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もうひとつの 2025年問題

2024. . 17
少し間があきましたが、問題シリーズ第三弾、もうひとつの2025年問題。
もうひとつの、というより、これが一番問題視されなくてはいけないのですが、意外に騒ぎ立てる人というのはおりませんで。
なのでここは私らしく、そういうマイナーな問題を取り上げたいと思います。

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最近にわかに「裏」の界隈で囁かれるのが、2025年7月に大災害が起こるというもの。
その災害の規模がどのくらいなのかというと、フィリピン海沖で大規模な海底火山が爆発し、そのせいで巨大な津波が起きて、日本列島(およびその周辺国)の大部分が海に飲み込まれ壊滅する、というもの。もしくは、隕石が落下して大爆発するという話もある。
リアルな日本沈没(小松左京)です。

ええ、予言の話です。

これは、内容こそ多少の違いはあれど、各地域各種の予言者が同じ時期に全地球的な災害が起きると明言していることから話題になったものです。日本で有名なのは、漫画家のたつき諒作「私のみた未来」で、今までも予知夢でいくつかの未来を当てているという漫画家。
たつき諒筆頭、そういった方々が予言する凄惨な大災害のあと、ポストアポカリプスのような世界が広がるのかと思いきや、そうはならないそうです。

土地が壊滅し、大幅に人口を減らした世界はやがて快方に向かいつつ、生き残った人々の手で新たな価値観の時代の幕開けを迎える、といったまるでノアの箱舟のようなシナリオが用意されている。というのも、生き残るのは選ばれた者達だけだからです。アッチ風にいうと神を信じ神のために尽くしてきた人々、とか意識のレベルが高い人、とかまあそういう感じ。

この手の話でリアリティがないのは、そういうとこなんですよね。漫画やアニメみたいに善人(みたいな人達)だけが生き残って、大団円、みたいなの。
実際の世の中ってそんな感じじゃなくて、善人は騙されて搾取されて、滅ぼされたり奴隷にされたりしたのが人類史のデフォルトじゃん。大体生き残って幅を利かせてるのは悪い奴らばっかりで、我々ってのはえてして「悪い人たちの子孫」な訳ですよ。(蛇足ですが、ブランキージェットシティの「悪いひとたち」って歌がまさにそういった現代を唄ってるのだけど、つくられたのは90年前半。そっから伝わるメッセージ性は大して変わってないってのは笑える)

私的にはその悪い人達の中にも、ちょっとくらい罪悪感を覚える人達が宗教なんて始めたのがきっかけで、贖罪を願って神を崇め、原罪なんて生み出したんだろうと考えてる。
まあ、それはさておいて。

ノアの箱船の逸話でも、いわゆる神の寵愛を受けていたノア一家は箱船を事前に建造するようにと、お告げがあったのですが、ノア達がそれを言われたまんまやってるのを見てせせら笑ってた周囲の人達は洪水に呑まれてみんな死にました。

ま、助かったのはノア一家だけではなく他にもいたそうですが、神のお告げを無視したらそういう悲惨なことになるという、いっちゃえば強談威迫(ごうだんいはく:言語や態度により、自己の要求に応ずるように要求し、相手方に不安、困惑の念を抱かせること)であって、そういうの神としてどうなん? ってのは子供の頃から思ってました。

でもこの預言、本気の方は今頃箱船建造してるかもしれませんし、一部の金持ちは標高の高いところへ居を移しているとかなんとか、まことしやかに囁かれたりしていて、このあやしい予言話を補強してくれたりしています。

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ま、こういうの都市伝説とか、陰謀論とか、スピリチュアルとか、そんな感じで常識的な考え方、思考、思想、とは一線引かれて一歩引かれるきわどい話です。ネットの隆盛からこっち、こういった話題は絶えずどこかで囁かれており、予言系などはそれこそしょっちゅう外れているわけですけど、そこに「別の世界線」などという便利な理屈を持ち込むことで、予言はあくまで予言として娯楽として楽しむような側面も垣間見れます。
もちろん、ネット社会以前は雑誌や書籍、あるいはテレビの番組特集などでもよく流されていましたし、オカルトやミステリーは、営利媒体としては非常に優れたコンテンツだったと思います。

