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改めてスタンスを告げておきたい

2021. . 15
最近コロナとか、ワクチンの話ばかりしてるけど、世間様も事あるごとにこういった話題づくしなので、私が特別なわけではなく、極々一般的な世間話程度であろうかと思って書いております。

このブログを以前から読んでくださっている方はお解りだと思いますが、私は車の話はあんまりしません。

車屋が車の話をするのは当たり前で、それは私にとって特にクリエイティブでも、インタラクティブでもないので積極的にしないだけです。「答がなく、よくわかんない事」を語るのは面白い、というくらいに捉えていただければ良いかなと。

てんちょのあやしいはなし

で、ワクチンに関してですが、前にも言ったとおり、いまのところ選択できるので、私は「後でいいや派」です。私の分は打ちたい人に優先的に譲ります、という考えです。表向きには。

で、ワクチンに関してのデマがひどく横行してるので、それについても少し触れておきますと、まずワクチンは現段階においても厳密には治験中の薬品であり、その危険性やリスクに関しては(コロナの性質が未解明なのと同時に)不透明なことが多く、報告は随時、情報も随時提供という、極々リアルタイムで進行している接種事業で、何が起きても不思議ではないので、アンチ派はワクチンについて危険性を訴える運びとなります。

無論、打ったらゾンビになる、などといったデマを平気で吹聴している人もいるので、それはそれで何だかなぁ、という気はしますが、ちゃんとした医師や専門家が理路整然とコロナワクチンの危険性を説いている言説などをみると、なるほどなぁ、と頷く次第。私的にはよく判りません。

接種部分に磁石がくっつくというのは本当にあるらしいので、これから接種するというヒトは是非試してみて欲しい。
あと、管総理が8月の末頃、不妊治療に公的医療保険が適用される方針を打ち出しましたが、コロナワクチンの影響で不妊になる、という事態を見越しての動きだったのではないか、などと邪推するところもありますが、まさかね――というか妊婦であってもワクチン接種を勧めている、というのは今日初めて知りました。妊婦は風邪薬でさえ警戒するのに。不思議です。

ちなみに治験に関しては、本年1月時点ではフェーズ3を通過していなかったものが、現在は通過しています。ファイザー日本法人の承認申請から約二ヶ月後、特別承認されたのは2月の時点です。
政治的判断が介在したのは間違いないですが、法令上、未完成状態の薬剤を撒いたというのはデマです。接種後不具合あっても生命保険や医療保険が適用されない、とかいうのもデマの類です、私もちゃんと調べないで書いたことがあり、これは申し訳ない。
現在段階的にはフェーズ4という段階で、実際にワクチンを世に放って経過を観察、情報を中長期的に収集するという段階にあります。逆に言うと、中長期駅な影響に関しては、今から解明されてゆく、あるいは発現してくるということです。

で、このところデマ批判と同時に、アンチ派を非難する声も多く聞かれるようになりましたが、それは多数の人々が、望む望まないに関わらずワクチンを打ったからです。普通の感覚をお持ちの方であれば、自分が判断し、かつ了承して打ったものについて、批判的になることは自己否定となりますから、ワクチンに対して思うところあれど、最大限譲歩しても肯定のスタンスをとることになります。よってアンチワクチン派を攻撃するのも、結局は科学的見地や社会的見地と言うよりも、自己肯定の側面が強いのではないかと思われます。

私はそういう背景を考慮した上で、まともなのはどちらかと考えた時、「まだよく判らないワクチン」をできれば打ちたくないと考えるのは普通だと思います。既に接種した多くの人も、出来れば打ちたくはなかったが仕方がなかった、と述懐しておられます。

ここで良い機会ですので、過去に存在した薬害事件、薬害訴訟に鑑み、ワクチンのことを考えてみたいと思います。

まず、今回によく似たケースとして、戦後初の薬害事件「ジフテリア予防接種禍」というのがあります。戦後間もない1948年、当時GHQの統治下で行われた予防接種で、罰則付きの法的義務とされ、選択の自由はありませんでした。その結果、当時の薬品管理のずさんさが原因ではあるが、特定の地域で受けた子供に副作用が起きた。延べ約10万人に接種したうち、674人が発病、68人が死亡した(京都府のケース)残る生存者も重篤な後遺症を残すこととなり、重大かつ深刻な薬害事件として記憶されています。

そういう意味では今回任意ではあるけども、ワクチン接種後に死亡した、といわれ報告されているだけでも、これ以上の薬害であることは明々白々なのに、厚生省はおろか、野党もマスコミですら、そのことについて言及することがないのはいくら何でもおかしいので、妙なデマや陰謀論が囁かれるのであり、このところの隠蔽の仕方があまりに杜撰だと思います。

