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12がつになった

2023. . 03
特に生活に変わり映えはないのだけど、とりあえず年末ということで、お客さんから年の瀬の挨拶をいただくようになる。
顎痛いのは顎関節症ではないかという、歯科医の見立て。色々調べてみてもそんな気がするけど、原因的には色々ありすぎてなんかよくわからん。
そもそも、身体の歪みから来ているだとか、歯を食いしばっているだとか、精神的なストレスだとか、そんなもん心当たりありすぎる。というか病気とかほぼストレスが遠因だからな。

あと変わったところで、帯状疱疹が原因とかいうのもあるらしく、ホンマかいな?

ま、じっとしてりゃあ、痛くないけど、痛みのせいでごはんがあんまり美味しくいただけないのが一番辛い。パーツ交換できるならしたいわぁ。

義体技術とか進んで、脳以外サイボーグ化出来るならしたいよな。というかそうなったら人型の身体なんか要らんけど。

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この光の先にラピュタが。

といいたくなるようなレーザービーム。なんか御堂筋イルミの一環で照射してるらしいけど、雲まで届いちゃってる。何処を指しているんだろうか?

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車の下に潜って、フューエルポンプをマウンティング。何気に私らこういう、何もないところにどうにかして部品をつけるような仕事多いから、めちゃ慣れてます。うまくレイアウトできたら気持ちいいですね。

で、ふと、そんなことしながら考えたのだけど、今の若い人達って「Z世代」っていうじゃないですか。なにが「Z」なのか、しらべてみた。もともとはアメリカから伝わった世代分類記号だそうで、Z世代の親は、丁度私の世代くらいになりますがX世代というそうです。もちろん間にY世代もいるので、概ね12年ひとまわりで世代が分類されるという感じなのでしょうかね。

なので、特に意味はないそうです。
例に漏れず上の世代は若い人の事をこき下ろしたくなるので、彼らを揶揄して「Z戦士」などと呼んだりしますが、Z世代はドラゴンボールのように強い敵をどんどん打ち負かしてゆくようなことはなく、どちらかといえば勝負は嫌う傾向にあると言えます。リスクを避けるというか、リスクになりそうならその手前でブレーキを踏む、みたいな感じはします。

私が直感的に思うのは、彼らは生まれたときからずっと敵がいない中で育った人達なのではないだろうかと。乗り越えるべき相手とか障害になる相手とか、攻略不能な相手とか、そういうのがなかったんじゃないかなぁ、と。だからあの、ペニスを連呼するエディプスコンプレックスというのはまるで理解不能なのかもしれない。(というか無意識にでもそんなにチンコのことは考えてないと思うけど)

それで、障壁にぶつかると脆く崩れ去る人が多い、というのも頷けるんだけど、なんかそれも単純じゃねぇかなぁ、と。

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ある意味、既存の価値観からほぼ離脱した人々が、彼らの世代なのかもしれないと思う事はある。
もう昭和なんて歴史の一ページだし、平成もほぼ昔。私ら日本人ってめちゃくちゃ平和な期間が長くて特に頑張って秩序立てしなくてもうまくやっていけるから、イデオロギーから脱却しやすくて、合理化しやすくなる。実際70代以下の昭和世代だって、各種の風習や習俗については曖昧だし、上の世代の保守に反発して、思想的にも自由主義的に走っていったから、どんどん柵がなくなっていったんだと思う。

イスラエルやパレスチナみたいにイデオロギーがまず変化しない(できない)土壌にいると、進化しない。新しい思想も生まれないし、生まれても確実に潰される。だからずっと同じ過ちを繰り返す。私らからしたら、進歩のない人にしか見えない。好きでやってるのかもしれませんが。

もちろん平和な日本においては、今の若い人達はこれからの世界を作ってもゆくわけで、一体どういう感じになるのかなぁ、と思うのです。私達にはまず想像がつかない。
だから古い世代は不安なので、若い人達にもの申したくなる。

ま、コスパもタイパも悪い時代でしたからねぇ。義理人情だとか身内だとか、愛着だとかサービスだとか歴史的価値だとかいって、その対価もないのに時間や労力を随分浪費したのは間違いないです。

なので、Z世代が社会の実権握る日が来たら、真っ先に我々の様な古い車やバイクに乗っている人間は時間と金を浪費する背徳民として詰られるのでしょうなぁ。

それまで生きてるかどうか解りませんが。



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秋らしく里山のはなし

2023. . 29
てんちょのあやしいはなし


連日熊報道が絶えませんが、それ以外に報道することないんでしょうか? とも思わないでもありませんが、すくなくとも遠くはなれた紛争なんかより、明日は我が身ともいえるこちらの問題の方が、日本人には深刻です。

