターというのは文字どおり調整する仕事であり、保険会社と修理工場との間を取り持つ役目をするしごとで、それには自動車修理の知識や事故時の想像力が必須になります。そうでなければ車屋に言いくるめられるからです。車がどのような挙動で動くのか、どのように反応するのか、どのように当たればこういう壊れ方をするのか、そこに双方の言い分の矛盾が生じないか、など。客観的な視点をもって話を構築できなければ、誰も納得などさせることは出来ないのです。

当然だけど、デスクに張り付いているだけの女性社員が事故のことなど解るはずもなく、見積もりの内容を見たところで理解も出来ないでしょう。そのための専門の人間を配置しているのに、そこを省こうという流れになってきているそうです。(アジャスター談)

私が思うに、要するに修理金額で揉めて解決が遅れて人件費が嵩むくらいなら、本社の女性社員でも出来る金の話にさっさと持ち込んで示談させてしまおう、という流れなのではと思います。
それでいいケースもあるだろうけど、「結果」と「納得」は常にセットではないということは覚えておいたほうがいい。「結果」は事実を積み上げれば自ずと導き出されるものだけど、「納得」は人の心情に依存するのであり、必ずしも結果が出れば納得するものではない。

納得するのが人間なら、納得させるのは人間でなくてはいけない。それが自分自身であっても他者によるものであったとしても、どっちでもいい。


ずっとモヤモヤしていた事だったのだけど、結果ばかりが重視されて人の気持ちがなおざりにされつつある、そのように世間が推移していっているように思えるのです。
事の発生と経過と結果という事実だけに目を向けて、それらを根拠に法を動員し、権利や保障、賠償や訴訟、非難や批判、情報の操作から誘導まで、そこに人の意識が介在していないようにすら思えます。要するに、機械でも判断できるような話にすり替わる。

何いっているのかわかんないかもしれませんけど、人間がアホになってきているのかもしれないなと。本来持ち得た思想を失っていって、楽な方に流れている様な気もします。

今回だけではまとまりそうにない話なので、またいずれの機会にお話しするかもしれませんが、そのうち忘れてるかもしれませんので、その時はあしからず。











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エビデンスを10回唱えよ

2021. . 18
コロナ批判、わくわくチンチン批判も控えておかなければ、我が身も危ないかなと思わないでもないので、今日は徹底的にコロナショックを肯定的に評価してみようと思う。

まるで長い雨のトンネルからぬけだした、晴れの日のような気分で読んでいただきたい。

てんちょのあやしいはなし

もうね、パパイヤをPCR検査にかけたら陽性反応でた、とかそんな世迷い言は喧伝してはならんのですよ。そんな時代ではございません。

PCR検査。
皆さんよく勘違いしていることですが、PCR検査でコロナウィルスそのものが見つかるわけではありません。検体から新型コロナウィルス(とおぼしき)遺伝子配列におおおそ合致した「なにかそれらしいもの」が見つかると陽性反応が出る仕組みになってます。で、PCRに使う検査機会の設定次第で、色んなウィルス(らしいもの)を検出して陽性にも陰性にも判定結果が出せるという、とても感染症診断に利用するにあたりエビデンスが示しやすい、優れた機械です。

ただ、開発者であるキャリー・マリス博士は無類の女好きで、業界でも変人で名が通っているだけに、自分が作った方法で感染症の診断をすべきではないなどと言い出す始末。
ところがそんな博士タイミングが良いというか、空気が読めないというか、2019年の8月に、コロナではなく肺炎で亡くなっています。それはパンデミックが起こる前であり、その後PCR法がバンバン活用される前年です。実に無責任な話です。

ちなみにこのPCR法、DNAの断片を短時間で大量に増やすことが出来、各種のウィルス診断などの医療のみならず、犯罪捜査にも利用されており、よく聞く「DNA鑑定」などは、この方法を利用しているそうです。人類社会の安寧にとても貢献しています。

しかしながら、遺伝子の合致度の話で思い出すことがあります。
人間とチンパンジーの遺伝子配列の合致度は99%ですから、我々をチンパンジー検査にかけると、確実にチンパンジー陽性になりますから、「猿の惑星」はやっぱり地球だった、という事実も間違いではございません、という結論になることはあまり知られていません。

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今は連日PCR検査をガンガンやってますが、今日陰性だった人は、命に感謝して生きるが良かろうと、その様にもとらえられるのであり、ある意味では自身の生と死にここまで向き合う機会が訪れたのであるともいえます。