現在の四十台くらいまでの方なら誰でも知っている、そのきわどい話の筆頭といえばノストラダムスの大予言で、1999年の、これも7月に何らかの災害が訪れる、的な予言がありました。
が、まあご存じの通りそこはばっちり外れて、平穏な世紀末が過ぎ、地球は無事二一世紀を迎えて今があります。
それこそ世紀末以前というのは、この預言の影響もあって、1999年に大規模な災害や戦火に見舞われる、もしくは終末戦争が200X年などとオカルトやSF南下では頻繁にネタとして使われておりました。これは、いまの世界のように何十年も先を見越すような考え方がなく、割にその日暮らしで、明日何が起きても驚かない、くらいの感覚で皆が生きていたという時代背景はあります。

信じられないかもしれませんが、今ほどメディアのネットワークがなく、もちろんインターネットもないという時代は、情報操作など簡単に出来たわけで、為政者にとっては実に支配しやすい世界だったろうなと思います。
日米の関係で言えば、第三次世界大戦への危惧、それこそロシア(ソ連)とかは本当に何をしでかすか判らないといった風評の流布がなされ、米帝の云うがままに軍備拡張日米安保して今があるわけです。でもまあ、箱を開けてみればさほどに印象は変わらなかったというか、ペレストロイカ以降向こうの情報が入ってきて状況を知るにつけ、やっぱり社会主義ってダメだったね、という印象を我々自由主義陣営に植え付けてくれました。

しかしながら、私の記憶の範疇だけみても、大災害ってのは二一世紀以降の方が格段に増えているのであり、過去の人々が予言していたように不穏な時代には変わりありません。それに核の脅威なんて世紀末よりも格段に上がってますしね。この三十年で見てもどんだけの国が核兵器を運用できるようになったかって考えたら、もはや廃絶なんて不可能だと考えるべきかと。

ただまあ、予言って不思議なことに「何十年も前から予言してた」、と聞かされるのは大抵当該年の数年前か、当該の事件事故災害の直後という感じですし、不思議なことにどこぞの国が核を撃つ、という予言はないし、宇宙人が来たりもしない。もちろん地底人とも出会わない。なんなら「ツィッター」が「X」になるという予言をした奴なんて一人も居ない。こんなわかりやすくて簡単な予言が出来ないものかねぇ、と。

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例の如く長くなってきたのでそろそろ締めようと思うのですが、予言ってほぼ悪いことしか予言しないのは変だと思います。そういうの、予言する側のネガティブシンキングがはいってませんかね、と思うと同時に、人類って基本的にはネガティブで、何もないのにアガってゆくはずがない、と考えるあたりが、いわゆる世界の情勢の流れに反映しているのかなという気はします。

いっている意味がわかんないと思いますが、単純に集合意識が状況を生み出している、といった考え方を私が支持してるのでこういう言い方になります。
これは別にスピリチュアルな話ではなく、「皆さんが望み、思うような形の最適解に社会を導くことが、社会の秩序を維持するのにうってつけである」という理屈が、もっともシンプルで合理的だから、皆が認めて、その論理を採用している。だから、社会は皆さんの思いの丈の分でしか実現していかないし、良いこともあるけど、むしろ悪いことの方が多くなる。(それで仕方がないと考える重層的な意識があるから)

事実、ある一部の人間達の手によって「科学」というものが生み出されるまで、人類はその可能性を見出さなかったし、今が変化するとは考えなかった。
文字通り「神」のようなものの掌で櫓の周りを延々盆踊りをしていた。

今、科学や宗教や食料や医療、いろんな革命を経て、我々の世界は有り、我々はそこに生かされている。
だけども、いつか世界は滅ぶ、いつか隣国は攻めてくる、いつか日本は凋落する、という不安を拭えない。
そうして自ら守りにはいるけど、不思議なことに人は、「自分はいつか死ぬ」という考えをそれなりの年齢になるまで持つ事をしない。明日死んでも不思議でもなんでもないのに。

もちろん死ぬのはいやでしょうし、考えたくもないでしょうけど、実際今までもたくさん死んでますからねぇ。あなたが人類最初の死者というわけじゃないからそんなにビビる話じゃないと思います。しかもあなたよりも莫大な資産を残して、禍根も残して、遺族も残して、夢も果たしきれず、やりきれず、大体の人が死んでますからね。