今年は食糧不足などから熊が街に降りてくるなどという事態が横行しているようですが、まずいつも通り知識を深めるため、蘊蓄から。

そもそも、野生動物が人里にまで降りてくるに至った経緯は様々な要因がありますが、よく言われるのが、個体数の増殖です。
これは明治時代のニホンオオカミ絶滅後から、天敵がいなくなったことで、今のように害獣動物が増えていったとされる話ですが、これにはもう少し立体的な原因があります。

そもそもニホンオオカミを絶滅に追いやったのは人間です。その時点ではオオカミは人間にとっては家畜を襲う害獣であるからですし、狂犬病といった恐ろしい病を媒介する存在でもあったため、かなり積極的に狩られました。その頃は狩猟免許云々というのもなく、一頭殺せばいくら的な報奨金の制度も合ったので、農家の皆さんなどが頑張った結果です。その結果、めでたく絶滅しました。
この現象は別に日本だけでなく、海外でも人と森が接する環境において同様の状態が生まれました。食物連鎖における高次消費者(肉食獣)はもともと個体数が少ないので、絶滅しやすいのです。
結果、鹿や猪、たぬきや狐、その他小動物などの繁殖を促したことは確かに事実です。

ただ、鹿の個体数が激増するタイミングと、オオカミの絶滅時期には100年近くのタイムラグがあり、日本においてはオオカミの絶滅=鹿の激増、とは簡単には言えません。

よく言われる、個体数が増え、食糧が不足して人里に降りてくるという現象は結果論で、そもそも野生動物は個体数を必要以上には増やしすぎないものです。生息数が増えればその分縄張りも食料も減少するので、結果的に個体数は増えません。個体数が増えるとそれは自らの命脈を細める事の直結するからです。
そういった行動を種の個体間でどのようなコンセンサスをとっている解りませんが、地球上の動物で後先考えずに、アホみたいに増え続けてるのは「人間」くらいだということは、覚えて置いてもいいかと思います。まあ人間は、増えたら殺し合うみたいですけどね。

で、そんな状況下で、害獣の増殖がどうして起きたかというと、文明の発展と共に人間が自然環境から遠のいた、ということです。

文明の発展などというとの山を切り開き、自然環境を破壊するイメージで、野生動物の住処を逐うような印象がありますが、実際は人間が自然環境に食い込んでいるのではなく、(微妙な言い回しですが)人間の文明圏が拡大したに過ぎません。森林と都市部の境界線が拡大すれば、野生動物の生息域も後退するだけなので、野生動物の生態を脅かしたとしても、それは一時的なものに留まります。

表現媒体上では、自然環境保護の観点からこの人類による開発を批判的に描いたりすることが多いのですが、実際日本の国土の七割は森林であり、森林と共生するような都市部外縁の田舎町が、都市の数の分だけあります。すなわち、日本は森林の中に都市を築いていると言っても差し支えないでしょう。

そういったことを背景に野生動物の行動を推察すると、大規模開発などで生息域が侵され、住処が何らかの分断状態になり、やむを得ず人里に降りてくるという状態は結果的にあったとしても、普通野生動物は好んで人里に降りることはなく、極力人から距離を置くものであり、それが互いに山と里に分かれて暮らす、という生活の知恵が働いていた、といってもいいでしょう。無用なトラブルを避けるという意味において、他種族との接触を避けるのは当然かと思います。

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それを生活の中で自然な形で行えていたのが、「里山」という緩衝地帯の存在です。
里山とは文字通り、人の住む里と動物の住む山の間、境界線です。
里山は人が活動できるよう木が切られ、草を刈られ、道が作られ、治水を施されといった整備が為されました。しかし、それはあくまで山での生産活動における利便性をあげるための開発で有り、けしてそこを人の住処として開拓する為ではありません。

そういった名残が車道に類する林道であったり、村落や里同士を繋ぐ歩道(赤道 あかみち)であったり小河の脇の段々の地形であったり、擁壁のような石積み、あるいは斜面にぽっかり空いた洞窟のような炭焼きの釜だったりします。今でも、村落や街からほど近い山に入れば、そこここに里山の名残が見受けられます。
実際、古い航空写真などをみると、明確に里山として機能していたであろう地帯が確認できます。しかし近年の航空写真では、そこが森に没してしまっている。