なので陰性証明というのは発効していただくと大変有り難い、生と死を司る神をも超越したような気分になるかと思われますが、残念ながら陰性証明の最短効果時間は0秒であり、最長効果時間は次回PCR検査で陽性反応が出る時まで、という大変キャパシティの広いものであると捉える事が肝要であり、長い人生を俯瞰することは大変有意義といえます。

また、同時にマスクと自粛の連続で、不自由を強いられる日々は、これまでの生活が如何に恵まれたものであったのかを、自ら知ることになったのではないかと思われます。
まあ、最近はマスクの性能が上がったのか、あまり言われませんが、ウィルスから完全防護するには「N95マスク」という大変高価なマスクが必要なのですが、昨冬よく言われてた「インフルエンザ患者が全然出なかったのは皆がマスクしてたから」ってエビデンスは通常のマスクにも一定以上の予防効果がある事を示しています。
しかしそんな予防対策下でも、新型コロナに罹患する人は増え続けたというのですから、ウィルス衝突が起きようが起きまいが、同じようなウィルスなのに新型コロナというのは大変厄介なものでありますね。

まあ、人は感謝を忘れる生き物ですから、このコロナショックがなければ、ここまで内省することもなく、ただのんべんだらりとした人生を送り、惰眠をむさぼっていたに違いありません。

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そんなわけですから、PCR検査はとても感染予防に意義のある検査であり、人々は正しく恐怖に陥ることで神の存在を肯定せざるを得ない状況へと導かれてゆきます。
現況居酒屋など、営業を解放して、もうこのままでは食ってなどいけないのだと、自粛の要請を無視する連中が増えつつありますが、まさに秩序を乱す行為であり、神の国の住人としてはまるで相応しい行動とは言えませんね。

そんな中で今春、世界の閉塞感を打破すべく、ついに対新型コロナ決戦兵器とも言われる、わくわくチンチンが登場したわけですが、諸人はこぞって注入に詰めかけ、まるで昨春に起きたマスク争奪紛争時のように、恥を痴で洗う争いが各地で勃発、私の地元などでは我先にと注入会場に詰めかけた老獪どもが、若い市長を吊し上げる様がテレビに流れるという、なんとも痛ましい事件に発展しました。
先日は、現況約60%の国民が一回目の注入を終えたような状況であると、すだれ首相が喧伝されておりましたね。

ちなみにわくわくチンチンをかなり早い段階から国民に注入し終えたイスラエルが示したグラフは、わくわくチンチン注入率を後追いするように、綺麗に感染爆発、死者爆増しているというエビデンスを示しました。
これを愚かな陰謀論者は、わくわくチンチンそのものが感染源なんじゃないのかと、まるで鬼の首を獲ったかのような勢いで指摘しているわけですが、なんのことはない、わくわくチンチンをプログラム通り二回注入して安心した人々が自由に振る舞ったせいであり、また運の悪いことにそのタイミングで、非常に強力な株であるデルタ株がイスラエルを襲った為であります。

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これをして、三回目の接種を推奨する動きがにわかに活発化しており、上乗せわくわくチンチンは贅沢品であるという認識から、デルタ株から身を守る為には必須であるという常識に変わりつつあります。
こうしたことからわくわくチンチンは今後半年ごとに、打ち続けなくてはいけないものとなるため、これもまた製薬会社が儲かる陰謀であるなどとまことしやかに囁く連中がおりますが、常識的に考えて、一つの企業が全世界を巻き込んで、人の命を天秤にかけながら、永続的かつ天文学的な収益獲得を臨む商活動を目論んでいるなどとは考えられません。

また、わくわくチンチン注入による死者がいる、という世迷い言は世界各地で報告されておるのですが、我が国でもはっきりとわくわくチンチンによる注入とその直後の死亡事案に関する関連性は不明である、という実に明快で権力的なエビデンスをもって、わくわくチンチンによる死者はゼロと認定しています。

そういった政府対応のせいもあり、陰謀論者はわくわくチンチンに世界戦略的な化学物質でももられているのではないかと勘ぐる姿勢が常態化しており、回数を重ねて打つと死に近づくなどと言う始末です。実際に先のイスラエルでは、わくわくチンチンを二回目打った「感染者」79名のウチ、78名が死亡した事案に触れ、78名は三回目を接種していなかったからデルタ株にやられたのだと、実に的確なエビデンスを示しております。