だから、来年どなたかの予言が的中して、隕石が落ちてきたり、海底火山が爆発しても、津波に呑まれて死ぬのか、食糧難で死ぬのか、暴動に巻き込まれて死ぬのか、そりゃあわかりませんけども。でも、たぶんまだ明日は生きてるんじゃないかなぁ、くらいに構えて、今日を感謝するのは何も悪いことではないんじゃないでしょうか、って思います。

そのくらいみんなが気楽に構えてたら、神様だって「もう少し人類生かしておいてやろうか」なんて考えてくれるかもしれません、よ~。

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オレンジバグ、いってきた

2024. . 16
さて、例年通りオレンジバグに行って参りました。
今年はいつにも増して大盛況で、人も多く活況でした。

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相変わらずガラクタ売りのヘルムブース。それでもたくさんお客さんがきてくれました、有り難うございます。ブースから離れたのトイレくらいで、ずっと張りつけでした。

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イベントで写真撮るのは難しいなぁっていつも思います。なんせ気合い入れて撮るほど時間があるわけではないんでいつでも適当です。
私の写真からは良さなんて1ミリも感じてもらえないと思うので、雰囲気だけ感じてもらえればと。

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見てこの快晴。

そして意味のない余白。

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ここはビーチサイドでとても気持ち良いんですよねぇ。

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オレンジバグはケータリングが充実していて、本当に色んな飲食店を始め、キッチンカーがおられました。くそお、一般客として参加してたら楽しいだろうなぁ、っていつも思います。
はい、私いつでも全然食べられてません。

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さて、我がビートラック。
制作から15年あまり、ほぼノートラブルでしたが三年前のオータムではリアサスが折れてレッカーのお世話になりました。こんな改造車なのに、ハードユーズなのに、意外にトラブル少ないのはちょっと自慢してもいいんじゃないかと思うところですが、今回はブレーキ抜けました。

和歌山についてすぐの交差点、ブレーキ踏んだらそのまま圧抜けで信号無視して突っ切るという恐ろしいことに。

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原因としては、リア側にゆくブレーキパイプが腐食により破断。室内床のカーペットベタベタで、ばっちり圧抜けしてた。マスターシリンダーや、ホイールシリンダーで抜けなかったのは幸いでした。
まあ、普通ならこの状況はレッカーものですが、そこはワーゲン屋さん、なんとか出来ちゃうので、結局現地で応急修理しました。
もちろん、ブレーキ性能は完璧ではないので、帰りはハンドブレーキ待機で安全運転で帰りましたけど(それでも法令違反です)
皆さんはブレーキ抜けたら迷わずレッカーのお世話になってくださいね。

しかし、毎度思いますが、トラブルで路上停車してる車両とかって殆ど居なくなったなぁ、と。
あれだけのワーゲンが一箇所に集まってくるにもかかわらずですよ。
ひとえに、日頃から皆さんが車のことを気をかけて、維持していらっしゃる結果なのでしょう。

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良い一日でございました。
いっそ二日くらいあったらいいのになって思います。夜はキャンプして酒盛りして~みたいな。

泊まり系のミーティングとかイベントってバイクはよくあるけど、車はスペースの関係で難しいのかもね。でもこうして集まったり出来るような車に乗っている人は、ぜひ参加して、そのイベントの一部になって欲しいなって思います。大人になるとこういう体験はなかなか出来ませんから。

マジで、一般参加できる人羨ましい、と思ってる私が言うのだから、間違いない。

2024 オレンジバグ 

2024. . 12
きたる4月14日、ギリギリの告知で申し訳ないですが、和歌山市 片男波海水浴場駐車場にて、VWイベント「2024 オレンジバグ 6th」開催されます。9時から3時まで。少し遠いですが、大阪からなら高速で2時間くらいです。

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毎年イベント前はバタバタですみません。我々的には正月みたいなもんですかねぇ。

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ビートラックにヒーター導入。
制作の際に重量増しになるヒートエクスチェンジャーを撤去したので、長らくヒーター未装備でした。
しかし、イベント時はいつも早朝出発で、クソ寒いのでエクスチェンジャーに頼らないFFヒーター(燃焼式灯油ヒーター)装着。実はモノは一年以上前に購入してたのだけど、やっと取り付けできた。
フロントシートの後ろ床に付けたのだけど、やっぱりタイプ1に付けるとなると制約あるなぁ、と実感。わざわざヒートエクスチェンジャー外している人で必要な人はあまり居ないと思うけど、最低地上高が低い人は取り付け箇所が床だと厳しいです。