人が出入りする山岳地帯、すなわち里山は動物にとっても境界線で有り、電柵などという物騒なモノを使わずとも、テリトリーを認識させるには充分機能していたといえます。
江戸時代以降であれば普通に狩猟も行われたでしょうから、鹿や猪にとって里山は危険地帯でもあったはずで、それこそ里山を越えて、里(ムラ)の畑を荒らすなどという行為は命取りとなりました。

また、当時は害獣を防ぐ柵のようなものが設置されていたこともあるでしょうけども、それよりも機能していたのはオオカミが絶滅した後でも、ふつうに存在を許されていた野犬が里山付近を徘徊、あるいは人間と共生していたという事実です。
今では考えられないことでしょうけども、野良犬、野良猫(はまだいますが)など普通にそのあたりにおりましたし、田舎では飼い犬でも放し飼いが珍しくありませんでした。リードをつけて散歩する(しなければいけない)ようになったのはごく最近のことです。


それらの野犬や、半野良、飼い犬、これらは多くの地付きの野生動物が、それこそ熊でさえも嫌うほど厄介な存在で、古来より人類が犬を狩猟のパートナーとしたのはそのためです。基本犬はオオカミの近縁ですから、山犬が野に降り犬となっただけで、本能的にはオオカミの気質そのままです。集団で行動し、自分たちよりも身体の大きな獲物を狩るという習性もふつうにあります。(でも、あなたの家のベッドで眠っているワンちゃんには、もうそんな本能残っていないでしょうけど)

皆さんも承知の通り今日本の全国の村落は、高齢化や少子化により、里そのものが衰退し、里山を維持すること自体が不可能になっています。戦後にむやみに杉や桧を植林をした人工林にしても、結局輸入材の方がコストが安いため、林業として成立しないまま、もはや建材として使うことも出来ない雑木林として放置されているのが現状です。おまけに全国的に花粉症などという公害を生み出す温床になりました。

里山の衰退は村落の衰退を意味し、都市に人口集中、都市部が増殖。その結果、野生動物の生息である生身の森林地域と、人間の生息域である生身の都市が隣接するようになったため、野生動物が降りやすくなった。また従来であれば人を恐れたり、人工的な物体や音を恐れたりした動物たちが、日常的に都市に触れるので、人間の文明や活動に慣れてしまい、恐怖心や警戒感を失う、または人間がいる地域を危険とみなすより、むしろ食料があると認識するようになる。

そういった、「慣れ」が世代を重ねると、人が里山の存在を忘れるのと同じく、野生動物も人や街や文明機械を恐れなくなる。つまり野生動物はそのまま人間の傍にいる環境に慣れてしまします。
オオカミのような決定的な脅威がなくとも、世代で継がれた記憶による「最近みなくなったけどいるかもしれない」といった遺伝子的な警戒感をもつ、というのが普通だったのが、それすら必要がなくなったことで、山の野生動物は安心して繁殖できるようになったのだろうと思います。

昨今ではキャンプブームなどで、キャンプ場でない場所に入り、食事を広げたりすることも増えています。その行為はある意味野生動物の生活圏に踏み入っていることになります。そこで仮に食べ残しをその場に捨てたりすると、それを動物が覚え、「人間は食料を持っている」とみなしてしまいます。最悪は、人間を見かけたら「襲って食料を奪おう」などと考えたりもするので、昨今ではハイカーが「熊よけ鈴」などを持つのは、逆に危険だという指摘もされてます。

もうそろそろ熊も冬眠に入る頃で、キャンプ通の方々はこれからがシーズンだそうですが、私は寒いの嫌いですので行きません。
「もののけ姫」ではありませんが、山の中というのはどちらにしても「かれら」のテリトリーですから、境界線を越えた時点から、(所有者云々ではなく)「入らせてもらっている」という気持ちを忘れてはならないと思いますし、襲われても文句は言えない、と肝に銘じるべきだと思います。











隣り合ったおっさんと語らう夜

2023. . 28
もっぱら一人で居酒屋に入って呑むのは嫌いではない。そもそも一人でも何の苦にもならない。
だから何にもないときは、一人で呑むのです。

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突き出しがバイ貝なのは嬉しい。
しょーもない突き出しもってくる店はまず、居酒屋レベル低い。チャージ料の代わりとはいえ、そこそこ値段取ってるのだから、これぞな、気の利いたものを出してくれると嬉しい(ちなみにこの店は3種類から選ばせてくれる)