そんなこんなで、今世界は一つの真実にたどり着こうとしており、そこに異論を挟むことは人類の夜明けにブレーキをかけることと同義であり、わくわくチンチンは世界人類として注入すべき義務であり、責務であり、宿命であり、フォーチューンであり、その効果効能に関してエビデンスを求める事は実質不可能であり、それは例えるならば、あなたが何故生きているのか、そのことを証明しろという命題に限りなく近い問いかけであり、ともすればそれは哲学的であり、形而上学的考察に等しく、おそらくは我々人類が存在存続する間に、あるいは地球が回り続ける間には問題が解き明かされないであろう事は容易に想像できます。

なので、世迷い言もほどほどに、このパンデミックが茶番であるなどと主張する輩は、マスクもしないでうろうろ、当然わくわくチンチンも打たないし、居酒屋に出入りして、あちこち遊びに出かけてと、好き放題しているのですから、真っ先にコロナに罹って絶滅するに違いありません。

そうなれば人類の敵対勢力は皆無となりますので、我々は何も自ら引導を渡さずとも、何もしないで待つだけで良いのです。
時が来れば、我々はコロナ神の御許、その支配によってもたらされる恐悦愉楽に身を沈め、わくわくチンチンという甘露を舐めながら、なんの憂いもなく未来永劫安楽に暮らしてゆくことが出来ましょう。

さて、エビデンス10回言えたかな?




世界は幸せにならなくてはいけない

2021. . 30
最近目にする、「五輪反対派は応援するな」という文言。
特に反対に偏っていたマスメディアに関しては、開催開幕とみるや掌返しで、オリンピック称賛に鞍替えしたもんだから、最初から「なんとかオリンピック開催して欲しいなぁ」といった淡い期待と希望と応援を抱いていた心優しき人々は、烈火の如く怒りたくもなるわけですが、ちょっと待ってくれ、というのが今回の話。

てんちょのあやしいはなし

このブログを読んでいる皆さんならご存じ、私も反対派です。反対派だったのではなく、今も反対派です。変わりません。

作家の百田尚樹が吠えてましたけどね、五輪に反対していたマスメディアは、アスリートにインタビューする前に、「私たちはあなたたちの活躍の場を奪おうとしていました、スミマセン」と謝罪してからにしろ、と。

一元的に考えるとそう。筋が通っていない。
でもさ、マスコミに筋が通ってないって、何いってんの? 状態なんですけどね。

誰がどの基準で筋を通すの? 局のお偉いさんが番組とか記事とかで発せられる言葉の責任をもって、筋を通すのか?
マスコミ、あるいはマスメディアに人格なんてあるわけない、ってのが私の持論です。だから筋なんて通るわけがない。

ワイドショーに出ている人間も、アレは全てスピーカーであり、人格などない。タレントにしてもアイドルにしても、テレビの前で「そのように振る舞うように」台本通りに動く人形でしかない。番組や週刊誌や記事がどうすれば面白く人々の耳目を引くか、ということだけに全神経が注がれているのであり、たまに役に立つ報道もする、といった程度に捉えるくらいが丁度良い。もちろん番組にもよるが。

不公平なのでオリンピック前に私がどう考えていたかを載せておこう

政府は着々と粛々と、オリンピック中止のプログラムを進めているのではないか。
つまり、
「日本はギリギリまで譲歩し、努力し、それでもやむなく五輪を中止せざるを得ないという苦渋の決断を下した」、というストーリーを練り上げている最中なのではないだろうか、と。

要するに茶番なんですが、政治というのは「相手を納得させることが出来る理屈」を述べられるかどうかだとおもうので、そこには真実も正確性も清廉潔白さも必要ないと思います。

だから今も水面下で、オリンピックは中止になる、という既定路線を進んでいるのではないだろうか。
どうもね、首相をはじめ政治家共がオリンピックを強烈に推している、という風には見えないんですよ。
海外からのオリンピックに対するラブコールも聞こえない。というか海外でオリンピックって話題になってるんですかね?