もしつけるなら、タイプ1やカルマンギアなら、リアシート裏のラゲッジスペース(ミッションの上)が望ましいでしょう。タイプ2は何処でも取り付けできます。

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少し時間があったので、細工してみた。ボディも塗装もやれやれ。

そろそろ色を塗り替えたいのだけど、全くそんなまとまった時間は取れません。

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ふらっと、大阪城公園。
外国人観光客は相変わらず多いですが、やはり温かくなると人の動きは活発になりますね。

温かいなんて言ってられるのもあとほんの少し、このところの日本は、五月くらいになれば暑い暑いと言い出すような気候になって参りました。そう考えると春ってのはほんとうに貴重な時間ですね。




2025年問題

2024. . 06



さて、問題シリーズ第二弾、今回は2025年問題。


2025年問題といえば、75歳以上の後期高齢者が日本人口における五人に一人の割合になるという、本格的な高齢化社会の幕開けの年であり、かつて言われたY2K問題とかとはちょっと違います。
ですがこんな超高齢化社会の到来なんて、数十年前から決定していた事で有り、政府はチョロチョロと子育て支援やらなんやら大したことない金を撒くだけで、抜本的対策も打ち出さなかった訳です。
今更問題とか言われても、なんだかね、という感じです。

いわゆる人口減が本格的に始まる、現況40から50くらいの世代(昭和50年代あたり生まれ)の国民が結婚出産適齢期を過ぎた時点で、ヴァニシングポイントが見えていたわけで、なれば政府は出産による人口増という期待を早々に見切るべきだったとおもいます。

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そんなわけで日本の人口問題はもう手遅れで、この先は急激な人口減が始まります。
そもそも、一億二千万人を維持しなければいけない根拠がわかりませんが、「100匹のアリ理論」というのもありますから、世に浮浪者や非生産層、社会不適合者などが存在することも仕方がないし、何もしないのに給料だけもらうクズみたいな政治家が偉そうにしてるのも、自然の摂理です。
その上で、いわゆるコミュニティを一定のクオリティで維持するのに必要な人口というのは存在するでしょうし、個々が能力を上げれば人口減しても大丈夫というほど単純な話ではないのでしょう。

で、ここから大事な話ですが、人口減が約束された事実に至るまで、さて我々は何をしてきたのかというと、子供を産まなかったとか、結婚を望まなかっただとか、若者をやる気にさせる社会を作ってこなかっただとか、高齢者が社会福祉を食い潰してきただとか、政治家の票田のせいで未来が潰えただとか、環境ホルモンが精子を減らしただとか、まあまあ、色んな理由を並べ立てては、少子化の原因を追及しようとします。

SNS上なんかでは好き勝手な事を言う連中も多く、本意ではないにしても心の中でモヤってる想いとして「今の若者が結婚もしない子供を産まないで、好き勝手に生きている」から等と、ご自身の老後を憂う発言をなさるかたもおられますが、じゃあ先輩諸氏は皇国大日本帝国の奉為にわざわざ細君に御子を身籠もらせ、御育て上げたからして、ぬくぬくと今も俸禄を食んでいるのでしょうか、とベビーブーマージュニアの私などは思います。大した愛国精神だな、と。

ま、嫌味をいいましたが、結局そんな理由で子供って生むものでも作るものでもない、って事なんではないかと思います。
戦前から前後にかけては、確かにめちゃくちゃ生まれました。
当時の栄養状態や、衛生環境などから、乳幼児の死亡率は高くそれだけでも一個体が多産になる理由になるのですが、日本の場合は戦争で大量に人口を失ったので、補充するという意味合いもあったかと思います。これは政府の「産めよ育てよ」という政策推進のせいもあったでしょうけども、けして出産子育てに良い環境でなくとも、ポコポコ子供は産まれたのです。

大量死すると大量に生まれるってのは、個々の存在の集合体に対して、どういった仕組みが作用してるのかさっぱりわかりませんが、ゴキブリだってバルサン(的な、大量虐殺装置)焚かれると察知したら、あらかじめ大量に卵を産むそうです(なので、バルサン後はまた個体数が復活する)から、そういうの、人間の意識というより、動物としての無意識下の本能みたいなもので、制御されてるに過ぎないのかなぁとも一面では思います。