その後も薬事法が制定される前とはいえ、1962年、有名な「サリドマイド事件」なども、薬害が起きているにもかかわらず日本の厚生省はなかなか、薬害事件であることを認めず一年にもわたって販売を承認し続けた。

ただの睡眠薬が、多くの奇形児を産みだしたこの事件が、世間的にあまりにセンセーショナルだったため、長らくサリドマイドは毒薬のように忌み嫌われていました。しかし、近年になり特定の疾病に対し有効性があるとされ、条件付きで治療に使われているといいます。(日本では未承認)
この様に、多くの薬害被害者を出した薬物であっても、後年になって評価が覆るケースもあります。

ただ、この事件を契機に、厳格な薬事法の制定がなされ、有効性、安全性、内外からの副作用などの評価、情報の収集、販売や回収の仕組みの規制化と徹底化、臨床試験等の厳格化、現在の新薬開発承認方針の基礎がこのあたりで出来上がったそうです。

また、記憶に新しいところで「薬害エイズ訴訟」という事件がありました。これは非加熱の輸入血液製剤を輸血された血友病等患者5000人のうち約1700人のHIV感染者をだし、うち418人がエイズを発症したという、こちらも大変センセーショナルな事件で、当時のマスコミの姿勢からしても、大きな話題となりました。
というのも当時、血液製剤の輸入や許可が、一部の専門家の意見で治験の在り方が左右され、実質的な治験の公正さが形骸化しており、厚生省内での権力構造や、薬価差益獲得といった、患者の命や人生を自らの欲望のために利用するという、極めて悪質な事件とされ、権力者VS弱者という構造図をいち早くマスコミが嗅ぎつけ、連日報道の嵐で、累は遂に厚生省今で及びました。

無論、事前にブレーキをかけられなかった厚生省の過失として薬害事件であるが、単純に薬害と言いきれるものではなく、その裏にあった医師や専門家らによる不誠実な行いは人災として、刑事としてそれぞれ当事者が裁かれています。

ここで、注目しなければいけないのは、危険性が示唆されていたにもかかわらず、一部の利権者達の意向により、危険を承知している非加熱製剤の使用を継続し、被害を拡大させた、という点です。
無論ながら、当時患者にはその危険性や、可能性が専門家の口から語られることはなかったわけです。

また、生物由来製剤でこれと経緯的に似ているのが1987年の「C型肝炎事件」で、こちらも割と知られている、フェブリノゲン製剤を投与された患者が次々とC型肝炎になったという事件。実はフェブリノゲン製剤の肝炎ウィルスの危険性をFDA(アメリカ食品医薬品局)が示唆、その後承認を取り消したにも関わらず、日本の厚生省には通達されないままその後10年間も使用され続け、被害を拡大させた。

これは厚生省と海外製薬会社との連絡不備や、情報伝達、情報共有体制の乏しさ。また製薬会社側の不誠実さはもとより、医薬品行政の脇の甘さが招いた事件と言えます。

同じく生物由来で、後年に起きた「ヒト乾燥硬膜CDJ感染」にしてもやはり上述の情報共有不足、承認審査の不備、安全性確保への取り組みが不十分等、厚労省内で同じ事を繰り返しています。

近年で承認にまつわる事件と言えば2002年の「イレッサ事件」。抗がん剤として期待され、諸外国に先駆け我が国で優先的に承認された経緯があります。

副作用が少なく抗がん剤として非常に期待度が高かったのですが、承認からわずか三ヶ月、7000名が使用、うち関連を否定できない肺炎、急性肺障害が22名に、11名が死亡した。しかしその後も回収という話にはならず、条件付きで継続使用され、十分な安全確保と観察上で使用され続けた。結果として副作用による死者は2010年時点で734人を数えたそうだが、元々抗がん剤という延命を旨とする薬剤の性質上、副作用や死者に関しては他の薬害とは一線を画すと言ったところだろうか。

ただ、そこで語られる教訓として、新しい作用メカニズムや、他国での使用実績が薄い医薬品については特段の緊張感をもって審査にあたるべきであり、期待の新薬、画期的、革新的という風評や前評判に流されることなく、冷静な審査を行うことである、としています。

この風評や前評判というのが、マスコミやネット等による二次、三次資料によるもので、新薬の効果を期待する患者からすると、副作用が少なく(あるいは殆どない)期待の新薬、等と喧伝されれば、それを信じたくなるのが人情でしょう。安全性や手軽さだけがクローズアップされ、そこに個人輸入の代行業者など利潤追求者が介在、不適正な使用や運用、取引の横行を懸念、行政側も早々に承認を進めようと動くことになり、結果的にミイラ取りがミイラになった形です。