ドヤ顔で書いていたけど、見事に外れ。
ガースーはギリギリまで観客いれて強引に開催にもっていこうとしていた。「メディアを使って中止になっても仕方ないよね作戦」はいいアイデアだと思ったのだけどねぇ。

で、これは2020年の年末に狂ったように書いたブログの一部ですが、

ただ、現在では元祖マスコミ業界はご存じの通り、業界周辺の利害が優先されることで、受け手が必要としている情報が意図的に発信されない、あるいは歪曲、ねつ造されるなどして、情報源としてややお粗末だという現実を露呈しています。

もっとも、マスコミに属する連中が黎明期から散々ねつ造や印象操作やプロパガンダをやらかしてきたのは日本国内でも同じですし、風向きが変われば向きを変える風見鶏な気質もお馴染みで、これをマスコミ側から言わせれば、「我々は庶民大衆が求めているものを映す鏡でしかない」といったことを滔々と述べるのでしょう。

現に日本においては、終戦と同時にほとんどの新聞社が態度を一転、それまでの国家体勢を批判し、自由と平和と人権といった民主社会の担い手として標榜しました。そのため特定の新聞数社はコミーの温床となって久しいのですけども、まあそれはいいとして。マスコミが言うように我々もまた、卵が先か鶏が先か、まるでマスコミのいいなりかのように、彼らの言い分をトレースするようになって久しいわけです。

しかしながら表現の自由を後ろ盾にした、嘘やねつ造や歪曲も、個人や企業の利潤追求のために行われている事実は、それらがある程度看過黙認されている日本という国の、民主主義的側面を象徴しているかなとも思うわけです。


要するに、大衆伝達は本来の、広く人々に情報を伝える、という意義にひねりが加えられて、人々が知りたいことを流す、という流れになって今のマスメディアが成り立った。そうすることで雑誌や新聞、番組を多くの人が購入する。そこにスポンサードしている企業は費用対効果を実感して、さらに投資する。
たまに隙間で耳にする「電通」とかいう企業は、企業とマスメディアの間を取り持つ広告代理店で、面白いことに何処の業界でも、複数の利害関係者の間を取り持つ「仲介者」という仕事は、一定の規模以上になると恐ろしい権力を握るようになります。同じく人材派遣会社というのも昔風にいうと奴隷商人のようなお仕事ですから、大変旨みがあります。

ですから、そのスポンサーから依頼を受けている広告代理店の意向は絶対、という構造が生み出しやすくなる。なんとなれば出資者の都合の悪い情報を流せば番組や紙面の存続脅しともとれる伝家の宝刀を抜く。
そうしてマスメディア操作を行えるようになる。
太平洋戦争時でいうなら、大本営発表以外の情報はまかりならん、とした、国家権力によるマスコミに対する検閲と、情報操作が行われていたのであり、前述の私が書いた「メディアを使って中止になっても仕方ないよね作戦」はそれに類するもので、実に非民主的手法です。

ただ、民主政治を唱えたところで、実のところ民が賢くなければそれは単なる衆愚政治に成り下がるだけで、民間から選出されたバカな権力者がバカな民衆を先導する。また権力者は自らの基盤維持の為に、愚かな民の意見を聞き入れ、政治を歪めてゆく。
その一端を担っているのがマスメディアであり、テレビが阿呆で、政治が阿呆なのは、結局民衆が阿呆だから、という三段論法で結論出来ます。

だから、優れた絶対権力者の下で行われる独裁政治が素晴らしい、という考えもあるにはあります。

半島の金豚が聖人君子なら、あの国は素晴らしい理想郷となっているでしょうけど、残念ながら地獄でしかありません。

話を元に戻そう。

オリンピック反対派だった奴はオリンピックを観るな、応援もするな、メダルとっても喜ぶな、とか幼稚な事を言っている奴がこんなに多いのかってのは絶望的な気分になりますね。

それはそれ、これはこれ、です。

例えば選挙があって、自分が応援している政党が敗退し政権が取れなかったとしよう。結果、敵対する政策を抱える政党が与党となり、政権を得た。

こういう場合に、

オマエはかつて○○党を応援していたではないか票も入れたのだろう。ならば現在の日本政府の福祉を受けることはまかり成らん、権利を主張することも許さん。

という中学生か小学生並みの理論展開と同じだということに気付かなくてはいけません。
マスコミは筋など通さなくてもいい、とは先に書きましたが、個人はさらにそんな責任を負う必要はない。そもそもの発言に責任がないのだから。
じゃあ、誰が発言に責任を持つのか? というと政治家や各種の専門家でしょうよ。
自分たちも民間人であるといういいわけは通用しない。

本来、政治家は失政を行えば、腹切りものなんです。そのくらいの責任が乗っているから、莫大な給料を得ている。
謝罪して、あるいは謝罪もせず責任もとらずに辞任して何もなかったことにするとか、どんだけ楽な仕事か。そして民衆から責められて責められて自殺に追い込まれた政治家なんて一人もいないってだけでも、面の皮分厚すぎると思います。