ただ、普通に親心からしたときに、自分の娘息子が、社会体制維持のためのリソースでしかない、という側面が強くなれば、誰だって出産子育てが幸福の具現化などとは思えず、余計な労働と捉えるようになるでしょう。一定の若者の主張として、ただでさえ生存が難しいとされる日常に、なんでわざわざ困難を招き入れるのか、という声が漏れることは避けられないと思います。そもそも、政治が国民に対して要求するのは大抵「命」かそれに準ずる価値のあるもので、その理由に国の存亡を掲げてくる。

(無論これまで、そして只今出産子育てをなさっている方々を揶揄するつもりはありません。意味が解らない人はもう一度じっくり読み直してください)

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ちなみに私は団塊ジュニア(ベビーブーマージュニア)ですが、これからの15年後、つまり2040年にはいわゆる高齢者(65歳)になり、現行制度的に、企業等などからはリタイアする年齢となり、同時に年金を受給が開始される年代となります。この時点で65歳以上の高齢者が最大数を迎え、現役世代の社会負担が最大になるといわれており、こちらもまた2040年問題としてしばしば取り上げられています。

ま、しかし皆さんが想像しているとおり、おそらく企業は雇用を70歳まで引き上げるでしょうし、社員もそれを受け入れることになるでしょう。
おいおい、そんな爺さん大丈夫かと言うなかれ、そりゃああちこち傷んでいるかもしれませんが、社会に仕えるもののふはそう簡単に倒れません。
現在も雇用延長に嘱託という契約社員的な制度一般化されていますが、ここの制度を変えて期間を長く設定するなどは行うのではないかと。もちろん退職70歳なら当然年金支給は75歳からね。

しかし残念なことですが、現行制度上の年齢であっても会社勤めを終えたサラリーマンは一年以内に重病を発症もしくは急死、というのは非常に多いです。ですから仮に改正された場合、年金支給までに倒れる方は今より相当多いと考えられます。そこのところを国が狙っていないとは思えませんので、法改正は目前かと。

ちなみに現行でも75歳まで受給繰り上げ(65歳でもらうものを75歳までもらわない)すると、年金受取額が最大84%の増額となる、という時間を取るか金を取るかみたいな選択肢がありますが、私的には63ないし65歳まではアディショナルタイムだと思って惰性で働いて、普通に65から年金をもらうのが吉かと思います。もしくは潔く60で退職、繰り下げ受給で減額されても、残りの20年ほどを謳歌するか、ですね。

で、結局この問題、超高齢化社会の到来に我々は如何に立ち向かうのかというと、やはり道はいわれているように、IT、AIの活用による、DX(デジタルトランスフォーメーション)の推進、社会の合理化。外部のリソースに頼る外国人労働者雇用、もしくは継続的な移民。あとは既存社会の制度改革と人的資源の最大活用ですが、先に説明したように雇用期間の延長、年齢性別資格の就労制限緩和、もしくは撤廃。また家族の要介護状態による退職を防ぐべく、それのバックアップ環境の整備なども含まれます。

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まあ、ホント問題山積みなんですが。

これはマジで国民の皆さんが頑張らないと出来ません。国に税金納めてるからとそれでなんとかしてくれよ、という今までと同じ考え方ではまず食い詰めます。実際今まで政治が我々を助けてくれたことなんてなく、あらゆる負担は皆で分散してきました。
政治というのは国民主権所以の国権の最高機関たる国会において行われますが、それつまり国民が自ら決めて事を為しているということに過ぎず、誰の責任でもありません。ただ、我々が選んだ代表が真面目にやるか、汚職をするか、脱税して私腹を肥やすか、セクハラしてハゲ散らかすか、暴言吐いて土下座するか、国会で居眠りしてても平気な顔してるかは、それこそ我々の民度に関わっているのであり、政治家がクズに見えるなら、おそらくそれは、あなたの周りにも同じようなクズ人間がいるということです。もしくはあなたがクズか。

社会に住まう人々が勘違いしているのは、いい政治家を選べば世界が変わる、と信じているところです。そしてその「良い為政者」は不幸な我々、出来損ないな我々、努力が嫌いな我々も救い上げてくれると信じている。