居酒屋は居酒屋然としていなければいけない、と私は思ってます。
タッチパネルでの注文がダメとかそう言うのではなく、客が語らってやかましくて当たり前、店員はその声に負けじと威勢良く、元気よくいなければいけない。客が入るから店員も多い。対して、不景気な店は店内も店員も暗い。安いだけで雰囲気が悪い、料理は冷凍メインでたいしたことがない、誰でも出来るからしょうもないバイトが1人か2人で切り盛りしている。経費削減のために客のスマホでQR注文させることも多い。

良い店には入りたくなるものです。客が入っている店には入りたくなるものです。

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二品でビール6杯いけた。この後お茶漬け食べて帰った。

で、まあ一人で呑むつもりだったんですけど、隣の客とふとしたことで言葉を交わしあうことに。
最初はちょっとめんどくせぇなぁ、っておもったんですが、まあこれも何かの縁かと付き合うことに。
きけば私と同年配、昔のあれこれ、いまのこれから、特に目新しい話はないし、こっちも昼からずっとアルコール入っているので、難しいこともいわずに軽く話をする。一時間ほどだったけど、人生の中ではほんの一瞬すれ違っただけで、会話の内容もほぼ覚えてない。多分そんなに意味のある出来事ではないし、彼にも何の影響もなかったと思う。

酒席なんてそんなもんだけどね。
すごいことを言ったような気になるものだし、言いたくもなる。無責任に。

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これは国産のアルト。
ヘッドカバーってプラで出来ていることが多いんだけど、なんでだろうと考えたら、今時はヘッドカバーの上にエアクリーナーとかが設置してあるのが多いから、断熱の意味もあってプラなんだろうな。鉄で作ったら、エアクリーナーボックスに熱が伝わりやすくなるのでよくないのだろうと。

大体エンジンオイル減るって現象は、このヘッドカバーパッキンから漏れてること多いです。
思っているよりも劣化激しいし、漏れる量も多いので、過走行してる車は要チェックですよ。

そんなわけで、今私は謎の「顎激痛」で、硬いもの食べられません。

嚙むたびに顎痛いって、なんぎです。

ビッグスクーター修理

2023. . 26
硬派なオートバイ愛好家達から常々「あんなものはバイクじゃない」といわれ続けてきたビッグスクーターという乗り物。言わずもがな一大ブームを巻き起こし、一時はクラッチ付きのマニュアルミッション二輪車を駆逐するかのような勢いで、まあ猫も杓子もビグスク乗りになった時代がありました。
高校生の時中型免許とったはいいけど、結局ビグスクにしか乗らなかった、みたいな人もいるかと思います。

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そのくらいバイク文化って炎のようにパッと燃え上がっては、消沈するブームを繰り返すものでして、世代で乗ったバイクの種類が随分違っていたりします。まあ、バイクを乗り始める頃の年齢って周囲の影響を受けやすいから、どうしても偏っちゃう。
なのでメーカーも、そのムーブメントに乗り遅れたら、一発で商機を逃すわけです。

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で、そんなこんなで、バイク業界でいつもブームの先駆けを創るのは大体ヤマハ。そこんところはすごいと思いますね。
ビッグスクーターと呼ばれる250クラスのスクータを最初に創ったのはホンダだけど、「おっさんの乗り物」感は拭えなかった。それもかなり昔に創ってたんだけど、バイク乗りからはアウトオブ眼中でした。
しかし、そこにドラッグスターやSRやTWでガンガン攻めてきたヤマハが、ビッグスクータに参入。ホンダのダサいフュージョンやフリーウェイを出し抜き、スタイリッシュなマジェスティを作ってが爆当たり、一時ビッグスクーター業界はヤマハの独壇場となりました。

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しかし日本国内の他のバイクメーカーも黙っちゃいません。スズキは満を持して13インチの変態スカイウェイブで勝負に出る。デザインは微妙だけど、悪くはない。カワサキは、そもそもスクーター作ってなかったので、スズキからスカブーをOEMしてもらうことに。いくら「漢カワサキ」といえども押し寄せるビグスク市場を無視できなかった。
そして、やっぱ本命はホンダだよね、とマジェに対抗するモデルを待ちわびた熱烈なホンダファンを地の底に突き落としたのが、この、満を持して発表されたフォーサイト!

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だっさ!