今回のオリンピック、アスリートの皆さんは開催に胸をなで下ろしているでしょうし、その充実感と高揚感に浸っておるでしょう。またオリンピックが今年まで延期されて開催されるまでの紆余曲折と、数々の問題も承知しておるでしょう。それらに対して言及するアスリートは一人としておりませんが、口にせずとも心にしっかり刻んでいると信じたい。

日本国民の莫大な血税と、限界ギリギリの我慢の上に自分たちの舞台は乗っかっていると。

だから結果を出せということではありません。
メダルなど取らなくてもいいが、公としての責任が既に発生している事は自覚して欲しい。

オリンピック人形になるのではなく、IOCや協会やスポンサーの奴隷になるのではなく、筋肉バカのアスリートとしてではなく、そこは一人の人間として、個人的な喜びや感謝だけではなく、今この世界に思うことを口に出して述べて欲しいと思う。世界に対して使命が発生していると言ってもいいでしょう。

我が身の半生を賭けて頂点に登り詰めたのなら、その言葉に重みもあろうが、何も語らない今の彼らはただの筋肉奴隷だと思います。

日本のアスリートが政治的な声明を発表すれば、おそらく各種の団体から除名されるでしょう。
選手はそんなことを考えなくてもいいし、考えている暇はない、という言い分も解りますが、じゃあなぜ、なんの為に、我々はアスリートの皆さんを応援せねばならないのか、と思うのです。ただ速く走ることに、高く跳ぶことに、ボールをゴールに入れることに、なんの価値があるというのか。

我々は傀儡的な価値に丸め込まれた世界に生きていて、それらを素晴らしいことだと信奉するよう仕向けられている。
それらは何も生み出してなどいないのに。
しかし、それに応えるアスリートやアーティストがもてはやされ、次から次へと大量に産み落とされてゆく。
そして我々はひたすら、それらに対しエネルギーを無為に消費している。

本当に大事なのはその先のことなのに。

スポーツでも音楽でも芸術でも、なんだっていいけど、そういうのってただのきっかけでしかなくて、観て聴いて喜んだり楽しんだりするという刹那的な感情行為が、「幸せ」というのではないとおもいます。

本当に大事なことは、そこで生まれた感情について考えることで、何故良いと思ったか、何故感涙したのか、何故不快に思ったのか、何故怒りを感じたのか、何故悲しんだのか、それらについて自分の頭で考えて理屈を導き出す事だと思います。

なんだか中途半端な話になってしまいましたけど、この事についてはまたいずれお話しします。





阿呆政府

2021. . 28
東京の感染者が三千人を超えたらしい。
オリンピックやってさ。

政府は「オリンピックは関係ない」って。 マジか。

阿呆か。

で、一都三県について緊急事態宣言を検討、と。

阿呆か。

ついでに大阪にまで視野に入れるという。

阿呆か。

今まで散々緊急事態やってきて、効果なかったのになんでまだやるかな。
オリンピックのせいで沿道に観客あふれてるのを止めもしないで、不要不急の外出を控えろと。

なんでこんなに阿呆なんだろう。

誰もが予想できたことなのに、いつでも想定外とか予想以上とか、どんだけ見通し甘いんだ。
政府が率先してお祭りやってるんだから、一般市民もオッケーだと思うだろうが、雰囲気的に。
これで大阪まで出たら、甲子園やめるか?

この夏のキーワードは「自粛破り」だな。もう誰も政府の言うことなんか聞かんよ。

阿呆のいうことだから。

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夜のトレーニングです。

老化は足から来る、と脅されて週に三日くらいのペースで下半身トレーニングしてます。
とにかく車屋というのは足を動かさない。立ったり座ったり寝転んだりはするけど、歩かないので上半身とか腹筋とか背筋ばかりが強くなる。

人間の身体の部位の中でも特に、足指という末端機関は大切だそうで、ここを使わなくなるとボケるらしいです。あと、足首、ふくらはぎ、大腿筋、大臀筋と上がってきて、腰にくるそうです。ようするに腰以下が弱いから、腰をすぐ痛める、ということだそうです。

これはマッサージのお姉さん、整骨院の先生、大怪我しまくってリハビリ常連ライダーという、三者三様のプロ達が口を揃えて助言してくれた。

もうその理屈はなるほどと頷くばかりでしたので、かなりまじめーにやってます。

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で、変な自転車だと思ったでしょうけど、変な自転車です。

これトライアルといって、基本サドルがない立ちこぎオンリーで、三次元セクションをクリアするためだけの競技自転車です。
はっきりいって、まともに乗れたもんじゃないです。まず最初は漕ぐのすら危うい。曲がる止まるも危うい。
これでウィリーとかジャックナイフとか、それどころかフロントアップ、スタンディングスティルですら出来る気がしない。