大間違いです。

ゴミクズの中から宝物は出てきませんし、高級レストランのメニューにドブネズミのローストはありません。
日本は何度も国難を乗り切った強い国である、という称賛と鼓舞は素直に受け入れても良いですが、別にそれは政治の力で乗り切ったわけじゃありません。二度にわたっていいますが、戦争を乗り切れたのは日本国民が流した血と汗と涙のお陰であり、政治家や軍上層部の垂れ流した嘘と甘い尿ではない。

政治に期待するより、まず自分の立ち振る舞いと行為を見直してみるべきではないでしょうか。
政治批判も年金批判も、税金や給与所得の不平不満もいうのは結構、思うのも勝手ですが、あなた自身は自分の為すべき事や、課せられた使命や運命を受け入れる事が出来ているでしょうか。

レストランに来てドブネズミを出されたらそれは、あなたが客としてなめられているからです。
あなたがなめられるのにはいくつかの理由があるでしょう。しかし、それには全く思い当たらないとすれば、あなたはドブネズミのローストを、牛肉だと信じて食すことでしょう。

もはや来たるべき世界は見えています。2025年以後の世界。そこから、我々はどう生きてゆくのか、それは我々に課された宿題とも言えるものです。強者になる事を強要するわけではなく、弱者として、如何にその事実を自分に落とし込めるかが試されるのだと思います。

はい、つまんない2025年問題語りでした。
別にほおっておいても来年はきて、多分なるようになるんです。
いわばこれって概念上だけの問題なのですが、問題であると明言化すれば問題になる、という話で殆どの人には無意味な問題提起なんです。

というわけで次回はそのことを踏まえ、もうひとつの2025年問題を取り上げようかと思います。







2024年問題

2024. . 04
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画像とは全然関係ないですが。今日も関係ない話をします。

さてさて、2024年問題というのがにわかに持ち上がってきていますが、知っている人は知っている、知らない人は当然知らない、といった類のお話で、簡潔に申しますと、

2024年4月からトラックドライバーの時間外労働の960時間上限規制と改正改善基準告示(※)が適用され、労働時間が短くなることで輸送能力が不足し、「モノが運べなくなる」可能性が懸念されており、このことを「物流の2024年問題」と言われています。(全日本トラック協会サイトより引用)

ということだそうです。
ものが運べなくなるとは大げさなような気もしますが、当然ですが輸送能力が限られるとなると、優先的に運ぶべきものがまず優先され、なおかつそれらの輸送コストは高額となる(はず)わけで、安い輸送コストの商品というのは、後回しにされるわけです。
つまり裏返すと、すぐ届く=高額、であり従来のような日本の物流が死守してきた「早い・安い・丁寧」の三拍子が望めなくなる可能性があります。
さらにいいますと、トラックドライバー不足は本来その職務にあたっていなかった人々の参入を促し、ハイコスト化に歯止めを換えようとしますので、自ずとサービスの低下、トラブルの発生、クレーム多発、となる可能性もあり、そのうえ底辺業界では暗黙的な超過勤務が強いられる可能性がでてきます。

少し想像するだけで、大体起きる問題は10くらい思いつきますが、このままほおっておくと、2030年には現在よりも30%も輸送能力が削減されるという試算が為されています。
そこで業界としては持続可能(って言葉好きだよね)な輸送事業を推進すべく、様々な取り組みをしているそうな。

2030年っていうと、まあ少なくとも六年先ですけど、その間に現場を退職してゆく人も相当な数がいるわけです。その上若い人の数はそう多くはないわけで業界への新規参入も望めないと。そこで困った「あ、じゃあ外国人ドライバー入れよう」なんて安易な考えが浮かぶわけですけど、ご存じの通り日本は非常に在留資格得にくく、いわゆる大型免許に限らず各種免許取得というのはかなり難しい(アホな試験のせいで、まともな日本人並みの日本語能力がなければ理解できない)そのうえ、資格取得の期間や、そのためにかかる費用がまあまあデカい。そういったハードルをクリアできるような外国人なら「かなり裕福かつ有能である」可能性の方が高く、わざわざトラックドライバーなんて職を選択するとも思えない、と結論される。