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ホンダ……いつも、どんな自信があってそのデザインで勝負を挑むのか。
よく社内会議で通ったな。しかもヘッドライトはブラックバードの使い回し。

せめてフロントスクリーンをフロントカウルにマウントして、ハンドルをバーハンドルにしていたら評価は違った。しかも積載量も他より少ないし。シートは何故か横開きでチープ。

私は硬派なオートバイ愛好家なので、スクーターを所持したことは一度もありませんし、スクーターのデザインは総じて機能性だとしか思っていませんから、そもそも興味ないのです。しかしそんな私でもこの外し方は驚きました。当時のビッグスクーターデザインのメインストリームからは、まるで異世界レベルのダサさだったのです。「それはやらんだろう」を全部やった感。

ま、それを自ら裏付けたのが、後年に発表したスタイリッシュなフォルツァシリーズのヒットですから、さすがに開発チームは怒られただろうな、と思います。あの時フォーサイトなんて作らなければ、ホンダはマジェスティに勝てたのではないかと思わないでもないです。

が、不人気といいつつ、マイチェン重ねて10年間販売され続けたそうです。

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そんな不遇なフォーサイトの修理です。生産終了から15年目。

トルクカムのカバーが抜けない。
なんか錆が出てるから怪しいなって思ってたんですよ。ドライブケースからきゅるきゅる鳴るし。

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切った。
なんかカムにもガタがある。嫌な予感は的中した。

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終わってますわ。

ま、私は修理するのが仕事なので、モノがなんであれええんですけどね。
車体が安かっただけに、あんまり部品に値段かけたくないってのは人情ですが、ここはもう割り切って直すしかありません。

色々書きましたが、このビッグスクータって、実はめちゃくちゃいい乗り物なんですよね。
実はこいつらにシグナルダッシュで敵う同クラスのスポーツバイクはありません。
荷物は詰めるし、小雨程度なら殆ど濡れないし、足つきもいい。ラグジュアリーなシートはお尻も痛くならないし、2ケツも嫌がられない。
そもそも、街乗りなら最強です。ライディング技術もナシに速く、華麗に運転できます。なんせ簡単ですから誰にでも乗れちゃったんですよ。ものぐさで目立ちたがり屋な若者達に支持されたのも解ります。

硬派なオートバイ愛好家は一生かかっても認めたくないんですが。





今年、最初で最後のサンマ

2023. . 23
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サンマ高かった。一尾250円。
丹波篠山の黒豆ごはんと、野菜の味噌汁。

ささやかな我が食事。

最近箸で魚を食べられない子が増えてるらしい。というか、骨がついたまるの魚を食べ(られ)ないらしい。
魚苦手って言う大人も多いから、子供にも食べさせなくなったりするんだろうけど、もったいないなと思います。おいしいのに。

外国人観光客は箸を割と上手に扱うのを見受けるようになったけど、逆に、日本の若い子がすんげぇ変な持ち方してるのが気になることがある。それも身なりきっちしりた女性だったりするから、なんかぞっとする。

で、たまーに、自分のブログ読み返すことがあるんですが、ちょっと前のことでも、その無知ぶりや想像力の無さに恥ずかしくなることがある。すごい感情的で攻撃的だったり、無駄に熱かったり。でもそれも、その時思った本音なんだろうと思うことにしているけど、一体何がいいたかったのか、と苦笑する。

自分が芸能人とか有名タレントだったら、過去の書き込み掘られて、炎上、そのまま干されてるな、と思う。まあ、今も人生において干されてるようなものですけど。

人の振り見て我が振り直せというか、自分じゃ自分のことはなかなか気付かないものだね、と。

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関係ないけど黄昏れる大阪駅。

内閣支持率20%台? すげーな。
ま、増税しかしてないからな。国民に喜ばれることしてないもん。国民っていうか庶民は現金で狡猾なものだから、自分たちにとっていい事がなければ批判的になるし、評価すべき事にも目を向けない。仮にすごい功績があったとて、「やって当たり前」と思っている。税金払ってるからね。
ま、そもそも、民を代表して国の政治に参画しているのですから、民に還元しなきゃ、裏切り者とそしられても仕方ありません。

でも、だからといって、増やした税金を元に戻すことなんてできない。
政府として出来るのは、わずかな金をばらまくことくらい。
10万もらおうが、50万もらおうが、それで政府を評価する、って流れになるわけなんてない。

国民は、この国のために働こう、税金を収めようって、そう思いたい。
日本人は大体日本のことを好きだと思うし、漠然とでも大事にしたいと思っていると思う。
だけど政府が、日本のことや、日本人のことを大事にしようとしていない、って事が見透かされてるんだと思う。

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ミニって、1トン車の荷台に乗っちゃうんだね。

でも、どうやって載せたんだろうか? フォークリフトかな。

ああ! もうすぐ憂鬱な正月が来る。い や す ぎ る。

正月迎えた、あのリセット感がすごく嫌なんです。一年がリセットされて何もなかったかのように真っ白になるの。去年と同じじゃねーか、と。

そんな感じで。








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