最初はそんな感じだったんですが、毎日一時間ずつでも乗っていると、すごく微妙に上達します。数秒、数センチ単位ですが。
もしかしたら一年くらい続けたら、ダニエル(ウィリーしたままその場でホッピング)とか出来るくらいにはなるのかなぁ、とか思ったり。

そして夜にちょろっと乗るだけなのに、めっちゃ汗かきます。
一応腰痛予防なので、変に高望みしないで、輪をかけて怪我だけはしないように気をつけよう。

祝・五輪

2021. . 24
やっぱりオリンピック始まったら、こっそり宗旨替えして、オリンピックを盛り上げていこう! というのが実に日本人らしい感じで、これも文化だなぁ、と。
昔々、どこぞで聞いた話だけど、日本の文化は「水に流す」という行為が割と根幹にあって、思想に影響しているとかなんとか。
神事などで、穢れを濯(すす)ぐ、というのもそれになぞらえたものと言えます。

どんなに恨みを蓄えていても、事が流れれば、なかったことにして前を向きましょう、ってのはなかなか他国では出来ないことで、日本人の精神性の高さを表しているとも言えます。また、上下水道がかなり早くから整備されていた江戸時代は文字通り水に流す文化が熟成した時代であると言えるのではないでしょうか。
鎖国政策で、ある意味負のエネルギーの逃げ場がなかった時代で、様々な方便を用いても、諦めるしかなかった、という行為を総じて「水に流す」と称したのではないかなって気がします。

だから日本人は、どうにもならんことはさっさと諦めて、前を向く、って行動が割と遺伝子レベルで刻まれているようには思います。
これって実は究極の個人主義で、隣の半島の人々みたいにイデオロギーに支配されていないって事なんですよね。
実は日本人は遵法意識は低いとおもいます。
ただし、一七条憲法にあるように、「和をもって尊しとする」という言葉が最も日本人を表すのに相応しい言葉かなぁって気はします。

風向きや、空気感を素早く読んで、それを乱さない。
だから、今回のオリンピック関連の世論の動きは、実に日本人らしいなと。
でも、だから、日本ではジャーナリズムってのが育たないんだろうなとも思います。
そして、だから、日本は世界一平和で裕福なんだろうな、という気はします。

自分が気持ちよくなる為に、相手に合わせたり、譲ったり、助けたり。動機は利己だけど、結果的に利他になっている。
日本人は、いい意味でも悪い意味でも、半分は自分、もう半分は他人のことを考えて行動している民族なんだろうと思う。

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真っ青な空の下、真っ赤な積載車が、真っ黄色のビートルを運んできた。 すげー

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そして荷下ろしされる姿は、レッドカーペットの上を歩く女優さながら。

不動車だけどね。

このド派手な真っ赤の積載車。CALMAXさんという業者さん。作業してるマッチョなナイスガイが社長さんです。
普通よりもロングなベッドに、どでかいアオリ。
コレなんでこんなデカいのかというと、あらゆるカスタムカーやバイク、スーパーカークラスの車両を運ぶことがあるからだそうです。逆に言えば、普通の積載車では対処できないクラスの車両搬送を受けるお仕事なんだそうです。
でも、今回のように「普通のビートル」を運ぶ事もしますよー、とのこと。

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ウチの事務所にカップ麺置いていると、若干フタが膨らむ。
別に気圧が低いとかではなく、たぶん気温が高くて中の空気が膨張しているのだろうと思われる。

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カルマンのイスをオリジナルに戻す作業。レールがまともに残っていたのは僥倖ですが、なかなか苦労します。

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もう気温とか見てませんけど、何度くらいなんですかねぇ?
あ、開会式とかも観てませんけど、どうだったんですかねぇ? 
きっとあれですよ、コロナ禍で、人材が集まらなくて、ダウンサイジングせざるを得なかったんですよ。ショボいとか言っちゃ駄目! ショボいとかネガティブなこと言ったら、俺達の税金がショボいことに使われてること認めるようなものじゃないですか。

だから、声を上げ、夏空に向かって高らかに謳おうではないですか。

こんだけ困難な状況下で、歴代最高額を投入したオリンピックなんだから、世界一素晴らしいオリンピックなんだと。

でなきゃ、報われんよ、国民が。
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