かなり元資料(参考:戦後の薬害事件の概要と教訓)から割愛した形で引用させてもらいましたが、医薬品とは市場に出てから(治験を経て使用開始されてから)医療現場で継続的かつ厳重に管理されることで、その安全性や、有効性が担保されてゆくものだとしています。継続的な情報収集、評価、提供が重要であると。これがフェーズ4の部分ですね。

末筆には、

使い方を間違えば事故に繋がり
使い方が正しくとも、ヒトにより重篤な副作用が起きる
使い方が正しくとも、併用などにより予測外の事故が起こる
だから使用の現場からのフィードバックで、その医薬品の価値が上が李、信頼性が上がる。

とある。

専門家が新薬承認に際して、細心の注意を払い安全性を確保するため、あらゆる可能性を予測して治験に臨んできたことで、医薬品開発の歴史があります。
無論薬害の歴史とはその穴だらけ、隙だらけの仕組みによる、教訓の歴史でしかないのですが、そのおかげで我々の身の回りでは、安全な(と思われる)医薬品が安価に誰もが手に入れられるようになっています。

私は今回のコロナワクチンにおいて、「薬害」の二文字がどうしても拭えません。
承認を急いだ医薬品だからというわけではありませんが、経緯があまりに性急すぎるために危険だと考えてしまいます。
あえて言うなら、恐怖におののき、なりふり構わず、多少の不具合に目を瞑りながら、一年弱で市場にばらまいた、という風にみえます。
もしくは市場席巻のために我先にと製薬会社が開発を急いで、恐怖を煽って接種を促した、とも。

しかし何より、製薬会社が「早く承認しないとお前らの分は余所に回すぞ」といった恫喝商法を盾にして、早期の承認を迫ったのではないか、というのが最も説得力があると思っています。だからこそ怖い。

製薬会社は仮に何らかの薬害が発覚したり、訴訟を起こされたりしても免責です。そのような契約になっているから、日本政府が保障する事になっている。つまり製薬会社には利益はあっても、何のデメリットもなく責任もなく、罪がいくらあっても逃れられるという事なんです。

この事実はデマではなく、本当のことです

いくら有効性が証明されたとしても、作った者達が後の責任をとる気概がない商品を、任意という半強制的接種を忌避したくなる気持ちは、生まれて当然ではないかと思います。
薬害がない、などと今の段階で断言できる人は一人もいません。だから誰も打つべきではない、とは言いません。打つ人は治験フェーズ4に参画するヒトです。

だから、せめて安全性が担保できる時期まで、接種を遅らせる選択肢を許容できないものかとは思います。
だってワクチン打ったひとは罹りにくくて重症化も避けられるんですし、罹患リスクと重症化リスクが高いワクチン未接種者は、それだけのデメリットを受ける覚悟なんですから、痛み分けという考え方でもいいんじゃないですかね。
ワクチン接種者が一方的に感染リスクがゼロになることを望むというなら、そのために犠牲になるワクチン未接種者の権利とはなんなのでしょうか。

ワクチンが100パーセントに近い数値でコロナの罹患発症を防げるなら、アンチは非難されなくなるのでしょうか。それともワクチン接種が出来ない12才以下の子供の健康保護を盾にして、受けられる人間は私権私益を主張せず、公衆衛生観念をもって国民の義務として接種すべきであると、そのように言うかも知れません。

ま、今のところ私は静観してます。というか、世の中がどう動くのか楽しんでみてます。
あと、コロナやワクチン系でグーグル検索すると、面白いほどに公的な機関や、ワクチンに肯定的なサイトしか上がってこなくなってます。これは本当に驚く。ワクチンに否定的な意見を述べるサイトは上に上がってこないように設定されてるみたいです。あ、うちは中庸なので!

仮に、「ワクチンを打った世界中の人々が人口削減の対象になる」といった、過激な陰謀論が本当だとしたら、その終わった世界で生き延びていても仕方がないなって気にもなりますので、ここは一蓮托生、皆さんと同じ毒を食らって共に逝くのも悪くはないかと、陰謀論を掲げるアンチな人は考えないのかな、とも思います。

いずれにしても私の目から見たら、生に執着しとるなぁ、としか見えません。
私などバイクにもう少し乗りたいし、酒も飲みたいし、お姉ちゃんとも遊びたい、といったささやかな望みしかないので、きっと世界が滅んで死んでも、高等な霊になってあの世で平和に暮らせると思います。

まあ、なるようになりますよ~







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