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わたし思うんですよ。この2024年問題って、結局社会全体が物流事業に従事している人を馬鹿にし続けた結果、起こるべくして起きた問題なんじゃないかって。
基本的に荷物って、普通は一人で飛んでいったりしないんだから、自分がある品物を誰かに届けたいって思ったら、本来は自分が持っていかなきゃならないわけですよ。
だけど運送業って、そういうのを一手に引き受けて代行して届けてくれる。いってみれば、みんなで東京大阪間の新幹線代を割り勘してるようなものでしょう。結局その為の費用をちゃんと正当に出してこなかったから、やってられん、となったのだし、持続不可能になりかけてるんじゃないですか。

体力使って出来る事なんて誰だって出来る、基本的にそんな風な考えがあるのでしょう。受注と引き換えに運送コストをむやみにダンピングして、従業員であるドライバーや現場作業の人員を圧迫し続けてきた。
日本人は体力や精神力が無限か、あるいは金(キン)のように叩けばいくらでも延びるものだと考える節があり、一グラムの金と一平方メートルの金箔が等価であるなら質も何も変わらんと考えるようなところがある。
たしかに、現実の金は質量だけ考えればそうだけども、人の心や身体は叩けば何処までも延びるのか、鍛えれば何処までも強くなるのか、というとそうではないと思います。

確かに少しの努力で、何にもならなかった事態が改善することはあります。みんなが少しずつ気を付ければ、大きな状況が好転することもあるでしょう。だけれども、自殺大国と呼ばれて久しいこの日本においては、もう十二分に努力をして、あとは命を捧げるより選択肢がない、というところまで追い詰められている現実がある。

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死ぬのは自分勝手、頑張れなかった奴が死んだだけ、弱い奴は死ぬのだ、とマッチョ思考でモノを考えるのはいつだって上の人間ばかりで、それは太平洋戦争時の軍上層部の振る舞いを見ればよくわかる。要するに、口でいうだけならなんだって言える、ということ。
人員も、資材も、金銭も寄越さないで、ただただ職が与えられている事に感謝せよと、でなければ食い詰めて死ぬぞと脅される。これって奴隷かなんかですか、と。
暴論ですが、日本に奴隷制度が根付かなかったのは、日本人全員が奴隷的な思考でいたからだと思っています。奴隷という言葉がダメなら、社会の歯車です。その社会が何を原動力に、何のために動いているのかを考えないですむ、ただの部品に徹したのが日本人でしょう。
無論こういった問題は日本だけでなく、運送業を要するような近代的な国が共通して抱える問題です。だから日本のやり方だけが悪いのではない、ということは記しておきます。

今後AIとかがもっと社会に進出してくるのは確実なんですけど、我々がお世話になっているお役所なんかは、実はそのAIすら必要がない、機械的事務処理をするセクションなので、人手不足だ何だというならまず、役所をデジタル化して端末と印刷機だけにするべきだと思います。そもそも思考するようなAI導入する意味もないし、確実に決められた処理さえすれば良いのだから、もっと早く機械化されても良い職種だったはずです。

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AIには議員やらせたらいいと思いますよ。保身のためバレバレの嘘を吐く今の政治家より、呼吸するように嘘を吐くAIのほうが、結果まともなコトするような気がします。

私的には2024年問題は、トラックの自動運転化で一挙解決すると思うのですけど、まあそれにはもう少し技術の躍進が必要となりそうです。
そんなわけですから、この先確実に起こり得る人口減を発端とする様々な問題に、暫定的に対処するためには、まず無駄な処理作業(印鑑押印、紙媒体記述、本人の対面確認など)をやめ、デジタル化に移行し、無駄な人員を削減、その分肉体労働者にジョブチェンジさせ、機械化、自動化するまでの間の労働力の確保に勤しむべきだと思います。

人間しか出来ない仕事ってめちゃくちゃたくさんあって、それは社会にとってすごく大事なファクターなのに、給金が安く設定されてるとか、私は変な気がします。
介護現場に介護ロボット入れるなんて話がたまに持ち上がりますけど、それって「誰もやりたくない仕事だからロボットにさせれば良いじゃん」的な発想から来てませんかね?

じゃあ、誰もやりたくない仕事なら尚更、めちゃくちゃ良い待遇と給料渡してあげるのが筋じゃないかと思うのですよ。みんながやりがい持てるような仕事になれば、人手不足だって改善しますよ。

とまあ、そんなこと思うのですが。

次回は2025年問題です。







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